アッチの話!

初田ハツ

文字の大きさ
10 / 10

アッチの話してみた の巻

しおりを挟む
その放送は、国際学部の教室やラウンジに設置されている各モニターで一斉に流され、学部のサイトでも配信された。
学部長と、斉木教授が順番に画面に映り、それぞれ起こった問題とその深刻さ、学部や学科の対応について話す。とくに斉木教授の言はきっぱりと厳しかった。インターネットでの誹謗中傷は学則にも規定された懲戒対象であり、それも学科の媒体を利用したなら、見逃すわけにはいかないこと。実際に、実行者は特定され、処分を受けたこと。今後、このようなことがないように大学側も力を尽くすとともに、学生たちにもインターネットの利用についてより認識を深めてもらいたい、ということ。
「最後に」
斉木は、そこで一呼吸置いた。
「今回被害に遭った学生からも、コメントを預かっているので、代読させていただきます」
そして、白いコピー用紙を手に持ち読み上げた。

『私がこのコメントを出すことにしたのは、そうすることで、自分自身がより安心してこのキャンパスで過ごせると思ったからです。だけど、とても勇気が要りました。こんなに勇気を振り絞らなくても、私も、私以外の人たちも、怖い思いをせず安心して学べる大学であってほしいと願っています。
私が自分のセクシャリティをオープンにするようになったのは、ハイスクールの一年生の時でした。その時も、たくさん困難がありました。“あなたの個人的な性の事情なんて聞きたくない”とか、“わざわざ他人に話すことじゃない”と言う人もいました。でも、そうしないと彼らは、ボーイフレンドはいるの? とか、どんな男性がタイプなの? と聞いてきます。だから最初は、そういう質問を避けるための手段としてオープンにしようと思いました。
けれど……あるきっかけがありました。
私の両親の生まれた国で、ゲイであることを隠していた青年が、それを他人に公言されてしまったことを苦に自ら死を選んでしまうという事件があったことを、アメリカにいた私は、数年後に知りました。日本の大学に行きたいと思うようになったのも、そのことを知ってからです。
私のような人間がいることを、より多くの人に知ってもらうことが、同じ悲劇を生み出さないためのひとつの助けになるのでは……、そう思っていました。だけど、そうすることで、自分自身が恐怖に晒されることになるとは、想像していませんでした。
正直な気持ち、これからどんな攻撃を受けるのか、怖い気持ちはあります。
でも、これが私の第一歩なんだと思っています。差別やアウティングによって命を失ってしまう人をこれ以上生み出さないために、歩き出した道を戻ることは、私はしません。
どうか皆さんも一度、考えてみてください。誰かのセクシャリティや存在を否定する言葉は、命すら奪う可能性があるんです』

