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第九章 海賊編
祭の後〜深夜〜
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深夜のララ=アルサーシャは混迷を極めていた。
祭を終えて盛り上がった酔客たちが街に溢れ、あちこちで小さな諍いも起きていた。街の安全を守る市中警備兵は総出でこれに対応していた。そのさなかの治安部隊のレー出動である。深夜の大軍の移動に市民は少なからず動揺し、様々な噂が流れた。
シハーブは次々入る報告の対応に、王宮で忙殺されていた。まずレーの反乱の規模を知る必要があった。レーは王都の目と鼻の先である。反乱が王都に飛び火したら、とんでもない騒ぎになる。あってはならないその事態を防ぐために、シハーブは先手を打った。それまでに掴んでいた、市中の不穏分子の隠れ家を、市中警備兵を使って一斉検挙に踏み切った。
悩みの種は他にもあった。午後、街ではぐれてから、マルスの姿を見ていない。日暮れ過ぎに、一人の少年が王宮にシハーブを訪ねてきた。彼は郵便配達員としては少々多すぎる小遣いをもらって、シハーブに一通の手紙を届けに来たのだ。シハーブは少年に、中を見ていないことを確認し、これまた少々多すぎる謝礼を支払い、他言無用と脅しつけて帰した。そこにはマルスの字で『テビウス市長殿を宿にお送りしてくる。心配するな。朝には帰る。』と書かれていた。
「……心配しないわけにいかんだろうが!」
激務の合間にちらりと目に入ったその紙片に、シハーブは苛立ちにまかせて拳をぶつけた。無粋だと詰られようが、目を離すべきではなかった。それでなくとも、マルスは体調がようやく回復してきたばかりなのだ。万一の事態を思うと、生きた心地がしなかった。
そこへ、21ポイントが陥落した、と報せが入った。丁度日付が変わる頃だった。
*****
全く予期していなかった祭のさなかの一斉検挙に、オットーたち解放戦線アルサーシャ支部は一瞬にして修羅場と化した。スラムに点在するアジトには次々と市中警備兵が突入し、オットーやイスマイルをはじめ、数十人が逮捕された。
ザラは間一髪で逃れていた。入り組んだスラムを走り、身を隠し、また走る。明かりのないスラムに逃げ込んでしまえば、町を知り尽くしたザラのほうが一枚上手だった。だが、スラムを出ようとすると、どの路地の出口にも必ず警備兵が張っていた。
(一体、何人いるの……?)
ザラは焦った。このまま夜が明けたら、この数の警備兵に捜索されたら絶対に見つかってしまう。
なんとかスラムを抜けようと、ザラはウラ川の川べりに下りた。王宮近くのウラ川は護岸整備された清涼な流れだが、このあたりまでくると泥地が広がり、スラムから溢れた汚物が浮かんで異臭すら放っていた。おかげで警備兵も川の中までは探しに来ない。ザラは、泥の少ない場所を選んで、どうにかして対岸に渡れないか試みた。
スラムのある12区と11区との境に架かる橋の下まで来て、ザラは立ち止まって息を潜めた。橋の上が騒がしい。どうやら、数人の警備兵が誰かを追っているようだ。彼らが去るのを待って一歩踏み出した時、何もないと思っていた暗がりがふっと動いて、ザラは驚きのあまり思わず声を上げそうになった。
「――しっ」
闇の中に浮かんだ顔に、見覚えがあった。
「あなた――カナン!」
「追われてるの」
「あたしもよ。兄さんたちは捕まっちゃった。あんた、どこにいたの?」
「レーから来た。イランたちはまだレーで戦っている」
「戦って……って、レーで?何が起きたの?」
「しっ」
警備兵が戻ってきたので、二人はまた息を潜めた。
「……対岸へは渡れないな。橋の下を潜れる?」
カナンが尋ねると、ザラは頷いた。
「こっちよ」
ザラの後について、カナンは狭い橋桁の下を潜った。
しばらく進んでから、周囲に人がいないのを確かめて道に這い上がる。と、道の先に警備兵の姿をみとめて、二人は慌てて脇道に入った。
警備兵は、何事か不審に思ったのだろう、ザラたちが逃げ込んだ脇道に向かってくる。二人は先へ進んで、また道を折れた。が、その先にも警備兵がいた。
「囲まれてる……」
ザラは途方に暮れた。カナンは道の両側の塀を見比べていたが、おもむろに片方の塀をよじ登りだした。そちら側の塀には丈夫な蔦が生えていたので、丁度いい足場になった。
「え、ちょっと」
困惑したザラに、既に塀を登りきったカナンが手を差し伸べる。
「掴まって」
言われるがまま塀を乗り越え、警備兵に見つかる直前に二人は塀の向こう側の地面に降り立った。
「ここは……」
ザラは辺りを見回した。
そこは巨大な葉を繁らせた熱帯の木々が植えられた、広い庭園だった。
木々の向うに、柔らかな光に照らされた建物が見える。その建物の前にいた人影が、こちらに気付いた。
「……まずい」
反射的に、ザラは身構えた。相手はどうやら女だ。いざとなれば手にした短剣で脅して――と考えを巡らせていたら、カナンがすたすたとその明るい方へ歩いていく。
「え、カナン?ちょっと!」
ザラが慌てて追いかける。
建物の前にいた女が、カナンの姿を見て、驚いたような声を上げた。
「あんた――まあ……!」
女がカナンに抱きついた。
