イシュラヴァール放浪記

道化の桃

文字の大きさ
221 / 230
イシュラヴァール拾遺

番外編 オアシスの夜 1☆

しおりを挟む
遠征編の「ジャヤトリアの勅令」~「夜明け」のあたりのお話。
ファーリア×マルスの、マルス視点です。
冒頭は王都編「旅路~オアシス」のあたりです。

*****

 ――触れないで。
 そう、あの娘は言った。
 わたしに触れてはいけません、と。
 あなたを汚してしまうから、と。 

 *

「ジャヤトリアは新政府につきました」
 シハーブが、砂漠地帯に点在する勢力の動向を報告する。
「ジャヤトリアか……」
 月明かりに浮かび上がるオアシスを眺めながら、マルスはふと頭に浮かんだことを口にした。
「ジャヤトリアといえば……あの時、誰が私に解毒剤を飲ませたのだろう」
「解毒剤?」
 スカイが繰り返した。
「アルヴィラ遠征の時のことですか?」
 シハーブが言った。相変わらず話が早いな、とマルスは思った。
 王都を追われてから、マルスはほとんどの時間を海で過ごしていた。護衛としてスカイが常にそばにいたが、シハーブと会うのは、アトラスのクーデター以来、初めてだった。幼い時分に出会ってから、これほど長い間離れていたことなどなかったな、とマルスはその月日を数えた。一年と半年――いや、七、八ヶ月ほどか。久しぶりに会うシハーブは髭が伸びて印象が少し変わっていたが、分身のようにマルスの考えを理解しているところは変わっていない。
「スカイは知らんだろう。あの時、先発隊で別行動だったからな」
「ああ、あの遠征ですか――」
 傭兵隊と共に、アルヴィラ砦で反乱軍と戦った。そしてユーリ・アトゥイーに負けて捕虜となったのだ。苦い記憶が蘇って、スカイは顔をしかめた。
「解毒剤はファーリアでは?マルス様が倒れたときも、彼女が真っ先にスナカズラだと特定していた」
 シハーブが言った。
「スナカズラって、砂漠特有の有毒植物ですよね。ジャヤトリアでは珍しくないのかも。彼女、ジャヤトリア出身ですよね?」
 スカイも首をひねる。
「いや、ファーリアじゃない」
 マルスもまた、記憶を辿った。
 反乱軍討伐のため、軍を率いてアルヴィラへ向かう途中、野営中のテントでそれは起こった。
 毒を盛られた、ということはすぐに分かった。舌の付け根がもたつくような感覚を覚えて、咄嗟に胃の中のものを吐き出したが、間もなく激しい目眩に襲われた。シハーブが毒見役を探して、テントから飛び出していった。間もなく、隊は奇襲を受けたのだ。
 戦闘を避けて馬で運ばれたのは覚えている。気がつくとどこかに寝かされていた。意識が朦朧として、昼なのか夜なのかもわからなかった。
『――まさか、こんな大物を連れてくるとは……』
 枕元で何者かの声がしていた。瞼が重くて、どうしても目を開けられなかった。どころか、全身が痺れて力が入らず、指先一つ動かせなかった。だがその声だけは、妙にはっきりと覚えている。
「……そうだ、あれは男の声だった……」
 マルスはふと、首筋に手を当てた。そこに、冷たい剣の感触が残っているような気がした。
『――思いがけず手の内に転がり込んできた獲物だが――さて』
 奇妙に落ち着き払い、不遜で、どこか粗暴さの滲む、男の声。
 聞き覚えがあるような気がするのだが、どうしても思い出せない。

