15 / 18
15
しおりを挟む
伯父は全ての容疑を否認した。
受け取った250万円は、彼の働く初年度の年収の先払いで、自分は確かにそれを涼平に渡した。
しかし、涼平が彼自身の意思で、育ててもらったお礼に、とそれを伯父に返したのだ、と。
「そんな事しなくて良いと言ったんですが、どうしてもと涼平が言うから仕方がなく受け取りました。次の年から給与をもらってないとは思わなかったです。」
涼平には全く身に覚えのない事だったが、働いていたキャバクラのオーナーと店長も、自分が渡した金は年収の先払いであり、それを涼平が伯父に返すのを自分も目撃したと証言した。涼平は否定したが、結局それを覆す証拠を提示する事ができなかった。伯父も店のオーナーも人身売買の罪で裁かれる事はなく、店のオーナーと店長の傷害と給与未払いのみ認められた。未払いの給与は慰謝料という形で支払われたが、涼平は伯父から名誉毀損で訴えられた。
その裁判は、涼平にとって辛いものになった。伯父の弁護士は法廷で厳しく涼平を証人尋問し、強く問い詰められると恐怖でうまく話せなくなってしまう涼平は、裁判官に良い印象を与えられなかった。
涼平の弁護士も親身になってくれたが、裁判所は涼平に15万円の慰謝料の支払いを命じた。弁護士費用と負担せざるを得なくなった裁判費用と合わせて涼平が支払った額は、取り戻した未払いの給与の三分の一を超えた。涼平は裁判所の別室で伯父に謝罪するよう求められ、伯父は弁護士が止めに入るまで数十分にわたって涼平に罵詈雑言を浴びせ、彼は黙ってそれを聞いた。
全てが終わった時、涼平が感じたのはひどい虚しさだった。自分の人生はどこまでいっても搾取されるだけだったのか、そういう無力感に襲われた。アルバイトではなく正規雇用の仕事がうまく見つからない事も、彼の無力感に拍車をかけた。アルバイトは不安定で、出勤したのに、今日は暇だから帰るように言われる事もあった。シェルターに居られるのは一年だけだという焦りも、彼を追い詰めた。
独りで生きていこうと決めたのに、世界は厳しく冷たく、生活は楽にはならなかった。
お金が貰えるだけマシ、暴力を振るわれないだけマシ、食べるものがあるだけマシ。
そう考えて、涼平は虚しさに耐えた。
何も分からないままあの店で酷使されていた時の方がまだマシだったかも知れない。涼平はそう思った。一度希望を持ったのに、それを少しずつ削り取られていくような日々は涼平の心を深く傷つけた。彼は再び自信を無くし、アルバイト先でも同僚達に辛く当たられるようになった。
それでも涼平はアルバイトを辞めなかった。
彼にとって、人から罵倒されたり良いように扱われるのは、慣れたことだった。
何を言われても黙って耐えて、押し付けられる雑用や急なシフトを黙々とこなした。シェルターを出る時のために、爪に火をともすような生活を続けた。
月に一度、市役所に現況届けの書類を出しに行く。その時に、櫻井尚人に会えることだけが涼平の救いだった。櫻井は、一度も涼平を馬鹿にしたり貶したりしなかった。それどころか、いつも丁寧な口調で話してくれて、涼平の不安や悲しみを、言わなくても理解してくれているようだった。
「大丈夫です。シェルターは延長もできる場合がありますし、涼平くんは真面目で勤労意欲も高いから、きっと正社員の仕事が見つかります。焦らないでください。」
しばらくすると櫻井は、涼平が携帯電話を持つ事ができるよう手続きをサポートしてくれて、時々電話をしてきてくれた。
「櫻井です。お元気ですか?ご飯はちゃんと食べてますか?」
「はい。元気です。」
「お休みの日は何をしましたか?」
「この間の休みは、昼寝してしまいました。」
「そうですか。良い休みの過ごし方ですね。僕も昼寝は大好きです。」
ほんの数分の短い会話だったが、涼平は少しだけ心が温かくなった。
ある日、櫻井が言った。
「生活が少し落ち着いたら言おうと思ってたのですが、定時制の高校に通うのはどうでしょうか?午前中から夕方まで働いて、夕方から夜にかけて高校に通うのです。」
「え?で、でも…お金…かかるんですよね?」
「お金は、年間で20万円ほどかかりますが、就学支援金が出ますので、実際の支払いは10万円ほどです。月に一万円くらいです。4年間通うと、高校卒業資格が得られますので、就職にもずいぶん有利になると思います。それに、定時制高校の生徒を優先的に雇用している会社もあります。高校在学中は契約社員という形になりますが、卒業後は積極的に正社員雇用してくれるようです。一度、お伺いして説明させてもらっても構いませんか?お休みの日に。」
「はい。」
「早速ですが次のお休みのご予定はいかがですか?」
「次は、来週の金曜日です。」
「では、10時ごろ伺っても良いですか?」
「はい。あ、ありがとうございます。お願いします。」
涼平は迷った。
