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氷雨と猫と君
しおりを挟む直樹と、喧嘩なんかしたことはなかった。でも、ただの仲良しではない。何処か腹が立ったり、嫌な空気になる度に、飲み込んできた。特に私は澱む雰囲気が嫌で、口癖のように『なんかごめんね』と言っていた。喧嘩も納得なんかしてないのに、何故か私から謝っていた。我慢する作り笑いばかりしてた。簡単に言えば、彼は気分屋だった。相手の感情も気遣うことの出来ないくらいの。
そんな彼は最近上機嫌だ。私の靴までわざとらしく褒める。以前は、
『カツカツ廊下でお前の足音が聞こえる度に《仕事しろ》って言われているようで辟易した』
そう言っていたのに。そんな彼が今頃になって私の機嫌を伺う。気持ち悪く褒める。そして、謝らなければならないタイミングを見計らっている子供のように、私をチラチラ見ていた。私は店のご主人のサービスのナッツと葡萄を食べ終えた。
「あの………さ」
言い出しづらく彼は黒ビールを一口含んだ後に言った。私だって鈍くもないし馬鹿ではない。かつて、私を見る視線と同じことを誰かに向けていることぐらい火を見るくらいにあきらかだとは解っていた。私は、最後の一口のカンパリの水割りを煽った。
『さよなら、お幸せに』
『………ありがとな。ごめんな』
そう私は直樹との待ち合わせにいつも行っていた、昔馴染みのお洒落なカフェ・バーで彼に別れを告げた。
家に帰ろう、早く帰ろう。忘れてしまえばいい。いつもみたいに、寝て起きたら、元通り。出勤して仕事ををこなして定時にあがる。
雨が降ってきた。天気予報の言う通り、この寒さなら本当に季節外れの雪になるかもしれない。
「氷雨………かあ」
私は雨は嫌いだ。冷たい雨はもっと嫌いだ。季節には随分早い寒波。まだ冬になりきれていないこの街で、今ごろ雪なんてかなり珍しいけれど、確かにその日はストッキング越しのヒールの足の甲から寒さが身体に染み込んでいく感じがした。
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