その心理学者、事件を追う／恨む人

(5)教授、昔話をする②

「立永さんを更に苦しめたのはここからだ」
「え？」
「逮捕されたガキどもは、17歳ってことで少年法の下に裁かれることになった」
「あ……」

　少年法は17歳以下の人間を未成年として護る法律である。良くも悪くも。
　その為、彼らが犯罪に手を染めた時、それは成人済みの人間より幾分も軽い量刑が下されるのだ。

「そう。1人の何の罪もない少年を死に追いやった殺人犯だが、
　裁判ではびっくりするぐらい軽い罪があてがわれたんだ」
「殺人罪ではないんですか？」
「傷害致死罪、だとよ」
「随分と軽くなりましたね」
「ああ。やったことはどう見ても殺人なのにな。
　よほど腕の良い……いや、倫理観に欠けたクソ弁護士が付いてたんだろう」

　忌々しい思いと一緒にウイスキーを飲む。

「犯人どもはいずれも普段から素行の悪い不良少年だった。
　だが、劣悪な家庭環境を言い訳にして減刑されたんだ」
「劣悪な家庭環境、ですか」
「1人目は母子家庭だったが、母親がホスト狂いでな。
　幼い頃からその母親にネグレクトを受けていたそうだ」
「なるほど」
「2人目は親が教師をやってる堅い家庭の息子だった。
　だが、父親がDV野郎でな。暴力で支配された家の中で育った。
　そいつには弟もいたが、父親からの暴力の矛先は
　いつもそいつに向けられていたらしい。
　母親も弟も、自分が被害を受けないようにそいつを生贄にしてたんだろうな」
「……」
「3人目だが、こいつは他の2人に比べて
　家庭環境にあからさまな問題は見られなかった。
　父親の不在と母親の過保護ぶりは気になるところだったが、まあいいか。
　とにかく、こいつは普段から先の2人にパシリみたいに扱われていてな。
　その2人に支配されて逆らえなかかったと判断された。
　だから、3人の中でも一番刑が軽かった」
「と言うと？」
「懲役3年。傷害致死罪における最低懲役年数だ。
　まあ、執行猶予付きにならなかっただけマシと見るべきか」
「他の2人は？」
「いずれも懲役4年6ヶ月から7年以下の不定期刑、だとよ。
　もちろん、行き先は少年刑務所な」
「……軽いものですね」
「全くだ」

　やりきれない思いと一緒にウイスキーを飲む。

「立永さんは」
「ん？」
「立永さんはそれで納得できたんですか？」
「できるわけねえだろう。
　何なら、死刑だろうが無期懲役だろうが関係ねえ」
「ですよね」
「だが、司法の決めたことだから受け入れるしかなかった。
　歯を食いしばって耐えるしかなかったんだ」
「辛いですね」
「そうだな。立永さんも奥さんも、一人息子の大悟くんを愛していた。
　良い家庭だったんだ。本人たちの苦しみは言葉では表せられねえよ」
「そうですね」

　大きく息を吐き、神里は更に話を続ける。


「犯人たちがアルバイト帰りの大悟くんを見かけたのは偶然だった。
　だが、連中は彼を見て無性に腹が立ったんだとよ」
「何の関係も無い赤の他人なのに？」
「よくよく話を聞けば、その原因は彼が『幸せそうに見えたから』だったらしい」
「立永大悟さんは良い家庭に恵まれていたから、そう見えたんでしょうか」
「そうだろうな。滲み出るものがあったのかも知れん。
　それともう一つ、彼が幸せそうにしていたのには大きな理由がある」
「何ですか？」
「大悟くんはその日、父親の為にプレゼントを買っていたんだ。
　次の日が立永さんの誕生日だったからな。
　それで、父親が喜ぶ顔を想像してウキウキしていたんだろう」
「その様子が、犯人たちの苛立ちを誘発してしまった？」
「ああ。そんなところだ。
　後に、大悟くんの所持品の中から綺麗にラッピングされた箱が発見された。
　その中には、彼が父親に渡すはずだった腕時計が入っていた」
「アルバイトをして、自分で稼いだお金で買ったものだったんですかね」
「そうだろうな。
　尤も、彼がアルバイトを始めたのは家計を支える為だったんだが」
「そうなんですか」
「ああ。立永さんは元々、祖父の代から続けていた酒屋を営んでいた。
　個人経営の、地域に密着した小さな酒屋を夫婦で切り盛りしてたんだ。
　誠実に商売をしていたが、決して裕福ってわけではなかった。
　それで、息子の大悟くんは少しでも家計の足しになるようにって
　高校に入ってからアルバイトをしてたんだ」
「優しい人だったんですね」
「ああ。そんな子が理不尽な形で命を奪われるなんて、
　本当はあってはならねえんだ」
「そうですね」

