かぐやくんが兄様を月に持って帰るまでの話

ベポ田

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最後の夜

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 かぐやくんは兄様を避けるようになった。
 と言うよりかは、引きこもるようになった。俗世の全てを拒絶するように、襖は固く締め切られていて。
 昔のように戻ってしまったかぐやくんを見て、年老いた両親は「何か知っているか」と兄様に尋ねた。兄様は「知らない」と答える。両親に嘘を吐くのは後ろめたかったけれど、肉親とすら、あの出来事を共有する気にはなれなかった。

 ある夜縁側を歩いていると、かぐやくんが、いつかのようにぼうっと月を眺めていた。肌は死人のように青白く、前の比にならないほどに痩せこけている。青白い月の光も相まって、いつ掻き消えるかも知れない、蝋燭の炎を彷彿とさせる儚さだった。
 攫われてしまう、と、反射的に思った。
「おい」
 思わず声を上げて、すぐに言葉を呑む。自分が何を言おうとしたのかも分からなかった。
 かぐやくんは何か言いたげに兄様を見つめて、暫くしてまた部屋に篭ってしまった。
 その後、度々縁側で月を見上げる彼の姿を見かけたが、かぐやくんに話しかけることはできなかった。

 そんな調子なので、「兄様」という声を聞いた時、それは夢なのだとすぐに分かった。
 ふっくらとしたほっぺたに、大きなどんぐり眼。幼い頃のかぐやくんは、兄様の知る限りこの世で最も愛らしい生き物だった。
 だから、そう。「助けてください兄様」と縋られると、何が何でもそのお願いを聞き届けてやりたくなる。
「たすけてください兄様。穢れてしまいます」
 かぐやくんはやってきたその夜、用意された膳をひっくり返し、兄様に縋った。「好き嫌いはいけないよ」と辛抱強く叱る両親に、ひたすらいやいやと首を振り、「穢れてしまいます」「戻れなくなってしまいます」と泣き喚く。
 なけなしの米を粗末に扱われても、両親の手料理を、「穢れたもの」と拒絶されても、兄様は腹が立たなかった。否、怒りは確かにあったけれど、何より、この可愛い子の願いを聞き届けてやらねばならないと云う使命感が勝った。
 結果、ひっくり返された飯を掴み、うまいうまいと食べ始める始末。
 両親を悲しませず、かつ食べ物を無駄にせずにかぐやくんを助けようと、幼いなりに知恵を振り絞った結果だった。
 まともに見ていると気が狂いそうな光景ではあるが、何が琴線に触れたのかかぐやくんは泣き止んだ。のみならず、後日から「穢れている」はずの飯をペロリと平らげるようになったのだ。
「兄様が食べている物は、全ておいしそうに見えます」
 そう言いながら干しあわびをぶんどってくるかぐやくんは、憎らしくも愛らしい、たった一人の弟だった。

「兄様」

 夢の延長だろうか。
 自分を呼ぶ弟の声に、意識が浮上する。頬を伝う涙の感触に、すぐにそれが夢ではない事を悟った。
 寝ぼけ眼を擦るついでに、涙を拭う。
 ぼうっとしているようで、変な所にめざとい弟の事だ。泣いていた事に気付かれると、夢を見て夜泣きしたと白状する羽目になるかもしれない。
 そしてすぐに、今はそんな懸念を抱くような距離感ではない事を思い出す。
 同時に押し寄せてきた、苦い気まずさ。
「兄様、起きているのでしょう」
 狸寝入りを決め込んだ直後に咎められ、兄様は渋々と上体を起こした。
「何のようだ、こんな時間に」
 縁側の障子に伸びた影は、やはり、紛れもなくかぐやくんの物だった。昔は無遠慮に開けて入ってきていたのに、今は許可を待つように障子の前に佇んでいる。
「…………この歳で夜泣きだとは言うめぇな」
 襖を開けた先。睫毛が触れ合うほどの至近距離に、美貌が鎮座していた。思ったよりも近くに立っていた青年に仰け反りつつ、兄様は顔を顰める。
 腕を組んで、月を背負ったままぬぼっと佇むかぐやくんを睨め付けていた。
「挨拶をしにきました」
 やがて落とされた言葉を、兄様は「挨拶ぅ?」と復唱する。かぐやくんの伏せられた瞳が、思い出したように、生き物らしく瞬いた。
「はい、俺は月から来たので」
 かぐやくんが断ずる。兄様はかぐやくんの瞳孔を覗き込み、正気である事を確認すると、「添い寝をするか?」と言った。
「寝言ではありません」
「じゃあ寝ぼけてるんだ。お前、ろくに眠れていなかったろう」
「寝ぼけているわけでもありません。でも添い寝はしてください」
「最後のはなんだ、最後のは」
 かぐやくんは不服そうに眉を寄せる。まるで平生の彼のような表情に、どこか安堵しながら兄様は息を吐いて。「俺は月で罪を犯しました」という告白に、また頭を抱えた。
 曰く、月で罪を犯したので罰として下界に来ていたこと。曰く、必死に引き延ばしていたが、もう今夜には帰らなければならないこと。淡々と告白して、かぐやくんは小さく顎を引いた。
 兄様は兄様で、かぐやくんを見てきた期間は短くない。その告白自体の真偽はさておき、かぐやくんが本気で物を言っている事だけは一目で分かった。
 茶化すべきではない。その不誠実が招いた結果が、あの軋轢なのだ。
「…急すぎるだろ」
 結果転がり出てきたのは、そんな間抜けな言葉だった。
「悪趣味な冗談を言うほど、婿入りが嫌だったか」
 嗜めるように言うと、かぐやくんの目が皿のように見開かれる。感情が見えにくい男ではあったが、兄様は今ほどかぐやくんの感情を測りかねたことはない。結果、その先の言葉を大人しく待つことしかできなくなってしまったわけで。
「……兄様は、俺を惜しんで下さるのですか」  
 どうにも的外れな反応が返ってくる。
「月には……その、会いに行けないからなぁ」
 上滑りするような心地のまま、頬を掻いて答える。見開かれたままだったかぐやくんの瞳が、とろりとたわんだ。心底嬉しそうに、「ええ、ええ」と言葉を継いで。満月を背負ったままどこか上機嫌に頷くかぐやくんの笑みは、やはり初めて見る種類のものだった。
「だから兄様を訪ねた次第です」
 蕩けるように微笑む。一歩後退った兄様の手を、人並みならぬ速度と力で掴んだ。

「兄様も一緒に連れて行きます」

 興奮に見開かれた双眸の真ん中に、ぽつんと望月が浮かんでいた。
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