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Q2・差異の要因を説明せよ
問題提起
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一週間後。出社すると俺のデスクにきらりと光るものが置かれていた。
遠目ではトレーディングシールのように見えたが、手にとってみるとクッキーであることが分かった。何のことはない、土産物にありがちな四角いパッケージだ。俺はその表面に印刷された文字を読み上げた。
「メイちゃんリストラ記念クッキー……?」
会社で配るには縁起が悪すぎる。眉をひそめながら振り返ると、事務所を練り歩いている風見と目が合った。両手に平らな箱を抱えている。
「それ、宇宙探検科学館のお土産」
そういえばそうだったな。先週、彼が出張撮影で向かった場所だ。西日本最大級のプラネタリウムが売りの、面白そうな科学館。
「ここに描かれているキャラがメイちゃんですか」
「ああ」
「どうしてリストラされたんです?」
「冥王星って、太陽系の惑星から除外されただろ」
それって、もう十年以上前の話じゃなかったっけ。パッケージのキャラクターと文字を眺めている間に風見は立ち去り、詳しい話は聞けなかった。まあ、そのうち映像が回ってくるだろう。編集するのは俺の仕事だ。
どこからともなく現れた蜂須が、彼に声をかける。
「風見さん、それを配り終えたら席についてくださいね」
今週もまた、幹部会議の時間が来たのだ。やがて円卓に五人が揃い、俺はいつものように近くの席で作業を始めた。やっぱり、これがいちばん集中できる。意識の何割かを会議に向けているというのに、不思議と作業が進むのだ。
それぞれが撮影の予定を報告した後、学生たちから寄せられた相談や質問が議題に上がった。アラクネのサイトにはメールフォームがあるが、講師を指名してメッセージを送ることはできない。全ての相談はアラクネ全体のものとして処理され、このような会議で担当者を決めることになる。
「まずは一通目……勉強に対するやる気の出し方、についてね」
タブレットを眺めながら蜂須が読み上げた。ありがちな内容だ。試験が近く、勉強をしなければならないと分かっているのに手をつけられない。スマホやテレビに意識を奪われてしまう。隣で聞いているだけの俺も、思わず実際に頷いてしまうほどに共感性の高い相談だった。
「これに関しては、全員の意見を伺いたいわ。何か案はある?」
「やる気の有無に関係なく、必ず勉強を進めるという習慣が重要だと思います」
真っ先に応えたのはマリアだった。彼女は質問を聞いている最中から、どこか納得のできない表情をしていた。何でも完璧にこなしてしまう彼女にとって、行動に取りかかる前の悩みなど想像もつかないのだろう。やった上でうまくいかない、それならば同情できるかもしれないが。
「受験生でしょう? それなら勉強しないという選択肢はありませんね。この頑張りで人生が変わるんですから。とにかく机に向かう、話はそこからです」
「それはちょっと厳しすぎるんじゃないか?」
割って入るように風見が発言したので、俺はひやりとした。しかし何かが起こるわけでもなく、彼は話を続ける。
「まずは興味を持つことだと俺は思う。気乗りしない科目が理科だったら科学館、社会だったら資料館、国語だったら文豪の記念館を訪れてみるのもいい。楽しくなければ習慣も長続きしないだろう」
「まあ、それだけの時間があるのなら有益なアドバイスかもしれませんが……。居住地にもよるでしょうし」
「少しくらい遠くても行けばいいじゃないか。息抜きにもなる」
ふたりのやり取りに耳を傾けながら、やはり風見の育った環境は特殊なのだな、と感じた。勉強のためならば時間も費用も惜しまず、車も出してくれる。そういった家庭を無意識に想定しているのだ。誠意を感じる回答ではあるものの、相手によっては役に立たない。かといって、マリアのアドバイスもストイックで難しい。
「花房はどうかしら?」
蜂須に話を振られ、彼は手元のノートパソコンを眺めながら答える。どうやら事前に考えていた回答があるようだ。