　神里の言葉に藤本も深く頷く。
　氷が溶けて薄くなったウイスキーを、神里は一気に飲み干した。

「そういうわけで、この事件で俺は立永さん夫妻と縁ができたわけだ。
　大切な息子を喪って悲嘆に暮れていた立永さんの話を聞いたり、
　良いカウンセラーを紹介したりしてな。
　何とか手助けをしてやりたかったんだが……」

　言いながら、神里は目を伏せる。

「奥さんの方が先に参ってしまってな。
　体調を悪くして入院するまでになった。
　それでも、立永さんは耐え続けた。
　一人で店を切り盛りして奥さんを支えた」
「本人も辛かったでしょうに」
「そうだな。それでも、守るものがある限り立永さんは耐え続けたんだ。
　事情を知ってる近所の人らも、親身になって立永さんに接していた。
　俺も、月に1回か2回はあの人の店に行って
　様子を見たり酒を買ったりするようにしてた」

　空っぽになったグラスに新たにウイスキーを注ぐ。


「だが……ある日、俺が訪ねた時その店は閉まってた」
「閉まってた？」
「店を畳んでたんだ」
「え？」
「近所の人に聞いたら、少し前に奥さんが亡くなってたことが判った。
　それを機に立永さんは店を畳んじまったんだ」
「守るべき人がいなくなったから？」
「そうだろうな。もう、無理に頑張る必要がなくなった。
　それで、店を畳んでどこかへ行ってしまった。
　どこへ行ったのかは誰にも分からなかった」
「その状況……嫌な想像をしてしまいますね」

　藤本が更に顔を曇らせる。彼が想像していることを察して神里も頷いた。

「そうだな。俺も同じことを思った。
　だが、それも仕方のないことだとも思った。
　あの人が、途方も無い孤独と苦しみから救われる方法がそれしかないのならな。
　だが、出来ることなら、どこかでもう一度幸せを見つけて
　生きていてほしいとも願った……それが、4年ぐらい前のことだ」

　新たに注いだ濃い琥珀色のウイスキーに口を付けて、ぐいと飲む。
　それから神里は口元に芳醇な笑みを湛えた。

「そんな立永さんと再会したのが、ついさっきの出来事だったってわけだ」
「そうだったんですね」
「立ち直って元気になった……なんて他人が軽々しく言っちゃあいけねえな。
　辛い過去を抱えながら懸命に頑張ってるんだ」
「そういえば、今は守るものがあると言ってましたね。立永さん」
「そうだな。確かにそう言ってたな」
「もしかしたら、新しい家族ができたのかも知れませんね」
「そうだなあ。そうだったら良いなあ」

　しみじみと呟き、神里はもう一度ウイスキーを煽った。
　かと思うと、今度はグラスを藤本の方に差し出してきた。

「どうだ？　お前さんも」
「え？　ええと……」

　藤本は飲むつもりなど全く無かったが、事件の話を聞いた後では何となく断り辛い雰囲気だった。
　少し悩んだ末、ウイスキーの注がれたグラスを手に取る。

「じゃあ、一口だけ」

　戸惑いつつもグラスに口を付ける。強いアルコールの匂いが鼻を突き抜け、口の中に複雑な味わいが広がった。

「どうだ？」
「うーん……やっぱり、ちょっとキツいですね」
「ははは、お前さんはまだまだお子ちゃまだなあ」

　ストレートのウイスキーに顔を顰める藤本を見て、神里は楽しそうに笑った。
　こうして、アルコールの匂いに包まれながら時は穏やかに過ぎていった。