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第二章 落日のエクバターナ
崩御
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夕刻エクバターナ入りしたバセルたち一行は、街の様子にただならぬ雰囲気を感じていた。街の人々はざわざわと落ち着かない様子で、一様に笑顔がない。会話や動作にも、どことなく緊迫した空気が漂っている。
その理由はすぐにわかった。
「なんと、今朝方国王が崩御されたそうです。ついさっき半旗が掲げられて、各国へもじきに報が届くかと」
従者を装った兵士の一人が露店で聞き出してきた情報によると、国王は朝方崩御し、その後、宮廷医師が診断書を作成して議会で承認され、正午に正式に発表された。長く病に臥せっていた国王だけに、それほど民に動揺はないらしい。
だが、夕刻事態は急変した。
「国王は暗殺されたのだ」
誰が言い出したのか、噂はまたたくまに街中に広まった。
アルナハブ王には六人の王子と、更に多くの王女がいる。陸軍総司令官の第一王子ハリーと海軍を指揮する第二王子メフルは、バセルの父マルスよりも年齢が上で、ハリー王子には既に孫もいる。そして、この二人がそれぞれ陸軍と海軍のほとんどを握っていた。王位継承がほぼ見込めない第三王子、第四王子はそれぞれ地方の広大な領地を治めていたが、彼らは結託して兄たちの失脚を目論んでいる、と巷間ではまことしやかに囁かれている。それほどまでに、この兄弟仲の悪さは民の知るところなのだ。事実、第五王子ヤーシャールは政争に敗れてシャルナクに亡命し、第六王子ダレイは混乱のイシュラヴァールの新王と手を組んでいる。総じて血の気の多い兄弟だった。跡目争いの火種は十分すぎるほどにあった。
順当にいけばハリー王子が国王の葬送の指揮を執るはずである。しかし、そのハリー王子がいつまでも月光宮に姿を表さない、というのだ。
――ハリー王子が国王を弑し、姿を消した。
そんな噂が囁かれ始めた。だが同じ頃、更に不穏な行動に出たものがいた。
メフル王子が館を出たのは昼すぎのことだった。異様だったのは護衛の数である。メフル王子に付き従った一個中隊ほどの兵士が、月光宮を取り囲んだ。
――暗殺者はメフル王子だ。国王を弑し、兄のハリー王子を拐かして、武力で王権に手を伸ばす気だ。ともするとハリー王子は最早この世にいないかもしれぬ……。
――ハリー王子が死んだら、王位継承権はメフル王子ではなくハリー王子の息子だ。息子は無事か?まさか、息子まで手にかけたか。
――恐ろしい。ハリー王子の息子は確かまだ13かそこらだ。そんな子どもを殺したとしたら、神がお許しにならない。
疑惑は一気にメフル王子に向いた。そんな中、ニケ王妃――国王崩御の時点で王太后――が声明を発表した。
曰く、行方不明の第一王子ハリーに代わり、自らが暫定的に王権を引き継ぐ、と。
ニケ女王の誕生である。
各国へ、王の崩御を伝える伝令が走り、その後を追うようにニケ女王即位を伝える伝令が走った。
「我らの目的はニケ王妃――いや、ニケ女王に王都奪還の援助を願うことだったのだが……この状況では、他国にかまけている場合ではないだろうな……」
「いや、むしろ好機かもしれません」
しばらく考え込んでいたジャミールが言った。
「ニケ女王にしてみれば、月光宮は敵だらけです。おそらく巷に流れる国王暗殺説を払拭せんとの即位でしょうが……矛先が女王に向くのは必至。であれば、我らと同盟を組むこともやぶさかではない可能性も」
「イシュラヴァール王国の威光は既に我らの背後にはないがな」
バセルは自嘲気味に言った。
「ええ。しかし外海にはドレイクの艦隊がいます。場合によっては、海軍を握るメフル王子の牽制も可能だ。いざとなれば亡命を手助けすることも」
「なるほど。背水の陣はお互い同じか」
その時ふと、バセルは昨夜の女を思い出した。
――あなたは血に縛られ、血に裏切られる――
(私を裏切るのは……)
バセルは背後を振り向いた。
そこには、今通ってきたばかりの砂漠が広がっていた。同じ砂漠でも、故郷イシュラヴァールのそれとは全く違う。見慣れない巨大な奇岩があちこちにそびえ、日没の太陽に赤く照らされている。
「……父上」
無意識に漏れた言葉に、バセルははっとした。
「バセル様?」
ジャミールが気遣うように、バセルの顔を覗き込んだので、バセルは慌てて言葉を探した。
「いや、父上は今頃どのあたりにいらっしゃるかなと。無事に上陸できただろうか」
「予定では、そろそろ上陸する頃ですね。あのあたりは内海で滅多に荒れませんし、ご無事でいらっしゃると思いますよ」
ジャミールはまだ若い主人の心中を慮って言った。イシュラヴァールは新政権に乗っ取られているため、連絡もままならないのだ。信じるよりほかはない。
