いないはずの子供

ken

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二十歳になった日に、彼は店から20万円の入った封筒を渡された。退職金という名目だったが、実質は口止め料だった。
ここでの事を誰かに話したら、ケツモチのヤクザに殺されるよ、店の人にそう言われた。ケツモチの意味は分からなかったが、ヤクザという言葉は知っていた。そんな事を言われなくても誰に言うというのだろう。そう思いながら、彼は素直に言いませんと答えた。

それから彼は、恋人になろうと言ってくれた男に教えられた通りに、初めて乗る地下鉄と私鉄を乗り継いで40分、地域の中核都市であったその街から隣りの県の地方都市に向かった。切符の買い方も電車の乗り方も分からなかったが、覚えた駅名を言って制服を着た人に尋ねると良いと言われていた彼は、何とか電車に乗れた。電車にはたくさんの人が乗っていて、彼は怖くて震えそうになるのを堪えた。警察に捕まったら牢屋に入れられるかも知れない。電車の、体験したことのないスピードや音、揺れが不安と恐怖をさらに煽った。

だからその街に着いて教えられたモニュメントの下に行き、約束通り来てくれた客の男の姿を見た時、彼はほとんど泣きそうになっていた。客の男はそんな彼を優しくハグして、10分ほど歩いて住んでいるマンションまで連れて行ってくれた。
途中、コンビニに寄った。
「何食べたい?欲しいもの買ってあげるよ?」
そう言われて、彼は産まれて初めて自分の食べる物を自分で選んだ。
「お金、持ってるんです。初めて自分のお金、持ってるから、払ってみたいです。良いですか?」
彼は初めて店でお金を払って自分の買いたい物を買った。今まで、与えられた物をただ許される時だけ食べてきた彼にとって、選ぶ事は難しかった。でも、とても楽しかった。
「僕、今日のこと、一生忘れないです。初めて買い物しました。」
嬉しそうに言う彼を、男は優しく見守った。

普通に道を歩いている。お店で、自分の好きな物を自分のお金で買った。
それだけで彼は心が浮き立った。
触れたいと思っていた物。
道路のアスファルトや、街路樹の木肌や、信号機の押しボタン。そういう物を全部、触る事ができる。ガラス越しじゃない、本物の空を眺めて、車の排気ガスや飲食店から排気される何かを揚げたような食べ物の匂いを、嗅げる。ポツポツと小雨が降ってきて、雨が頬に当たる冷たささえ、嬉しかった。彼には、目に映る、触れる、その全てのものが珍しく、美しく見えて、心が浮き立った。
自分はついに恋人になったんだ。隣の男を眺めては顔が綻んだ。

ご飯を食べてから、一緒に映画を観た。
映画を観るのは久しぶりだった。昔、おじ様の機嫌が良い時やご奉仕がうまくできた褒美に映画を観させてもらえる事があった。でも、成長してしまった事でおじ様に嫌われて以来、映画を観る機会はなかった。
なんの映画を観るか、男は選ばせてくれた。何にせよ、選ぶ、という事に慣れていない彼は、男が説明してくれる映画の内容を熱心に聞き、時間をかけて一本の映画を選んだ。自分で選んだ映画を観ている、そう考えるだけで、彼は涙が出るほど嬉しかった。選んでいいよ、そう言われる度に、自分の存在が認めてもらえているような、まともな人間になれたような、そんな気がした。

だから、夜になって男が身体を求めてきた時、彼は混乱した。奴隷だからやらないといけない、そうおじ様に教え込まれた事を、店の商品としてこの男に提供してきたサービスを、恋人になってもしないといけないのだろうか。これは、この行為は、いったい何を意味するのだろう。自分はこの男にとって、いったい何なのだろう。
それでも、なぜかそれを口に出す事はできなかった。そういう事を求められなくなるという事は、要らない人間になるって事なのかも知れない。おじ様に要らないと思われてからの地獄のような日々を思い出して、彼は胸が苦しくなった。もう二度と、要らない人間にはなりたくない。
それでも身体を弄られ、舐めまわされ、いつも店でしていたように男に求められるままに男のモノを咥えしゃぶっていると、心と身体が再びバラバラになる感覚がした。性器を握られて、無理矢理に性的快感を与えられると、重怠く疼く下半身の感覚に、胸にヒタヒタと冷たく硬い何かが溢れて来るのを感じた。
今日感じた全ての喜びや開放感、何か新しい未来が始まるのだという希望、それら全部が、この冷たい何かに侵食されて帳消しになってしまいそうな気がした。彼は、嫌だと叫び出したい気持ちを必死で堪えた。挿入されて揺さぶられながら、ギュッと目を瞑って溢れそうになる涙を堪え、彼はさっき観た映画を必死で思い出した。魔法使いが出てくるファンタジーで、その映画の原作者が書いた別の人気シリーズを、彼は昔熱心に読んでいた。同じ作者だよ、と教えてくれた男は、今、目の前で、店でしていたのと同じように、丁寧に、でも容赦なく、自分を穿っている。熱をもったその目は自分を見ているようで、実際には自分を見てはいない。腹の奥に男の性器が叩きつけられる度に、オマエは穴だ、ただの穴だ、そう言われているような気がして、彼は映画の中の世界に逃げ込んだ。
腹の奥に生温かいものが排出され、それでもしばらく挿入したままだったが、満足したのかずるりと男の性器が身体から引きずり出される感触がして、彼はようやくそれが終わったと、ひそめていた息をそっと吐き出した。コトが終わると男は、彼を抱き枕のように抱えて眠った。男が完全に眠りに落ち呼吸が規則正しくなるのを待って、彼は男を起こさないように慎重に男の腕から出て、風呂場に行きシャワーを浴びた。
肛門に指を突っ込み、男の出した精液を掻き出しながら、彼は声を殺して泣いた。どこまで行っても自分はただの穴だ。
ひどく孤独だった。誰も、自分の存在をそのまま認めてはくれないのだ。自分の存在は、アレをやるためだけにあるのだろうか。アレだけが、自分の存在価値なのだろうか。恋人とは、奴隷や商品の違う呼び方だったのだろうか。
彼は自分が再び、あの狭い真っ暗な箱に閉じ込められているような気がした。あのお仕置きの、何を自分は恐れていたのだろうと考えると、押し潰されそうな狭さや身動きできない苦しさ、あの暗闇、それら全てよりも、その狭く真っ暗な世界にたった独りで放り出された、この孤独こそが、自分が恐れたものだったのだと、今彼にはよく分かった。

「助けて…」

思わず彼は声に出した。

「誰か、助けて…」

その声は小さく、シャワーの音にかき消されて誰のもとにも届かなかった。それでも彼は、助けてと声に出さずにはいられなかった。


シャワーを浴び終えて裸のままバスタオルに包まって、彼は玄関に座り込んだ。ここを出ていこう。ベッドルームに、脱がされた服がある。あの人を起こさないようにそれを着て、ここを出ていくのだ。そう思うのに、身体は竦んだまま動けなかった。このドアの向こうに広がる世界に、独りで出て行く勇気を彼はどうしても出せなかった。このままここにいたら、今度はあの男の奴隷になる。そう分かっていても、彼は外の世界が怖かった。このドアの外の世界で、独りでどう生きていけば良いのか、彼には全く分からなかった。
身体が冷えて震えが止まらなくなるまで、彼はそこに座り込んでいたが、結局、ドアを開ける勇気は出なかった。彼は、とぼとぼと寝室に戻り、裸のまま布団に潜り込んだ。布団の中は隣の男の体温で温かく、彼は目を瞑ってそのまま眠った。









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