イシュラヴァール戦記

道化の桃

文字の大きさ
35 / 66
第二章 落日のエクバターナ

崩御

しおりを挟む
 夕刻エクバターナ入りしたバセルたち一行は、街の様子にただならぬ雰囲気を感じていた。街の人々はざわざわと落ち着かない様子で、一様に笑顔がない。会話や動作にも、どことなく緊迫した空気が漂っている。
 その理由はすぐにわかった。
「なんと、今朝方国王が崩御されたそうです。ついさっき半旗が掲げられて、各国へもじきに報が届くかと」
 従者を装った兵士の一人が露店で聞き出してきた情報によると、国王は朝方崩御し、その後、宮廷医師が診断書を作成して議会で承認され、正午に正式に発表された。長く病に臥せっていた国王だけに、それほど民に動揺はないらしい。
 だが、夕刻事態は急変した。
「国王は暗殺されたのだ」
 誰が言い出したのか、噂はまたたくまに街中に広まった。
 アルナハブ王には六人の王子と、更に多くの王女がいる。陸軍総司令官の第一王子ハリーと海軍を指揮する第二王子メフルは、バセルの父マルスよりも年齢が上で、ハリー王子には既に孫もいる。そして、この二人がそれぞれ陸軍と海軍のほとんどを握っていた。王位継承がほぼ見込めない第三王子、第四王子はそれぞれ地方の広大な領地を治めていたが、彼らは結託して兄たちの失脚を目論んでいる、と巷間ではまことしやかに囁かれている。それほどまでに、この兄弟仲の悪さは民の知るところなのだ。事実、第五王子ヤーシャールは政争に敗れてシャルナクに亡命し、第六王子ダレイは混乱のイシュラヴァールの新王と手を組んでいる。総じて血の気の多い兄弟だった。跡目争いの火種は十分すぎるほどにあった。
 順当にいけばハリー王子が国王の葬送の指揮を執るはずである。しかし、そのハリー王子がいつまでも月光宮に姿を表さない、というのだ。
 ――ハリー王子が国王を弑し、姿を消した。
 そんな噂が囁かれ始めた。だが同じ頃、更に不穏な行動に出たものがいた。
 メフル王子が館を出たのは昼すぎのことだった。異様だったのは護衛の数である。メフル王子に付き従った一個中隊ほどの兵士が、月光宮を取り囲んだ。
 ――暗殺者はメフル王子だ。国王を弑し、兄のハリー王子を拐かして、武力で王権に手を伸ばす気だ。ともするとハリー王子は最早この世にいないかもしれぬ……。
 ――ハリー王子が死んだら、王位継承権はメフル王子ではなくハリー王子の息子だ。息子は無事か?まさか、息子まで手にかけたか。
 ――恐ろしい。ハリー王子の息子は確かまだ13かそこらだ。そんな子どもを殺したとしたら、神がお許しにならない。
 疑惑は一気にメフル王子に向いた。そんな中、ニケ王妃――国王崩御の時点で王太后――が声明を発表した。
 曰く、行方不明の第一王子ハリーに代わり、自らが暫定的に王権を引き継ぐ、と。
 ニケ女王の誕生である。
 各国へ、王の崩御を伝える伝令が走り、その後を追うようにニケ女王即位を伝える伝令が走った。
「我らの目的はニケ王妃――いや、ニケ女王に王都奪還の援助を願うことだったのだが……この状況では、他国にかまけている場合ではないだろうな……」
「いや、むしろ好機かもしれません」
 しばらく考え込んでいたジャミールが言った。
「ニケ女王にしてみれば、月光宮は敵だらけです。おそらく巷に流れる国王暗殺説を払拭せんとの即位でしょうが……矛先が女王に向くのは必至。であれば、我らと同盟を組むこともやぶさかではない可能性も」
「イシュラヴァール王国の威光は既に我らの背後にはないがな」
 バセルは自嘲気味に言った。
「ええ。しかし外海にはドレイクの艦隊がいます。場合によっては、海軍を握るメフル王子の牽制も可能だ。いざとなれば亡命を手助けすることも」
「なるほど。背水の陣はお互い同じか」
 その時ふと、バセルは昨夜の女を思い出した。
 ――あなたは血に縛られ、血に裏切られる――
(私を裏切るのは……)
 バセルは背後を振り向いた。
 そこには、今通ってきたばかりの砂漠が広がっていた。同じ砂漠でも、故郷イシュラヴァールのそれとは全く違う。見慣れない巨大な奇岩があちこちにそびえ、日没の太陽に赤く照らされている。
「……父上」
 無意識に漏れた言葉に、バセルははっとした。
「バセル様?」
 ジャミールが気遣うように、バセルの顔を覗き込んだので、バセルは慌てて言葉を探した。
「いや、父上は今頃どのあたりにいらっしゃるかなと。無事に上陸できただろうか」
「予定では、そろそろ上陸する頃ですね。あのあたりは内海で滅多に荒れませんし、ご無事でいらっしゃると思いますよ」
 ジャミールはまだ若い主人の心中を慮って言った。イシュラヴァールは新政権に乗っ取られているため、連絡もままならないのだ。信じるよりほかはない。
「ありがとう、ジャミール」
 バセルは微笑んだが、うっすらともやのような不安が心の中に湧き起こるのを感じていた。
 ――あなたは光に裏切られる――
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

処理中です...