Arachne ~君のために垂らす蜘蛛の糸~

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Q1・ふさわしいものを選べ

次の不穏

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 長い一日を終えて帰宅すれば、もう日付の変わる直前だった。都会は遅くまで出歩けるからありがたい。明日も休みなので、ゆったりとした気持ちで入浴を始めた。隣人が外泊中であることはチェック済み。狭い湯船の中で暢気に歌いつつ、反響する声を聞いてふと考えたことがあった。

 花房家は血縁にこだわっているようだが、その理由は遺伝的に受け継がれる声質にあるのでは。花房藤乃も、オフィスに現れた祖母も、舞台上で演じていた叔父も。少し掠れて聞こえるが、不思議な引力のある声を持っていた。この声を失いたくなくて、途絶えさせたくなくて、無理を承知で花房を呼び込もうとしたのでは。

(ということは、いつかこれに匹敵する声を持つ人が現れたら……)

 歌舞伎と縁のない家に生まれても、歌舞伎役者を目指すことはできるらしい。意欲と才能を持つ若者なら可能性はある。今は血縁にこだわっている花房家も、その目的が声だというのなら、いつか同じ魅力を持つ弟子を受け入れるかもしれない。世界中に同じ顔の人間は三人いるって言うし。いや、それはちょっと違うか。

 まあ、とにかく、諦めてはいけないのだ。もうじき途絶えるものであっても、人間の記憶に残りさえすれば永遠だ。帰り道、花房と交わした言葉を思い出す。風見が科学実験の動画を投稿しているように、自分も新しい企画を始めたい、と話していた。もし関係者の許可がとれたなら、歌舞伎の魅力について英語で紹介する動画を作ろうと思っている。そのときは編集を手伝ってくれるかい――

 もちろん、と俺は答えた。

 嬉しい話だ。断るはずがない。日本語の字幕もつけて、受験生が勉強を兼ねて視聴できるようにしよう。海外からの旅行者が気軽に観劇できるよう、詳しい案内を英語で伝えよう。提案したいことが次々と浮かんでくるが、おそらく花房はもっと考えている。やりたいこと、全部やろう。感じたことは全て伝えきろう。妥協してはいけない。俺たちは、あれほど素晴らしいものを見せてもらったのだから。

 今度は俺たちが発信する番だ。インターネットという舞台を使って。

「さてと。仕事の準備を進めておくか」

 風呂から上がり、ノートパソコンの前に座る。アラクネに雇われる前は怠惰に過ごしていた夜の時間も、今はぼちぼちと有効活用できている。過去に投稿された動画で勉強をしたり、視聴者が求めていることを調べたり。そういえば、ひとり言やガヤに至るまで細かく字幕を付けてくれ、って意見があったっけ。手間ではあるが無視できない要求だ。補助スタッフの声が演者のものと勘違いされたこともあったし。

「メンバーの発言テロップに使っている色、もう一度確認しておこう」

 五人にはそれぞれメンバーカラーが割り当てられており、個人ページやグッズ、発言のテロップなどに使われている。最初は「アイドルじゃあるまいに」と思っていたが、あらかじめ決まっていると確かに便利だ。それぞれ特徴的な声ではあるものの、大型企画などで一緒に映っていると判別がつきづらくなる。
蜂須が青、風見が紫、蝶野が緑、花房が黄色――ええと、マリアは何色だっけ。古い動画ではピンクだったから混乱するんだよな。たしか、変更後の色は……っと。

 アラクネ、マリア、メンバーカラー。

 いや、資料を貰ってるんだからそれを見ろよ。何でもネットで調べるなって。自分でもそう思ったが、手が無意識に動いていた。癖になっているから仕方がない。もちろん真偽の確認はするけども。

「サジェストで〈彼氏〉とか出てくるの、ヤダなぁ……」

 ありがちな話だが、世の中の人間は詮索が好きだ。マリアのようにガードの固い有名人は、逆に興味を集めてしまう。現在のメンバーカラーは赤。それはすぐに把握できた。しかし芋づる式に表示される下世話な勘ぐりが、どうしても目に飛び込んでくる。真っ当な公式情報を載せているページより、そっちの方が多く見られているという理不尽。

「そういえば、過去の動画に『風見さんと付き合ってるの?』みたいなコメントをつけた奴がいたよな……」

 俺はあくまで動画編集担当だが、スタッフの一員として目に余るコメントは報告するように言われてる。例として過去に消されたコメントを見せてもらったが、その中に風見との関係を疑うものがあったのだ。どうせ恋人がいるんだろうと思うのは勝手だが、自分に見えている範囲だけで相手を探すのは幼稚ですねぇ、という感想。俺だってマリアの恋人の有無など知らないが、少なくとも風見ではない。彼女の生きている世界は、アラクネだけで完結しているわけではないのだから。

――そうか? むしろ不仲だろ。付き合ってたけど別れたとか?

 ああ嫌だ。そのコメントについていた返信も連鎖的に思い出してしまった。推測に推測を重ねたって意味ないだろうに。当然まとめて削除されていた。恋仲を疑った後は不仲判定ですか。よくもまあ次々と思いつくもので。

 しかし、ふと考えてしまう。マリアは誰にでも平等に接する人だが、付き合いの長い幹部メンバーに対しては多少の違いがあった。蜂須には忠犬のように懐いているし、蝶野相手だと遠慮がない。花房には多少の嫉妬を抱いているものの、最年少のメンバーとして大切に扱っている感じがする。そして、風見との関係は……。

「よく分からないんだよなぁ。風見さんのことをどう思っているのか」

 よそよそしいわけではなく、仕事の話は頻繁に交わす。プライベートでの付き合いが少ないのは、他のメンバーやスタッフに対しても同じだ。かといってお喋りをしながら声をあげて笑う様子も見られない。ただただフラットに、仕事仲間として接している。

 まあ、社会人としてそれが当たり前ではあるけれど。

 考えたって仕方がない。彼女のメンバーカラーは赤、それさえ分かれば良かったのだ。資料を使わずにネットを覗いたせいで、余計なことに意識を向けてしまった。今日はもう寝よう。ノートパソコンを閉じ、布団に潜り込んでから目を閉じる。

 有名人にはどうせ恋人がいるなんて、あまりにも聞き飽きた推測だ。根拠も何もなく、反射的に疑ってかかるだけ。そんな内容のコメントに意味など無く、無礼な人間の発する鳴き声に近いものがあった。だが、その鳴き声に返された言葉なら? 自身の主張ではなく、他者への返答の形をとっている以上、いくらかは中身のある内容として受け取ってもいいのではないか――

(むしろ不仲だろ、か。そう感じた人はいるってことだよな……)

 マリアは風見のことをどう思っているのか。今の時点では知る由もないことが浮かんでは消えながら、俺の意識は次第に薄れていった。


〈Q1・ふさわしいものを選べ 終〉
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