猫と私と犬の小説家

瀧川るいか

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太陽と嘘と月

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「あれから二年か~。早いな~」
ドライヤーで髪の毛を乾かしながら考え事。
ゴーゴーと大きな音を立てながら、濡れた髪の毛を乾かしていく。
現在の時刻は十六時。特に用事がある訳ではない。
少し気になる事があり、歩きたい気分なのだ。
外は暑いようだが、歩きたい気分なのだ。
運動をするのは好きではない私は運動用の服を持ち合わせてない。そして、外に出るなら、それなりの準備をしてからでないと出たくないのだ。知らない誰かに見られる、知っている誰かに会う可能性があるなら、それなりの自分じゃないと出たくないのだ。
「よし!良い感じ!」
重たいドライヤーをテーブルの上に置き、次はアイロンで黒い髪の毛を真っ直ぐに整える。前髪は特に気を使う。
女の子なら当たり前。
肩より二十センチ程伸びた髪の毛も丁寧に整える。
「うん!綺麗!」
そして自分の顔より大きな鏡に写り込む自分を可愛く仕上げていく。一秒前の自分よりも可愛くする為に。
私が出掛ける準備を始めると同居する茶トラの二匹がソワソワし出す。同居している茶トラの兄弟猫のチャチャとメー。
メイクをし始めると必ず鏡の前に立つメー。
「メー!どいて~」
そう言ってテーブルから降ろしても、ちょっかい出してくる可愛い構ってちゃん。
邪魔はしてこないが、寂しそうな顔をするチャチャ。
鏡越しに表情が見えて、少し外出するのが寂しくなる。
「大丈夫だよ~。少しお散歩行くだけだから~。そんな永遠の別れみたいな顔しないの~。男の子でしょ~」
寂しそうな鳴き声が小さく返ってきた。
私がいないと寂しい気持ちは嫌いじゃない。寧ろ、嬉しい。
「さてさて~」
メイクの準備を始める。前髪を今だけおでこにかからないように纏める。取り敢えず化粧水を顔全体に馴染ませる。
「あ~~~」
皮脂崩れ防止化粧下地を少し。カサつき粉ふき防止化粧下地も少し。手の甲で混ぜて、さらさらと塗っていく。いつものように。
ファンデーションは崩れないように耐久力が大切。中途半端に崩れたメイクは嫌い。あまり手直しを頻繁にしたくない。
ファンデーションを固まらないように白い肌に塗り込んでいく。
次は目の下のクマと鼻と鼻の下と顎にコンシーラー。
「今日は睡眠ばっちりだから目の下のクマが気にならない~良いことだなぁ~」
最近は沢山寝るようにしている。睡眠時間が可愛さ与える影響は計り知れないという事に気付いた。
可愛くある為、睡眠は大切なのだ。
次は美肌パウダーをパフを使い優しく押さえる感じで付ける。白い綺麗な肌が好き。
「あ~~いい感じ~」
この段階だと未完成感が凄い。
次は眉毛。
相変わらず趣味は変わらず、優しそうな雰囲気を心掛けている。眉毛の位置や角度で印象がかなり変わる。並行な感じだが少し困り眉毛が好き。強そうに見えるのは好きではない。
「あ~~。プルプルする~」
そんな事を言いながら震える手でアイブロウペンシルで描いていく。その位眉毛は大事なのだ。暗過ぎ明る過ぎず描いていく。
次はアイメイク。沢山の色の中から気分で選ぶ。
「今日は赤~。赤が一番可愛いよね~」
片目を閉じて指で眉毛と二重幅の間の目蓋に塗る。ほんの少しだけ赤のラメを入れた。きっと伝わらないくらい少しだけ赤のラメを入れた。
「うん!可愛い!」
軽くアイラインを引き、ビューラーでまつ毛を上げた。マスカラで更にまつ毛にボリューム感を出す。
目はパッチリが可愛いと思うのは生まれてから変わらない。涙袋にもラインを入れる。ここは重要。
お気に入りのピンク色のチークを塗った。唇に薄いピンク色のリップを分からないくらい薄く塗った。
保湿効果の高いリップを塗った。大したお出掛けではない今日はグロスはなし。最後に、やたらデカイ鏡の前で仕上がりを確認。
「まぁ~。大丈夫かな」
いつもより少しラフな格好で出掛ける事にした。
今日は、そんな気分なのだ。

