いないはずの子供

ken

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それから男は毎晩身体を求めた。
何年も前から丁寧に解してからのSEXには体の痛みはそれほど感じなくなっていたが、それでも内臓を押し広げられ打ちつけられる感覚はどうしても好きにはなれなかった。彼は目を瞑って、物語の世界に逃避する事でその時間を凌いだ。
頭の中で日中読んだ物語を暗誦し、草原を駆け回ったり夜の電車で銀河を渡ったり空を自由に飛び回ったりした。
昼間、男が大学に行くと、彼は部屋の掃除や洗濯をした。母親と暮らしていた時もおじ様と暮らしていた時も、掃除や洗濯は彼の仕事だった。そういった細々とした雑用は苦にならなかった。むしろ身体を動かして雑用をしている時間は気が紛れた。彼はそういった家事を心を込めて丁寧に時間をかけて行った。隅々まで床を雑巾で水拭きし、窓ガラスを磨き、椅子や机をピカピカに拭き上げ、水廻りは水滴ひとつ残さないように乾拭きで仕上げた。そう躾けられたからでもあったが、それは元々の彼の性格からでもあった。そういう作業が、彼は好きだった。
大学がない日、男は昼から彼の身体を貪る時もあった。食事や観る映画は選ばせてくれる男は、SEXに関してはなにも選ばせてはくれなかった。やりたいかやりたくないか、訊ねられることも確認されることも無く、男がしたい時にSEXが始まった。彼にとってSEXはいつも奉仕であり、自分の意思とは関係なく相手のしたい事をするものだった。
朝方眠っているところを揺り起こされてしゃぶらされたり、食事中にムラムラしたからと尻を出すように言われると、彼は自分が、ここでも人間として扱われていないのではないかと感じたが、黙って従った。
もともと自尊心というものを一切育めない環境で育った彼には、従う以外の選択肢は考えられなかった。毎日SEXをする生活は変わらないけど、何人も相手しないといけない訳じゃない。痛い事もされない。お仕置きもない。
自分には、充分過ぎる生活なのだ。
男がここに呼んでくれなかったら、自分は今でも系列の店に移って身体を売っていたのだ。毎日、何人もの見知らぬ男たちを相手に。自分にはこれしかないのだ。そう彼は自らに言い聞かせ、納得させた。

それでも、男に優しくされると、彼は希望を抱いた。もしかしたらこの人は、自分の存在そのものを認めてくれるかも知れない。
男は、だいたいの時、優しかった。以前と変わらず本を買ってくれて、大学で学んだ事を教えてもくれた。彼は男に教わってネットの動画を見て料理を作るようになった。朝ごはんと夜ごはん、無心で料理をしていると嫌なことを忘れられた。作ったものを美味しいと言って食べてもらえると、心が浮き立った。
「ねえ、サトシ。可愛いね。何でも欲しいもの言ってよ。」
そう言われると彼は、自分はやっぱりこの人の特別な存在なのかも知れない。身体だけの存在じゃなくて。この人になら、自分の苦しさを打ち明けても良いのかも知れない。
そう思う気持ちと、そんな事あるはずがない、自分は身体を渡す事でしか生きられない存在なのだ、と思う気持ちで、彼は引き裂かれ揺れ動いた。

ある夜、珍しく男はSEXを求めなかった。
それは男のただの気まぐれであったのかも知れないが、彼にはそっと背中を押してくれる希望のように感じた。自分は、アレをしなくてもここにいる事を許されるのかも知れない。
その夜は、教わったばかりのトランプゲームをしたり、ソファで手を繋いでお喋りをしたりして夜を過ごした。
穏やかで幸せな夜だった。

次の朝、彼はまだ日が完全に登らないうちに起きて、使って良いと言われている小銭を貯めてある瓶から500円玉を一枚取り、コンビニに行って新聞を買った。昨夜、新聞にアイロンをかけるのが得意だと話したら、パリパリの新聞を読んでみたいと男が言ったからだ。新聞にアイロンをかけ、それから、時間をかけて丁寧に朝ごはんを作った。男は驚き、喜んでくれた。大学に行く男を送り出してからも、彼はいつもよりさらに丁寧に部屋を隅々まで磨きあげた。
昨夜、自分が感じた嬉しさや幸福を、男に対しての感謝と愛情を、うまく言葉にできる自信がない彼はそういう形で表現したかったのだ。男が大学から帰ってきて、ソファでくつろぎはじめてすぐに、彼は男の前に座って話を聞いて欲しい、とお願いした。
そんな風に自分の気持ちを自ら伝えようとしたのは彼の人生で初めての事で、彼は緊張して震えが止められなかった。
「え?あらたまって何?どうしたの?」
男がにっこりと笑って優しく言って、彼は少しだけ安心した。
彼は男に、辿々しい言葉で自分の気持ちを話した。

