平凡な僕らの、いつもの放課後。

たんさん

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14.保健室での告白

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 ※露骨では無いものの性的なものを彷彿させる表現があるため注意※


 保健室に着くと先生も生徒もいないようだった。空いているベッドに春川を座らせる。まだ顔色が悪い。

「秋瀬、春川になんか温かい飲みもんこうてくるわ」
「頼む」

 秋瀬が答えると、夏木はすぐに保健室を出ていった。

 青白い顔で目が虚ろ。こんな春川を見たのは子供の時以来だった。俺が春川へ過干渉気味になったのもちょうどその頃だった。

 春川と幼い頃公園で遊んでいた時、男性に襲われかけたことがある。俺が発見し、未遂では済んだものの、その後春川は、まるで何も無かったように過ごした。

 犯人は見つからなかったが、春川の様子から、周りの人間は本当に何も無かったんだと安心した。春川と俺が大袈裟に騒いだだけで、ただ道を聞いていただけだったんじゃないかと、笑い話にすらなった。

 春川が自分のことを弱いや平凡、バカだと言い出したのはその頃だったと思う。その場を発見した時の春川の様子を知っている俺は、本当に何も無かったとは思えなかった。

 今の春川はその時の春川を彷彿とさせるほど恐怖に脅えた表情をしていた。もう二度とこんなことがないように、俺が側にいるって決めたはずなのに。

「また、守れなくてごめん。」

 春川の震える体を強く抱き締めた。

 ───

 まだ初夏にはいったばかりの、草花が青々と茂る午後の昼下がりだった。小学4年だった俺と春川は今日も公園でブランコやジャングルジムで駆け回って遊んでいた。

「秋瀬くんかくれんぼとおにごっこどっちやりたい?」
「どっちでもいいよ。」
「んーじゃあかくれんぼがいい。秋瀬くん鬼ね。目つぶって30秒数えて」
「えー?俺が鬼なの?仕方ないなぁ」

 そう言って渋々しゃがんで目を瞑って数を数えることにした。

「いーち、にー、さーん...」

 数を数えているとしばらく足音が聴こえていたが、そのうち聞こえなくなった。どこか隠れる場所を見つけたらしい。聞こえた方角は、トイレがある方か。確かにあそこなら隠れられそうだ。数を数え終えたらすぐにでも探しに行ってやろう。そう思って数を数え続け終わって目を開けると、知らない男の人が立っていた。

「やぁ僕。ちょっと訊ねたいことあんねやけど。」

 すらっとした身長のここではあまり聞き慣れない言葉を使う男だった。知らない人とは話してはいけないという教えのもと、俺は無視した。

「君えらいなぁー。ちゃんと親か先生のいいつけ守ってるんやな。知らん人と話したらいかんもんなぁ。感心感心。」

 そう思うんなら早くどこか行ってくれないかなと思い無視し続けていると、

「でも、俺今すごい困ってんねん。実は、財布落としてもうて、今から交番行きたいんやけど、道がわからんでなー。」

 とか言い出した。「困ってる人には親切にしなきゃいけないんだよー。」ふいに春川の顔が浮かぶ。確かにそうだよな。幼かった俺は、少し心が揺れた。それに、行先は交番なので、何かあってもそのまま警察に駆け込めばいい。俺はそう思って、その男を交番に案内することにした。

「いいよ、案内する。春川ー、ちょっとこのお兄さんの案内してくるー。先に帰ってていいよー」

 春川がいそうな方向に声を掛けるが、春川は返事をしない。おかしいと思いもう一度声を掛けようとしたが、

「急ぎやねん。こっち優先してもろてええやろか」

 そう言われ、諦めて公園を後にした。
 おかしいと思ったあの時に、お兄さんの言うことを無視してでも、俺は春川の元に駆けつけるべきだったんだ。

 近くの交番といえども、子供の足で20分ほどの距離がある。急いでいると言っていたはずのお兄さんの足取りは遅く、喉が渇いたからコンビニに寄りたい、足が疲れたから休みたいと、一向に交番には辿り着かなかった。痺れを切らした俺はついにお兄さんに疑問をぶつけた。

「ねぇお兄さん急いでるんでしょ。なんでそんなのんびりしてるの。」
「えー、俺めっちゃ急いでんねんけどなー。君ら少年みたいにもう若くないから、早く歩けんねや。」
「え、お兄さん。なんで僕らが男の子って知ってるの?」

 先程の違和感が再び首をもたげて現れる。こいつは、俺と春川のことを知っている。

「あー。しもた。つい口が滑ったわ。まぁでも時間稼ぎもそろそろええ頃やろ。」
「時間稼ぎ...」

 ハッとする。違和感はあたっていたのだ。こいつらの狙いは最初から、春川...