「ありがとう、ジャミール」
バセルは微笑んだが、うっすらともやのような不安が心の中に湧き起こるのを感じていた。
――あなたは光に裏切られる――
その理由はすぐにわかった。
「なんと、今朝方国王が崩御されたそうです。ついさっき半旗が掲げられて、各国へもじきに報が届くかと」
従者を装った兵士の一人が露店で聞き出してきた情報によると、国王は朝方崩御し、その後、宮廷医師が診断書を作成して議会で承認され、正午に正式に発表された。長く病に臥せっていた国王だけに、それほど民に動揺はないらしい。
だが、夕刻事態は急変した。
「国王は暗殺されたのだ」
誰が言い出したのか、噂はまたたくまに街中に広まった。
アルナハブ王には六人の王子と、更に多くの王女がいる。陸軍総司令官の第一王子ハリーと海軍を指揮する第二王子メフルは、バセルの父マルスよりも年齢が上で、ハリー王子には既に孫もいる。そして、この二人がそれぞれ陸軍と海軍のほとんどを握っていた。王位継承がほぼ見込めない第三王子、第四王子はそれぞれ地方の広大な領地を治めていたが、彼らは結託して兄たちの失脚を目論んでいる、と巷間ではまことしやかに囁かれている。それほどまでに、この兄弟仲の悪さは民の知るところなのだ。事実、第五王子ヤーシャールは政争に敗れてシャルナクに亡命し、第六王子ダレイは混乱のイシュラヴァールの新王と手を組んでいる。総じて血の気の多い兄弟だった。跡目争いの火種は十分すぎるほどにあった。
順当にいけばハリー王子が国王の葬送の指揮を執るはずである。しかし、そのハリー王子がいつまでも月光宮に姿を表さない、というのだ。
――ハリー王子が国王を弑し、姿を消した。
そんな噂が囁かれ始めた。だが同じ頃、更に不穏な行動に出たものがいた。
メフル王子が館を出たのは昼すぎのことだった。異様だったのは護衛の数である。メフル王子に付き従った一個中隊ほどの兵士が、月光宮を取り囲んだ。
――暗殺者はメフル王子だ。国王を弑し、兄のハリー王子を拐かして、武力で王権に手を伸ばす気だ。ともするとハリー王子は最早この世にいないかもしれぬ……。
――ハリー王子が死んだら、王位継承権はメフル王子ではなくハリー王子の息子だ。息子は無事か?まさか、息子まで手にかけたか。
――恐ろしい。ハリー王子の息子は確かまだ13かそこらだ。そんな子どもを殺したとしたら、神がお許しにならない。
疑惑は一気にメフル王子に向いた。そんな中、ニケ王妃――国王崩御の時点で王太后――が声明を発表した。
曰く、行方不明の第一王子ハリーに代わり、自らが暫定的に王権を引き継ぐ、と。
ニケ女王の誕生である。
各国へ、王の崩御を伝える伝令が走り、その後を追うようにニケ女王即位を伝える伝令が走った。
「我らの目的はニケ王妃――いや、ニケ女王に王都奪還の援助を願うことだったのだが……この状況では、他国にかまけている場合ではないだろうな……」
「いや、むしろ好機かもしれません」
しばらく考え込んでいたジャミールが言った。
「ニケ女王にしてみれば、月光宮は敵だらけです。おそらく巷に流れる国王暗殺説を払拭せんとの即位でしょうが……矛先が女王に向くのは必至。であれば、我らと同盟を組むこともやぶさかではない可能性も」
「イシュラヴァール王国の威光は既に我らの背後にはないがな」
バセルは自嘲気味に言った。
「ええ。しかし外海にはドレイクの艦隊がいます。場合によっては、海軍を握るメフル王子の牽制も可能だ。いざとなれば亡命を手助けすることも」
「なるほど。背水の陣はお互い同じか」
その時ふと、バセルは昨夜の女を思い出した。
――あなたは血に縛られ、血に裏切られる――
(私を裏切るのは……)
バセルは背後を振り向いた。
そこには、今通ってきたばかりの砂漠が広がっていた。同じ砂漠でも、故郷イシュラヴァールのそれとは全く違う。見慣れない巨大な奇岩があちこちにそびえ、日没の太陽に赤く照らされている。
「……父上」
無意識に漏れた言葉に、バセルははっとした。
「バセル様?」
ジャミールが気遣うように、バセルの顔を覗き込んだので、バセルは慌てて言葉を探した。
「いや、父上は今頃どのあたりにいらっしゃるかなと。無事に上陸できただろうか」
「予定では、そろそろ上陸する頃ですね。あのあたりは内海で滅多に荒れませんし、ご無事でいらっしゃると思いますよ」
ジャミールはまだ若い主人の心中を慮って言った。イシュラヴァールは新政権に乗っ取られているため、連絡もままならないのだ。信じるよりほかはない。
「ありがとう、ジャミール」
バセルは微笑んだが、うっすらともやのような不安が心の中に湧き起こるのを感じていた。
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