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春の昼下がりは睡魔との戦いだ。

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春の昼下がりは睡魔すいまとの戦いだ。
会社の窓から桜並木を眺めながら、そろそろ満開だろうか、雨で散らないだろうか、と他愛たあいもない事を考え休憩していると、

「秋田~、お茶注いできてくれ」

上司の太宰(だざい)が僕に声をかける。
いや、あなた今の時間はどう考えても暇でしょ。
自分で行ったら良いのに。
そう思いはしたが

「分かりました。他に必要な方はいますか?」

逆らうと面倒なことになるので、さっさと終わらせるに限る。
他にお茶が必要な方を聞くと、ちらほらと手が上がるので、ざっと人数を把握して、給湯室へ向かおうとする。

「秋田も気が利くようになったなぁ。指導したかいがあった」

などと頷いている太宰を尻目に部屋を出る。
太宰に指導された記憶などなく、ただ飲みに連れ出されては、前職の自慢話を延々と聞かされるだけだ。
おごられた試しもないし、正直、煙ったい相手でしかない。

「あら、秋田君。どうしたの?」

給湯室には、他部門の仕事を任されている神坂さんと、お茶汲みの常連となっている榊さん、それに給湯室を休憩所にして遊びに来る冴木といったメンバーが揃っていた。

「うちのプロジェクトメンバーのお茶が無くなってたみたいなので、補充に」

「あ、すいません。この後伺おうと思っていたんですけど…」

昼休みもお茶汲みに回っている榊さんが謝ってくる。

「ごめん、榊さんを責めるつもりとかじゃなくて。榊さんが大変なのは分かってるから」

新人の慣例だからと、負担をかけすぎだ。
ボケッとあくびしてるであろう上司にも、榊さんの負担の百分の一でも担って欲しいくらいだ。

「太宰にでも言われて来たんじゃないかな?」

「そうだよ」

冴木はまるで見てきたかのように言う。
その通りだけど、こいつに言いあてられるのは面白くない。

なんて考えが浮かんだが、
あぁ駄目だ駄目だ。
一連の出来事で少し気が立ってるみたいだ。

「ふふ」

顔を振って気を取り直そうとすると
神坂さんがこっちを見てクスクスと笑っていた。

「え、どうかしました?」

「いえ、ごめんなさい。表情の変化が面白くて」

つい笑ってしまったの、と神坂さんは言う。

「そんなに分かりやすく変わりました?」

恥ずかしくなって皆に尋ねると、神坂さんはニッコリ頷き、榊さんはオロオロとしだし、冴木は「さあ?」とでも言いたげに肩をすくめた。

「自分では分からないものなのかもね」

そう言って神坂さんは微笑ほほえむ。
神坂さんはいつも明るくて、回りには自然と人が集まってくる。
それは間違いなく、彼女の持つ素敵な笑顔の効果だろうと思う。

「あぁ、今の顔は分かりやすかったね」

「…ですね」

冴木が何やら榊さんに話かけている。
榊さんも作業をしながら頷いてるし。

「秋田先輩。お茶の準備できましたので持っていきますね」

「あ、いいよいいよ、そんな。自分で行くから」

話してる間にお茶の準備をしてくれていたのか、榊さんから声をかけられる。

「今のところ、これくらいしか役に立ててないので」

そう言って榊さんは僕の部署の方へお茶を持っていった。

「彼女、働き者ですよね」

「ええ。だから早く何とかしてあげたいのだけど」

冴木は相変わらずニコニコしてるが、神坂さんの表情はあまり明るくない。
榊さんに回される仕事の内容に不満を持っているのだろう。

「石の上にも三年と言いますから」

冴木は相も変わらずつかみどころがない。

「でも、私たちには時間がないわ」

神坂さんは珍しく固い表情で言う。

「時間がないですか?」

そうなのだろうか?

