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第一章「蜘蛛の糸」
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思えば愛のある婚約では無かったのだろう。主に婚約話を持推し進めたのは現国王の宰相だった祖父だ。
初めて訪れた王宮。圧倒されるほどの花々に囲まれた東屋で出会った。
「ほら、ご挨拶なさい」
祖父に押し出されて前に出たスカーレットの前に立っていたのは亜麻色の髪に白銀の瞳の“王子様”だった。
「スカーレット、です」
幼子ながらに整った容姿のレオナルドに心臓が高鳴ったのをよく覚えている。
「顔は合格だな」
尊大に頷くとレオナルドは片頬を引き上げた。
「俺の隣に立てる程度には励めよ」
その瞬間、スカーレットの中でレオナルドは王子様ではなく、力を尽くして支えなければならない主君になっていた。
「はい」
婚約話はとんとん拍子に進み、しばらくして王妃になるための教育が始まった。血の滲むような努力の結果、スカーレットは完璧な令嬢としての地位を築いていくことになる。
長年刷り込むように積み上げた想いはいつか本当の愛へと変化していた。多少、素行の悪さが取りざたされるレオナルドだったがスカーレットが婚約者ならばと周囲も信頼を寄せるほどに。
「殿下、そこまで制服を着崩すのはいかがなものかと」
「今日は暑いんだ、これくらいいだろう」
ならばと差し出したハンカチを受け取るとレオナルドは速度を早めて先へ進んでいってしまった。曲がり角に差しかかる時、ちらりと見えた姿は先程より少しだけ整えられている。そんな些細な変化で笑みが零れた。ありふれた日々。
信じていたからこそ、純潔の掟を破ることを受け入れたのに。
愛していたからこそ、どんな痛みも我慢していたのに。
学園卒業を目前にした頃、スカーレットはレオナルドの姿を渡り廊下に見つけた。
「レオ様………」
小さくそう呟いた時、ぱたぱたと足音が近づいてくる。
「レーオ!」
黒髪の少女がレオナルドに飛びついたのだ。殿下、でも敬称を付けた名前呼びでもなく、近しい間柄の愛称で。
名前は噂に聞いていた。彼女が平民から優秀さを買われてツィーベローズ男爵家に養子入りした少女なのだろう。レオナルドと懇意にしていることはユリアの名前と共に耳に挟んでいる。平民上がりで孤立しがちな立場を気遣ってのことだと思っていたのだが、どうやらそうでは無いらしい。
「危ないだろう、ユリア」
「えへへ、ごめんなさーい」
漏れ聞こえてくるレオナルドの声は満更でもなさそうなのが伝わってくる。
「それから、せめて外では様を付けろ」
夕日の差し込む廊下でスカーレットはそれを聞いていた。もうじき暮れるとはいえ陽の光に照らされたその場所は暖かいはずなのに。全身から血の気が引く気配がしてしばらくその場から動けなかった。
今でも心はずっとあの場所にいる。オレンジ色に染まる二人の笑顔が羨ましくて、妬ましくて苦しい。
顔を上げるとスカーレットのいる場所だけが暗くなっているように感じた。
「寒いわね」
ぽつりと小さくこぼして自嘲気味に口角を釣り上げる。
ガウンは馬車の中に置いて会場へと向かった。身支度を整える機会すら与えられず着の身着のまま追い出された。
あるいは、両親が死んだ三年前からずっと、この身は孤独に震えているのかもしれない。
初めて訪れた王宮。圧倒されるほどの花々に囲まれた東屋で出会った。
「ほら、ご挨拶なさい」
祖父に押し出されて前に出たスカーレットの前に立っていたのは亜麻色の髪に白銀の瞳の“王子様”だった。
「スカーレット、です」
幼子ながらに整った容姿のレオナルドに心臓が高鳴ったのをよく覚えている。
「顔は合格だな」
尊大に頷くとレオナルドは片頬を引き上げた。
「俺の隣に立てる程度には励めよ」
その瞬間、スカーレットの中でレオナルドは王子様ではなく、力を尽くして支えなければならない主君になっていた。
「はい」
婚約話はとんとん拍子に進み、しばらくして王妃になるための教育が始まった。血の滲むような努力の結果、スカーレットは完璧な令嬢としての地位を築いていくことになる。
長年刷り込むように積み上げた想いはいつか本当の愛へと変化していた。多少、素行の悪さが取りざたされるレオナルドだったがスカーレットが婚約者ならばと周囲も信頼を寄せるほどに。
「殿下、そこまで制服を着崩すのはいかがなものかと」
「今日は暑いんだ、これくらいいだろう」
ならばと差し出したハンカチを受け取るとレオナルドは速度を早めて先へ進んでいってしまった。曲がり角に差しかかる時、ちらりと見えた姿は先程より少しだけ整えられている。そんな些細な変化で笑みが零れた。ありふれた日々。
信じていたからこそ、純潔の掟を破ることを受け入れたのに。
愛していたからこそ、どんな痛みも我慢していたのに。
学園卒業を目前にした頃、スカーレットはレオナルドの姿を渡り廊下に見つけた。
「レオ様………」
小さくそう呟いた時、ぱたぱたと足音が近づいてくる。
「レーオ!」
黒髪の少女がレオナルドに飛びついたのだ。殿下、でも敬称を付けた名前呼びでもなく、近しい間柄の愛称で。
名前は噂に聞いていた。彼女が平民から優秀さを買われてツィーベローズ男爵家に養子入りした少女なのだろう。レオナルドと懇意にしていることはユリアの名前と共に耳に挟んでいる。平民上がりで孤立しがちな立場を気遣ってのことだと思っていたのだが、どうやらそうでは無いらしい。
「危ないだろう、ユリア」
「えへへ、ごめんなさーい」
漏れ聞こえてくるレオナルドの声は満更でもなさそうなのが伝わってくる。
「それから、せめて外では様を付けろ」
夕日の差し込む廊下でスカーレットはそれを聞いていた。もうじき暮れるとはいえ陽の光に照らされたその場所は暖かいはずなのに。全身から血の気が引く気配がしてしばらくその場から動けなかった。
今でも心はずっとあの場所にいる。オレンジ色に染まる二人の笑顔が羨ましくて、妬ましくて苦しい。
顔を上げるとスカーレットのいる場所だけが暗くなっているように感じた。
「寒いわね」
ぽつりと小さくこぼして自嘲気味に口角を釣り上げる。
ガウンは馬車の中に置いて会場へと向かった。身支度を整える機会すら与えられず着の身着のまま追い出された。
あるいは、両親が死んだ三年前からずっと、この身は孤独に震えているのかもしれない。
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