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第21話、君の心に気付くとき、目と目で想いが通じあう

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「三味線ってばちで弾くんでしょ?」

 横からのぞきこむ玲萌レモに、

「いや、爪弾つまびく奏法もあるよ。それに俺はこの爪だから――」

 と、透明な鉤爪かぎづめを示し、

「この身体になってからばちはいらねぇんだ」

「便利ね! 弦は肉球で押さえるんでしょ?」

「は? なんで肉球!?」

「あれ? 樹葵ジュキって手のひら肉球ついてなかったっけ? 猫ちゃんみたいに」

「指先は人間だけど?」

 俺はふいっとそっぽを向く。いままで何度も指をからめたり、ふれあったりしてきたのに、玲萌レモはまったく俺の手を覚えてないんだと思ったら悲しくなってきた。

 試しに適当な曲のさわりを弾いてみると、なかなか倍音ゆたかないい響きだ。

「気力を吸い取られたりしない?」

 俺の不機嫌にはこれっぽっちも気付かない玲萌レモが無邪気に聞いてくるが、これは無視。俺は傷付いたんだ!

「ハハハ、今度は兄ちゃんが怒っちまったんかい」

 天井の低い小屋の中に、店主の笑い声が響く。

「今度は――って?」

 いぶかしげな玲萌レモに、

「おめぇさんがた、この店に着くまでの道すがら痴話ちわげんかしてたじゃねぇか」

「やだ、見てたのおっちゃん!」

「だからおっちゃんじゃねえって――」

 そのときふと、俺は思いいたった。玲萌レモが思ったほど俺に興味もってくれてなくてがっかりしちまったが、彼女も同じような気持ちだったんじゃないか? 俺が食堂で冷静をよそおって接吻場面キスシーンに言及したとき、距離を感じちまったんだろうな。可愛げねえ態度とっちまって悪かったのかもしれねえ……

 すると心から泉が湧くように、旋律が降ってきた。どうもこの三味線、俺の感情と呼応シンクロするようだ。

「なんか樹葵ジュキが弾くと華やかな音色できれいね」

 玲萌レモがうっとりとしている。ばちで叩くように奏するともっと迫力ある音色になるが、爪弾くと華麗な音が鳴るのだ。

「どうだい兄ちゃん、呪われた楽器の弾き心地は」

 にやにやしながら毒舌で話しかけてくる店主を、俺は手を止めて見上げた。「腹の奥底にわだかまったどろどろしたものが、むしろ霧散していくようだ。俺には合ってると思う」

「よかったぁ!」

 と喜んでいるのは玲萌レモのほうだ。「楽器弾いてる樹葵ジュキ、なんだか色っぽくて素敵!」

 やはり音楽効果は絶大である。

 見上げるとうきうきしている玲萌レモと目が合って、俺は思わず笑みをこぼした。



「あいつらどこ行ったんだよ」

 惠簾エレン夕露ユーロの姿はすでに、中央市場の階段上にはなかった。

「先に戻ったのかもよ」

 もっともな玲萌レモの推論に、

「じゃあ俺らも学院に――」

 と言いかけたとき、火除地ひよけちのほうから歓声が聞こえてきた。

「なにかしら。楽しそうね!」

 玲萌レモの目が輝きだす。お祭り大好きかよ……

「待てよ玲萌レモ

 風に乗って流れてくる楽しそうな歌声につられて、ふらふらと広場のほうへ戻る玲萌レモを追いかける。

「季節はずれの盆踊りが聞こえるわ!」

 玲萌レモの言う通り、人々が声をあわせて歌っているのは『大白草音頭だいシラクサおんど』だ。

「なにをやってるの?」

 さっそく玲萌レモが、一番うしろで手をたたいていた中年男にたずねる。

「いま沙屋いさごやの若旦那の娘さんが、歌ったり踊ったりしていてね。これが子供らしくてかわいいんだ」

 おっちゃんは目を細める。

夕露ユーロ……」

 頭をかかえる玲萌レモに、

夕露ユーロって沙屋いさごやの大旦那の孫だっけ?」

「そーよ。ああ見えて大店おおだなのお嬢様なの」

 沙屋いさごやは大きな廻船かいせん問屋である。

「もう、あの子ったらなんでこんなとこで――」

 言いかけた玲萌レモに、

「高山神社の巫女さんを助けようとして、舞台ステージに上がったんだよ。やさしい子だねぇ、あの子は」

 と、さっきのおっちゃんがまた、いつくしむように目を細めた。

惠簾エレンもここにいたのか」

 俺はほっと胸をなでおろす。なんとなく、あのふたりが俺たちに何も言わず帰るとは思えなかったんだ。

樹葵ジュキ舞台ステージのうえ見える?」

 玲萌レモが一生懸命、背伸びしている。

「人が多くて見えねえな」

「そんな高下駄はいてるのに?」

「うるせーよ」

「なんで怒るのよ」

 驚いた顔をする玲萌レモ。身長気にしてるの指摘されたみたいで嫌なんだよっ

「三寸(九センチ)くらいしか変わんねえっての」

 などとブツブツ言いながら、下駄を脱ぎ捨てその場で得意の跳躍。となりで手をたたいていたねえちゃんが、きゃっと叫ぶ。驚かせちまってすまねえ。

「見えたよ、玲萌レモ夕露ユーロが間抜けな踊りおどってた」

 地上に降りたって報告したとき、ちょうど『大白草音頭だいシラクサおんど』が終わった。聴衆ギャラリーが一緒に大声で歌っていたから夕露ユーロの声は聴こえなかったが、みんな「いいぞいいぞ」と口々に叫んで拍手喝采している。

惠簾エレンちゃんは?」

「あいつも舞台ステージにいたよ。目があったような――」

 言い終わるより早く、

「龍神さま!」

 ざわめきの向こうから惠簾エレンの澄んだ声が聞こえた気がした。

「うお!?」

「きゃー!」

「うわ~」

 突然、人々が悲鳴をあげ人垣が割れる。みんなが見上げる先には――

「わーっ、惠簾エレンちゃん!」

 玲萌レモが叫んだ。俺らに向かって舞台ステージから飛降ダイブする惠簾エレンの姿――

 俺はとっさに気をあやつり、瞬間的に重力を調節する。惠簾エレン緋袴ひばかまがふうわりと風に広がり、彼女の身体はゆっくりと俺の両腕の中に落ちてきた。なんつー無茶をするんだ、このは……

「ああっ、わたくしの美しい龍神さまっ」

 叫んで俺の首に細い手首をからめる惠簾エレンの瞳が涙にうるんでいる。濡れたまつ毛が、いつもは清純な彼女を不思議とあでやかに見せる。

「危ねえことするなよ、惠簾エレン

 俺はなるべくやさしく言ってから、少し乱れた彼女の黒髪を整えてやる。

「来てくだすってうれしゅうございます! 舞台ステージの上から銀色に輝く御髪おぐしが見えましたの。たちばなさまってば、お小さくてかわいらしゅういらっしゃいますから、なかなか見つけられなくて。このさかき惠簾エレン、一生の不覚にございますわ!」

 なにが不覚だって? ものすごい早口でまくし立てられて、最後の一文しか聞き取れなかったんだが……

「龍神さま、どうぞ惠簾エレンのかたきをうってくださいまし!」

 俺の両手をにぎって、うるんだ黒い瞳で見上げる。

「かたきたぁ物騒じゃねえか。いったいなにがあったんだ」

 俺の問いに答えたのは惠簾エレンではなかった。
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