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Ⅳ、着実に進む決戦への準備
41★その頃サムエレは
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高速で宙を飛ぶ風魔法「風纏颯迅」で逃げ出したサムエレは、瀟洒な屋敷が立ち並ぶ帝都のメインストリートに降り立った。うしろを振り返り追手がいないことを確認すると、手近なカフェにすべり込む。
入り口近くのバーカウンターでコーヒーを一杯注文してから、
「魔石救世アカデミーってご存知ですか?」
カウンターの中でコーヒーを淹れる店員に尋ねると、
「もちろん。お客さん、帝都は初めてかい?」
「ええ。今日着いたところです」
「なら知らなくても無理はない」
店員はサムエレの前に湯気の立つコーヒーを置いて、
「魔石の新たな可能性を研究している団体で、魔石本来の力を引き出すことに成功すれば、我々の生活はもっと便利で豊かなものになるらしい」
第一皇子が外部理事を務めているせいか、店員は良い話しかしない。
サムエレはアカデミーの場所を聞くと、銅貨を支払って店を出た。
彼がクロリンダ嬢の中にいる「彼女」と出会ったのは、昨日の午後だった。
十日ほど前、レモネッラ嬢の怒りをかってぶっ飛ばされたサムエレは、命からがら瘴気の森を抜け出し、近くの宿場町へ逃げ込んだ。
ルーピ伯爵領で着の身着のまま連行された彼は、今夜の宿にすら事欠く有り様だったから、
「僕は多種族連合自治領のモンテドラゴーネ村から旅をしてきた者です」
聖魔法教会の門をたたいて援助を請うた。
「街道を歩いていたら、瘴気の森から現れた魔物に襲われ荷物を落としてしまいました」
「ああ昨日、久し振りに魔物暴走が起こっていたな」
聖魔法教会の老司祭は、サムエレの言葉を信じた。
「僕は村の精霊教会で見習いをしていました。治癒魔法が得意ですので、お役に立てることもあるかと思います。ここに置いてもらえませんか」
「ふむ。異教徒とはいえ行き場のない若者を追い返すのは、異界の神々も望まぬ所業だろう」
慈悲深い老司祭はサムエレを受け入れた。
「しばらく身を置くことを許そう。だが我々の教会で本当に働きたいなら、改宗せねばならんぞ?」
サムエレは神妙な顔つきでうなずいた。心の中では、
(教会に限らず今後、人族領で働くなら聖魔法教会に帰依した方が有利かも知れない)
などと計算高いことを考えていたが。
それからサムエレは他の聖職者と共に、教会へ来る人々に治癒魔法を施すようになった。病気や怪我を治療してもらった人は、それぞれの経済状況に応じた寄付をして帰る。瘴気の森に近いため冒険者が多く立ち寄り、教会の財政はそれなりに潤っていた。
十日ほど経ったある日の午後、
「サムエレ、教会の前に変な魔法医の先生が居座っているらしいんだ」
先輩聖職者が困った顔で、
「教会へ来た冒険者に話しかけて、有償で治癒魔法をかけてるんだと。様子を見てきてくれないか?」
早い話が営業妨害だが、教会は飽くまで施しを与え、与えられた信者が自分の意思で寄付をしているという建前上、追っ払いにくい。だから正式な聖職者ではないサムエレこそ適任だった。
「すみません、聖魔法教会前の広場で商売をするのは――」
石畳に布を敷いて、怪我を治してもらった冒険者から銀貨を受け取っている魔法医に話しかけたサムエレの言葉は、なかばで途絶えた。老人の横に立っている見知った顔に気付いたからだ。
「クロリンダ様……」
かつての雇い主であり、彼と元仲間を地下牢に放り込んだ張本人でもある貴族令嬢を前にして、サムエレは冷や汗が止まらない。
「この街にいらっしゃったとは、どうして――」
「また路銀が尽きたそうじゃ」
「また?」
思わず問い返してしまった。
「うむ。この街へ着くまでも度々魔法医殿の医術で金子を作っておったそうじゃがの」