おいちゃんは、学校に行って欲しいって言っていたけれど、学校は、涼平には居心地の良い場所ではなかった。家よりは安全かも知れないと思った時もあったが、でも、教師はみな、いつも涼平に苛立っているように思えて、怖かった。クラスメイトからは、いないもののように扱われるか、馬鹿にされるかのどちらかで、肉体的な暴力がない事だけが、家よりわずかばかり安全だと思えるにすぎなかった。それに、涼平にとって、新しい物事はいつも恐怖で、苦しみが増す事が多かった。今回もそうだった。あの店で、殴られながら扱き使われるのは嫌だと市役所に行ったが、裁判では自分の今までの人生をこき下ろされただけだった。
櫻井さんの事は信じたい。
櫻井さんに嫌われたくはない。
彼が勧めてくれることを頑張ったら、少しだけ櫻井さんに近づけるかも知れない。
でも、怖かった。
涼平は独り、日の当たらない薄暗い部屋で考え続けた。
受け取った250万円は、彼の働く初年度の年収の先払いで、自分は確かにそれを涼平に渡した。
しかし、涼平が彼自身の意思で、育ててもらったお礼に、とそれを伯父に返したのだ、と。
「そんな事しなくて良いと言ったんですが、どうしてもと涼平が言うから仕方がなく受け取りました。次の年から給与をもらってないとは思わなかったです。」
涼平には全く身に覚えのない事だったが、働いていたキャバクラのオーナーと店長も、自分が渡した金は年収の先払いであり、それを涼平が伯父に返すのを自分も目撃したと証言した。涼平は否定したが、結局それを覆す証拠を提示する事ができなかった。伯父も店のオーナーも人身売買の罪で裁かれる事はなく、店のオーナーと店長の傷害と給与未払いのみ認められた。未払いの給与は慰謝料という形で支払われたが、涼平は伯父から名誉毀損で訴えられた。
その裁判は、涼平にとって辛いものになった。伯父の弁護士は法廷で厳しく涼平を証人尋問し、強く問い詰められると恐怖でうまく話せなくなってしまう涼平は、裁判官に良い印象を与えられなかった。
涼平の弁護士も親身になってくれたが、裁判所は涼平に15万円の慰謝料の支払いを命じた。弁護士費用と負担せざるを得なくなった裁判費用と合わせて涼平が支払った額は、取り戻した未払いの給与の三分の一を超えた。涼平は裁判所の別室で伯父に謝罪するよう求められ、伯父は弁護士が止めに入るまで数十分にわたって涼平に罵詈雑言を浴びせ、彼は黙ってそれを聞いた。
全てが終わった時、涼平が感じたのはひどい虚しさだった。自分の人生はどこまでいっても搾取されるだけだったのか、そういう無力感に襲われた。アルバイトではなく正規雇用の仕事がうまく見つからない事も、彼の無力感に拍車をかけた。アルバイトは不安定で、出勤したのに、今日は暇だから帰るように言われる事もあった。シェルターに居られるのは一年だけだという焦りも、彼を追い詰めた。
独りで生きていこうと決めたのに、世界は厳しく冷たく、生活は楽にはならなかった。
お金が貰えるだけマシ、暴力を振るわれないだけマシ、食べるものがあるだけマシ。
そう考えて、涼平は虚しさに耐えた。
何も分からないままあの店で酷使されていた時の方がまだマシだったかも知れない。涼平はそう思った。一度希望を持ったのに、それを少しずつ削り取られていくような日々は涼平の心を深く傷つけた。彼は再び自信を無くし、アルバイト先でも同僚達に辛く当たられるようになった。
それでも涼平はアルバイトを辞めなかった。
彼にとって、人から罵倒されたり良いように扱われるのは、慣れたことだった。
何を言われても黙って耐えて、押し付けられる雑用や急なシフトを黙々とこなした。シェルターを出る時のために、爪に火をともすような生活を続けた。
月に一度、市役所に現況届けの書類を出しに行く。その時に、櫻井尚人に会えることだけが涼平の救いだった。櫻井は、一度も涼平を馬鹿にしたり貶したりしなかった。それどころか、いつも丁寧な口調で話してくれて、涼平の不安や悲しみを、言わなくても理解してくれているようだった。
「大丈夫です。シェルターは延長もできる場合がありますし、涼平くんは真面目で勤労意欲も高いから、きっと正社員の仕事が見つかります。焦らないでください。」
しばらくすると櫻井は、涼平が携帯電話を持つ事ができるよう手続きをサポートしてくれて、時々電話をしてきてくれた。
「櫻井です。お元気ですか?ご飯はちゃんと食べてますか?」
「はい。元気です。」
「お休みの日は何をしましたか?」
「この間の休みは、昼寝してしまいました。」
「そうですか。良い休みの過ごし方ですね。僕も昼寝は大好きです。」
ほんの数分の短い会話だったが、涼平は少しだけ心が温かくなった。
ある日、櫻井が言った。
「生活が少し落ち着いたら言おうと思ってたのですが、定時制の高校に通うのはどうでしょうか?午前中から夕方まで働いて、夕方から夜にかけて高校に通うのです。」
「え?で、でも…お金…かかるんですよね?」
