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救出
捜査
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警官になって10年、少年課に配属になったばかりの秋原は、ここ2日、いつも桜亮の姿が頭の片隅から消えなかった。
病院からの通報で先輩の警官と2人臨場した時、桜亮は鎮静剤の影響かぐっすりと眠っていた。
保険証を所持しておらず、身元確認できるものはなし。一緒に来た友人は名前は言うが、保護者に連絡しないで欲しいと言う。全身に明らかな被傷害の痕跡があり、本人が性病の検査を希望していた。性的虐待の疑いもある。肛門とその周辺は裂傷や擦過傷があり、咽頭淋病陽性。それが原因か、重症の扁桃炎を発症。明らかに年齢にしては発育が不良で、慢性の栄養失調。
友人の証言では両親は亡く、身元引受人の親戚の家族から虐待を受けている。本人からその旨の確認はできていない。
眠っている本人は確かに16歳にしてはひどく小柄で、首には絞められたような跡もあった。カルテに添付された全身写真を見た時、秋原は息を呑んだ。
全身にほとんど隙間なく、新しいものから古いものまで凄まじい傷痕があった。
彼の友人の安田翔太は、被害者の高校の同級生だった。彼は、被害者の矢幡桜亮本人からではなく、身元引受人、矢幡篤太郎の息子、桜亮からしたらまたいとこにあたる矢幡亮二という少年から、桜亮が10歳で引き取られた時から継続的に身体的、性的虐待を受けていて、現在は矢幡亮二の兄の矢幡征太郎と2人で市内のマンションに住んでおり、その矢幡征太郎から虐待を受けている事を聞いたと言う。そして、桜亮は10歳の頃から不特定多数の人間に売春させられているという。
にわかには信じられないほどの悲惨な境遇だ。本当だろうかと、秋原は思った。もしこれが事実なら、単純な児童虐待事件ではない。大勢の人間が未成年の子供を性的に虐待していた事になる。かなり大掛かりな捜査が必要だ。桜亮の身体の状態は、この話があながち大袈裟でもないのかも知れないと思わせた。
「矢幡篤太郎… これは厄介な事件だな。」
先輩が病院からの帰り、ポツリと呟いた。
「…と言いますと?」
「おいおい、選挙行ってねーな?」
「選挙!?」
「矢幡篤太郎は県会議員だよ。今は亡き父親も県会議員で、議長もした事がある。たしか…島の出身で、島では矢幡家は名家だよ。金も権力もある。」
なるほど。それは厄介だ。
そして、先輩の予想通り、桜亮が入院して3日後に、警察に弁護士が1人やって来た。矢幡篤太郎が雇った弁護士だ。
その男は、丁寧な口調だったが言っていることは脅迫だった。そしてその言葉通り、その日のうちに秋原と先輩は少年課の課長と一緒に署長に呼ばれた。
「矢幡桜亮についての全ての事を本日中に報告するように。現在どこにいるのか、捜査上知り得た事は全てだ。」
「それを、矢幡篤太郎に教えるのですか?」
秋原がそう言うと、署長は今はじめて秋原の存在に気付いたかのようにチラリと彼を見て、言った。
「そんな事はお前が気にする事じゃない。今日中に報告書をあげろ。さっさと取り掛かれ!それだけだ。」
「先輩も見たじゃないですか!?見ましたよね?矢幡桜亮がどれだけ傷付けられてたか。並大抵の虐待じゃないですよ!見捨てるんですか?」
「なあ秋原。お前さ、なんか勘違いしてないか?俺たちは組織の一端なんだよ。署長に報告書をあげるのは当然の事だ。それだけだ。その後何が起こっても、それは俺たちが預かり知るところじゃない。矢幡篤太郎が彼を虐待しているという証拠でもあるのか?矢幡桜亮は証言したか?安田翔太の証言を裏付ける証拠でもあるのか?え?」
「…… で、でも!」
「証拠はあるのか?って聞いてるんだよ!!!あ?」
滅多に怒らない先輩に怒鳴りつけられた秋原は衝動的に署を飛び出し、特に何も計画もなくとりあえず病院に来てしまった。事務員に来訪を告げ、案内された小さな部屋で待っているとしばらくして、前回事情聴取した者とは違う医師が来た。神宮寺と名乗るその医師は、突然の来訪を詫びる秋原に、良いですよ、と軽く言いながら実際は迷惑そうな顔を隠そうともしなかった。
「今日、署の方に矢幡桜亮くんの身元引受人の代理人の弁護士が来ました。彼の身元引受人は県会議員の矢幡篤太郎です。ご存知でしたか?」
「ええ、それが何か?」