「知らない人には着いていってはいけないって、本当やね。」

 ニヤニヤ笑うと、いつの間に呼んでいたのかタクシーに乗って目の前から消えていった。
 俺は慌てて今まで来た道を急いで駆けて戻った。全力で走っても10分はかかる。春川の無事だけを祈り、ただひたすら走り続けたんだ。

 公園にやっと着き、行きも切れ切れになりながらもトイレに向かう。春川はここにいる。
「は...かわ、だいじょ、ぶ」
 声も切れ切れに閉まっている個室に声を掛けると、キーっと扉が開き、1人の恰幅のいい男が出てきた。
「おま...は、かわに、なに...」
 前のめりに倒れそうになりながら、そういうのが精一杯だった。逆光で顔は見えない。ただ、こちらをニヤニヤ見下す表情だけは確認できた。全身満身創痍で、立ち上がることが出来ずにいると、男はサッと服を整えて平然と出ていった。
 俺はなんとか力を振り絞り春川の前まで行くと、顔面を蒼白にして、ブツブツと何かを言う春川をただただ抱き締めた。

 春川に衣服の乱れや汚れはなかった。俺の息が整う頃、春川もいつもの春川に戻っていた。

「あれ、秋瀬くん?あ、見つかっちゃった!僕かくれんぼしてる間に寝ちゃってたみたい。」

 そう言ってヘラヘラと笑っている。なにごともなかったかのように振舞っているのだ。まるで、俺だけが変な夢を見ていたのだと思わせるほどに。

「春川、どこもなにもないの?」
「えー、何が?」

 大きな瞳を更に大きくして、何も知らないという風に首を傾げている。

「でもさっき大きな男の人がここを出てったの、俺、見た...」
「僕、寝てたけど、そんな人いなかったと思うよ。」

 春川は嘘をついている。なんでかはわからないけど、そう感じた、

「秋瀬くん、そろそろ塾の時間でしょ、帰ろうよ」
「春川、警察に行こう。全部話した方がいいよ。」
「話すことなんて何も無いよ」

 春川は一向に口を割ろうとしない。俺は嫌がる春川を連れて、交番を目指した。
 交番で俺の知る一部始終を話したが、春川はここでも、寝てたから知らないの一点張りで、全く口を開こうとはしなかった。

 とりあえず俺だけの話は信じ、不審人物の声掛け案件とされ、知らない人にはついていかないように、と俺は強く念を押された。

 交番の帰り、どうしても納得いかない俺は、春川に強く当たった。

「なんで本当のこと話さないの?」
「本当のことって?」
「変な男いただろ!俺ちゃんと見たんだよ。お前も、起きてただろ。様子おかしかったけど、寝てる感じじゃなかった。」
「そんなこと言われても、僕が目が覚めたら、秋瀬くんが僕のことギュッてしてた事しか覚えてない。」
「それは、お前が震えてたからなんとかしようと思って...」
「そんなことより、まさか秋瀬くんが知らない人についていっちゃうなんてなー。お菓子にでも釣られたの?」

 からかうように言ってくる春川に、イラつきながらも、俺の夢ならそれでいい。もう夢だということにしとこう。そう思うようになった。

「交番の場所を案内するからってお前に伝えただろ?お前の返事無かったけど。もしかしてその時にはもう寝てたの?」
「え、あー、なんかそんなこと言ってた気がするような。」
「あーぁ。人の親切を利用する汚い大人もいるってことだよ。春川も気をつけるんだね。」
「そういうことかー。わかったよ。」

 そのあと、たわいも無い話をしながら家路に着いた。塾を無断でサボった形になった俺は、母に呆れ顔をされたが、あなたが無事でよかったわ。と抱きしめられた。

 春川の話を後で聞いたが、その日は弟の学校の関係で、その日母親は不在。事件のことを聞いたのは、翌日になったそうだ。あの日、もしそれを知っていれば、俺はあいつを家に1人になんてしなかったのに。怖い体験をしたであろうあいつは、誰もいない家で1人耐えたのだと考えると、今でも後悔する。