   *****

 砂混じりの風が、遠い日の記憶を運んでくる。

 目が覚めると、そこは見覚えのない寝室だった。
 身体が軽くなっている。ふと枕元の小卓に目をやると、小さな椀に見たことのない果実が、半分だけすり潰されていた。
 立ち上がると軽い目眩がした。が、気分は悪くない。傍らには提げていた剣が置かれている。ふらつく足元を踏みしめて部屋の外に出ると、廊下には使用人が数人、怯えたようにこちらを見ていた。
「ここはどこだ」
「ジャ、ジャヤトリア辺境伯のお屋敷でごぜえます、旦那」
 一人がおどおどと言った。辺境特有の訛りがある。日に焼けて深い皺が刻まれた見た目よりも、声が若い。
「私の連れはどこだ」
 マルスの問いに、使用人たちは顔を見合わせた。
「答えよ」
 焦れたマルスが苛々と言った。頭にもやがかかったようだが、記憶が正しければ、マルスを戦場から運び出したのはアトゥイーだ。
「では辺境伯はどこだ?」
 要領を得ない使用人たちに、マルスは質問を変えた。今度はあからさまに、彼らの顔色が変わった。
 彼らの顔に浮かんだそれは、恐怖だ。
「ああ……お許しくだせえ、旦那様は、お教えできねえです」
 マルスの切れるような目元が吊り上がった。ピリ、と青い静電気が走った。
「ひ……っ!」
 マルスに詰め寄られて、使用人の男は両腕で顔を隠すように身構えた。
「ち、地下、地下でごぜえます!地下でごぜえます!旦那、お、お許し……!」
 マルスは、腰が抜けかけた使用人を半ば引きずるようにして、地下牢に案内させた。
 それは、目を疑うような光景だった。
 室内は血と体液の臭いが充満し、かすかに皮膚が焼ける臭いも混じっている。壁や天井には幾つも鎖が打ちつけられ、そこここに悪趣味な拷問器具がある。それらがどのように虜囚を拘束し、いたぶるのか、まざまざと想像できて、マルスは吐き気がした。
 その陰惨極まりない空間に、ジャヤトリア辺境伯の下卑た笑い声が響いた。
「ほれ、こんなに欲しがっておるぞ。皆で犯しまくってみせろ」
 異国から売られてきたらしい、体格のいい奴隷たちに辺境伯が命令している。奴隷たちの黒い肌の合間から、ちらちらと細い肢体が見え隠れした。
「…………やぁ……っ…………」
 その千切れるような声を聞いて、マルスの全身が総毛立った。
 次の瞬間、マルスの剣が奴隷の分厚い肉を貫いていた。
 崩れ落ちた巨躯の向こうに、まるで人形のようにぐんにゃりと横たわったアトゥイーの姿があった。鞭で打たれたのか、からだ中を赤く腫らして、マルスから理性を奪った。
(これは私のものだ)
 月明かりの下で出会ってから、注意深く身近に引き込んだ。どこに惹かれたのか、明確な説明はできなかった。ただそばに置きたかった。だがすぐに抱いてしまったら、彼女を怖がらせてしまうかもしれない。マルスを拒む女などそれまでいなかったが、不思議とアトゥイーだけは違うような気がしていた。少しでも強引に迫ったら、簡単に逃げていきそうな。
 マルスは我慢していた。こんなことは初めてだった。もどかしいほどゆっくりと距離を縮め、大切に育ててきた。
 大切に大切に、触れることすらためらうほどに、大切にしてきたのに。
(私のものを、こんな)
 まるで自分自身が穢されたかのような怒りがこみ上げてきて、マルスは一刀両断に辺境伯を裁いた。

 救い出したアトゥイーを客用寝室の広い寝台に寝かせ、傷つき汚れた躰を丁寧に拭き上げる。意識のないまま、時折苦しげに喘ぐのが痛々しい。そしてそれは、艶めかしい芳香を放ってマルスの欲情を誘った。
「……もう我慢などするものか……」
 マルスは身の内で荒ぶる情動にまかせ、喘ぎ声を飲み込むように唇を塞いだ。
 アトゥイーの全身が反応する。熱を帯びた躰がマルスに絡みつき、欲しているのがわかる。マルスはファーリアの肌に刻まれた焼印を見つけた。
「……ファーリア……?」
 マルスがその名を呼ぶと、小さな唇から喘ぎ声が漏れた。
「……抱い……て……」
 それはマルスの理性を完全に奪い去った。
 辺境伯に飲まされた淫薬のせいで、アトゥイー――ファーリアは蜜を滴らせて悶えている。マルスはその躰に唇を這わせ、とろとろと溢れている場所に指を挿し入れた。
「あ、やあ、あ……!」
 細い躰が弓なりにしなり、ビクンビクンとわななく。内側から丹念に愛撫されて、やがてファーリアは絶頂した。マルスが初めて聞くその声はあまりに甘く、扇情的だった。悦楽に追い立てられるように切なく歪む表情が、マルスを一層昂ぶらせた。
 だが。
「だめです、いけません――わたしを見ないで……!」
 正気を取り戻したファーリアは、身をよじってマルスの腕から逃れた。
「なぜだ」
 マルスはもがく細い両腕を捉えて訊いた。
「……わたしは、奴隷なんです……触れないで……陛下が、汚れてしまう……」
 ファーリアは透明な涙で頬を濡らし、小刻みに震えている。それはあまりに悲しげで、マルスの感情をいつになく掻き乱した。
(この娘が、欲しい――)
 王宮に閉じ込めて、誰の目にも触れさせず、貪り尽くしたい。この華奢な躰を傷つけるものすべてから守り、真綿でくるむように幸福で包んでやりたい。これまでこの娘が想像もしなかったであろう、安らかで輝きに満ちた日々を与えてやりたい。すべての痛みを忘れ、溺れるほどの快楽を味わわせてやりたい。
 そうしたらきっと、このあまりに不幸な娘は、見違えるほどに美しくなるだろう。
 その姿を、見てみたい。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

禁断溺愛

流月るる
恋愛
親同士の結婚により、中学三年生の時に湯浅製薬の御曹司・巧と義兄妹になった真尋。新しい家族と一緒に暮らし始めた彼女は、義兄から独占欲を滲ませた態度を取られるようになる。そんな義兄の様子に、真尋の心は揺れ続けて月日は流れ――真尋は、就職を区切りに彼への想いを断ち切るため、義父との養子縁組を解消し、ひっそりと実家を出た。しかし、ほどなくして海外赴任から戻った巧に、その事実を知られてしまう。当然のごとく義兄は大激怒で真尋のマンションに押しかけ、「赤の他人になったのなら、もう遠慮する必要はないな」と、甘く淫らに懐柔してきて……? 切なくて心が甘く疼く大人のエターナル・ラブ。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

処理中です...