その心理学者、事件を追う/恨む人

山乃山子

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(6)事件、起こる②

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「それで、今日は何の相談だ?」
「はい。本日昼過ぎ、練馬区にあるアパートにて
 撲殺された男性の遺体が発見された件についてです」
「ふむ。殺人事件か」
「はい」
「犯人像を聞きに来たのか?」
「いいえ。実は現場に残っていた指紋などから容疑者の特定は出来てるんです」
「なんだ、そうなのか。だったら俺の所に来る必要は無えだろう」
「それが、当の容疑者が逃亡してしまいまして。
 警察としては懸命に行方を追っているのですが……」
「なるほど。それで、俺に容疑者の行き先を当ててほしいって話か」
「はい」

 頷く千波の前にコーヒーが差し出された。
 部屋の空気がアルコール臭からコーヒーの香りに取って代わられる。
 三人分のコーヒーをテーブルに置いた藤本は、トレイを持ったまま神里の後ろに立った。

「仏さんはどんな奴だったんだ?」
「24歳の介護施設職員の男性です。名前は比橋尚真ひばししょうま
「容疑者は?」
蒲生温人がもうはると、配送会社勤務の男性です」
「配送会社、か」
「因みに、まだ19歳です」
「まだ酒も飲めねえガキか。まあ、ガキの中でも人を殴り殺すような奴はいるか」

 少し目を伏せて、神里はコーヒーを啜る。

「二人の関係性は?」
「それが不明なんです。今のところ、この二人の接点が分からないんです。
 直接の知り合いでもないし、共通の友人もいないようでして」
「なるほど、怨恨とは考えづらいな。じゃあ、物取り目的か?」
「いいえ。部屋に荒らされた形跡は無くて、
 金目のものも取られていなかったんです。
 なので、金銭目的の犯行ではないと思われます」
「ってことは蒲生とかいうガキは、
 赤の他人を理由も目的も無く殴り殺したってことか?」
「断定は出来ませんが、現状ではそういう見方になってますね」
「ふむ……それもまあ、全く無い話ではないか。
 いや、本人の中では理由があるのかも知れねえな。
 他人には理解できないような理由が」

 小さくため息をついて、神里は更にコーヒーを飲む。

「で、そのガキが今はどこかに逃亡中ってわけか」
「はい。蒲生温人の逃亡先について、
 今のところ警察はまだ手掛かりも掴めてない状態です。
 それで先生のご意見を伺いに来たのですが」
「うーん……こうも動機が不明だとなあ」

 腕組みをして神里は唸る。
 そんな彼に向かって、深井が問いかけた。

「あの、ちょっといいですか?」
「何だ、若造」
「逃亡中の犯罪者はよく西の方を目指すって話を聞いたことがあるんですけど、
 先生はどう思われますか?」
「ああ、確かにそういう説もあるな。
 とにかく生きて逃げ延びることが目的なら、その行動は理に適ってる。
 大阪にでも行けば素性を隠してても仕事にありつける、
 そういう場所もあるしな」
「じゃあ、蒲生温人も大阪方面に?」
「いや、まだそうとは判断はできねえ。
 結局のところ、犯罪者がどこに逃げるかなんて、
 人によるとしか言えねえんだ」
「人による、ですか」
「だから、本人の性格や事情に合わせて柔軟に考える必要がある」
「はあ……そうですか」

 それを言われたら何も言い返せないとばかりに、深井は口を噤む。
 神里は千波の方に顔を向けた。


「蒲生温人は一人暮らしだったのか?」
「はい。練馬区にあるアパートで一人暮らしだったみたいです」
「親はどこに住んでる?」
「蒲生が幼い頃に両親は離婚してまして、今は父親も母親も他県に住んでます」
「東京からは遠いのか?」
「はい。父親は広島県、母親は北海道。
 しかも、二人とも既に別の家庭を持っていて、
 蒲生とはもうずっと疎遠だったようです」
「じゃあ、親が匿ってる可能性はほぼ無いってことか」

 この蒲生温人という人間も円満な生い立ちではなかったことを知り、神里は顔を曇らせる。

「友人や恋人なんかはどうだ? 蒲生を匿いそうな奴はいなかったか?」
「それがですね、友達も恋人もいないみたいです。
 とにかく人間関係が希薄なんですよ」
「自宅と職場を行き来するだけの生活だったのか」
「そんな感じですね。勤務態度は真面目で
 近所の人とも挨拶ぐらいはするんですけど、
 それ以上の関わりは無いという印象です」
「勤務態度が真面目ってこと以外に
 奴の人間性について何か判っていることは?」
「優しい人間だ、と勤務先の人は言ってましたが」
「うーん……だが、赤の他人をいきなり殴り殺してるんだよなあ」

 過去の事例から逃亡先のヒントを探そうと、目を閉じて記憶を手繰る。
 そんな中、ふと神里は目を開けた。

「そういや、まだ蒲生温人のツラを確認してなかったな。
 奴の顔写真はあるか?」
「ああ、はい。こちらです」

 深井が懐から一枚の写真を取り出して、テーブルの上に乗せる。
 若い男が映った写真だった。

「こいつが蒲生温人か」

 短く整えられた黒髪、控えめな笑顔。まだ少年っぽさが残る風貌も相俟って、真面目で大人しい高校生といった雰囲気だった。否、大人しいというより、気が弱いといった方が正しいかも知れない。


「いじめられっ子顔だな」
「え? ああ、そうですかね」
「なあ、本当にこいつが──」
「あれ? この人……」

 これまでずっと神里の後ろに立って黙っていた藤本が、不意に声を上げた。
 訝しい顔で蒲生温人の写真を凝視する。
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