Arachne ~君のために垂らす蜘蛛の糸~

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問四・このときの感情を答えよ

太陽系図

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 仕事を終えて帰宅した後、パソコンでミズキの提出物を確認した。

 太陽系の惑星が並んでいる絵だった。デッサンの課題なので、実在する模型を観察しながら描いたのだろう。背景が黒くて分かりづらいが、よく見るとそれぞれの下部に支柱がある。紙面の左端、見切れる形で太陽のフレアが描かれ、そこから九つの星が連なっていた。縮尺や間隔をリアルに寄せると収集がつかなくなるので、適度にデフォルメされているはずだ。

 どこかの博物館に出向いて描いてきたのか。妙な既視感を覚えたが、教科書などにありがちな図と似ているので、それと混同しているだけだと思う。俺自身、博物館を訪れた経験はほとんどない。

(それにしても凄いな……)

 いやはや、これほど手の込んだ絵を描いてくるとは。こちらから送った参考画像とは大違いだ。せいぜい積み木やボールなど、単色で描けるモチーフを選ぶと思っていたのに。

 小さな惑星は豆粒のようにしか見えないが、木星などの表面には複雑な模様がしっかりと描かれている。筆の跡と絵具の重なりによって表現されたグラデーション。氷の粒の集まりである土星の環は、気の遠くなるような点描で再現されていた。それでいて、実際はアクリル板を切り抜いて作られたものであることも伝わってくる。あくまで模型のデッサンなので、これが正しい。板の厚みや反射の表現など、簡単には習得できない技術の目白押しだった。

 彼が今までに送ってきた課題は、全てダウンロードして専用のフォルダに保管してある。そこに最新の一枚を追加した。特大サイズのサムネイルの並びを眺めながら、いま一度ふり返ってみる。

 アラクネに相談を寄せる前から描き溜めていたデッサン。全てが完璧というわけではなく、初期のものは少しいびつだ。だからこそ学べばもっと伸びるだろうと思う。成長を追いかけるのが最も楽しいタイプの画家だ。

 第一問。静物デッサン。自身で用意したティッシュケースとテニスボールを紙面いっぱいに描いている。構図のとり方も鉛筆遣いも丁寧だ。少しアドバイスをすれば、十分に合格できるレベルの出来栄えに感じた。

 そして、第二問。こちらの想定を大きく超える、細やかで表現力ゆたかな着彩デッサン。プロが見ればまだまだ粗があるのかもしれないが、俺は見蕩れることしかできなかった。明らかに素人の作品ではないオーラを放っている。

 とはいえ、ミズキが本格的に絵を習っていたことはない。それは最初に確認しておいた。全て独学、あるいは本能に従って描いているのだ。

 直接この目で見たい。作品を手に取り、様々な角度から眺めたい。叶うはずもない願いを振り切り、次に掛ける言葉を考える。ミズキはこの絵を両親に見せたのだろうか。それだけで事態は好転するのではないか。こんな才能を見せつけられて、まだ美大進学に反対するわけがない――

 そう考えた直後、思わず苦笑が漏れる。それで解決する話なら、ここまでこじれていないのだ。アラクネに相談が回ってくることなんてない。このチャットルームの存在は両親に明かされているし、ミズキ自身はオープンな性格のはずだ。描いた絵を見せた経験は何度もあるだろう。

 それでも、いまだに反対されているのだから。もはや事態の進展は望めず、諦めるしかないのではと思ってしまう。

 ミズキには意欲がある。氷の粒の点描からも分かるように、根気と執念がある。絵を描く環境から離れても、きっと戻ってくるはずだ。親の賛成を得られず、援助を受けられず、金欠にあえぐ美大生活を送るくらいなら。一旦は堅実な大学に進み、社会人になってから再チャレンジすることもアリなんじゃないか。

 ピコン、と通知音が聞こえた。しかし俺が飛びついたのはスマホではなく、ベッドに投げ出したノートパソコンだ。この音はチャットルームの新着メッセージを示すもので、パソコンを使った方がスムーズに返信できる。時刻は夜の九時。俺にとっては業務時間外だが、そうも言ってはいられない。日中、ミズキは学校や塾の講義を受けているのだから。

〈次の課題をいただけますか?〉

 彼のメッセージを見て溜め息をつく。しまった、三問目を出題するのをすっかり忘れていた。

〈ごめん。絵が上手すぎて、頭から吹き飛んでいたよ〉

 正直に伝える。ミズキのアイコンが静かに点滅していた。照れているのか、お世辞だと感じているのか。返事が届かないと、こちらも次の言葉を送りづらい。数秒間の沈黙が続いたのち、彼は簡潔に返してきた。

〈ありがとうございます〉

 表情は見えないが、どことなくあしらわれたような気配がある。褒めたって何も出ないぞ、とでも言いたげな。俺は慌てて課題を伝えた。

〈課題といっても、次は自由に描いてほしいんだ。画材も好きなものを使っていい。ただし本番でもカンバスの指定はあるから、画用紙には収まるようにしてね〉
〈了解です。前衛芸術みたいなものを描くつもりはないので安心してください〉

 用はそれだけだったらしく、ミズキは間もなくログアウトした。この頃、やり取りが機械的になりつつある。課題を出し、作品を受け取り、俺が感心するだけ。もっと詰めなければいけないことはたくさんあるはずなのに。

 ただひたすら、不甲斐ないと感じる。

 画面越しにぶつけられたミズキの才能。それでいて全く揺らぐことのない、彼を取り巻く環境。相談に乗ったところで何が変わるというのか――そんな、諦めにも似た感情が浮かんでしまう。
他者の人生に寄りそうということは、かくも難しいのか。

 ユカリノ美術大学の入学案内には在校生のコメントが寄せられており、家族の反対を押し切って受験した者もいた。参考になるのではないかとひとりずつ読み込んでいく。たった数行に込められた人生を渡り歩くうちに、ワンルームの夜は静かに更けていった。
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