ビストロ廻天百眼 第一話「目玉のテリーヌとスープ」

ぱとす

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仕入れ屋の「顎」と「ひょろ松」の奮闘

ビストロ廻天百眼 第一話「目玉のテリーヌとスープ」

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「顎の旦那ぁ、こんなん山の中ですかあ」

桶を吊るした天秤棒を揺らしながらこぼしたのは「ひょろ松」。
その名のとおり、痩せて頼りない姿。道とも言えない岩だらけの森の中を突き進む頑健な男に弱音を吐いた。
空は晴れ渡り、森に陽が遮られているとはいえ、垣間見える陽光はまるで肌を炙りかねない。天秤棒の水が臭気を撒き散らし、ますますもって不快感を煽る。

「こりゃあよ、でっけえ仕事なんだからぐちゃぐちゃ言わずに俺に付いてこい」

頑健な男もまたその盛り上がる筋肉の上に桶を吊るした天秤棒を吊るしている。
滴り落ちる汗がしぶきを上げる。突き出した顎は人並外れて大きい。

やがて森の天井に穴が空いたような、ぽっかりとした空き地に出た。
目の前には崖が高く天に聳えるように視野を塞いでいる。
苔むした岩はこの陽気にもかかわらず冷え冷えとして、出来損ないの鉄板のように歪に立ちふさがっていた。

「着いたぞ、ここだ」

巨大な顎の持ち主はその岩肌をくり抜くように暗黒の瞳を開く洞穴を指差した。

「いいかげん臭いんですよお、このドブ水」
「そのくらい腐った水じゃねえと役には立たねえんだな、これが」

顎男は桶を下ろして洞穴の左右を見渡した。

「「蓋」を作るにゃおあつらえ向きの手頃な岩も土もある。探したんだぜ」
「こんな山ん中の洞穴と腐った水。顎の旦那も俺も食材の仲買人ですぜ。いったいなにが悲しゅてこんな事せにゃならんのです」
「うるせえな、俺の言う通りにするんだ。まずこのドブ水をこの穴の中に撒く」
「わっけわかんねえなあ。いい加減なんだか教えてくださいよ。街のドブ板横丁からこんな山ん中に腐り水持ち込んでる訳を。さっさと終わらせて酒、飲みましょうや」

洞穴の中は意外に広く、普段付き合いのある連中と行く酒場ぐらいの広さがあった。
外の暑さに炙られた後なのに鳥肌が立つほどに冷え込んでいる。
腐った水をザバザバ所構わず撒き終えると、顎男はひょろ松のケツをひっぱたきながら今度は洞穴を岩や土で塞ぎにかかる。
天秤棒など吊るしてやってきたのでほとんど素手だ。

「ああああ。前からおかしいと思ってたんですけどねえ。顎の旦那もとうとう………」
「口動かすな。手え動かせあほんだらっ」

岩を移動させ小石で埋め、最後はコテで土を掬い。
陽が沈む前に洞穴の入り口は跡形もなく塞がった。

「さあて、結構結構。今夜は「潜酔館」で一杯やろう。おごるぜ」
「こんな訳のわからない事に付き合わされたんだから当然でしょう。ああ、豚足の芥子煮込みと川葡萄食いてえ」

振り返ることもなく道を急ぐ顎男の尻を、ひょろ松は着物の裾をまくって追いかけた。





「顎の旦那ぁ、しばらく大人しいと思ったらまた訳のわからん事を」

「うるせえな、俺の言う事を聞いてりゃいいんだ」

「顎の旦那は俺に何も教えちゃくれねえんだから」

「秘密ってのわな、身内から漏れるものさ。今回のは誰にも知られちゃならねえんだ」
「しっかし、「ビストロ廻天百眼」でなにがあるっていうんすか」

顎男はバタバタとひっきりなしに騒音を立てる網で編んだ籠を抱えたまま、ひょろ松に答える。

「おめえ、「ぶりあ・さゔぁらん」とか「ロサンジン」って知ってるか?」
「なんすかその食い物は」
「食いもんじゃねえ、食う方の人間の事よ。とにかくとんでもねえ美食家が来るらしいんだ「ビストロ廻天百眼」にな。で、あそこの主人としては見くびられたくねえって訳だ」

同じく騒音を立てるだけではなくガサゴソと暴れる籠を押さえつけながらひょろ松は考え込む。

「へえ。「ビストロ廻天百眼」の出すもんに文句を言ったやつあ知りませんけどね。あそこ、究極の美食の極みじゃねえですか。俺たちにゃ「潜酔館」の方がよっぽどいいやい」
「俺たちは黙って仕事をすりゃあいいんだ。美食家とやらの勘定はどうせ「ビストロ廻天百眼」が巻き上げる。そのほんのちょっとが俺たちの手に入る。その「ほんのちょっと」ってので、まあ毎日毎日、半年は「潜酔館」で酔っ払えるという寸法さ」
「あああ、そんな事聞いたら酒が飲みたくなりやした。仕事を早く済ませましょうよ顎の旦那」

二人は塞いだ洞穴の蓋をほんの少し壊して穴を作り、そこから籠の中のものを突っ込む。ネズミよりは大きく、ラットほどは大きくないけれど「翼」を持った生き物。

そう、蝙蝠を。





洞穴に蝙蝠を放ち、14日。
塗りこめるように塞いであった洞穴の壁をまるまる崩し、洞穴の中にひょろ松と顎男は踏み込んだ。
例えようもない異臭が鼻を突く。

「くっせえし空気が澱んじゃっててたまりませんなあ」

「いいからまずこのくそったれな蝙蝠をどかしな」

「うえっ、気持ちわりい。ネズミ退治のマルセーの真似してどうすんすか?」

十数匹の蝙蝠を脇に寄せると、顎男は四つん這いになって洞穴の床の岩を舐めるように観察する。撒いた水はまだしっとりと床を濡らしていた。

「暗くってかなわねえ。ひょろ松、灯り用の松明を作って火いつけて来い」

ひょろ松は松の木から作った松明を持って顎男の手元を照らす。
床に落ちている黒い何かを見つけると丁寧に袋に移した。
時折、虫眼鏡を覗いての極めて丹念な仕事だ。

「兄貴い、やっぱどうかしちゃったんじゃねえですか?砂金なら川に行かないとないですぜ」

「馬鹿野郎。砂金を掬うのは運任せ、砂金を作り出すのがこの俺様の才覚ってものよ」




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