エアコンは着けたまま家を出る。暑い日は茶トラの二匹も暑い。
そして、メーを抱っこしながら玄関に行く。そっと付いてくるチャチャ。
メーの頭を数回撫でて、降ろした後にチャチャを抱き上げてメーと同じように数回頭を撫でた。
茶色の毛が服に沢山着いたが、いつもの事。
そして、いつものように寂しそうな顔をする茶トラの二匹。
再び、頭をポンポンと優しく撫でた。
「行ってきます」の合図だ。
「じゃあ~。行ってくるね~」
可愛い茶トラの二匹に見送られながら家を出た。行く宛てもなく家を出た。
エレベーターで下界まで降りて、マンションから出ると梅雨明けしたばかりで熱い太陽が迎えてくれた。
「いやぁ~暑い!無理!やだ!」
太陽から逃げるように白いアーケードで覆われた商店街を目指した。
タラタラと汗が流れる。洋服にも汗が垂れる。
黒い髪の毛に雫が出来て、焼けたアスファルトに一滴落ちた。
「あ~。折角髪の毛セットしたのに~。最悪!日傘持ってくればよかったなぁ。服も汚れるし~」
白いアーケードに覆われた商店街に入ると、風の音と鳥の鳴き声と思われるBGMが聞こえる。
この中では自然を感じられる音が常に流れている。
木製のベンチに座り、少し休憩する。
「あ~疲れた!暑いし」
お気に入りのピンク色のリュックからハンディファン取り出し、ハンカチで汗を拭き暫し休憩。
ハンディファンで風を送るが生暖かい風が当たるだけ。
「ないよりはマシか~」
そんな事を言っていたらハンディファンは機嫌が悪くなったのか風を送る行為を止めてしまった。
「はっ?止まる?充電切れた?いやぁ~。ないよりはマシなんだからさぁ~」
充電切れで生暖かい風を送る事さえ出来なくなったハンディファンをピンク色のリュックに投げ入れた。
「はぁ~最悪」
不機嫌な気持ちでいたが座っていたら少し涼しく感じるようになった。
この近くには音楽の学校があって、女の子が三人いてダンスの練習をしている。最近は大きなガラスが鏡代わりになっている。
その音楽の学校から少し歩くと音楽スタジオがあり、楽器を担いだ大人の男性やら若い男の子が行き交う音楽ストリートとなっている。
「なんか良いな~夢中になれる事があるって。羨ましいなぁ~」
そして目の前にはシャッターが閉まって、発泡スチロールで作られたうさぎが所狭しと飾られている。最近は閉まるお店が多い。寂しく感じる。
「え~。ここ何あったけ~?」
ふと見上げると、北の家族の文字。
北海道料理を売りにしていた居酒屋だ。以前はお店の前には冬鍋、ザンタレ、特大ほっけ、ジンギスカンと厚切り牛タンステーキ、刺身大漁盛りとオススメの料理のポスターが貼られていた。そんなポスターも今は跡形もなく消え失せている。
「あ~。なくなっちゃったんだ~」
ピンク色のリュックからスマホを取り出して、ある人に電話をした。
スマホを耳にあて、いつもの聞き慣れた呼出音が聞こえる。
そして耳から離してスマホの画面を見ながら0:00を待つ。
コールが0:00になった。スマホを耳に当て話し始めた。
「もしも~し」
「はいは~い。どした~?」
相変わらずトロトロと話す人だ。
「あのね~北の家族なくなってる」
「マジで!?あの北の家族?」
「うん!あの北の家族」
「え~。なんか寂しいなぁ。もうないのかぁ」
顔は見えないが本当に寂しそうな声が聞こえる。
「うん!なんか寂しい」
「きっと、また世の中が元気になったら戻ってくるよ」
一時期、好きでメニューを全て食べ尽くした程、好きだった北の家族。最近は忙しさに追い掛けられて、来れなかった。特にチーズフォンデュが好きだった。
カリカリのパンにチーズを付けて食べる。チーズ好きの私には堪らなかった。
「うん!きっと戻ってくるよね。チーズフォンデュ」
「戻ってくるよ。チーズフォンデュ」
「ごめんね~急に電話して~。なんかねぇ」
「いやぁ~いいよ~。当たり前にあったのがなくなるのは寂しくなるよね」
「それそれ。じゃあまたね~。わんころ~」
スマホ越しに話をしている相手はわんころと呼んでいる人。仕事をしながら趣味で小説を書いてる人。仕事中の筈だが、何故か電話したら出ててくれる。
「はいはーい。元気出せよ~。今日は暑いから水分補給忘れるなよ~。後、薬ちゃんと飲んだ~?」
「うん!大丈夫!」
「今日は家がいいよ~」
「なんで~?」
「暑いから」
「あ~。外暑いね~」
「なんでまた外?」
「うーん。お散歩~」
「ははは。暑いから気を付けんだよ」
「は~い」
相変わらず保護者みたいな人だ。電話を切り、好きな食べ物を思い出していた。ローストビーフハスカップソース、厚切り牛タンステーキ、鮭のちゃんちゃん焼き、あん肝ポン酢、もちもちチヂミ、ザンタレ。デカいハウスサラダ、クリームコロッケ、室蘭焼鳥。大好きだった金粉のかかった金の抹茶。ウーロンハイ。レアチーズケーキヨーグルト、私の味覚のせいか味がしなかった北海道バニラアイス。冷やしトマト。そしてチーズフォンデュ。
「あ~チーズフォンデュ死ぬほど好きだったなぁ~」
「金の抹茶も好きだったなぁ~」
「だった」という過去を演出する言葉が寂しく感じるくらい思い出がある場所がなくなったという事実は寂しさを超えて、言葉では表せない気持ちだ。