クロリンダ嬢はこんな話し方だったか? とサムエレは記憶をたどる。濡れた手で背中をなでられたように悪寒が走った。
(お怒りになったクロリンダ嬢が、僕たちをアルバ公爵邸の地下牢に閉じ込めてから一ヶ月も経っていないのに、まるで別人のようだ)
一体何が起こったのかと考えをめぐらせるサムエレの肩に、クロリンダの姿をした女がそっと手を乗せた。
「そなた、何か悩みでもあるのか?」
探るように見上げる視線がサムエレを射抜く。
「あるだろう、言うてみよ」
女は決して視線をそらさない。
「悩み? あるとすればお金がなくて――」
「その悩みは本質ではなかろう。お前の本当の望みは何だ?」
のぞみ、とサムエレは口の中でつぶやいた。
「欲しいものをなんでも手に入れられるとしたら、何が欲しい? 金か、地位か、女か」
クロリンダの姿をした女から目をそらせない。強い酒を飲んだときみたいに、頭に霞がかかる。
「まず僕は仕事が欲しい。こんな見習いじゃなくて――」
「聖職者になりたいのか?」
畳みかけるように女が問う。
「聖職者じゃなくてもいいんだ」
「何にでもなれるとしたら、何がよいのだ? 皇帝か?」
「いや――、むしろ宮廷で働く侍従長かな……」
操られたように言葉をつむぐサムエレを、足元に座った魔法医が怪訝そうに見上げた。女はそんなことには構わず、穴が開くほどサムエレを見つめたまま、
「ふむ。ほかに欲しいものはないのか? 妻なり、恵まれた容姿なり」
「僕の容姿はすでに恵まれている。あんたの目は節穴か?」
サムエレは一瞬、呪縛が解けたように自信に満ちた笑みを浮かべて、さらさらストレートのブロンドをかき上げた。
だが女の次の言葉で、束の間の自信は霧散した。
「では愛しい女は手に入ったか?」
─ * ─
サムエレの「愛しい女」とは誰なのか!?
ジュキ「なんか鳥肌が……」
次回『偽聖女はサムエレの欲望を操る』です!
※老司祭の発言に出てくる「魔物暴走」は、第三章「27、瘴気の森の主、目覚める」~「29、天使の歌声は魔物をしずめ、魔法学園の生徒たちを興奮させる」あたりで起きたことをさしています。
入り口近くのバーカウンターでコーヒーを一杯注文してから、
「魔石救世アカデミーってご存知ですか?」
カウンターの中でコーヒーを淹れる店員に尋ねると、
「もちろん。お客さん、帝都は初めてかい?」
「ええ。今日着いたところです」
「なら知らなくても無理はない」
店員はサムエレの前に湯気の立つコーヒーを置いて、
「魔石の新たな可能性を研究している団体で、魔石本来の力を引き出すことに成功すれば、我々の生活はもっと便利で豊かなものになるらしい」
第一皇子が外部理事を務めているせいか、店員は良い話しかしない。
サムエレはアカデミーの場所を聞くと、銅貨を支払って店を出た。
彼がクロリンダ嬢の中にいる「彼女」と出会ったのは、昨日の午後だった。
十日ほど前、レモネッラ嬢の怒りをかってぶっ飛ばされたサムエレは、命からがら瘴気の森を抜け出し、近くの宿場町へ逃げ込んだ。
ルーピ伯爵領で着の身着のまま連行された彼は、今夜の宿にすら事欠く有り様だったから、
「僕は多種族連合自治領のモンテドラゴーネ村から旅をしてきた者です」
聖魔法教会の門をたたいて援助を請うた。
「街道を歩いていたら、瘴気の森から現れた魔物に襲われ荷物を落としてしまいました」
「ああ昨日、久し振りに魔物暴走が起こっていたな」
聖魔法教会の老司祭は、サムエレの言葉を信じた。
「僕は村の精霊教会で見習いをしていました。治癒魔法が得意ですので、お役に立てることもあるかと思います。ここに置いてもらえませんか」
「ふむ。異教徒とはいえ行き場のない若者を追い返すのは、異界の神々も望まぬ所業だろう」
慈悲深い老司祭はサムエレを受け入れた。
「しばらく身を置くことを許そう。だが我々の教会で本当に働きたいなら、改宗せねばならんぞ?」