「彼は署長に圧力をかけ、矢幡桜亮の居場所を含む情報を入手しようとしています。もちろん、我々も彼の安全を守る為に出来る限りの事をしますが、それにはどうしても限界があります。矢幡篤太郎は金も権力もあります。ですから、何としても彼が犯罪行為を行ったという証拠が必要です。矢幡桜亮くんと、話をさせてくれないでしょうか?」
「なるほど。あなた方の署の署長は圧力をかけられたら捜査情報を捜査対象者に漏らすのですか?」
「神宮寺さん、おっしゃる事はわかります。ですが、矢幡篤太郎は桜亮くんの保護者です。彼が桜亮くんの未成年者後見人である事は裁判所が認定しています。監護権を持っている。現在のところは、彼は桜亮くんの居所の指定をする権利があるのです。」
「今、当院のソーシャルワーカーや弁護士、そして児童相談所が連携して桜亮くんの一時保護を裁判所に事後申請しています。つまり、現在桜亮くんは一時保護委託入院中なので、未成年後見人でも、たとえ親権者であっても、医師の許可なく退院はさせられません。」
「分かっています。それは報告を受けてます。でも、やはり被害者の証言がないというのは弱いんです。特に、今回のような場合は…」
「それは、警察が権力者の圧力に弱いことが原因ですよね?桜亮くんは、今とても混乱し、恐怖と闘っています。精神的にも肉体的にも疲弊して、怯え、傷付き、苦しんでいる。私は彼の精神科の主治医として、警官による事情聴取的な情報収集に、今の彼が耐えられるか、分からない。分からないという事は、リスクがあるという事です。」
「ですが…」
「これは、今後捜査活動で明らかになる事ですから言いますが、彼は、HIV陽性でした。そしてさっき、その事を内科の主治医から聞かされたばかりなんです。」
「HIV…!」
「はい。もう発症している可能性もあります。」
「なんて事を…」
「今日のところはお引き取り下さい。」
「分かりました。お時間を取らせて申し訳なかったです。」
秋原が頭を下げると、神宮寺は疲れたような表情でふっと苦笑した。
「私の方も少し言い過ぎました。私は精神科医になってもう20年近く経ちますが、これほど感情を抑える事がしんどいと思った事はそうそうはありません。あなたは私よりお若いでしょうから、よりそうなのでしょう。お察しします。」
秋原もつられて苦笑した。
「すみません。感情的にならないよう律していたつもりなのですが、どうしても。警護が必要になった時はすぐにお電話下さい。」
そう言って秋原は携帯電話の番号を書いた名刺を渡し、病院を後にした。
病院からの通報で先輩の警官と2人臨場した時、桜亮は鎮静剤の影響かぐっすりと眠っていた。
保険証を所持しておらず、身元確認できるものはなし。一緒に来た友人は名前は言うが、保護者に連絡しないで欲しいと言う。全身に明らかな被傷害の痕跡があり、本人が性病の検査を希望していた。性的虐待の疑いもある。肛門とその周辺は裂傷や擦過傷があり、咽頭淋病陽性。それが原因か、重症の扁桃炎を発症。明らかに年齢にしては発育が不良で、慢性の栄養失調。
友人の証言では両親は亡く、身元引受人の親戚の家族から虐待を受けている。本人からその旨の確認はできていない。
眠っている本人は確かに16歳にしてはひどく小柄で、首には絞められたような跡もあった。カルテに添付された全身写真を見た時、秋原は息を呑んだ。
全身にほとんど隙間なく、新しいものから古いものまで凄まじい傷痕があった。
彼の友人の安田翔太は、被害者の高校の同級生だった。彼は、被害者の矢幡桜亮本人からではなく、身元引受人、矢幡篤太郎の息子、桜亮からしたらまたいとこにあたる矢幡亮二という少年から、桜亮が10歳で引き取られた時から継続的に身体的、性的虐待を受けていて、現在は矢幡亮二の兄の矢幡征太郎と2人で市内のマンションに住んでおり、その矢幡征太郎から虐待を受けている事を聞いたと言う。そして、桜亮は10歳の頃から不特定多数の人間に売春させられているという。
にわかには信じられないほどの悲惨な境遇だ。本当だろうかと、秋原は思った。もしこれが事実なら、単純な児童虐待事件ではない。大勢の人間が未成年の子供を性的に虐待していた事になる。かなり大掛かりな捜査が必要だ。桜亮の身体の状態は、この話があながち大袈裟でもないのかも知れないと思わせた。
「矢幡篤太郎… これは厄介な事件だな。」
先輩が病院からの帰り、ポツリと呟いた。
「…と言いますと?」
「おいおい、選挙行ってねーな?」
「選挙!?」