「自分は英語担当だから、英語に限った話になるけれど。まずは一日に五個でもいいから英単語を覚える。翌日に自分でテストをして、全部覚えていたら次の五個。どれか忘れていたら、それも含めて五個になるようにまた覚える。無理をして次々進もうとすると、すぐに苦しくなってしまうから。文法や長文読解は後回しでもいい。どんな言語でも、単語を並べ立てればそれなりに通じるよね? だから単語は大事」
おお、実用的なアドバイスだ。俺が高校生だった頃に知りたかった。英語の設問スタイルには「単語」「文法」「読解」などがあるが、どれを優先すべきか迷った結果、全部ぼろぼろという有様だったのだ。まずは単語、か。確かに、単語さえ分かれば読解問題もかなり有利になる。
「あっ、その話で思い出した」
今度は唐突に蝶野が発言する。世間話でもするかのような口ぶりで。
「古文や漢文についてもね、文法は後回しにした方がいいよ。活用形とか、敬語の表現とか、ややこしいもん。下手に手を出すと沼だよ」
いや、勉強を教える側の人間が「手を出すな」は駄目だろ。教科書に載っていることは、いずれ全て覚えなければならない。とはいえ、後でもいいというアドバイスは参考になるはずだ。勉強において、何から手を付けようか迷っている時間は最も無駄なのだから。
しかし、英語ならともかく国語の「文法以外」とは何なのか。理解できていないのは俺だけでなく、他の四人も怪訝な顔をしている。
「その……文法を後に回すというなら、何から勉強をすればいいのかしら?」
全員を代表して蜂須が尋ねた。確かに古文にも「覚えるべき単語」は存在するものの、それだけで読解問題を解けるようにはならないだろう。あくまで日本語である以上、問われる内容も英語よりは複雑なものになる。
蝶野はノートの下敷きになっていた文庫本を手に取った。この説明のために用意していたというよりは、単に読みかけのものを持ち歩いているだけのようだ。表紙にはアニメチックなイラストで平安美人が描かれており、『絵と現代語訳で分かる 百人一首』というタイトルが読み取れた。
「長文問題に使われそうな題材の元ネタだよ。色々あるでしょ。源氏物語とか、竹取物語とか、百人一首の裏エピソードとか。先に現代語訳で読んでおけばいいの。こんな話があったなあ、と覚えていれば、あとはストーリィから逆算して答えが分かるんだから」
……それは果たして「勉強」と呼べるのだろうか。ただ読書を楽しんでいるだけなのでは。数打ちゃ当たるの戦法で試験を突破できたとしても、古文や漢文そのものの知識は全くついていない。
質問を振った蜂須の表情が、次第に呆れたものになっていく。しかし発言を止めはしないので、彼は気付かずにぺらぺらと話し続けた。
「この作戦って英語にも使えて、海外のニュースとか雑学系コラムとかを翻訳したサイトを読み漁っていれば――」
急に自身の担当教科へ飛び火し、花房がハッと顔を上げた。そんな雑すぎるアドバイスに巻き込まれてはたまらない。そう言いたげな、あからさまに困惑した顔をしている。感情が表に出ない彼にしては珍しいことだ。よっぽどだぞ、蝶野さん。
「……たまたま知らない話が出題されたら?」
不安そうな声色で尋ねる花房。それにつられたのか、蝶野も低い声で囁くように答える。
「そうならないように、ひとつでも多くのエピソードを知っておく」
こりゃ駄目だ。世間はそれを博打と呼ぶのだ。さあ、これは忘れて次の議題に移ろう、という空気が漂う。そんな中、俺は自身の受験について思い返していた。
実は、蝶野が話していたのと同じ方法で試験を乗り越えた記憶がある。不真面目な俺はろくに古典文法も覚えきれないままセンター試験に挑んだが、長文読解に採用された文章の引用元を偶然にも知っていたのだ。図書館で手にした一冊の本。源氏物語を現代語に訳し、個々のエピソードに分けてコミカライズしたものだった。読解問題は配点が高いので、このおかげで何とか目標を越えることができた。
「俺、その方法で共通テストを乗り越えたな……」
懐かしい気持ちと共に、ぽろりと口に出す。最も近い席にいる蝶野が振り返った。彼自身も、まさかこんなところから援護が来るとは思わなかったのか、驚いた表情を浮かべている。