「お金は、年間で20万円ほどかかりますが、就学支援金が出ますので、実際の支払いは10万円ほどです。月に一万円くらいです。4年間通うと、高校卒業資格が得られますので、就職にもずいぶん有利になると思います。それに、定時制高校の生徒を優先的に雇用している会社もあります。高校在学中は契約社員という形になりますが、卒業後は積極的に正社員雇用してくれるようです。一度、お伺いして説明させてもらっても構いませんか?お休みの日に。」
「はい。」
「早速ですが次のお休みのご予定はいかがですか?」
「次は、来週の金曜日です。」
「では、10時ごろ伺っても良いですか?」
「はい。あ、ありがとうございます。お願いします。」
涼平は迷った。
おいちゃんは、学校に行って欲しいって言っていたけれど、学校は、涼平には居心地の良い場所ではなかった。家よりは安全かも知れないと思った時もあったが、でも、教師はみな、いつも涼平に苛立っているように思えて、怖かった。クラスメイトからは、いないもののように扱われるか、馬鹿にされるかのどちらかで、肉体的な暴力がない事だけが、家よりわずかばかり安全だと思えるにすぎなかった。それに、涼平にとって、新しい物事はいつも恐怖で、苦しみが増す事が多かった。今回もそうだった。あの店で、殴られながら扱き使われるのは嫌だと市役所に行ったが、裁判では自分の今までの人生をこき下ろされただけだった。
櫻井さんの事は信じたい。
櫻井さんに嫌われたくはない。
彼が勧めてくれることを頑張ったら、少しだけ櫻井さんに近づけるかも知れない。
でも、怖かった。
涼平は独り、日の当たらない薄暗い部屋で考え続けた。
15
あなたにおすすめの小説
月弥総合病院
御月様(旧名 僕君☽☽︎)
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。
また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。
(小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!
怒られるのが怖くて体調不良を言えない大人
こじらせた処女
BL
幼少期、風邪を引いて学校を休むと母親に怒られていた経験から、体調不良を誰かに伝えることが苦手になってしまった佐倉憂(さくらうい)。
しんどいことを訴えると仕事に行けないとヒステリックを起こされ怒られていたため、次第に我慢して学校に行くようになった。
「風邪をひくことは悪いこと」
社会人になって1人暮らしを始めてもその認識は治らないまま。多少の熱や頭痛があっても怒られることを危惧して出勤している。
とある日、いつものように会社に行って業務をこなしていた時。午前では無視できていただるけが無視できないものになっていた。
それでも、自己管理がなっていない、日頃ちゃんと体調管理が出来てない、そう怒られるのが怖くて、言えずにいると…?
ある少年の体調不良について
雨水林檎
BL
皆に好かれるいつもにこやかな少年新島陽(にいじまはる)と幼馴染で親友の薬師寺優巳(やくしじまさみ)。高校に入学してしばらく陽は風邪をひいたことをきっかけにひどく体調を崩して行く……。
BLもしくはブロマンス小説。
体調不良描写があります。
悪夢の先に
紫月ゆえ
BL
人に頼ることを知らない大学生(受)が体調不良に陥ってしまう。そんな彼に手を差し伸べる恋人(攻)にも、悪夢を見たことで拒絶をしてしまうが…。
※体調不良表現あり。嘔吐表現あるので苦手な方はご注意ください。
『孤毒の解毒薬』の続編です!
西条雪(受):ぼっち学生。人と関わることに抵抗を抱いている。無自覚だが、容姿はかなり整っている。
白銀奏斗(攻):勉学、容姿、人望を兼ね備えた人気者。柔らかく穏やかな雰囲気をまとう。
身体検査
RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、
選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。
嫌われ者の長男
りんか
BL
学校ではいじめられ、家でも誰からも愛してもらえない少年 岬。彼の家族は弟達だけ母親は幼い時に他界。一つずつ離れた五人の弟がいる。だけど弟達は岬には無関心で岬もそれはわかってるけど弟達の役に立つために頑張ってるそんな時とある事件が起きて.....
ファントムペイン
粒豆
BL
事故で手足を失ってから、恋人・夜鷹は人が変わってしまった。
理不尽に怒鳴り、暴言を吐くようになった。
主人公の燕は、そんな夜鷹と共に暮らし、世話を焼く。
手足を失い、攻撃的になった夜鷹の世話をするのは決して楽ではなかった……
手足を失った恋人との生活。鬱系BL。
※四肢欠損などの特殊な表現を含みます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる