イシュラヴァール放浪記

道化の桃

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第九章 海賊編

ルビーの正体

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 レーの街への入り口では激しい戦闘が繰り広げられていたので、スラジャたちは大きく迂回しなければならなかった。
「キャプテン・ドレイクに会いに来た。通せ」
 街道からだいぶ逸れた場所で、見張りの男にそう告げる。
「ここで待て」
 男はアルナハブ訛りのイシュラヴァール語で言った。
 ややあって、ドレイクの手下が迎えに来た。
「ブラッディ・ルビー!よくここへ!」
 顔見知りの手下はすぐにスラジャ――ルビーをドレイクが馴染みにしている宿屋へ案内した。
 宿屋の一階は酒場になっている。水煙草の白煙の向こうで、大男の影がこちらに気付いて手を振った。
「よう、ルビー!ようやく来たか!」
「アルサーシャから馬を飛ばしてきた。どんな状況だ?」
「どうもこうも、やりやがったぜ!俺は気に入ったよ!」
 大男――キャプテン・ドレイクは手にした酒を掲げてそう言うと、ぐびぐびと飲み干した。
「奴隷船荒らしだって?」
「ああ、カナン自由民とか名乗っている。海賊ってよりは、義賊だな」
「アルヴィラの奴らとは繋がりはないのか?」
「さあな。カナンの幹部は今、街道で軍と戦ってる」
「知ってる。今見てきたところだ。戦力がほぼ互角だった。このままいけばすぐに膠着するだろう」
「ああ、そうだろうな。レーはしばらく籠城戦だ。ルビー、丁度いいところに来たぜ。九時にあっちの大将をここに呼んである」
 ルビーは壁に掛かった時計を見た。
「すぐじゃないか」
「ああ、間に合ってよかったよ」
 ドレイクはしれっとそう言って、酒をあおった。
 だが、次に酒場のドアを開けたのは、制服を着て銃を構えた保安部隊の兵士たちだった。
「伏せろっ!」
 ドレイクがルビーの頭を掴んで机の下に押し込んだのと、タタタタタタ……と銃声が鳴ったのは、ほぼ同時だった。
 酒場を包んでいた喧騒は悲鳴に変わった。
「ぎゃあっ!」
「ひいい!」
「助けてーっ!」
 逃げ惑う客たちに、銃弾が容赦なく浴びせられる。
「くそ……無差別か」
 滑り込んだカウンターの裏で、ドレイクが苦々しく言った。
「――ドレイク、カナンと手を組んだのか?」
 ルビーがドレイクに訊いた。そのせいで攻撃を受けているのか、と。
「いや、正直決めかねていたが――この様子じゃ、軍隊敵さんはどっちでも構わねぇみてえだな」
 床板を、撃たれた者の血が流れてくる。ルビーはあからさまに苦い顔をした。危険を想定していなかったわけではないが、己の死を身近に感じるのは気分のいいものではない。
「ああ、おそらくこの機に乗じて、不都合なものを一掃するつもりだろう。海賊あんたら密貿易商わたしたちもな」
 二人は逃げ場を探して店内を見回した。カウンターの背後には、裏口に通じるドアがある。
「ルビー、裏口を塞がれる前に逃げろ。俺が防いでいてやるから」
 そう言うと、ドレイクはルビーの手を引いて裏口へ飛びついた。二十センチほど開けた扉の隙間からルビーが滑り出る。
「お前はどうするんだ、ドレイク!」
「知らん!逃げろ、ルビー!」
 ドレイクは後ろ手に締めた扉越しにそう怒鳴って、襲い来る敵に身構えた。
 いつしか銃声は止んでいた。立ち込める硝煙の向こう側で、ぐあっ、とか、ぎゃあっ、という悲鳴が聞こえる。
(なんだ……弾切れか?)
 だがどうやら、やられているのは兵士たちのようだった。
 兵士たちよりも頭ひとつ以上大きな影が、長い獲物を振り回している。その男は、ドレイクほどではないが上背があり、手にした槍の二、三振りでその場にいた兵士たちの半数以上を伸してしまっていた。
「ひけ!ここはもういい!」
 敵の誰かが指示を出して、動ける残り半数の兵士が店を去っていった。
「よう、お前がカナンか?」
 ドレイクが声を掛けると、男は槍を一振りして答えた。
「カナン自由民のイランだ。あんたは、キャプテン・ドレイクか?」
「ああ、そうだ。遅かったな」
 ドレイクは壁掛け時計を見上げたが、それは銃弾を受けてすっかり壊れていた。長針と短針がくっついたまま、ぶらんぶらんと揺れていたが、やがてぽろりと床に落ちた。それはちょうど九十度に重なっていたので、
「いや、時間通りだ」
とイランは言った。

