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Q2・差異の要因を説明せよ
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アラクネの設立五周年を記念するサイトをデザインしてほしい――会議の後、蜂須が俺の隣に座ってそう言った。
「もう五周年なんですね」
思わず呟いたが、失言だったかもしれない。自分が所属している組織の設立日を知らないとは。今年の冬でちょうど五年が経つらしく、俺が受験生の頃には既に活動を始めていたことになる。存在を知っていれば、お世話になっていたかもしれない。
「あ、すみません。不勉強で……」
「無理もないわ」
蜂須は気を悪くするそぶりも見せず、穏やかに話した。
「あの頃は私ひとりでやっていたもの。YouTubeチャンネルもなくて、サイトに解説やコラムを細々と載せていただけ。あちこちに営業はかけていたのだけれど、やっぱり動画投稿を始めたのが大きかったわね」
「ああ、今どきの若者は動画しか目にしませんからねぇ」
自分のことも含め、そう思った。五年前といえば蜂須は二十四。花房はちょうど受験生だ。一緒に暮らしているとはいえ、手伝わせるわけにもいかない。本当にひとりきりの、小規模な運営だったはずだ。
彼女は一枚の紙を俺に渡しながら言った。
「アラクネの軌跡をまとめた資料よ。年表の形に整えてほしいの。後でデータも送るわね」
整えるといっても、既にほぼ年表の形になっている。手書きではなく、きちんと活字で入力されたものだ。縦横のレイアウトも完璧に揃っており、いったい俺は何をすればいいのだろう。相変わらずの仕事ぶりに舌を巻いた。こんな人だから、アラクネをここまで育て上げることができたのだ。いくら優秀なメンバーが揃っているとはいえ、蜂須なしにはやっていけないと思う。
「あれ? 風見さんがいちばん後輩なんですね」
年表を確かめながら俺は呟く。最年長なので古株だと思っていたのだが、彼はアラクネが動画投稿を始める直前に入ってきたようだ。
蜂須の保護下にあった花房が、進学と同時に加入して幹部第一号に。続けてマリアと蝶野がスカウトされ、少し遅れて風見が迎え入れられている。この流れだと、理科講師の席は長らく空いていたようだ。
「そうね。実は、理科を担当できる人がなかなか見つからなかったの」
当時を振り返りながら蜂須が話す。ここがターニングポイントになったのか。アラクネが知名度を上げたのはYouTubeに進出してからで、そのためには顔出しのできる講師を集めることが重要だった。理科の担当者がいない、というのは信用度にも関わる。
「でも良かったじゃないですか。最終的には風見さんが見つかって」
素直な感想を述べる。動画という媒体と風見は相性がいい。彼自身、体験型の学習で理科への興味を育ててきた。今度は自分が発信する側に回りたいという意欲は、アラクネにとってもありがたいものだろう。よくぞこんな逸材を見つけてきた。いや、彼の方から応募してきたのかな? いずれにせよ、選んだのは社長の蜂須だ。
そう思い込んでいたのだが、彼女は静かに首を振った。
「風見さんだけは、ちょっと違うのよね」
違うとは。いったいどういう意味だろう。花房も、マリアも蝶野も、彼女が選んだ存在だ。しかし風見だけは「選ばなかった」ということなのか。
「本当は、別の人をお迎えするつもりだったの。物理学の教師を辞めたばかりの方と縁があって、次はうちで、とお願いしていたのよ。でも急に都合がつかなくなってしまって。代わりに紹介していただいたのが風見さんだったの」
なるほど。本当に蜂須はノータッチだったのだ。信頼できる知り合いが紹介したので迎え入れた、それだけだ。しかし結果的には大成功だったと言えよう。幹部で唯一蜂須よりも年上の人物であり、頼りになる場面も多かったはずだ。
「色々あったんですね。五周年、おめでとうございます」
「ありがとう。でも、まだ少し先よ。盛大にお祝いできるように、あなたにも何かと手伝っていただくことになると思うわ。よろしくお願いしますね」
「はぁい」
そんな会話をしてから蜂須は離れていった。渡された情報によると、アラクネの設立日は十二月二十二日。クリスマスの少し前だ。つまり、少なくともそれまでは俺を雇い続けるつもりだということ。人手が足りない間の臨時募集だと思っていたのに、気付けばここまで来てしまった。もちろん不満はないし、今のところは他の仕事に興味もない。
