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翔太
喪失
身寄りを亡くした2人は、それぞれの親戚に引き取られた。
翔太は隣の佐田のばあさんに引き取られた。母方の遠縁の親戚だったのだ。引き取られたとは言うものの、佐田のばあさんはその時86歳で、一人暮らしで息子達はもう島には住んでおらず、翔太の母親が面倒を見ていたようなものだったから、翔太は佐田のばあさんの介護を体よく押し付けられたようなものだった。
実際、佐田のばあさんの家に住むようになってからは、掃除や炊事は翔太の仕事になった。ばあさんは優しくて良い人だったけど、長年のタコ釣り船の過酷な労働で身体はもうボロボロだった。腰がひん曲がって顔が地面につきそうで、歩くのも覚束ない。
それでも翔太はばあさんが優しく
「翔太や、翔太や。ありがとうね。」
と言ってくれると心が温かくなった。
家事に追われて遊ぶ時間は格段に減ったけれど、ばあさんと2人寄り添うように暮らすのは、母を亡くした翔太の心の傷をじんわりと癒してくれた。
それに、翔太はもう遊ぶ時間など欲しくはなかった。桜亮と過ごせないなら、他の奴らと遊んでも楽しくない。
新しい桜亮の家は、翔太の住む家とは島の反対側に位置する高台の上にあった。2人はもう一緒に登下校する事はできず、桜亮は学校が終わると誰とも遊ばずすぐに新しい家に帰った。
桜亮は、母親の矢幡家の本家に引き取られた。死んだ母親の従兄が今の当主だった。
矢幡家は島の大地主で、島のほとんどの土地を所有していた。網本でもあり、漁協は矢幡家の私物のようなものだった。島唯一のスーパーマーケットも、島で一番大きな旅館も、2つある干物の工場も、矢幡家の物だった。本土でもいくつかのレストランや旅館を経営していて、当主の矢幡篤太郎は島が所属する県の県会議員で、その父、亡き矢幡権太郎は議長だった。要は矢幡家は、この島を牛耳っていたのだった。
桜亮は矢幡家本家に引き取られると、時々学校を休むようになった。元気いっぱいだったのが段々と物思いに沈むようになり、からかわれてもちょっかいをかけられても、ほとんど反応しなくなった。休み時間も絵を描く翔太の横でじっと俯きながら座っているようになり、そのうちに、翔太の肩に頭を預けて眠ってしまうのだった。
「どこか怪我しとるやろ?痛そうにしとるもん。どうした?」
翔太が聞いても、俯いたまま何も答えなかった。
「本家の人ら、虐めるんか?」
そう聞くと、じっと黙ったまま首を横に振った。
「嘘つけ。虐めるんやろ?佐田のばあちゃんのとこに泊まりに来い。ばあちゃん、優しいけ、桜亮がいても何も言わんよ。」
そう言うと桜亮は怯えたような目でどこかを見つめ、それからゆっくり首を横に振るのだった。
桜亮はどんどん元気を失くした。いつも怯えていて、時々翔太の横で静かに泣いていた。翔太はどうする事もできなかった。
「どうしたんや?」
そう聞いても桜亮は答えなかったし、そのうち、聞き過ぎると泣くのも我慢するようになったから、翔太はもう何も聞かず好きなだけ泣かしておいた。手を繋ぎ、背中をさすって、ただ黙って泣くままにした。
一度、本土に行く船に乗る桜亮を見かけた。矢幡家の運転手が港まで桜亮を車で連れてきて、その男に連れられて船に乗っていた。桜亮は俯いて、男の後ろをトボトボと付いて歩いていた。船に乗せられると、静かに海を眺めていた。その目は、悲しみでいっぱいだった。母親を奪った海を、どんな気持ちで桜亮は眺めているんだろう。あの男は、桜亮をどこに連れて行くんだろう。
翔太は胸を締め付けられる思いで数々の疑問を心の奥底にしまった。
聞いたら、桜亮が消えてしまうような気がした。ただでさえ、もともと小柄だった桜亮は最近酷く痩せていって、翔太は桜亮がいつかふいに消えてしまうのではないかと心配でならなかった。
彼らの母親が死んで一年が経とうとするある日、桜亮が学校から帰る翔太の腕を掴んで、縋りつくような目で言った。
「オレと本土に行かへん?本土に行って、もう二度とこの島には帰って来んの。そうせん?」
「え?なんで?」
「もうこの島にはおりたないんや。嫌や。あの家には帰りたくない。佐田のばあさんのとこも、ダメや。絶対連れ帰られる。」
「でも…本土行って、そんでどうするの?」
「どっか、誰もオレらのこと知らんとこ行くの。オレ働くから。何でもして、翔太とオレのご飯買うお金稼ぐから。だからお願い。一緒に行こう。」
あの時、あいつの手を握って、どこか遠くに一緒に逃げれば良かった。