ここのところ不安定な天気が続いていたけれど、今日は久しぶりにからりと晴れて、Tシャツ一枚でも過ごせそうな陽気だ。愛実は、みんながすでに集まっているだろう、並木道沿いのテーブルを目指して歩く。今日は、機工科の教授と職員からのヒアリングがあった。アンケート結果を提出してから何度か呼び出されたけれど、おそらくこれが最後になるだろう。
道を挟んだ少し先のテーブルに、四人の姿を見つける。大地が話している声がここまで届く。
「ダッドも似たようなことがあったんだって」
「バイト先の韓国料理屋さんみたいな?」
「うちは店じゃなくて塾だけどさ。すごくわかるって言ってた」
愛実は、ふと立ち止まって、少し離れたところから四人を見つめた。なぜか急に、自分たちが出会っていつの間にか友達になっているのが、とても不思議なことのように思えた。
二人の女子学生が、映見の元に駆け寄ってくる。
「あのー、六角さんでしょ? 学部の放送見たよ」
「コメント感動したよ~」
映見がコメントを出したのは、「見えない被害者」でいない方が、直接攻撃される心配が減ると思ったからだと言っていた。さすがに顔を出して話すのは、教授たちに止められたらしいけれど。顔や名前は出さなくとも、映見が当事者だということはある程度知られている。もし何かしようとする人間がいても、守ってくれる好意的なまなざしが、放送以後増えたと感じるという。
檸檬が愛実の姿に気付いて「あっ」と手を上げる。
「まなちん!」
四人の元へ、少し速足で歩み寄る愛実に、冬人が振り向きながら問う。
「どうなった?」
愛実は笑顔を浮かべると、勢いよく腕で大きな丸を描く。みんながやった! と手を取り合う。
「女子だけを対象にした声掛けは原則禁止、サポート係は性別を特定せず公募するように、学科から通告を出すって」
「すごい! これまで変えられなかったことを変えたんだよ、愛実」
映見が目をきらきらさせながら、愛実の手を両手でぎゅっと握る。前にもこんな風に手を握ってくれたことがあった、と愛実は思い出す。
「まあ、これでセクハラが全部消えるってわけじゃないけど」
そう言いつつも、愛実の声は明るい。映見の肩をぽんと叩いて隣に座る。
と同時に、檸檬の顔を見て、愛実の顔がにやーっと緩んだ。
「それより聞いたよ~、堂々交際宣言だって?」
「……もー、直哉さんあの人、することまじでミラクルなんだよ!」
それは直哉が檸檬に、「付き合っていることを他の人にも話していいか」と確認してきた翌日のことだった。檸檬は直哉さえよければオーケーだったけれど、まさかちょうど次の日細井が
「相変わらずお前ら仲良いなあ、付き合ってんの?」
なんて、軽口を叩いてくるとも思わなかったし、それに対して直哉が
「はい。真剣に交際しています」
なんて、親に結婚の挨拶に行ったような返しをするとも思わなかった。
愛実と冬人はゲラゲラ笑っている。
「私も最近やっとわかってきたけど、高坂先輩って真面目すぎてクソ面白い人だよね」
「檸檬、ますます時の人になっちゃうな」
直哉が檸檬を抱きしめていたのが目撃されてから、二人がリアルカップルなのか否かと、学部中から注目が集まっていた。
「あの先輩、すごい人気者なんだね。うちの学部でも『高坂先輩がゲイだったなんて~』って嘆いてる女子がいたよ」
大地からの良いのか悪いのかわからない情報に愛実が「まじで!?」と声を上げるけれど、檸檬はその時、別のことを考えていた。
「……あのさあ俺、ちょっと前から考えてるんだけど……」
直哉が交際を公にしていいか聞いてきた時、檸檬は逆に聞き返した。
「俺は前から知られてるからいいけど、直哉さんは元々ヘテロだったのに、大丈夫?」
直哉はその質問に、「うーん」と唸った。
「俺は……たぶん元々ゲイか、それに近いセクシャリティだったと思う。檸檬に対するような気持ちで女性に惹かれたことはないし、性的にもおそらくそうだ」
檸檬は「へえ……」と頷き返す。しかし、はて? と首をかしげた。
「『それに近いセクシャリティ』って?」
直哉は檸檬を見つめる。何度か見覚えのある、気遣うような視線。
「……檸檬は、性別の区別があまりわからないと言っていたろ。それって、自分に対してもなのか?」
檸檬はその時、反射的に、「え、いや俺は男だよ」と返した。けれど、それからずっとそのことが頭に残っている。
──空気を読んで人の求める態度を取ることはわりに得意だから、自分がどうふるまい、どんな言葉遣いや自己表現をすればいいのか、昔から周りを観察して習得してきた。でも小さい頃は、もっと混乱していた気がする。
それは女の子がすることだよ、違うよ、と注意する大人たちは、たいてい笑っているかちょっと驚いているかで、そんなにきつく叱られた覚えはないけれど、檸檬にとっては気づかないうちに自分が「違う」ことをしてしまうことが、大きな恐怖だった。
「俺は必死で男になろうとしてきただけで、本当は違ったのかな?……って思ったりするけど、でも女でもないし……。そもそも性別の意味がよくわかんないのかも、俺」
じっと聞いているみんなの中で、不意に、映見が口を開いた。
「……檸檬、『ノンバイナリー』って聞いたことある?」
木漏れ日が、眩しく鋭角な夏の日差しの雰囲気をまとって、みんなが囲むテーブルの上に静かに落ちていた。