「よく……よく、無事で……!」
祭を終えて盛り上がった酔客たちが街に溢れ、あちこちで小さな諍いも起きていた。街の安全を守る市中警備兵は総出でこれに対応していた。そのさなかの治安部隊のレー出動である。深夜の大軍の移動に市民は少なからず動揺し、様々な噂が流れた。
シハーブは次々入る報告の対応に、王宮で忙殺されていた。まずレーの反乱の規模を知る必要があった。レーは王都の目と鼻の先である。反乱が王都に飛び火したら、とんでもない騒ぎになる。あってはならないその事態を防ぐために、シハーブは先手を打った。それまでに掴んでいた、市中の不穏分子の隠れ家を、市中警備兵を使って一斉検挙に踏み切った。
悩みの種は他にもあった。午後、街ではぐれてから、マルスの姿を見ていない。日暮れ過ぎに、一人の少年が王宮にシハーブを訪ねてきた。彼は郵便配達員としては少々多すぎる小遣いをもらって、シハーブに一通の手紙を届けに来たのだ。シハーブは少年に、中を見ていないことを確認し、これまた少々多すぎる謝礼を支払い、他言無用と脅しつけて帰した。そこにはマルスの字で『テビウス市長殿を宿にお送りしてくる。心配するな。朝には帰る。』と書かれていた。
「……心配しないわけにいかんだろうが!」
激務の合間にちらりと目に入ったその紙片に、シハーブは苛立ちにまかせて拳をぶつけた。無粋だと詰られようが、目を離すべきではなかった。それでなくとも、マルスは体調がようやく回復してきたばかりなのだ。万一の事態を思うと、生きた心地がしなかった。
そこへ、21ポイントが陥落した、と報せが入った。丁度日付が変わる頃だった。
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全く予期していなかった祭のさなかの一斉検挙に、オットーたち解放戦線アルサーシャ支部は一瞬にして修羅場と化した。スラムに点在するアジトには次々と市中警備兵が突入し、オットーやイスマイルをはじめ、数十人が逮捕された。
ザラは間一髪で逃れていた。入り組んだスラムを走り、身を隠し、また走る。明かりのないスラムに逃げ込んでしまえば、町を知り尽くしたザラのほうが一枚上手だった。だが、スラムを出ようとすると、どの路地の出口にも必ず警備兵が張っていた。
(一体、何人いるの……?)
ザラは焦った。このまま夜が明けたら、この数の警備兵に捜索されたら絶対に見つかってしまう。
なんとかスラムを抜けようと、ザラはウラ川の川べりに下りた。王宮近くのウラ川は護岸整備された清涼な流れだが、このあたりまでくると泥地が広がり、スラムから溢れた汚物が浮かんで異臭すら放っていた。おかげで警備兵も川の中までは探しに来ない。ザラは、泥の少ない場所を選んで、どうにかして対岸に渡れないか試みた。
スラムのある12区と11区との境に架かる橋の下まで来て、ザラは立ち止まって息を潜めた。橋の上が騒がしい。どうやら、数人の警備兵が誰かを追っているようだ。彼らが去るのを待って一歩踏み出した時、何もないと思っていた暗がりがふっと動いて、ザラは驚きのあまり思わず声を上げそうになった。
「――しっ」
闇の中に浮かんだ顔に、見覚えがあった。
「あなた――カナン!」
「追われてるの」
「あたしもよ。兄さんたちは捕まっちゃった。あんた、どこにいたの?」
「レーから来た。イランたちはまだレーで戦っている」
「戦って……って、レーで?何が起きたの?」
「しっ」
警備兵が戻ってきたので、二人はまた息を潜めた。
「……対岸へは渡れないな。橋の下を潜れる?」
カナンが尋ねると、ザラは頷いた。
「こっちよ」
ザラの後について、カナンは狭い橋桁の下を潜った。
しばらく進んでから、周囲に人がいないのを確かめて道に這い上がる。と、道の先に警備兵の姿をみとめて、二人は慌てて脇道に入った。
警備兵は、何事か不審に思ったのだろう、ザラたちが逃げ込んだ脇道に向かってくる。二人は先へ進んで、また道を折れた。が、その先にも警備兵がいた。
「囲まれてる……」
ザラは途方に暮れた。カナンは道の両側の塀を見比べていたが、おもむろに片方の塀をよじ登りだした。そちら側の塀には丈夫な蔦が生えていたので、丁度いい足場になった。
「え、ちょっと」
困惑したザラに、既に塀を登りきったカナンが手を差し伸べる。
「掴まって」
言われるがまま塀を乗り越え、警備兵に見つかる直前に二人は塀の向こう側の地面に降り立った。
「ここは……」
ザラは辺りを見回した。
そこは巨大な葉を繁らせた熱帯の木々が植えられた、広い庭園だった。
木々の向うに、柔らかな光に照らされた建物が見える。その建物の前にいた人影が、こちらに気付いた。
「……まずい」
反射的に、ザラは身構えた。相手はどうやら女だ。いざとなれば手にした短剣で脅して――と考えを巡らせていたら、カナンがすたすたとその明るい方へ歩いていく。
「え、カナン?ちょっと!」
ザラが慌てて追いかける。
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女がカナンに抱きついた。
「よく……よく、無事で……!」
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