サムエレは神妙な顔つきでうなずいた。心の中では、
(教会に限らず今後、人族領で働くなら聖魔法教会に帰依した方が有利かも知れない)
などと計算高いことを考えていたが。
それからサムエレは他の聖職者と共に、教会へ来る人々に治癒魔法を施すようになった。病気や怪我を治療してもらった人は、それぞれの経済状況に応じた寄付をして帰る。瘴気の森に近いため冒険者が多く立ち寄り、教会の財政はそれなりに潤っていた。
十日ほど経ったある日の午後、
「サムエレ、教会の前に変な魔法医の先生が居座っているらしいんだ」
先輩聖職者が困った顔で、
「教会へ来た冒険者に話しかけて、有償で治癒魔法をかけてるんだと。様子を見てきてくれないか?」
早い話が営業妨害だが、教会は飽くまで施しを与え、与えられた信者が自分の意思で寄付をしているという建前上、追っ払いにくい。だから正式な聖職者ではないサムエレこそ適任だった。
「すみません、聖魔法教会前の広場で商売をするのは――」
石畳に布を敷いて、怪我を治してもらった冒険者から銀貨を受け取っている魔法医に話しかけたサムエレの言葉は、なかばで途絶えた。老人の横に立っている見知った顔に気付いたからだ。
「クロリンダ様……」
かつての雇い主であり、彼と元仲間を地下牢に放り込んだ張本人でもある貴族令嬢を前にして、サムエレは冷や汗が止まらない。
「この街にいらっしゃったとは、どうして――」
「また路銀が尽きたそうじゃ」
「また?」
思わず問い返してしまった。
「うむ。この街へ着くまでも度々魔法医殿の医術で金子を作っておったそうじゃがの」
クロリンダ嬢はこんな話し方だったか? とサムエレは記憶をたどる。濡れた手で背中をなでられたように悪寒が走った。
(お怒りになったクロリンダ嬢が、僕たちをアルバ公爵邸の地下牢に閉じ込めてから一ヶ月も経っていないのに、まるで別人のようだ)
一体何が起こったのかと考えをめぐらせるサムエレの肩に、クロリンダの姿をした女がそっと手を乗せた。
「そなた、何か悩みでもあるのか?」
探るように見上げる視線がサムエレを射抜く。
「あるだろう、言うてみよ」
女は決して視線をそらさない。
「悩み? あるとすればお金がなくて――」
「その悩みは本質ではなかろう。お前の本当の望みは何だ?」
のぞみ、とサムエレは口の中でつぶやいた。
「欲しいものをなんでも手に入れられるとしたら、何が欲しい? 金か、地位か、女か」
クロリンダの姿をした女から目をそらせない。強い酒を飲んだときみたいに、頭に霞がかかる。
「まず僕は仕事が欲しい。こんな見習いじゃなくて――」
「聖職者になりたいのか?」
畳みかけるように女が問う。
「聖職者じゃなくてもいいんだ」
「何にでもなれるとしたら、何がよいのだ? 皇帝か?」
「いや――、むしろ宮廷で働く侍従長かな……」
操られたように言葉をつむぐサムエレを、足元に座った魔法医が怪訝そうに見上げた。女はそんなことには構わず、穴が開くほどサムエレを見つめたまま、
「ふむ。ほかに欲しいものはないのか? 妻なり、恵まれた容姿なり」
「僕の容姿はすでに恵まれている。あんたの目は節穴か?」
サムエレは一瞬、呪縛が解けたように自信に満ちた笑みを浮かべて、さらさらストレートのブロンドをかき上げた。
だが女の次の言葉で、束の間の自信は霧散した。
「では愛しい女は手に入ったか?」
─ * ─
サムエレの「愛しい女」とは誰なのか!?
ジュキ「なんか鳥肌が……」
次回『偽聖女はサムエレの欲望を操る』です!
※老司祭の発言に出てくる「魔物暴走」は、第三章「27、瘴気の森の主、目覚める」~「29、天使の歌声は魔物をしずめ、魔法学園の生徒たちを興奮させる」あたりで起きたことをさしています。
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