「あながち、無茶なアドバイスでもないかもしれませんね。もちろん、手段のひとつとしてですが」
俺なんかが言ってもフォローにはならないかもしれないが、とりあえずそう付け足しておいた。実際にそれで成功してしまった身として、蝶野を庇う義理がある気もする。呆れ顔をしていたメンバーたちも、次第に表情を緩めた。
「分かりました。皆さんのお話の要点をまとめ、サイトに掲載するわ。どれを採用するかはご本人に決めていただく、ということで」
ストイックなマリア。モチベーション重視の風見。効率と継続性を考えた花房。そして、飛び道具的な発想の蝶野。どれが正解なのかは相談者にしか分からない。メッセージはあくまで匿名で、直接連絡を取り合うこともできない仕組みだ。
四月。かつての相談者が暴走して爆破予告事件を起こしたとき。幹部メンバーは彼の素性に心当たりがなかった。それは決して非情なわけではなく、あえてそのようにしているのだ。徹底的に個人情報を排除する。何度目の投稿であっても、初めてであるかのように接する。責任をとれない範囲のことには関わらない。アラクネは、学校でも塾でもないのだから。
「それでは、次の相談を読み上げるわね」
蜂須の指がタブレットの画面をすべる。今度は、勉強が大好きな女子高校生からの相談だった。俺には共感できない前提だったので聞き流そうとしたが、読み上げが進むごとに置かれた状況の異様さが伝わり、最後には椅子ごとそちらを向いて聞き入ってしまった。
彼女は地方に住む高校二年生。勉強に対する意欲があり、大学受験をしたいと思っている。できれば日本最高峰のトウキ大に挑戦したい。しかし、家族がそれに大反対しているというのだ。
「女の子は勉強しなくてもいい、と言われるんです。子供なんだから遊んで過ごせばいい。もっとオシャレをしたり彼氏を作ったりしなさい、って。すぐにお嫁に行って男の人に養われることになるんだから、大学に進む必要なんてない、というのが親の主張で……」
聞こえてくるのは蜂須の声だが、少女の悲痛な叫びが重なっているように感じた。俺の知らない世界だった。親という存在は、勉強しろと口うるさく繰り返すものだとばかり。女の子だから勉強しなくてもいい、だって? せっかく、トウキ大を目指そうと思うほどに意欲があるのに?
「帰りが遅くなると『何をしていたんだ』と詰められるので、居残って勉強することもできません。論文の授業やフリー学習を使って少しずつ進めていますが、時間がとても足りなくて。いったい、どうすればいいのでしょうか」
蜂須が読み終えたとき、円卓にはしんとした空気が漂っていた。だが、ショックを受けて思考停止しているわけではなさそうだ。おそらくこういった相談を受けるのは初めてではなく、だからこそ冷静に対処を考えているところなのだろう。子供の生活には家庭という存在がつきまとい、関われば関わるほど、知りたくなかったことも知っていく。
「……これは、すぐに答えが出る相談じゃないと思うわ」
蜂須が全員の顔を見渡しながら告げる。平静を保とうとしているものの、声色に怒りがにじみ出ているような気がした。
「どなたかひとりにお願いしましょう。担当してくださる方は――」
「私、やります。私に担当させてください」
マリアがすぐに手を挙げた。身を乗り出す勢いだ。明らかに女性が対応した方がいい内容だし、適任だろう。何の異論もなく彼女の担当に決まった。
「分かっているとは思いますが、深刻な相談なので真摯な対応をお願いね。でも、使命に駆られて踏み込み過ぎることもないようにね」
正面からマリアを見据えながら、蜂須は言い含める。どこか祈るような口ぶりだった。本当は自分も関わりたい、この少女の力になりたい。そんな心情は感じ取れるものの、全てをマリアに託している。荒波に漕ぎ出す船を船頭に任せ、自分は桟橋から見送るかのように。蜂須も女性なのだから関わればいいのにと思いつつ、俺なんかには分からない事情が幹部たちの間に積み上がっているのだろう、と考えた。
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