楽園遊記

紅創花優雷

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中編

海を濁し、家族を愛す。

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「おれ、おれの名前好きじゃない」
 名前を尋ねると、傷だらけのその子は俯きながらそう答える。
 自分の名前が好きじゃない。特段に珍しい事ではない。例えば、男なのに名前が女っぽいから好きではないと言ったケースも見た事があるし、その逆もある。しかし、この子の場合はそれとはまた違った事情だろう。
『そっかぁ。けどなぁ、名前分からないと僕も呼び方に困るんだよねー』
 腕の傷の手当てをしながら、超越者は言う。言いたくないのなら無理に言わせるモノではない。本人が口にしなくとも、魂に浸透したその名は筒抜けだ。
 消毒液が染みたようで、ぐっと顔を歪める。そんな彼に、超越者は問うた。
『君は、海は嫌い?』
 そうすると、その子はふいっと目を逸らし、吐き捨てるように答えた。
「嫌いだ。海も、おれにその名前を付けた母さんも。全部、嫌いだ」
 超越者は少しだけ手を止め、苦虫を噛み潰したかのような顔をする彼に言う。
『僕は好きだけどなぁ、海。全世界には、この僕ですら知る事すらできていない何かがあるって、そう思えるんだ』
 その後に小さく笑って、幼い彼に目を合わせる。
『だけど、君がその雄大な海を嫌いだと言うのなら。壊しちゃえばいい』
 その子は、何を言っているのか分からないと首をかしげた。
『ここの海の水はとても綺麗だ。澄んでいて、奥まで見える。だけどね、君がそれを嫌うなら、濁らせちゃえばいい。あ、本当に汚しちゃ駄目だよ? 飽く迄も気持ち的な話』
 そうして超越者は、巻き終わった包帯を切る。
『はい、治療終わったよ。色々面倒だけど、治るまでは我慢してね』
 自分の言った事の理解が出来ていないのだろう。ぽかんとしているその子の頭を撫で、笑いかける。
『きーめたっ! 僕が君に新しい名前を上げるよ。ふっふー、光栄に思いな! 超越者様直の名づけ、前代未聞だぞ!』
『いいかい? 君は。今日から君の名前は、汰壊だ』
 まぁ発音はほぼ同じだけどね、と超越者は苦笑いをする。しかし、その名は彼の心に大きく響いていた。
 雄大な海を嫌い、その名を憎むのであれば、濁して壊してしまえばいい。綺麗な海に穢れを与え、大きな声で「ザマァ見ろ」と嗤ってやればいい。
 そう教えたのは、超越者なのだから。


「「とうさん!」」
 元気な二つの声が、同時に自分の事を呼ぶ。振り返ると、そこには明らかに楽しんできたのであろう様子の双子が、笑顔で立っていた。
「金砂に銀砂! お前等何処行ってたんだよ、探したんだぞ」
 駆け寄ると、双子は悪びれる素振りもなく報告をする。
「「お祭りでいっぱい食べた! 美味しかった!」」
「だけど僕達、牛肉のステーキは食べなかったよ! ね、銀砂」
「うん、食べなかったの! 僕達、偉いでしょ?」
 褒めろと言わんばかりの報告の仕方だ。こういった所は子どもらしいのだが。しかし、そんな風に気を遣わせるのは心が痛む。子どもは食べたいものを食べたいように食べて欲しい。
「いや、別に俺個人が食べないだけで、お前等は好きに食っていいんだぞ。我慢しなくていいんだからな?」
「けど、とうさんこの前、かあさんに牛助食べられてショック受けてた。だよね、銀砂」
「泣きそうになってたもんね、金砂」
 あまり子どもに見られたくない所を見られてしまったようだ。
「そんな所見ていなくていい! 全くぅ……。ほら、歯磨いて寝ろ。もう夜中だぞ」
「まだお土産話残ってる!」
「お話したい!」
「明日扇羅と一緒に聞いてやるから、な? 虫歯はいってぇぞぉ?」
「「痛いの嫌!」」
「じゃあ歯磨いて来い」
「「うん!」」
 双子は歯磨きをするために台所の方に駆ける。しかし、そのあと直ぐににゅっと顔を出し、釘を刺した。
「けど、寝る前にお話し聞いてね?」
「絶対だよ?」
「はいはい、分かりましたよ」
「「やった! 言質ゲット!」」
 嬉しそうにそんな事を言いながら、歯磨きを水に濡らす。歯磨き粉は付けない、だって、辛いから。
「言質って、どこで覚えたんだよその言葉……」
「とうさんが教えてくれたんだよ。ね、金砂」
「うん。とうさんが言ってたんだよ。ね、銀砂」
「んな物騒な言葉をお前等に教えた覚えはありません!」
 妻が「うるさいわよ!」と怒鳴り込んでくる五秒前だった。

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