「確かに1日が終わるのはあっという間だし、いくつもプロジェクトを抱えている神坂さんは時間がないのかもしれませんけど」

「そういうことじゃないよ」

冴木が僕の言葉を遮るように言った。

「女性はキャリアのがけがあるからね」

「そうね」

いわゆるキャリアの崖。
妊娠、出産を機に仕事から離れてしまう時期のことだ。
結婚を考えている女性にとっては、自分のキャリアを考える上で外せない悩みだ。
だけど、

「キャリアの崖なんて、ひどい言葉だよ。子供ができることって、素晴らしいことなのにな」


そう言うと、冴木と神坂さんはポカンとしていた。

「えっと」

戸惑っていると

「なるほど、そうかもしれないね」

「秋田君の言う通りね。君の言うことに気付かされることは多いわ」

冴木と神坂さんは何やら感心していた。
誉められてるようで、悪い気はしない。

「でも、ご結婚を考えていらしたとは意外です」

「あら、冴木君。失礼ね」

冴木は表情を崩さず神坂さんに話題をふったが、神坂さんは渋い顔をしている。

「お前、その発言はアウトだぞ」

「そうでしたね、すみません神坂さん」

デリケートな話題に踏み込む冴木の胆力に驚いた。
が、一応フォローのつもりで冴木をたしなめると、冴木は胡散臭い顔のまま謝罪の言葉をのべた。

「ふふ、秋田君に免じて許してあげる」

神坂さんは機嫌を治したのか許してくれたようだ。

「でも神坂さんの結婚か」

いつか来るかもしれない未来に身震いする。
その時、隣に自分がいると想像できるほど自惚うぬぼれられないから。

「まだ先の話よ」

「そういえば、最近着ていらっしゃる可愛らしいコートは彼氏さんからの贈り物ですか?」

ドキッとする。
兄から贈られたものだと聞いたあの朝から、神坂さんが毎日着ているコートについてだ。
やっぱり皆気になっているのか。

「ふふ、どうかしらね」

冴木の問いかけに答えるわけでもなくはぐらかす神坂さん。
あれ、僕にはあっさり教えてくれたのに。

「つれないですね。やっぱり振った男からのアプローチは面倒ですか?」

「は!?」

ふった?
誰が誰を?

「冴木君…」

「あ、すみません。秋田君には言って無かったですね」

衝撃の内容過ぎて頭が全く動かなかった。

「え、いつ?なんで?」

何とか冷静になろうと努めたが、発した言葉は意味をもっていただろうか?

「去年の夏ごろかな」

めっちゃ前じゃん!

「なんで、は個人的な事なので伏せさせて貰うよ」

「そこで、好きだから。って言ってくれないのが、冴木君の悪いところね」

え、え、ちょっと待って。
全く話題についていけず混乱してるんですけど。

「まぁそれはさておき。社内でも話題に上る神坂さんのコート。その秘密を知る幸せ者は誰でしょうね」

意味深なウィンクをこちらに飛ばしながら、冴木は去っていった。

「ごめんなさい。こういう事って相手もあるし、なかなか話せなくて」

「か、神坂さんが謝ることは無いですよ」

そう、悪いのは爆弾を投下して去っていったあのニヤケ面だ。

「あいつ、どこまで本気なんだか」

「そうね。つかみどころがないもの」

神坂さんですらそうなのだから、俺なんかが推し量ることは出来ない男だ。
でも

「神坂さんは、その。どうして受けなかったんですか?あいつの告白」

顔はいい、背も高い、僕と違って大卒で入社して学歴もある。
同期なのにえらい違いだ。

「彼、出世したいんですって」

それは知っている。
二人で飲みに行くときはたまにその話をすることがある。
その理由までは分からないが。

「それと告白と何の関係が?」

「私が必要だから、って言われたわ。お互い支えあっていける存在になれるから」

「素敵な理由ですね」

ああ見えて、冴木は真剣に自分に必要な人や事を考えているんだな。
同期の友人との差にショックを受けていると

「人が人を好きになるのは、その人が必要だからよね」

神坂さんは冴木の事を考えているのかそんな事を言った。

「はぁ…」

言いたいことがよく分からず、とりあえず相づちをうつ僕に対し

「でも、必要と好きはイコールじゃないわ」

と、まっすぐこちらを見て言う神坂さん。
わかるようなわからないようなもやもやとした感じだ。

神坂さんと目線を合わせられず、そらした視線の先にある窓。
そこから薄曇りの空と桜並木が見えた。

「ひと雨来るかも知れないわね」

つられて外を見た神坂さんのそんな呟きが聞こえると同時に。

「神坂さん!太宰課長がお呼びです!」

慌ててプロジェクトルームから走ってくる榊さんの姿に、なにか凄く嫌な予感がした。
    
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