 ───


「秋瀬、重いよ。どいて。」

 その声で、俺は体を起こした。もういつもの春川だった。

「春川、お前担任となんかあったのか?」
「別に。なんか急にしんどくなって、貧血かなぁ。」

 ヘラヘラと笑ってる。あの時と同じ。きっと春川は何かを隠している。俺はあの日を懸命に思い出していた。1度はただの悪夢だったと思い、必死に忘れようとした記憶。

 あの時のあいつはどんな様子だっただろうか。あの扉から出てきた男は、恰幅の良い体格をしていた。ニヤニヤといやらしい顔で笑っていた。

 そして、あの関西弁の男。確信はないが、なんとなく繋がったような気がした。今はまだ胸にしまっておこう。こんな偶然、あってたまるか。これが仕組まれていたことなら、尚更恐ろしすぎる。ただ、やはりあれは夢ではなく現実だった。それだけは、確信出来た。

「お前が、話したくないならいいよ。」
「嘘、」
「え...」
「...嘘ついてゴメン。あったよ。色々。」
「そう、か。」
「守りたくて。嘘ついた。」
「それは、お前自身を?それとも他の誰か...」

「全部かな。僕自身も。秋瀬や弟も。」
「俺?」
「そう。僕が1人耐えたら済むんだって思ってた。それで終わるなら、僕自身も騙して、無かったことに出来る。」
「どういうことだ。」

「あの日、公園では本当に何も無かった。でも、公園で僕は脅された。弟や秋瀬を守りたいなら、夜に1人でここまで来いって。」
「お前、なんでそれを警察に...。」
「言えないよ。だってその時、服に盗聴器を付けられてたんだよ。公園に戻らなくても、途中で盗聴器を外しても、弟や秋瀬のこと傷つけるって。」
「そんな、じゃぁお前もしかしてあの夜。」

「行ったよ。約束通り。でも、盗聴器なんてついてなくて、嘘だった。」

 大人ってほんと汚いよね、と悔しそうに笑っている。

「待て。もういい。」

 吐き気と目眩がしてきた。洗面台へと移動すると、喉の奥から酸っぱいものが込み上げてくる。

「秋瀬には、知られたくなかったなぁ。」

 春川はポツリと呟いた。
 分かっていたはずだった。あれは現実で、春川が嘘をついていることもちゃんと気付いていた。でも、俺は結局何も出来なかった。

 春川は俺たちを守るために、自分が犠牲になればと思ってた。でも、違う。狙いは最初から春川だった。それだって、あの時俺は分かっていた。春川は一人で耐えたんだ。

 俺たちを守るためだと思って。一人で公園に向かっている時、どれほど心細かっただろう。盗聴器の嘘がわかった時どれほど悔しかっただろう。逃げられないとわかった時、どれだけ絶望したんだろう。俺は、春川のことを思って泣いた。自分の不甲斐なさと、後悔が押し寄せ、涙が止まらなくなった。

 しばらくすると、飲み物を買ってきた夏木が戻ってきた。泣いている秋瀬の様子を見て驚いている。

「夏木くん、心配かけてごめんね。」

 そう言うと春川は、少しふらつく足でまっすぐに秋瀬の近くに行った。

「僕のこと、嫌いになったでしょ」

 春川がそう言うと、秋瀬は左右に強く頭を振る。

「違っ。...俺が、俺自身が不甲斐なくて、お前のこと、守るって言って、全然守れてなくて...」

 秋瀬はヒックヒックと嗚咽混じりに子供のように泣いている。

「じゃぁ、僕のことは...」
「好きだよ春川。子供の頃から、ずっと、好きだ。」
「うん、僕もだよ。僕も、秋瀬のことがずっと好き。」

 そう言って泣きじゃくる秋瀬を抱きしめてよしよしと撫でる春川。

 えっと、これは一体何を見せられているんだろうか。親友同士が愛の告白をしている場面って、長い人生の中でも、そう立ち会えることもないことのように思う。

 それにしても、泣いてる秋瀬も、秋瀬を慰める春川もレアだよなぁと考えながら、夏木は一旦保健室から出ることにした。扉をそーっと閉め直して、教室に戻ろうとすると、閉めたはずのドアがバンっと開けられる。まだ泣き腫らした顔の秋瀬が、気まずそうにこっちを見ていた。

