妖精の園

華周夏

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【第25話】おばあちゃんの反魂

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『俯いてどうした?こっちを向け、フィル。考えごとか?魔法衣の着心地は慣れぬか?』

 「う、うん」

 真っ白の魔法衣。自然と背筋が延びるが、緊張する。もしも、という思いだけが、
フィルを支配する。 

「反魂が、儀式が失敗したらどうしよう」

 なんて怖くて言えない。
言ってしまったら本当になってしまいそうだとフィルは思う。
フィルとレガートは地下の魔術の間へ向かっている。

地下特有の湿気。
カツンカツンと足音が反響する石畳。
薄暗い廊下に灯される淡い炎の松明。 

「レガートと離れたくないよ……もしも……良くない結果だったら僕はレガートのお婿さんになれないの?」 

『兄上は重臣の前でお前を降婿させると言った。決定事項だ。フィル、悩むな。
気が散ったら翡翠の指輪を思い出せ。
あの雪のような光……。私を癒した、奇跡の光だ。儀式中は指輪をしている私の指を握っていればいい』

 親衛隊長なのに、長く白い綺麗な指。閨の時は悪戯にフィルの体を這い、
フィルに甘いため息をつかせる。
普段の仕事の時は黒の革の手袋をしていた。

『朱い爪を見せたくなかったからな』 

もう必要ないとレガートは少し目を伏せた。
妖精は肉は食べない。
革などは行商部隊が手に入れてくるという。
生き物に対する礼の儀式を行って革は加工する。 

『着いたぞ』

 木彫りの装飾が施された群青のドア。
重苦しい、圧力を感じる。 

『魔術担当の神官の妖精が部屋を清め、整えている。そろそろ時間だな。
……衛兵、ドアを開けよ』 

ふわりと何処からともなく現れた軍服に身を包んだ衛兵の妖精がレガートに恭しく頭を下げ、厚みのあるドアを開ける。

 『二人とも、すまない。丁度、第一の準備が終わった所だ』

 王様も、真っ白な魔法衣に身を包んでいる。こう見ると王様とレガートは本当に双子なんだなと思う。 

綺麗な同じ顔が二つ。フィルは、王様はいい人だと思うけど、少し愁いを帯びた黒く長い髪のレガートが好きだ。
柔らかな笑みをフィルの前でしか見せない、口下手で不器用なレガートとずっと一緒にいたいと思う。
 魔法陣の中央に淡い緑の小さな器に、
おばあちゃんの遺髪。
周りを囲む小さな火。
少し離れた所に威厳がある妖精達がいる。

やはり真っ白な魔法衣を着ている。

 『この者たちは魔術に長けた神官のスラーの一族の者だ。魔術を行うときは力を借りている。今回も宜しく頼む』

 『御意。それでは参りましょうか。皆様、聖水を手に取り、手を清めてくだされ。
それから口をすすぎ、汚水壺に吐き出して、この魔法陣の中に。全身を清めます』 

幾つかの行程を経て反魂の儀式が始まった。 神官が呪文を唱え始めると、
目を瞑った王様と向かい合わせのレガートの長い髪が風を受けたように舞い上がり、
二人の心の臓辺りから生まれる小さな光の粒がおばあちゃんの遺髪の方へゆっくりと流れていく。 

フィルは、レガートの手を握り、目を瞑り、おばあちゃんを思い出す。
おばあちゃんは幼いフィルの髪を撫でながら、昔話をした。
優しい、子供ながらにも可愛らしいと感じる声で、妖精の王様の『昔話』をした。

 『……妖精の王様は、それはそれは綺麗な白銀の髪で、美しい透明の大きな羽根をもった、とても、優しくて、
穏やかな、美しいひとでした。
娘が少しでも、故郷を思い、
元気をなくしていると、娘に魔法で綺麗な花の髪飾りをくれました。
娘は驚き、自然と笑顔になります。
王様はそんな娘を見て笑うのです。
切なそうに娘の名前を呼んで笑うのです。
『お前の笑顔が私の生き甲斐なんだ。……故郷へ…帰りたいはずだな。すまない。もう少し私の側にいて欲しい。私は我儘だな………』
娘は言います。
「いいえ……我儘だなんて。………家族を、思い出すんです。幸せに暮らしているといい。私が望むのはそれだけ。懐かしむだけで帰りたいとは思いません。私はあなたの傍にいます。あなたが私を愛してくれる限りお傍にいます。だから、悲しい顔をなさらないで下さい」
王様は、
『悲しい顔をしていたか?』
と言いました。娘は背伸びをして、無礼を承知で王様の頬に口づけました。
驚いた顔をする王様に
「おまじないです」
と言いました。そして言葉を繋げます。
「あなたを、愛しています」
と。妖精の王様は、娘を抱きしめ言いました。
『ありがとう。私もお前が愛しい』と言いました……』