昨日、自分がどれだけ嬉しくて幸福だったか。そんな風に毎日過ごせたら良いなと思っている事。
自分はほんの小さな子供の頃からずっと、身体を売るような生活をしてきた事。それが、辛くて苦しくてたまらなかった事。モノのように扱われて、もう人として生きる事を諦めて毎日過ごしてきた事。初めて、奴隷でもゴミでも商品でもなく、恋人と言われて、とても、とても嬉しかった事。男の事が本当に大好きなのに、それなのにSEXをすると自分はモノとしか扱われていないと感じてしまう事。恋人と言ってもらえたのに、だからこそ余計に、苦しくて、心と身体がバラバラになったように感じてしまう事。自分には、身体以外、男達の性欲の捌け口になること以外、価値はないのではないかと思ってしまう。
もう、奴隷にも商品にもなりたくない。

男は黙って話を聞いてくれたが、彼を安心させてくれた笑顔は徐々に消えていき、目から温度が無くなっていった。
何も言われる前から、失敗したのだ、と彼は悟った。

「……で? もう二度と、オレとSEXしないってわけ?」
男の声は冷たく、彼は萎縮して声を出せなかった。
「…に…にど…と…二度とかは…」
どうにか絞り出す声も、震えて次が続かない。恐怖に涙が滲んできた。
「なに?ちゃんと喋って?」
「に、二度とじゃないかも…か、かも知れ…」
「かも知れない?じゃ、二度としないかも知れないって事だよね。」
「……し、したく…じ、自分からしたくなるまで…ま、待って欲し……欲しいんです…
い、い、今は…辛くて…」
「…はぁ?それじゃあ今度はオレがサトシの奴隷じゃない?ヒモのサトシを養って、ただで部屋に住ませて飯も食わせてやって、それで?お前がしたい時しかヤらないって?
は??何それ?何様なの?」
矢継ぎ早に男の口から溢れ出る言葉が、彼の胸を刺した。今度は?今度はオレが、という事は、今は僕が奴隷だと、この人はそう思っているのだろうか?
やっぱりそうだったのか。
どんなに優しくされても、どこまでいっても、自分は…

「……ごめんなさい。
りょうくんのやりたい時に、やります。もう二度とこんな事言わない。
も、申し訳ありませんでした。
ごめんなさい。」
彼は男の前に手をつき、額を床につけて謝った。お礼や謝罪はこうするんだと、かつて教え込まれた通りに。

「いやさ、そこまでは言わないけど、それはさすがにワガママだよ。分かってくれたなら良いけど。」
男は優しい口調で言ったが、目はもう笑っていなかった。

それからのSEXは、更に辛いものになった。男は彼が自分からSEXして欲しいように振る舞うことを求めてくるようになり、自ら腰を振ったりしゃぶりついたりするよう命じられた。そして、1カ月ほど経つと、男は次第に彼を粗雑に扱うようになった。退職金としてもらった20万円は全て男に渡したが、あんなお金では全然足りないとある日男は言った。
「オレがサトシを養ってるんだよ。ヒモって立場、弁えてね。」
男にそう言われると、彼はますます必死に男に奉仕するようになった。
もう二度と、自分の気持ちや願いを誰かに言うのはやめようと、彼は心に決めた。自分にはそれを言う事は許されていないんだ。彼は何も感じないように、心を殺した。

男の友達や家族がマンションに遊びに来る時は、彼は外で時間を潰すよう言われた。雨の日も、粉雪のちらつくような寒さの日も、彼は何時間も近くの公園のベンチに座り込んで本を読んで過ごした。屋根はあったが、寒くて手足の感覚がなくなった。時には一晩中、外にいる時もあった。

いつまでヒモでいるつもり?

次第に男はそう言うようになり、その言葉に彼は罪悪感を感じた。お金を払わないと。
よく行くコンビニで雇ってもらえないか聞いたが、身分証明書のない彼は雇ってもらう事はできなかった。
「身分証明書、何でないの?」
「はい。いないはずの子なんです、僕。」
「いないはずの子?何それ?」
彼はうまく説明できず、どこにも雇ってもらえないと聞いた男は、ただ怠けているのだと彼を詰った。
「何もできないならさ、あそこの公園に行って身体でも売ってくれば?」
そう言われて、彼は胸の奥をぐちゃぐちゃに刺されたような気持ちになった。
それが、トドメだった。
もうここには居られない、そう思った。

そう言われた翌日に、彼は男の部屋を出た。
男から買ってもらったものは全て置いてきた。数冊の本と、着替え一式。
小さな紙袋にそれだけを詰めて男の言った場所に向かい、彼はホームレスの売専ボーイとなった。男の部屋に来て3ヶ月後の、20歳の春だった。
『ありがとうございました。さようなら。』
ノートにそう書いて、恋が終わった。
彼にとってそれは、初めての淡い恋だった。


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