「何をお話ししていたの?」
蜂須と入れ替わりに近付いてくる人影。てきぱきと動き回って仕事をこなしているマリアだ。彼女は蜂須の秘書のような役目も務めている。五周年記念サイトの内容も把握していることだろう。先ほどのやり取りを簡潔に伝えてから、年表の記述について話を振った。
「マリアさんって、蜂須さんにスカウトされたんですね」
四年前。ストレートに計算すれば、彼女は大学を出て社会人二年目に入った頃だ。企業のトップに目をつけられるだけの功績を持っていたのか。蜂須に選ばれたことはマリア自身にとっても誇りであるらしく、目を輝かせながら答えてくれる。
「私、当時は学習塾で働いていたのよ」
おお、それはまさしく適任だ。彼女の講義は分かりやすく的確だから、生徒たちにも人気だっただろう。塾にとっては職員を引き抜かれた形になるが、本人が蜂須についていくことを選んだのだから仕方がない。
「まだアラクネは駆け出しだったけれど、社長の姿を見た瞬間、この人なら立派に育ててくださると思ったわ。オーラが違うもの。正直、あの塾では私のことを認めてくれないと思っていたから……救いの手のように思えたわね」
恍惚とした表情で話す彼女から視線を逸らす。あまり深く聞き入ると取り込まれてしまいそうだ。宗教じゃないんだから、それはよろしくない。
「マリアさんが去ってしまって、生徒さんたちは寂しかったでしょうね。今でも応援してくれているとは思いますが……」
子供たちにとっては、教壇に立つ先生こそが勉強の要だ。本や経験で知識を蓄えるという選択肢もあるが、現役の受験生だった頃、周囲の大人たちはなぜかそれを与えてくれなかった。
学校や塾の宿題をこなせ。先生に取り入れ。分からないことがあれば、何度も通い詰めて教えてもらえ。そんなことばかりを口酸っぱく言われていた気がする。先生だって忙しいのだから、ひとりの生徒相手にじっくり向き合うことはできないのに。
「生徒たち……」
その単語を出した途端、マリアの表情が曇った気がする。やはり裏切ったような気持ちでいるのだろうか。
「そうね、応援してくれているといいわね」
寂しそうにそんなことを言うので、俺は慌てて話題を変えた。
「そうだ、蝶野さんはマリアさんより後に入ってきたんですよね? どういうきっかけだったんですか?」
年表上ではほんの一ヶ月ほどの違いだが、わずかにマリアの方が先輩だ。あの掴みどころのない男の加入経緯を、彼女なら知っているはず。そんな期待を込めて尋ねてみた。
「蝶野さんは……何というか、いつの間にかいたのよ」
「いつの間にか」
「私にはよく分からないわ。たぶん蜂須さんも、よく分かっていないと思う」
まさか、妖精じゃあるまいに。唖然としたが、彼らしいエピソードだなと思った。たとえば音楽活動だとかで、最初はファンだった人間がいつの間にか運営側に回った、という話は稀に聞く。彼もそれに近い形だったのかもしれない。
「それで、最後に風見さんが入った、と……」
「風見さんは、選ばれたわけじゃないわよ」
俺の呟きに重なるように告げられたので、驚いてしまった。何か怒らせるようなことを言っただろうか。年表から視線を外し、彼女の顔を見る。美人が真顔になると怖い――そんなことを思い出すような光景がそこにあった。
「ええ。蜂須さんからも聞きました。本来は別の方が入る予定だったんですよね」
あくまで中立の立場で、事実だけを述べるように努めた。
あの変なコメントを信じるわけではないが、風見とマリアの間には何かがあるような気がしてならない。彼が幼少期の思い出を語っているときも、彼女は今のような鋭い目つきをしていた。
もしかして、本来加入する予定だった物理学教師の方に想いを寄せていて――いやいや、それってどんなメロドラマだよ。勝手な想像をするなんて、厄介ファンやアンチと変わらない。
「……まあ、私に分かるのはこのくらいかしらね。何かあればお手伝いするから、気軽に相談していいわよ」
数秒後にはいつもの頼れる笑顔に戻り、きびきびと立ち去っていく。全部気のせいだ。そう思いたかった。風見が彼女を怒らせるはずがない。仮に何かがあったとしても、俺が踏み入るようなことでもない。
頭を振って思考を切り替え、蜂須から送られてきたデータの確認を始めた。
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