 レガートの手が熱い。正確には指輪が煮えたぎるような熱をもっている。フィルは、心の中で叫んだ。

 『おばあちゃん! こっちに来て! 戻ってきて!』

 瞬間、スラーの神官が叫んだ。 

『レガート様! 指輪を器に投げ入れてくだされ!』

 レガートはフィルを咄嗟に見つめた。フィルは頷く。投げ入れた瞬間、器の周りの火が轟音をたてて燃え盛った。
狭間に見えた、人影。王様は、 『アルト!』 と叫んだ。
ぼんやりした輪郭から、実体を帯びてくる。
フィルと同じ長い金色の髪。
オレンジ色の花を髪に差した少女のあどけなさをまだ残す、
フィルよりまだうら若い年齢の、
形見のロケットの若い頃の写真のままのおばあちゃんが現れた。
いや、それより若い。
クリーム色の服は、亡くなる日に着ていたもの。
火は器にあった遺髪を灰に変え、
煤けた翡翠の指輪を残し、消えた。 

『おう、さま? 王様……? これは一体どういうことでしょうか。夢ですか?夢なら覚めたくありません』

 おばあちゃんは王様にしがみつき泣き始めた。王様は切な気におばあちゃんを抱きしめる。 

『簡単にいえば、蘇らせた。狭間から引き戻した。アルト、愛しいアルト……会いたかった』

 「王様、お会いしとうございました。フィルの声が、聞こえました。あの子は今何処に?」

 おばあちゃんは王様の腕の中で、王様を見上げるようにして尋ねた。 

『フィルなら、レガートの隣だ。久しぶりだろう。しばらく話すといい』 

フィルはおばあちゃんを見て笑う。 

「何がそんなにおかしいんだい、フィル」 

「おばあちゃん、僕と同い年くらいになっちゃったね」 

え……? と言い、おばあちゃんは自分の手をまじまじと見た。

 「若い……どうして、どうしてだい?フィル」

 「さあ……僕はおばあちゃんの昔話を思い出していただけだから………王様は若いおばあちゃんしか知らないし。レガートもそうだと思う」

 「こら! レガート『様』だよ! 王太弟様で、親衛隊長としてこの国を守って下さっている方だよ!」 

おばあちゃんは、フィルを軽く、人差し指でこづいた。
レガートはそんなフィルを後ろから柔らかに抱きしめ、頬に甘えるように口づけた。
 恥ずかしかったけど、レガートがそうしたいならいい。
レガートにとって甘えることはいいことだ。

自分以外は、嫌だけど。 
そう思い、矛盾を抱きながらもフィルはレガートを見つめる。
照れくさそうにするレガートは、少し可愛い。

 『アルト様。いいのです。フィルは私の花婿、婚約者です。私の名前を呼ばせる者は、王様と、アルト様と、フィルだけですので』 

「フィルが、レガート様の婚約者? だめです。だめなんです。レガート様、フィルを諦めてください」

 おばあちゃんは、その場に座り込み泣きながらレガートに縋りついた。

「お願いします」

と繰り返しながら。見かねた王様はおばあちゃんを抱き上げ、トンっと眠りのツボを突き意識を失わせた。 

『私の部屋につれていく。儀は成功。アルトがどう言おうが二人の婚約の約束とは別問題だ。安心していい。
二人ともありがとう。礼を言う。
後はスラーの者、片付けを頼む。
そしてこれを。
聖水で清めて貰った翡翠の指輪だ。
レガート、婚約披露の儀で、これをフィルにはめてやれ。
それで公にも婚約は成立する』

 蒼薔薇が咲き乱れる王様のベッドにおばあちゃん─アルト─は横たわられていた。

 『目を覚ましたか。アルト』 

「……未だに信じられないのです。王様」

 穏やかに王様はおばあちゃんに訊く。 

『何がだい?アルト』 

「何故私はここに?そして若い姿に?」 

『反魂の儀式を行った。私はそなたしか愛せない。若い姿の理由は、
私とレガートが覚えている姿が今のアルトの姿だからだと思う。
そしてロケットの写真も。
ところでだ。何故レガートとフィルとの婚約を認めないのだ?
そなたのような聡明なものが巷の
『呪いの王子』などと言う言葉を信じるわけではあるまい?』 

「……レガート様は昔はあまり表情を表には出さず、思慮深い、静かな方だと思っていました。今は、朗らかになられ、
まだ何処か幼さを残すフィルには丁度良い関係だと思います。
私がここにいたときとは違う、
柔らかな表情や眼差しで、フィルを見つめ、愛して下さっていると思いました」

 王様はおばあちゃんの手を握り下を向いた。

 『レガートは、弟は……幼い頃から、あの生まれついた容姿から虐げられてきた。
周りには誰もいなかった。
レガートが初めて信じ愛した者は、
レガートを裏切り、自害した。
レガートの目の前でだ!
……そのレガートがあんなに幸せそうにしている。弟の幸せを守りたい、
アルト、二人を祝福してくれ。何故…何故反対なんだ?』


───────────続
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