イシュラヴァール戦記

道化の桃

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第二章 落日のエクバターナ

月光宮

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 エクバターナは天然の要塞である。中央の丘の崖面にへばりつくようにして、宮殿が築かれている。優美な建築と切り立った断崖が織りなす幻想的なこの居城は、月光宮と呼ばれている。
 マルス・バセル一行は最初、旅の貴族と名乗って弔問を申し入れた。が、案の定、門を通る前に宮殿を囲んだ兵士に「有事である」と門前払いを食う。
「例の、メフルの軍ですな」
 ジャミールがバセルに囁いた。本来、月光宮の前庭や式典用の広間、回廊など、内郭の手前までは一般人も出入りできた。予定ではここで王妃付きの女官と接触し、密書を渡す手はずになっていたのだが。
「そもそも外郭より中に入れそうにないな。この様子では他の四つの門も同じだろう」
 ジャミールは配下の者に命じて様子を見に行かせたが、程なくして戻ってきた彼らの報告は予想通りの内容だった。
「一旦、宿に戻って様子を見るか……」
 そうバセルが言いかけたところに、
「旦那がた、月光宮の中に入りたいのか?」
と、声を掛けられた。見れば薄汚れたなりの男が立っていた。肩を丸めて落ち着きなくちらちらとあたりを窺い、バセルたちとは視線を合わせない。
「地下迷宮から入り込む道なら、知ってるぜ」
 バセルとジャミールは顔を見合わせた。男は見るからに信用できない風体だが、
「のんびり構えている時間はない。一か八か、聞くだけ聞こう」
 バセルが決断した。
「危険を感じたらすぐに戻りますよ」
「いずれいくさになるんだ。危険を避けてばかりもいられまい」
 男は月光宮にほど近い市街地の一角、傾斜地に住宅が密集した地域にある井戸へとバセルたちを案内した。井戸は涸れていて、縄ばしごで降りていくと底近くに横穴があり、男はその中へと進んだ。
 地下通路は天然の洞窟と人口の隧道とが混ざり合って、深く長く続いている。ところどころに先程入ってきたときのような縦穴が開いている。
「何年か前、大洪水が起きたんだ。その時、この隠し通路から、地下迷宮に幽閉されていた奴隷がわんさか逃げ出したんだ。その中には王子様もいたって話だ」
 先導する男が説明する。よく見れば、男はぱっと見の印象よりも若いらしく、肌には張りがあって身のこなしもしなやかだ。
「俺には兄貴がいてさ。兄弟が多すぎて、何番目の兄貴かは忘れたけどな。兄弟の中じゃあいっとう頭が良くて、宮殿で働いていた。誰も信じてくれねぇけどよ、兄貴は王子様の付き人だったんだ。陰謀か何かで王子様が幽閉されて、兄貴は何年も一緒に幽閉されていた。洪水の後、王子様は亡命したらしいけど」
 その時、ひときわ大きな縦穴の下に出た。その井戸は涸れておらず、下方には豊かな水がざあざあと渦巻いて、底の方に大きく開いた横穴から漆黒の滝壺へと流れ落ちている。
「兄貴は逃げ遅れて、あの滝の底に流されていったそうだ。一緒に逃げた奴隷仲間が教えてくれた」
 更に地下を進んでいくと、通路はだんだんと広くなり、やがて広間のような場所に出た。
「この上はもう月光宮の中だ。洪水の前は厨房だったはずだが、今は無人のはずだ」
 男はどこからかはしごを出してきて、天井に空いた抜け穴にかけた。
「お前はなぜ、この場所を教えてくれたんだ?」
 ジャミールに礼金を手渡された男は、ところどころ抜けた歯を見せて笑って言った。
「金だよ。あんたみたいなやつがいるから、商売になるんじゃねえか」

 女王ニケはかつてより、武装した女官を多数従えていた。月光宮にいる女兵士は彼女たちのみなので、見ればそれとわかる。月光宮に潜入したバセルたちは、人目を避けながら女兵士を探し、接触した。幸い、国王崩御から女王戴冠まで立て続けに起きたために、宮殿内は浮足立っていた。儀式に関わって用人の出入りも倍増し、普段とは異なる動きの中で、見慣れないイシュラヴァール人を気に留めるほどの余裕のある者はいなかった。
「こちらでお待ち下さい」
 女兵士に案内されて、バセルたちは宮殿の奥まった場所にある一室に通された。程なくして現れた女王は、バセルを見て目を細めた。
「ご立派におなりじゃの、マルス・バセルどの」
 バセルが膝を折って礼をとり、ジャミールたちがそれに倣う。
「ああ、よい、お立ちくだされ。動乱の折、よくぞ参られた」
 そう言って女王はバセルらに椅子を勧め、自らも座った。
「なにぶん我らもこのような状況での。ろくに接待もできぬ。許してくだされ」
「滅相もない。女王陛下に置かれましては、国王陛下を亡くされ、ご心痛お察し致します」
「気遣い有り難く受け取ろう。だが時間がない、本題に」
 バセルは頷いて合図すると、ジャミールが進み出て女王の横の女官に密書を手渡した。女王は女官からそれを受け取って目を通す。
「なるほど……イシュラヴァール王がとうとう旗を揚げるのじゃな」
 アルナハブ王国はバハルによる新政権を認めていない。よって、ニケ王女の言う「イシュラヴァール王」とはマルスのことである。
「そなたの軍が我が国の港より上陸し、われの軍とともに陸路でアルサーシャを攻めるとな……じゃが、海軍は」
「メフル王子ですね?」
「あやつは海軍を私物化しおって……そなたらの軍を上陸させよとて、命令を聞くかどうか」
 ニケ王妃が嘆息する。
「そこは、我々も多少の犠牲は想定しております。なるべく損失の小さい形で、海軍を女王陛下のお手にお渡しできるよう」
「メフルから海軍を奪い返すと?」
「陛下さえご決断くだされば」
 親子とはいえ、いまや政敵と変わらない立場にある。バセル軍が女王についてメフル王子の海軍に勝てば、対抗勢力への牽制になるだろう。加えて、メフルの母は側室だった。ニケ女王の直接の息子ではない。
「――相分かった。兵を貸そう」
「感謝申し上げます……!」
 ここに、バセル――マルス軍とニケ女王の同盟が成立した。
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