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イシュラヴァール拾遺
番外編 書簡
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【65 奴隷市】の、ちょっと前のお話です。
*****
空の色が違う、とヤーシャールは思った。
アルナハブとは違う、薄い青空。青の色も、少しだけ紫がかって見える。寒そうな色だ。
そう見えるのは気温のせいかもしれない。事実、この異国の空気は日に日に冷えていっていた。ヤーシャールは空気を入れ換えようと開けた窓を、早々に閉めた。
アルナハブにも冬がある。エクバターナのある山岳地帯では真冬には雪が降るほど冷え込むこともある。が、ここシャルナクの気温は、まだ秋だというのに暖房が欲しいほど低かった。
「ヤーシャール様、お茶をお持ちしました」
扉の向こうから声を掛けたのは、従者のトマだ。アルサーシャを出る際に、シャルナクの言葉を話せる奴隷を一人、シハーブが都合したのだ。
「シャルナク語は母に教わったのですが、シャルナクに行くのは初めてなので、楽しみです」
そう言ってトマは朗らかに笑った。
トマはまだ若く、15歳かそこらだったが、利発で礼儀正しく、物怖じしない性格だった。新しい主人にも見知らぬ土地にもすぐに馴染み、笑顔を絶やさない。トマは行く先々で、出会う人みなに好かれた。ヤーシャールは彼を気に入った。
「窓を開けましょうか」
「そのままでよい。寒いからの」
いかにも寒そうに肩をすくめたヤーシャールを見て、トマはくすくすと笑った。毛織のショールを持ってきて、主人の肩にかける。
「ここいらはこれからまだまだ寒くなるそうですよ。今音を上げていたら、先が思いやられます」
ヤーシャールは嘆息した。
「月光宮の地下牢よりはましだと思いたい」
「エクバターナのお城のお話ですか?」
トマは目を輝かせた。トマはヤーシャールの話すエクバターナの思い出話を、まるで冒険譚でも聞くように楽しみにしているのだ。だが地下牢を脱出した日のことだけは、まだ詳しく聞かせてもらえていない。話がそこに差し掛かると、ヤーシャールは決まって哀しげな顔になり、口を閉ざしてしまうのだ。
「話してやっても良いが、まずお茶を飲ませておくれ」
「はい、ただいま。あ、それと、お手紙が届いています」
「ほう?」
熱い茶をひと口飲み、銀の盆に載せられた手紙を開ける。中に書かれていた宛名を読んで、ヤーシャールは目を見開いた。
「これはまた……なんと」
そばに控えていたトマは、言葉には出さないがわくわくとした顔でヤーシャールを見つめている。その視線に気付いてヤーシャールは苦笑した。
「気になるのか?ほんにそなたは、好奇心旺盛な子犬のようじゃの」
「どなたからなのですか?」
「そうよのう……さしずめ、砂漠の女勇者、とでも言おうか」
ヤーシャールは、いかにもトマが喜びそうな脚色を加えながら、話して聞かせた。イシュラヴァールからやってきた若い兵士たちが洪水を起こして地下牢を破ったこと、一人の女兵士が奴隷たちを先導して救い出したこと――そして、エクバターナの街を洪水から救うために、自ら地下深くの水底へと落ちていった、一人の男がいたことを。
「……パヤといっての。心の正しい、優しい男であった……」
ヤーシャールは憂うような懐かしむような眼差しで、窓の外の灰色がかった空を見遣った。
今もパヤは、あの地の底の、凍えるような水の中にいるのだろうか。永遠に――。
「――この手紙は、レーで不正を行っている者を裁くのに、私の一筆が欲しいと言ってきた。彼女には礼をせねばと思っていた。良い機会だ」
ヤーシャールはすぐにペンを取り出して、同封されていた告発書にすらすらとサインをした。
*****
空の色が違う、とヤーシャールは思った。
アルナハブとは違う、薄い青空。青の色も、少しだけ紫がかって見える。寒そうな色だ。
そう見えるのは気温のせいかもしれない。事実、この異国の空気は日に日に冷えていっていた。ヤーシャールは空気を入れ換えようと開けた窓を、早々に閉めた。
アルナハブにも冬がある。エクバターナのある山岳地帯では真冬には雪が降るほど冷え込むこともある。が、ここシャルナクの気温は、まだ秋だというのに暖房が欲しいほど低かった。
「ヤーシャール様、お茶をお持ちしました」
扉の向こうから声を掛けたのは、従者のトマだ。アルサーシャを出る際に、シャルナクの言葉を話せる奴隷を一人、シハーブが都合したのだ。
「シャルナク語は母に教わったのですが、シャルナクに行くのは初めてなので、楽しみです」
そう言ってトマは朗らかに笑った。
トマはまだ若く、15歳かそこらだったが、利発で礼儀正しく、物怖じしない性格だった。新しい主人にも見知らぬ土地にもすぐに馴染み、笑顔を絶やさない。トマは行く先々で、出会う人みなに好かれた。ヤーシャールは彼を気に入った。
「窓を開けましょうか」
「そのままでよい。寒いからの」
いかにも寒そうに肩をすくめたヤーシャールを見て、トマはくすくすと笑った。毛織のショールを持ってきて、主人の肩にかける。
「ここいらはこれからまだまだ寒くなるそうですよ。今音を上げていたら、先が思いやられます」
ヤーシャールは嘆息した。
「月光宮の地下牢よりはましだと思いたい」
「エクバターナのお城のお話ですか?」
トマは目を輝かせた。トマはヤーシャールの話すエクバターナの思い出話を、まるで冒険譚でも聞くように楽しみにしているのだ。だが地下牢を脱出した日のことだけは、まだ詳しく聞かせてもらえていない。話がそこに差し掛かると、ヤーシャールは決まって哀しげな顔になり、口を閉ざしてしまうのだ。
「話してやっても良いが、まずお茶を飲ませておくれ」
「はい、ただいま。あ、それと、お手紙が届いています」
「ほう?」
熱い茶をひと口飲み、銀の盆に載せられた手紙を開ける。中に書かれていた宛名を読んで、ヤーシャールは目を見開いた。
「これはまた……なんと」
そばに控えていたトマは、言葉には出さないがわくわくとした顔でヤーシャールを見つめている。その視線に気付いてヤーシャールは苦笑した。
「気になるのか?ほんにそなたは、好奇心旺盛な子犬のようじゃの」
「どなたからなのですか?」
「そうよのう……さしずめ、砂漠の女勇者、とでも言おうか」
ヤーシャールは、いかにもトマが喜びそうな脚色を加えながら、話して聞かせた。イシュラヴァールからやってきた若い兵士たちが洪水を起こして地下牢を破ったこと、一人の女兵士が奴隷たちを先導して救い出したこと――そして、エクバターナの街を洪水から救うために、自ら地下深くの水底へと落ちていった、一人の男がいたことを。
「……パヤといっての。心の正しい、優しい男であった……」
ヤーシャールは憂うような懐かしむような眼差しで、窓の外の灰色がかった空を見遣った。
今もパヤは、あの地の底の、凍えるような水の中にいるのだろうか。永遠に――。
「――この手紙は、レーで不正を行っている者を裁くのに、私の一筆が欲しいと言ってきた。彼女には礼をせねばと思っていた。良い機会だ」
ヤーシャールはすぐにペンを取り出して、同封されていた告発書にすらすらとサインをした。
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