「矢幡篤太郎は県会議員だよ。今は亡き父親も県会議員で、議長もした事がある。たしか…島の出身で、島では矢幡家は名家だよ。金も権力もある。」
なるほど。それは厄介だ。
そして、先輩の予想通り、桜亮が入院して3日後に、警察に弁護士が1人やって来た。矢幡篤太郎が雇った弁護士だ。
その男は、丁寧な口調だったが言っていることは脅迫だった。そしてその言葉通り、その日のうちに秋原と先輩は少年課の課長と一緒に署長に呼ばれた。
「矢幡桜亮についての全ての事を本日中に報告するように。現在どこにいるのか、捜査上知り得た事は全てだ。」
「それを、矢幡篤太郎に教えるのですか?」
秋原がそう言うと、署長は今はじめて秋原の存在に気付いたかのようにチラリと彼を見て、言った。
「そんな事はお前が気にする事じゃない。今日中に報告書をあげろ。さっさと取り掛かれ!それだけだ。」
「先輩も見たじゃないですか!?見ましたよね?矢幡桜亮がどれだけ傷付けられてたか。並大抵の虐待じゃないですよ!見捨てるんですか?」
「なあ秋原。お前さ、なんか勘違いしてないか?俺たちは組織の一端なんだよ。署長に報告書をあげるのは当然の事だ。それだけだ。その後何が起こっても、それは俺たちが預かり知るところじゃない。矢幡篤太郎が彼を虐待しているという証拠でもあるのか?矢幡桜亮は証言したか?安田翔太の証言を裏付ける証拠でもあるのか?え?」
「…… で、でも!」
「証拠はあるのか?って聞いてるんだよ!!!あ?」
滅多に怒らない先輩に怒鳴りつけられた秋原は衝動的に署を飛び出し、特に何も計画もなくとりあえず病院に来てしまった。事務員に来訪を告げ、案内された小さな部屋で待っているとしばらくして、前回事情聴取した者とは違う医師が来た。神宮寺と名乗るその医師は、突然の来訪を詫びる秋原に、良いですよ、と軽く言いながら実際は迷惑そうな顔を隠そうともしなかった。
「今日、署の方に矢幡桜亮くんの身元引受人の代理人の弁護士が来ました。彼の身元引受人は県会議員の矢幡篤太郎です。ご存知でしたか?」
「ええ、それが何か?」
「彼は署長に圧力をかけ、矢幡桜亮の居場所を含む情報を入手しようとしています。もちろん、我々も彼の安全を守る為に出来る限りの事をしますが、それにはどうしても限界があります。矢幡篤太郎は金も権力もあります。ですから、何としても彼が犯罪行為を行ったという証拠が必要です。矢幡桜亮くんと、話をさせてくれないでしょうか?」
「なるほど。あなた方の署の署長は圧力をかけられたら捜査情報を捜査対象者に漏らすのですか?」
「神宮寺さん、おっしゃる事はわかります。ですが、矢幡篤太郎は桜亮くんの保護者です。彼が桜亮くんの未成年者後見人である事は裁判所が認定しています。監護権を持っている。現在のところは、彼は桜亮くんの居所の指定をする権利があるのです。」
「今、当院のソーシャルワーカーや弁護士、そして児童相談所が連携して桜亮くんの一時保護を裁判所に事後申請しています。つまり、現在桜亮くんは一時保護委託入院中なので、未成年後見人でも、たとえ親権者であっても、医師の許可なく退院はさせられません。」
「分かっています。それは報告を受けてます。でも、やはり被害者の証言がないというのは弱いんです。特に、今回のような場合は…」
「それは、警察が権力者の圧力に弱いことが原因ですよね?桜亮くんは、今とても混乱し、恐怖と闘っています。精神的にも肉体的にも疲弊して、怯え、傷付き、苦しんでいる。私は彼の精神科の主治医として、警官による事情聴取的な情報収集に、今の彼が耐えられるか、分からない。分からないという事は、リスクがあるという事です。」
「ですが…」
「これは、今後捜査活動で明らかになる事ですから言いますが、彼は、HIV陽性でした。そしてさっき、その事を内科の主治医から聞かされたばかりなんです。」
「HIV…!」
「はい。もう発症している可能性もあります。」
「なんて事を…」
「今日のところはお引き取り下さい。」
「分かりました。お時間を取らせて申し訳なかったです。」
秋原が頭を下げると、神宮寺は疲れたような表情でふっと苦笑した。
「私の方も少し言い過ぎました。私は精神科医になってもう20年近く経ちますが、これほど感情を抑える事がしんどいと思った事はそうそうはありません。あなたは私よりお若いでしょうから、よりそうなのでしょう。お察しします。」
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