「匿名の質問ボックスも置いた方がいいよね……」
「そうね。クローゼットな人の声も集めやすくなるよね」
映見の部屋で、愛実は小さなローテーブルを挟んで映見と顔を突き合わせている。アンケートのために作ったSNSアカウントは、これからも大学生活のさまざまな疑問、意見などを募集する場として残すことにした。五人とも運営に関わるけれど、主な管理者は愛実と映見だ。
「こっちからも時々、テーマを出して意見募集したらいいかも」
それぞれにスマホの画面を見ながら、出てきたアイディアをとりあえず愛実がメモに書き留める。
「愛実は、どんなことを聞いてみたい?」
不意に、映見に問われて顔を上げると、丸いテーブルの向こうから映見がこちらを見つめていた。
「うーん、私は……」
見つめる映見の瞳の中にあるものを探りたいような気持ちが湧いてくる。
「……いまだに恋愛って何なのかよくわからなくてさ。エミーは女の子に恋したからレズビアンだってわかったの? それってどんな感じだった?」
映見は静かに微笑む。
「うーん、そうだなあ。心のどこかにずっとその人が引っかかってて、もちろん他のこと考えてる時もあるんだけど、ちょっとした瞬間にすぐ出てきちゃうみたいな感じ。それで、今何してるのかなあとか、会いたいなあってすぐ思っちゃうから、実際に会えるとすごく嬉しくなって舞い上がっちゃう」
愛実は、ただ感心して「へえ……」と呟く。映見はしかし、にやりと笑って「でもね」と続けた。
「そんな舞い上がっちゃうような気持ちは、ほとんどの人は一生続かないと思うんだよね。恋って結局最初だけの話で、その後の長い時間は、人としてお互い大切にできるかどうかじゃない?」
「あー、恋から愛に変わるみたいな」
「そうそう」
映見はテーブルの上に少し乗り出すようにして、愛実の目を覗き込む。
「つまり、愛実が周りの人を大切にして愛してるっていうだけで、愛実はずっと最高だよってこと」
言葉と同時に、映見の瞳から伝わってくるものを、愛実は感じ取っていた。それは、自分にはない気持ちなのかもしれないけれど、それでも映見はいいんだろうか。
「……まあでも、はっきりレズビアンだってわかったのは、私の場合はもっと単純なことなんだけどね」
首をかしげる愛実に、映見はさらに顔を近づけ声を潜める。
「男の子に性欲は感じない。女の子にしかない」
愛実は妙に感心して「ほお~」と声を上げる。それなら愛実にとってもわかりやすい。自分はどうだろう、と考えてみる。エロティックな想像は、相手が男性の時も女性の時もある気がする。それはヘテロセクシャルではないということなんだろうか。
「あのさ、エミーはオナニーする時……」
言いかけて愛実ははっと止まる。これはさすがにセクハラなんじゃないか。しかし、映見は愛実の手を取って笑った。
「いいよ。愛実の話したい話をしよう」
愛実も微笑む。
これからする話がきっと、自分の中や、二人の中にある不思議を解き明かしていく。そんな気がした。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。 漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。 陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。 漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。 漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。 養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。 陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。 漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。 仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。 沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。 日本の漁師の多くがこの形態なのだ。 沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。 遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。 内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。 漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。 出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。 休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。 個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。 漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。 専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。 資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。 漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。 食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。 地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。 この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。 もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。 翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。 この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。

処理中です...