イシュラヴァール放浪記

道化の桃

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第五章 恋情編

あの日の真相

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 アトゥイーが後宮で使っていた部屋の荷物はあらかた運び出された。最後に忘れ物がないか見回していたところに、ふらりと戸口に影が立った。
「どうも、サヴァ商会の者です。先日注文を受けた品物を届けに来たんだが――引越しかな?」
「ええ、できれば宮殿の外のシハーブ様のお屋敷の方へ……」
「きみが噂のアトゥイーか」
 振り向いたアトゥイーの言葉を遮って、男が言った。
「……えっ?」
「やあ、ちょっと見違えたな。まさか近衛兵になっていたとはね、ライラ」
 男はそう言うと、目深にかぶっていた帽子を取った。
「――!」
 アトゥイーは息を呑んだ。その男には見覚えがあった。
「いやまったく、すっかり凛々しくなったものだ。今のほうが素敵だよ」
「――カスィム――!」
「思い出してくれたんだ」
 カスィムはにっこりと笑った。
 その笑顔に、あの娼館での夜がアトゥイーの脳裏にまざまざと蘇った。
「注文を受けたのは兄なんだがね――今日はちょっとした話があって、僕が代わりに来たんだよ。まあ聞きなよ。そんなに時間は取らせない」
 動揺のあまり動けないアトゥイーをよそに、カスィムは部屋に一歩足を踏み入れてドアを閉めた。
「もう半年以上前のことだ。珍しい塩があるっていうんで、はるばる砂漠を越えてある市場まで行ったのさ。いい塩が手に入ったよ――濁りのない青白色でね。ところでその塩売りの男の腕に、見覚えのある刺青があった。そこで僕は戯れに、よく似た刺青をした娼婦に会ったって話したんだ」
 アトゥイーははじめ、カスィムが何を言っているのか分からなかった。一体何をしに来たのだろう――わざわざ男子禁制の(実際はアトゥイーの部屋の表側まではその限りではなかったが)後宮まで入り込んで、アトゥイーの過去を暴きにきたのだろうか?
「……そしたら彼は、血相を変えて馬を駆って、走り去って行ってしまった――話はこれで終わりだ。数日後、王都へ戻った僕はその娼館へ行ってみた。そしたらライラ、君はもうどこかへ逃げてしまった後だった」
「……えっ……?」
 アトゥイーが娼館を逃げた夜。
 碧眼の男に殴られて犯されて、隙をみて必死で逃げた。だがあの日、そもそもなぜ碧眼の男は部屋を出ていったのだろう。
「塩売り、ってまさか」
 まさか。
「ライラ、君とその塩売りがどういう関係か、僕は知らない。だけどその後再会した彼は、とても憔悴して、自暴自棄になっているようだった。飲めない酒を浴びて、なにかを酷く後悔しているような」
 まさか。
「……ユーリが……来ていた……?アルサーシャに……?」
 あの夜。
 娼館の前庭では、なにか揉め事が起きているようだった。アトゥイーはそれを、逃げるのに好都合だとしか思っていなかった。
「……まさか……わたしを、探して…………?」
 ユーリが来ていたのだとしたら。
 カスィムは続けた。
「彼はもう塩売りじゃない。君も軍に入ったなら聞いたことくらいあるだろう――そう、砂漠の黒鷹ユーリ・アトゥイー、アルヴィラ解放戦線の英雄だ」
「あ……ああ……」
 アトゥイーは混乱していた。
 自分はなにをしてきたのだろう。この一年、逃げて逃げて逃げ続けていた間。
 ユーリは自分を探し続けていたのだ。
 カスィムは携えた包みから一本のワインを取り出した。
「さあ、これは僕から差し入れだ――だいじょうぶ、毒なんて入ってやしないから」
 後半はアトゥイーの耳元に顔を寄せて囁くように言う。アトゥイーはぞくりとした。――毒。
 苦い記憶が蘇る。マルスがスナカズラの毒に倒れた夜も、献上品だといってワインが出されていた――。
「カスィム、あなたまさか――」
 カスィムは人差し指を立てると、アトゥイーの唇に押し当てて言葉を遮った。
「さてね。僕は傍観者を決め込むつもりだったんだが……どうやら歴史の歯車に巻き込まれかけているようだ――それも一興なのか」
 流れるような動作でカスィムはワインの栓を抜く。そして同じく持参したらしいグラスに注いだ。
「――あるいは破滅へ向かうのか――乾杯」
 カスィムはにっこりと笑って、真っ赤なワインの入ったグラスを軽く掲げた。
「あなたは――なぜ王宮ここにいるの……?」
 アトゥイーは震える声で尋ねた。この男の本当の目的はきっと、アトゥイーに会うことなんかじゃない。
「言ったでしょう、仕入れた珍しい塩を売りに、ね」
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