チャイコフスキーの薔薇

貴美月カムイ

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チャイコフスキーの薔薇5

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 老人の演奏が終わり、汗を垂らして息を切らせている。老人もまたアスリートのように汗を垂らして憑き物が取れたように鬼気迫る顔が薄らいでいく。
 リサは下着に妙な冷たさを感じ、老人の演奏の感想をじっくり言いたい気持ちもあったが、早く下着を取り替えたくなった。これほど濡れたことはなかった。
(もしかしたら、潮でも吹いちゃったのかな……どうしよう……恥ずかしい)
「あの、先にお手洗い行ってきていいですか?」
 リサが顔を赤くしながら言うと、演奏の余韻残る凛々しい顔で老人は言った。
「ここで、脱いでくれないか?」
「え? な、何をですか?」
「逝ったんだろ。見ていたよ」
 リサは真っ赤になって何も言えなくなった。そうだ、自分は老人の前にいたんだ。そのことをすっかり忘れて演奏に圧倒されていた。
「見せて欲しいんだ。自分の演奏があなたにとってどれほどのものだったのかを」
 そう老人に言われ、断る気持ちが薄らいだ。
「わかりました」
 腹をくくりました、と言うように、リサはスラックスを脱ぎ、下着をおろした。
 下着はねっとりと糸を引きながら、股間の輪郭をしっかり濡らしてつけていた。
 リサは自分の下着を見て驚いていた。
「ありがとう」
 リサは老人の思わぬ言葉に「え?」と聞き返した。
「あなたは私に衝動というものを教えてくれた。弾きたい。聞かせたい。逝かせるほど感動させたい。そういう衝動を私に教えてくれた。本当にありがとう」
「そ、そんな……」
 リサは恥ずかしいやら嬉しいやら、わけがわからなくなりそうだった。早く下着をはきたいが、今脱いだのをはいても冷たくて気持ち悪いだけだった。
「なんでも言うことを聞いてくれると言ったね」
「え?」
 もうどうにでもなれ、とリサは思った。先ほどの神の演奏を聞いただけでも一生分の思い出ができたとすら感じていた。
「私の前で、先ほどの演奏を思い出しながらしているところを見せてくれないか?」
「わかりました。喜んで」

 一年後、マスコミに引っ張りだこの老人の姿があった。
 大きなコンサートホールには幅広い年齢層の人々で満席となっていた。
「あ、お姉ちゃん! いたんだ!」
 控え室に入ってきた老人の孫娘がリサに近づく。
「元気そう。今日は応援に来てくれたの?」
「うん。パパとママも一緒。お姉ちゃん、ずっとおじいちゃんの側にいてくれているんだね。ありがとうございます」
 孫娘の言葉に「うふふ」と微笑みながら入り口に眼をやると、両親が立っていた。
 もう一度音楽と正面から向き合った老人は何度も何度も息子の元に謝意を伝えにいき、数か月を経て少しずつわだかまりを取っていったのだった。
 孫娘が両親へと向き、リサへと言った。
「今日チャイコフスキーを演奏するでしょ? パパの持っている薔薇ね、チャイコフスキーって言う薔薇なんだって」
 老人の息子が大事そうに抱えている薔薇の花束は、赤々と燃えるようだった。
 薔薇の赤が、リサの中に燃えるように広がっていくようで、目をうっすらと閉じて、ふるりと震えた。
 老人の出番は、近い。
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