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前編
龍ノ川王家の事情
しおりを挟むそこに咲くのは美しい紅の華。その龍の名は紅蛾。紅龍の一族の美しくも可愛らしい娘。その美しさで、幼い頃より皆に愛でられたが、皆に可愛い美しいと微笑まれる日々に、幼い彼女は半場飽きていた。
大人のつまらない社交パーティーで出会った年下の婚約者、龍王の第二子。まだ実際に顔合わせはしていない、しかし、写真では見た事があるから間違いない。
王は来賓と会話を交わし、兄は他の大人に囲まれて談笑しているその中で、一人で寂しそうな顔をしている彼。そんな彼が目に映った途端に、心がときめいたのだ。
あれから数百年の時が経ち、地下牢の中には、彼が座っている。
「紅蛾……」
覇白がちらりとこちらを見る。あの時と同じ、一人になって寂しそうな目をしていて、その瞬間、心の中にある何かが弾ける。
「あぁ。やっぱりの貴方、とっても最高よ覇白」
父を怒らせたと考え、ずっと逃げていた。何故怒らせたか? 王の宝を燃やしたからだ。
では何故燃やした? あれ程父に迷惑はかけまいと我慢してきた彼が。それはなにより、婚約者にそう言われたから。
そうして彼は取り返したつかなくなった事に気が付き、自暴自棄になって逃げた。その罪の清算が、やって来たのだ。
半場諦めているのだろう。しかし、その次の瞬間に彼の表情が変わり、勢いよく身を引く。何か熱いにでも触れたかのような反応には紅蛾も違和感を持ち、彼の視線の先を見る。
そこには間違いなく、ここにいるはずもない人の子がいた。明らかに不機嫌そうに、紅蛾を見ている。しかし紅蛾には何も言わず、檻の前まで行き、覇白を見る。
「白刃……何故、ここに……?」
「お前は、俺の玩具だ」
問いかけには答えず、まっすぐとそう告げる。これは、同意を求めているのだろうか。じっと見つめて、そのまま何も言わない。
何かに押しつぶされるような、そんな本能的な感覚がする紅蛾。それを誤魔化すために、強気に出てみる。
「待ちなさい、人の子風情が何を言っているの?」
しかし、今の白刃は冗談にならない程に不機嫌だった。
「うるせぇな。こいつは俺のモノだ、手を出すな」
強気を跳ね返す、その不快だと言う事を隠そうともしない短い言葉で、あっという間に彼女の威勢もねじ伏せた。
白刃の様子が違う事には覇白も気付いた。慌てて立ち上がり、声をかける。
「白刃! すまなかったから、そんな怒らないでくれ! お前すっごい怖いぞ!」
「あ?」
「ひっ……いや、その」
こんなに不機嫌なのは初めて見た。本当に怖い。
白刃が檻の格子に手を伸ばし、それを掴む。ぐぐーっと開くように力を籠めれば、鉄であることが嘘のようにすんなりとその道を開ける。
「出てこい。仕置きは後でしてやる、元より今夜は、遊んでやるつもりだったからな」
戸惑っていると、白刃は我慢できずに睨みを利かす。
「早く」
「わ、分かった!」
何なんだ、やはり逃げたから? だからこんなに不機嫌なのか? そうなら自業自得なわけなのだが、それにしてもだ。
「もう一度言うぞ、お前は俺の馬で、俺の玩具だ。間違えるな」
「は、はい」
威圧に耐え切れず、即に頷く。何か口を出して来るかと思われた紅蛾も、視線を逸らしていた。
刃向かう事なんて出来る訳が無い。この本能的な危険信号は普通じゃないのだ。
「あ、貴方、本当に人の子なの?」
龍の高いプライドやらなんやらをねじ伏せて、その意を突き通すその圧は、どう考えても人の子が出せるモノではない。出来るとしても、超越者くらいだろう。百歩譲って遺脱者も可能かもしれないが、人の子では説明が付かない。その二種類のどちらかだ。
そうでなければ、何故こんなにも一瞬で抵抗が出来なくなると言うのだろうか。
震えた声での問いかけに、白刃は微笑む。
「何をおっしゃいますか、私は本当に、ただの人ですよ」
覇白を手にして機嫌が直ったのだろう。いつもの外面で答えて見せると、震えた二人に不思議そうな顔をした。