「中、入ってくれる?」

 秋瀬にそう促され、言われるままに保健室に戻る。春川が「こっちー。」と手招く方へ歩いて行くと、カーテンを開けてベッドが2台並んでいた。春川の横に秋瀬、その向かい側に俺が座る形になる。

「さっきの...見てた...?」

 秋瀬が小さな声で訊ねてくる。

「う、うん。とりあえずカップル誕生おめでとさんってことやな?」

 秋瀬がカーッと顔を赤くしている。薄々感じてはいたが、こんな急展開で二人がくっつくとは、想像していなかった。二人に何があったかが気になる。

 俺は二人に、買ってきた飲み物を手渡した。春川はやったーと受け取り、すぐにミルクティーの缶を開ける。秋瀬は片手で顔を多いながら、珈琲の缶を受け取った。俺も買ってきたコーラの缶を開ける。

「乾杯」

 そう言って掲げると、春川と秋瀬も缶を掲げた

「「乾杯」」

 三人で一緒に飲み始めるとごくごくと言う音が誰もいない保健室に響いた。

「はー。喉乾いてたからいつもの倍美味しく感じるね。ありがとう夏木くん。」
  
 春川が嬉しそうに話す。

「どういたしまして~」

 夏木も楽しそうに答える。

「ありがとう夏木。一息ついた所で、話があるんだ。」

 秋瀬が真面目な顔をして話し始める。

「夏木の兄に、俺は過去、会ったことがある。」

 いきなりの発言に、夏木も春川も驚きを隠せない。

「なんやいきなり、どこで会うたん?」
「夏木くんのお兄さんは大阪でしょ?」

 二人はどういうことなんだと顔を見合せている。

「俺もまだ確信は無いが、俺に交番へ案内してほしいと言ってきた不審人物。あれが、お前の兄だったんじゃないかって思ってるんだ。」

 それを聞いて春川は、唇をかみ締めた。そして、思いついたように顔を上げると、すぐに下を向き震え出した。

「そんな、てことは...じゃぁ、あいつが......」

 春川は、担任に肩を触れられた時に感じた恐怖を思い出していた。幼少の出来事が、何故あの時フラッシュバックしたのか、その理由を考えていたけど、あいつが犯人なのだとすれば、当然のことだった。

「お前には酷だけど、その通りだと、俺は思ってる。」

 春川と秋瀬の話についていけない俺は、なにがなんだかわからんという顔をした。

「夏木にも話していいか?」

 秋瀬にそう聞かれ、春川は小さく頷いた。
 秋瀬が話す春川の話は、想像を絶する悲惨さで、気づいたら俺は泣いていた。でも、なんとなくだけど、俺も確信した。秋瀬を騙したのは間違いなく俺の兄貴。そして、春川を襲ったのは、兄貴の親友。俺たちの今の担任だろう。

 こんなことが許されるのか。いや、許されてはダメだ。怒りで拳が震えていた。何故あの担任が簡単に悪事に手を染められるのか。あの担任も悪だからだった。あの二人は、お互いの利益の為に、共謀しているだけなんだ。少しでも、あの担任を気の毒に思ったことを後悔した。
 あの二人は、裁かれるべきだ。法が裁かないなら、やはり俺たちで裁くしかないのだ。

 ちょうどその時、保健室の扉が開く音がした。

「あら、誰かいるの?」

 保健の先生に声をかけられ、夏木が返事をする。

「先生すんません。友達が急に倒れて貧血やったみたいで。」

 ベッドまで歩いてきた先生に、続いて秋瀬が説明する。

「さっき良くなったみたいで、今から教室に戻ろうと思います。」

 二人に手を取られ、春川がベッドに座っている。

「あら本当、顔色が良くないわね。もうちょっと寝てていいのよ。」

 春川の血色の悪さを見て、先生は心配そうに声を掛ける。

「もう十分休ませてもらいました。先生、ありがとうございます。」

 春川がぺこりとお辞儀をすると、それに続くように秋瀬と夏木も軽く会釈をして、保健室から出ていった。

 クールなイケメンの秋瀬くん、物腰が柔らかく顔の整った夏木くん、その二人にエスコートされて、行儀よくお礼を言って帰って行く子犬系男子の春川くん。目の保養だったわと、三人の背中をそっと見送った。
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