あれが最後のチャンスだったのに。
翔太は後にどれだけ後悔したか分からない。
でもこの時は翔太は、桜亮がどれ程追い詰められていたのか、まだ分からなかったのだ。11歳になろうかという幼い翔太の頭では、力のない子供に苛烈な暴力を加える大人がいるなどと、想像する事もできなかった。
それに、翔太も翔太で、なかなかに毎日を過ごす事に苦労していた。佐田のばあちゃんはいよいよ頭もボケてきて、フラフラとどこかに行ったきり帰り道を忘れるようになった。
学校から帰るとばあちゃんがいない、そんな事が続いて、翔太は学校が終わると飛んで家に帰る日々だった。
じいさんが死んだ事を忘れて、夜中に起きてはタコ釣船に乗りに行こうとするので、翔太はばあちゃんの手と自分の手を紐で繋いで寝た。ばあちゃんの頭が少ししっかりしてる日でも、トイレに起きるばあちゃんに合わせて夜中に何回も目を覚ますので、寝不足でいつも眠たかった。
「待って、すぐには無理や。来月には佐田のばあちゃんデイサービス行くから、そん時なら行ける。そん時にしよ。」
「…うん、分かった。来月ね。」
「うん、来月。約束な。」
でも、翔太は約束を守る事ができなかった。
約束の日の1週間前に、佐田のばあちゃんが死んだ。夜中、翔太がつい深く寝入ってしまった時に、ばあちゃんは海に行った。腕の紐が弛んでいたのだ。じいさんと2人、夜中に起きて釣船に乗り、タコの仕掛けを引き上げて朝方戻る。そんな10年も前の生活に、頭が戻ってしまっていた。でも身体は、10年前とは比較にならない程弱っていた。佐田のばあちゃんはフラフラと港まで行き、船に乗ろうとした。昔、佐田家の船が停留していたところには、今は別の船が停まっていた。覚束ない足取りで船に乗り込もうとして、海に落ちた。
運悪く、その日は祭りの前で漁に出る者はほとんどいなかった。
翌朝、いなくなったばあちゃんを泣きながら探していた翔太が、船の横に浮かぶばあちゃんを見つけた。
翔太はばあちゃんを1人で引き上げようとして自分も溺れ、通りかかった観光客に助けられた。
本土の病院に運ばれた翔太は、そのまま本土の児童福祉施設に送られた。
桜亮に、さよならを言う事もできなかった。施設から、翔太は何度も何度も手紙を書いたけれど、返事は来なかった。
約束を破った翔太を、桜亮は許さなかったのだろうか。翔太は悲しみに暮れた。
翔太は隣の佐田のばあさんに引き取られた。母方の遠縁の親戚だったのだ。引き取られたとは言うものの、佐田のばあさんはその時86歳で、一人暮らしで息子達はもう島には住んでおらず、翔太の母親が面倒を見ていたようなものだったから、翔太は佐田のばあさんの介護を体よく押し付けられたようなものだった。
実際、佐田のばあさんの家に住むようになってからは、掃除や炊事は翔太の仕事になった。ばあさんは優しくて良い人だったけど、長年のタコ釣り船の過酷な労働で身体はもうボロボロだった。腰がひん曲がって顔が地面につきそうで、歩くのも覚束ない。
それでも翔太はばあさんが優しく
「翔太や、翔太や。ありがとうね。」
と言ってくれると心が温かくなった。
家事に追われて遊ぶ時間は格段に減ったけれど、ばあさんと2人寄り添うように暮らすのは、母を亡くした翔太の心の傷をじんわりと癒してくれた。
それに、翔太はもう遊ぶ時間など欲しくはなかった。桜亮と過ごせないなら、他の奴らと遊んでも楽しくない。
新しい桜亮の家は、翔太の住む家とは島の反対側に位置する高台の上にあった。2人はもう一緒に登下校する事はできず、桜亮は学校が終わると誰とも遊ばずすぐに新しい家に帰った。
桜亮は、母親の矢幡家の本家に引き取られた。死んだ母親の従兄が今の当主だった。
矢幡家は島の大地主で、島のほとんどの土地を所有していた。網本でもあり、漁協は矢幡家の私物のようなものだった。島唯一のスーパーマーケットも、島で一番大きな旅館も、2つある干物の工場も、矢幡家の物だった。本土でもいくつかのレストランや旅館を経営していて、当主の矢幡篤太郎は島が所属する県の県会議員で、その父、亡き矢幡権太郎は議長だった。要は矢幡家は、この島を牛耳っていたのだった。
桜亮は矢幡家本家に引き取られると、時々学校を休むようになった。元気いっぱいだったのが段々と物思いに沈むようになり、からかわれてもちょっかいをかけられても、ほとんど反応しなくなった。休み時間も絵を描く翔太の横でじっと俯きながら座っているようになり、そのうちに、翔太の肩に頭を預けて眠ってしまうのだった。
「どこか怪我しとるやろ?痛そうにしとるもん。どうした?」