紅蛾は白刃から一歩引き、ばっと広げた扇で口元を隠す。
「覇白。この子には敵いそうもないから、私は身を引くわ。お幸せにね」
「あぁ、そうしてくれると有難い。これ以上は、私も怖い」
紅蛾は足元から風を巻き起こし、龍の姿になるとすぐさまそこから駆けていく。
「あぁ、もう少し話したかったのにな」
お前正気かと、あの状況で続けてお喋り出来るわけないだろと、その言葉がのどまで上り詰めていたが呑み込んだ。
人の子が使える訳もない、龍をねじ伏せられる程の覇気。無意識なのだろう。そりゃかつての大悪党も従える訳だ。いい意味でも悪い意味でも、将来が怖い。
そこまで考えたところで、最も肝心な所に気が付いた。そもそもの話、何故ここに白刃がいるのか。ここは龍ノ川。龍ノ川は所謂天空都市であり、上空にある。瞬間移動の術にも限度があるだろう。
尖岩のあの良くわからない雲みたいな乗り物で来たのかもしれない。と言う事は、あの三人も一緒だ。
「とりあえず、馬になれ」
「え、ここでか?」
「うん」
何の迷いもない返答だ。しかし、考えても見てほしい。ここは龍ノ川、覇白で言えば実家だ。馬になるという行為は知り合いに見られていない事を前提で腹をくくった結果であり、実家では普通に嫌だ。
しかし、これは拒否権がなさそうだ。
覇白は風を起こし、白馬の姿になる。
「何をするつもりだ?」
薄々分かっているが、尋ねてみる。
「お前の父親に話に行く」
あぁやっぱり。声にはせずに呟いて、大人しく従う事にした。
馬の姿なら自分だとバレる事もないだろう。何も言わずにしていればいい、それだけだ。
「しかし白刃、あまり父上の癪に障るような事を言うなよ」
「分かっている」
流石に白刃でも、初手で馬の覇白を示して「こちら、貴方の息子さんです」と爽やかな笑顔で言ったりはしないだろう。
龍王は、龍の姿で空に飛び、広大な空を眺めていた。
「龍王様、お話よろしいでしょうか?」
声をかけると、王は白刃に気付いて地上に降り、人の姿に変わる。
「君は、人の子か。観光かね」
「半場そんな感じです」
「そうであるか。それで、私に何用だ?」
「あぁ、はい。その事なのですが」
黙って二人の会話を聞いていた覇白。その背に白刃の手が乗り、そちらに視線をやる。
「こちら、貴方の息子さんです」
その一瞬だけ、脳内がフリーズした。同じく龍王も、状況を理解しかねるご様子。
それにしても、ピンポイントだ。流石に無いかと跳ね飛ばした想定が、猛スピードで戻って来た。それはもう、豪速球だ。世界記録も狙える。
「おい白刃! 何を言っているんだお前はっ」
思わず声を出してしまい、咄嗟に黙る。しかし今のは間違いなくはっきりと聞かれただろう。それは、龍王の驚いた表情を見れば誰でも分かる。
少しの間目を見開いていたが、龍王は険しい顔になると白刃に尋ねる。
「人の子、お主は白刃と言うのか」
「はい、白刃と申します」
白刃は怖気づくことなく答えた。
「分かった。問うが、白刃よ、その意はなんであろうか」
「単刀直入に言いますと、死罪にする気なのであれば、私に譲っていただけないかと思いまして」
「譲る、か」
「えぇ、その通りです」
相手の真意を確かめるように、龍王は白刃を見ていた。その後に、目を伏せて首を横に振る。そして再び白刃を見ると、ゆっくりと語りだす。
「人の子には分からぬかもしれぬが、龍にも龍なりのけじめと言うものがある」
「一度罪を犯した者は、放置すればその罪が魔となり地に堕ちる。かつて、欲に負け罪を犯した龍がいた。その龍はやがて魔の者に成り果て地に堕ち、人の子に狩られた。これが龍にとってどれほど屈辱であるか……」
「誇り高き龍の第二王子がそんな末路を辿ってはいけない。であれば、そうなる前に終わらせねばならぬ。龍の今後にも関わるその一件に、王の私情は混ぜてはならないのだ」
龍王のこの考えは、確かな心配でもあった。
宝を燃やした第二王子のその罪も、龍が堕ちるには十分なモノであると考えられた。魔の者に成り果て殺されるくらいなら、龍であるうちに殺さねばならない。
白刃は頷き、言葉を返す。
「なるほど。龍王様、貴方のご心配はよくわかりました」
「まず前提の話として、魔の者に堕ちる条件ですが、多くの者が一つ勘違いしていることがございます」
「魔の者は悪道を極めた者が堕ちるモノといいますが実際の所は少し違います。魔の者は、誰しもが持ち合わせる『魔』を持ちすぎて制御が効かなくなり、それに呑まれる事によって発生します」
「だから、どんなに名を語り継がれる大悪党でも、それだけでは魔に堕ちないのですよ」
白刃がちらりと視線で示した先に、ぱっと見では紛れてよく分からないが、よく見れば尖岩が饅頭を頬張って、山砕と鏡月とはしゃいでいるのだ。
悪道を極めた者が成り果てるのであれば、彼は堕ちてなければ可笑しい。今ではあんなのだが、かつては多くの魔の者をたぶらかし、猿や自身の能力を使って大暴れしたのだ。これが悪道以外の何であろうか。
問題は、心の中の魔を支配出来るかどうかである。
「その龍は己の魔に負け罪を犯した。そのまま制御が効かなくなり、堕ちてしまわれたのでしょう」
「そもそもの話、覇白が宝を燃やした事は、魔があっての事ではないそうです。それによって堕ちる心配はまずないかと思われます」
これも確かな事実。王である彼は知らないのだろうが、何せ覇白は婚約者を愛するがあまり彼女の言いなりになったのだ。
「それでも、彼を切り捨てますか?」
王を見据え、そう尋ねる。
「うむ……」
龍王は馬の姿をした息子に目をやり、考える。そして、彼は己の息子たる覇白を呼び掛けた。
「覇白よ」
「はい」
声をかけると、覇白は人の姿になる。
今度こそ、答えるとしよう。それがどんな問いかけでも。
「『龍である事に誇りを持ち、尊きを貫く』。龍の志を徹する事が出来ると、龍王たる私に誓えるか?」
「はい。誓います」
その答えを確かめるように覇白を見て、頷いた。
「……分かった」
「その誓い、信じよう」
「宝を燃やした事は、時効という事にしてやる。元より宝の中では価値は低めだ、今のお前の状況で十分償ったと言えよう」
「これから先は、お前の好きにしなさい」
龍王は、小さく微笑むと返事を聞かずに去っていく。あの笑みは、おそらく無意識のモノだっただろう。
赦された。その事実は確かなものだ。
「よかったな」
「あぁ」
一通り終えたところで、三人が丁度こちらにやってきて、二人に「終わったかー?」と声をかけてくる。
龍ノ川お土産の定番名物、白龍饅頭の袋を持って、山砕は鏡月に餌付けをしている。これからやる事は、ご飯にしてからにしよう。まずは空きっ腹を埋める事からだ。と言っても、尖岩は先ほど食べた饅頭で既に腹六分目くらいなのだが。
龍王が城に戻ると、先に司白が待っていた。王の姿を目にした時、彼が口を開いたが、その声が出てくる前に龍王が告げる。
「覇白の処罰は、無しになった」
その一言で司白の表情が明るくなる。
「ありがとうございます、父上」
「これに関しては、礼を言う相手は私ではない。白刃という人の子だ」
「白刃、ですか」
「あぁ、あやつは将来とんでもない者になるだろうな。龍を馬として使っている。いい意味でも、悪い意味でも。超越者宛らだ」
自身の椅子に座り、あの末恐ろしい人の子を思い返す。
覇白も列記とした龍であるから、自身のプライドはとても強いモノだろう。しかし、彼はそれを馬にした。龍からすれば、とんでもない人間のご登場だ。系統は全く違うが、それはどんなモノも従える、かの「超越者」のように。
「では失礼します、父上」
「あぁ」
弟の死罪が無くなり安心した司白は、頭を下げると龍の姿に戻り部屋から去る。部屋で一人になると、王はホッと息をついた。何故ここで安心したのだろうか、思い当たる節はあったが、気が付かないふりをして仕事に戻った。
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