楽園遊記

紅創花優雷

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前編

龍の主

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 異世界という言葉は、度々耳にする。例えば鏡月が貰った銃とやらもそうだ。そして山砕が着ている服、そこに書かれているのはおそらく文字であろう「猪」の一文字だ。これもまた、異世界の品だ。
 では、その異世界は何処にある? 一体何という名をもって、どういった人間が住んでいる? それは誰も知らない。強いて言うなら、超越者のみが知っている事であろう。
「ふわぁ……久しぶりに熟睡したな……」
 早朝、尖岩が起き上がると、昨晩白刃の相手をしていたであろう山砕の姿が見えない。
「白刃、三歳児は?」
「散歩してる」
 散歩なんて質じゃないだろうに。そう思い自分もちゃちゃっと着替えて外に出る。こんな朝だ、山砕の大好きな食べ物屋さんはまだやっていないだろう。
 近くの堅壁から、弟子たちの揃った掛け声が聞こえる中、そこらをぶらぶらと探してみる。すると、奴は木の上にいた。
「おー三歳児。朝っぱらから木登りかぁ?」
 声を掛けてみると、山砕は気から飛び降り、答える。
「猫ちゃんの魂と、会えたりしないかなーって。思ってさ」
 空を見上げて話した山砕は、いつもより静かで、寂しそうにも見えた。あの子の愛称、猫だったんだなぁと思いながら、尖岩は何と言ってやればいいかを思考する。とは言え、考えなくとも答えはあった。
「そっか。それで、奥さんとは会えた?」
 下手な慰めはいらない。悪戯っぽく笑うと、山砕は微苦笑して言葉を返した。
「訊くなチビ」
「チビっていう方がチビだ、この三歳児」
 それから尖岩は一つの提案をする。山砕が二番目くらいに好きなアレだ。
「街から外れたら、いっちょやるか」
「あぁ。今度こそ勝つ」
「やってみろよ」
 軽く拳をぶつけ、二人は部屋に戻る事にした。あまり出ていると、白刃に逃げたと判断されかねない。そうなるとまた遊ばれてしまうだろう。それも悪くないかなと思えている自分が怖いが。
 そう遠くには出ていなかったため、直ぐに戻った。時間とすればほんの十分程だっただろう。
 部屋に入ると、真っ先に目に入った。鏡月が震えながら白刃に抱き着いて、それを犬の姿の覇白が心配そうに見ている光景。
「どした鏡月、そんな震えて」
「怖い夢でもみたの?」
 二人がそばによると、未だにビクビクしながら答えてくれる。
「そ、そんなところ、です」
「そんな怖かったのか。はは、なんか昔の山砕思い出すなぁ」
「黙れチビ助。鏡月、大丈夫? どんな夢見たんだよ」
 鏡月は少しだけ落ち着いたようだ。訊いてみると、少し間を開けてから答える。
「夢の中で、父と母と一緒にいました。叔父や祖父もいて、僕もいたんです」
「けど、気が付いたら両親と祖父が死んでいて。僕が、殺していたんです」
「僕がやったのは、夢でも現実でも、間違いありません。だけど、改めてそれを自覚すると、怖くって……」
 鏡月が怯えているのは、何より自分自身のようだ。
 確か、白刃が思考の寄生虫がどうこう言っていた。人を殺めた事も、それを食った事も全てそれのせい。だからと言って全てを言い逃れできるわけではなく、それができるほど鏡月は割り切りがよくなかった。
 見ないようにしていた事がどうしてこうも夢に出てくるのだか。ひとまず落ち着いた鏡月は、白刃に一言謝る。
「すみません、白刃さん」
「気にするな」
 答えると、軽く撫でてやった。そこで何か気になり、手首を握る。そこで確信した。
「鏡月」
「はい?」
「今から一度だけ、お前を殴る。痛いだろうが、一瞬だけ我慢しろ」
 何の前触れもない申し出に、一瞬皆が困惑した。
 何故ここで殴るという選択肢が出てくるのか。怒っているとかそういうのではないのは確かだが、何が何だか言ってくれないと困るってもの。しかし、何かはあるのだろうと鏡月はそれを受けいれた。
「え、あ、はい。どうぞ」
「どうぞじゃないだろ。何がどうでそうなって――」
 尖岩が言い切る前に、白刃は直ぐに鏡月の腹を殴る。しかも、割と強めに。