翔太が聞いても、俯いたまま何も答えなかった。
「本家の人ら、虐めるんか?」
そう聞くと、じっと黙ったまま首を横に振った。
「嘘つけ。虐めるんやろ?佐田のばあちゃんのとこに泊まりに来い。ばあちゃん、優しいけ、桜亮がいても何も言わんよ。」
そう言うと桜亮は怯えたような目でどこかを見つめ、それからゆっくり首を横に振るのだった。
桜亮はどんどん元気を失くした。いつも怯えていて、時々翔太の横で静かに泣いていた。翔太はどうする事もできなかった。
「どうしたんや?」
そう聞いても桜亮は答えなかったし、そのうち、聞き過ぎると泣くのも我慢するようになったから、翔太はもう何も聞かず好きなだけ泣かしておいた。手を繋ぎ、背中をさすって、ただ黙って泣くままにした。
一度、本土に行く船に乗る桜亮を見かけた。矢幡家の運転手が港まで桜亮を車で連れてきて、その男に連れられて船に乗っていた。桜亮は俯いて、男の後ろをトボトボと付いて歩いていた。船に乗せられると、静かに海を眺めていた。その目は、悲しみでいっぱいだった。母親を奪った海を、どんな気持ちで桜亮は眺めているんだろう。あの男は、桜亮をどこに連れて行くんだろう。
翔太は胸を締め付けられる思いで数々の疑問を心の奥底にしまった。
聞いたら、桜亮が消えてしまうような気がした。ただでさえ、もともと小柄だった桜亮は最近酷く痩せていって、翔太は桜亮がいつかふいに消えてしまうのではないかと心配でならなかった。
彼らの母親が死んで一年が経とうとするある日、桜亮が学校から帰る翔太の腕を掴んで、縋りつくような目で言った。
「オレと本土に行かへん?本土に行って、もう二度とこの島には帰って来んの。そうせん?」
「え?なんで?」
「もうこの島にはおりたないんや。嫌や。あの家には帰りたくない。佐田のばあさんのとこも、ダメや。絶対連れ帰られる。」
「でも…本土行って、そんでどうするの?」
「どっか、誰もオレらのこと知らんとこ行くの。オレ働くから。何でもして、翔太とオレのご飯買うお金稼ぐから。だからお願い。一緒に行こう。」
あの時、あいつの手を握って、どこか遠くに一緒に逃げれば良かった。
あれが最後のチャンスだったのに。
翔太は後にどれだけ後悔したか分からない。
でもこの時は翔太は、桜亮がどれ程追い詰められていたのか、まだ分からなかったのだ。11歳になろうかという幼い翔太の頭では、力のない子供に苛烈な暴力を加える大人がいるなどと、想像する事もできなかった。
それに、翔太も翔太で、なかなかに毎日を過ごす事に苦労していた。佐田のばあちゃんはいよいよ頭もボケてきて、フラフラとどこかに行ったきり帰り道を忘れるようになった。
学校から帰るとばあちゃんがいない、そんな事が続いて、翔太は学校が終わると飛んで家に帰る日々だった。
じいさんが死んだ事を忘れて、夜中に起きてはタコ釣船に乗りに行こうとするので、翔太はばあちゃんの手と自分の手を紐で繋いで寝た。ばあちゃんの頭が少ししっかりしてる日でも、トイレに起きるばあちゃんに合わせて夜中に何回も目を覚ますので、寝不足でいつも眠たかった。
「待って、すぐには無理や。来月には佐田のばあちゃんデイサービス行くから、そん時なら行ける。そん時にしよ。」
「…うん、分かった。来月ね。」
「うん、来月。約束な。」
でも、翔太は約束を守る事ができなかった。
約束の日の1週間前に、佐田のばあちゃんが死んだ。夜中、翔太がつい深く寝入ってしまった時に、ばあちゃんは海に行った。腕の紐が弛んでいたのだ。じいさんと2人、夜中に起きて釣船に乗り、タコの仕掛けを引き上げて朝方戻る。そんな10年も前の生活に、頭が戻ってしまっていた。でも身体は、10年前とは比較にならない程弱っていた。佐田のばあちゃんはフラフラと港まで行き、船に乗ろうとした。昔、佐田家の船が停留していたところには、今は別の船が停まっていた。覚束ない足取りで船に乗り込もうとして、海に落ちた。
運悪く、その日は祭りの前で漁に出る者はほとんどいなかった。
翌朝、いなくなったばあちゃんを泣きながら探していた翔太が、船の横に浮かぶばあちゃんを見つけた。
翔太はばあちゃんを1人で引き上げようとして自分も溺れ、通りかかった観光客に助けられた。
本土の病院に運ばれた翔太は、そのまま本土の児童福祉施設に送られた。
桜亮に、さよならを言う事もできなかった。施設から、翔太は何度も何度も手紙を書いたけれど、返事は来なかった。
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