 裏口を飛び出したルビーは、ろくに確かめもせずに飛び出したことを後悔していた。なぜなら裏口が面していた路地には、今しがた店で銃を打ちまくっていた輩と同じ制服に身を包んだ兵士たちがうようよしていたのだ。
「貴様!」
 ルビーの姿に気付いた兵士が声を上げたので、ルビーは咄嗟に逆方向へと駆けた。が、すぐに目の前にも兵士が立ち塞がって、ルビーは立ち止まった。
「抵抗すると撃つぞ!」
 兵士の一人が銃を構えて言った。その時だ。
「こっちだ」
 思いがけず、頭上から声が降ってきた。振り仰いだルビーの目の前に、手が差し伸べられた。ルビーがその手を掴むと、ぐいっと庇に引き上げられた。
 ルビーの手を掴んだ男は、そのまま屋根の上によじ登って兵士たちの目を逃れると、屋根伝いに駆け出した。兵士のいない路地を見つけて飛び降り、また駆ける。男の顔はマントのフードに隠れて見えない。
 そして二人は、一軒の空き家へと飛び込んだ。
 
 そこは奇妙な建物だった。狭い廊下に面して、小さな部屋――幅は人が一人両手を広げたくらいしかなく、奥行きはそれより少し長い、丁度寝台をひとつ置いたらぎゅうぎゅうになってしまうような――そんな部屋がいくつも並んでいた。どの部屋も家具ひとつもなく、がらんとしていた。時折、床に敷物が敷いてある部屋があったが、その敷物も擦り切れてやぶれ、砂と埃が積もり、元がどういう柄だったのかもわからない有様だった。
 昨日今日の戦闘で打ち捨てられたのではない、もっとずっと長い年月、誰も出入りしていなかったような、そういう荒れ果て方だ。床には砂と埃が積もり、使えそうなものは何ひとつ残っていない。
「……古い娼館だな。船乗り相手の」
 ルビーはその声に聞き覚えがあった。
「――なぜ、ここに――!?」
 男は被っていたフードを脱いだ。中から艷やかな銀髪が流れ落ちる。
「ブラッディ・ルビー。その名は聞いたことがある。争いの火種を嗅ぎつけては、陸地も海も血の赤に染め上げる、若く美しい武器商人――まさかこんなにも堂々と私の懐に飛び込んでくるとは思わなかったが」
 マルスは質問には答えずに、長い指でルビーの金髪を梳いた。氷の瞳に射抜かれて、ルビーは身動きすらできない。
 外では遠く近く、人々の争い合う声が聞こえる。時折銃声も響く。そんな街の騒ぎが嘘のように、かつて娼館だったという廃墟は静けさに包まれていた。何の気配もしない。人が去った後の時間だけが埃とともに降り積もっている。非現実的な街と、非現実的な廃墟。
「確かに」
 マルスは、まるで廃墟を支配している静寂にすら聞かれまいとするかのように、ルビーの耳元に唇を寄せて囁いた。
「王子にやるには勿体ない女だ、スラジャ・サキルラート」
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