 鏡月が唸ると、殴られた腹部の反対側から黒い靄が飛び出し、逃げていく。あれは、魔の者だ。
「当たりか。一回堕ちかけた事もあって、宿りやすいようだな」
 と言うことは、これのせいで鏡月がそんな夢を見たという事か。それを説明してからやってほしかった、地味に心臓に悪い。
 それはそれとして、何故魔の者が鏡月の中にいるのか。十二下りの森で十二歳若返ってしまったのも魔の者の仕業であったらしいが、それ以来魔の者に接触したりした記憶はない。
 気になった尖岩が訊いてみる。
「え、いつそんなの引き連れたんだよ? 陰壁のお師匠さんに取っ払ってもらったあと、何もなかったよな」
「何もなかった。が、少し頭のいい魔の者なら、そこに魔があれば忍び込んでくる」
「魔の者っていうのは、基本は影だけの存在。人を襲ってもそれに何かを見出しているわけでもない、欲に溺れ操り切れなくなった奴の成れの果てだ。だが、勿論例外もある」
「ま、ろくな人間性は失っているのは変わらないが」
 そういうと、白刃は尖岩を目にして笑う。
「魔の者使って暴れたくせに、知らなかったのか」
 これは馬鹿にしているのか。八割方そうだろう。
「そりゃ知らないぜ。遊んでたら勝手について来たから、使ってみただけだ」
 そう返し、何となく思い出す。あの時はテンションが上がっていたため何も思わなかったが、一般的に言われる魔の者らしくなかった。
「けど確かに、あれが意思も何もない奴の行動には見えないな」
「まぁ意思がない奴が人の言う事聞いて暴れるわけもないか」
 もふもふした可愛らしい犬が頷いた。そう言えば、まだ犬の姿なんだと。嫌がっていたのに、案外気に入っているのかなんて思いながらそれとなく訊いてみる。
「覇白、お前まだ犬なの? そろそろ戻れば?」
「そうだ。白刃、許可を求む」
 覇白も好き好んで犬でいるわけではないようだ。わざわざ白刃に許可を求めた。好き勝手変われるのだから変わればいいのにと山砕が首をかしげると、白刃はわざとらしく理由を尋ねた。
「ふーん。なんで?」
「分かっているだろう、言わせるな」
 この事実は、あまり知られたくない。そして白刃も薄々気が付いているはずだ。わざわざ言わせるなと断ってみたが、あっさりと打ち返された。
「言え」
 そのたった二文字に、有無を言わせぬ圧があった。
 とても逆らえそうにはない。だから、覇白ははっきりと口にした。
「お前が、私個人の主になったからだよ」
「つまり?」
 これだけでは許してくれないようだ。
「……本来龍の主は超越者だが、今やそれはあまり関係ない。だが、使役していたころの遺伝子は引き継がれている。何度か聞いただろう、龍の本能だ」
「それが、お前を主だと定めたのだ」
 これを口にすれば本当に認めた事になる、だから言いたくはなかった。白刃はそこも分かって言わせたのだろう、何となく伝わった。
「もう分かっただろ! いいから早く外せ」
「分かった、来い」
 とことこと足元まで寄って、取ってもらう。外れたことを確認すると直ぐに人の姿に化けた。
「お手」
「はい……ん?」
 言われた言葉に反射で応えたが、それが可笑しいと気が付くと、白刃が笑っているのが見える。
「ほんと、素直だな」
 何を思っているのか、いい子いい子とされた。年下に、しかも一応血縁者なのだ。これは龍の、というより大人として云々の話だ。
「そっ、そういうのは尖岩にやってくれ!」
 勢いで尖岩を示すと、まさか今自分に矛先が向くとは思っていなかった尖岩。
「なんで俺なんだよ! そこは山砕にしろ!」
 驚いて、隣にいた山砕を指さした。
「もっと何でだよ! そこは鏡月だろ?」
 この二人にも一応年上としての云々は持っている為、最終的には必然と鏡月に向かったわけだ。
 しかしながら、その必死さが子どもらしいと言う所には気が付いていないようだ。まぁそういう所が面白いのだが。
「いいから、早く準備しろ。そろそろ行くぞ」
「はいよー」
 五人は宿から出て、覇白が思う方向に進んでいった。なんとなく、この西の方面にある気がする、そんな龍の勘だ。
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