チャイコフスキーの薔薇

貴美月カムイ

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チャイコフスキーの薔薇3

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 それから、ゆっくりと立ち上がり、老人はベッドに座り込んだ。窓から差し込む光を受けて、老人の背は光輝き、しわでくぼんだ顔には影ができ、伸びた老人の影がチェロを覆っていた。
「そこに座りなさい」
 初めて老人がリサに優しい言葉をかけてくれた。リサが椅子に座ると、老人は話し始めた。
「あれは、千九百七十年のことだった」
(老人の息子が生まれた年だ)
 とリサは思った。
「その年に、チャイコフスキー国際コンクールがあった。この部屋にあるトロフィーや賞状は、それ以前のものだよ。私は国内でも天才ともてはやされたチェロ奏者だった。日本人で初めて、名誉あるチャイコフスキー国際コンクールでの一位獲得が期待されていた。そこにあるのは、もはや世界でも数えるほどしかない、ストラディバリウスだ」
「え? ストラディバリウスってバイオリンじゃないんですか?」
 リサの疑問に老人は寂しげで優しげなほほえみを向けて言った。
「バイオリンのほうが有名だが、彼はヴィオラやチェロも作っているんだ。幻の楽器だよ」
「ずっと、磨いていらしたんですね」
 リサの言葉に、老人の影に覆われたチェロを見つめ、
「常に奏者が悪いんだ。楽器には罪はない。最高峰の楽器を操れない、奏者の腕が悪いんだ」
「何か、罪を感じていらっしゃるんですか?」
「アポロ十三号は危機に対処できた。命を見捨てようとせず、死ぬかもしれないと思われた状況の中でも、希望を忘れなかった。愛があるから、最後まで諦めなかった。だから、生還できた。だが、当時の私には愛がなかった。クラシックの枠組みを崩すようなこともやりながら、異端児と言われた。誹謗中傷もひどかったが、若かった私は自分の才能を信じていたし、絶対だと思っていた。音楽を愛していたのではなく、音楽を見下していた。プライドは、傲慢となっていた。その罰が、当たったんだ。万全だと思っていた。間違いないと思っていたコンクールの演奏最中に、突然弦が切れた。衝撃に自分の手は止まり、それ以上演奏できなくなった。そこにあるチェロが、裏切ったのだとずっと思っていた。しかしそれは違った。私が裏切っていたんだ。音楽を、愛していなかったから」
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