 周りを見渡すとベンチでおばあちゃんが寛いでいた。少し申し訳ない気持ちになった。私が座っているベンチに座りたいおじいちゃんおばあちゃんがいる可能性を考えたら、若い私が座っているのは少し変な事に思えた。ベンチから立ち上がり、パチンコ屋を通り過ぎて老舗のお菓子屋も通り過ぎて、商店街の出口に立ち、再び太陽に出会った。
「いやぁ~だから暑いよ~」
出来たばかりの新しいガラス張りの建物がある。
コンビニや薬局や病院や学校や役所が入っている。
「うーん。コンビニ行くかぁ~」
暑さに負け、コンビニに逃げ込む。
自動ドアを開け、店内に入ると真新しい雰囲気。
揚げ物がセルフになっているのとレンジがセルフになっているとセルフレジを見ると「色々と変わるんだなぁ~」と感じた。
「へぇ~。自分でやるんだぁ~。まぁ~そっちの方が好きかな~」
好きなドライフルーツを三個と脂肪を燃焼させるジャスミン茶を買った。汗をかき過ぎて頭がボーッとする。
店の外に出て、ジャスミン茶を一気に身体に流し込んだ。
「あー!蘇る!」
再び店内に入りゴミ箱に空いたペットボトルをガコンと投げ入れた。
スマホで時間を確認したら十八時に届きそうな頃合い。
ブルブルとスマホが動き出して電話の知らせがきた。
「はいは~い」
「久しぶり~元気~?ママだよ~」
「分かる分かる」
スマホの画面を見れば誰から電話くらい分かる。頼むから私の事好きなのは嬉しいのだが、私の顔をアイコンにするのはやめて欲しい。
「んで、どしたの?」
「何でもない~今日暑いからね、りむちゃん溶けてないか心配で電話したの」
「うんうん。溶けてないよ~」
「今何してるの~?」
「お散歩してる~」
お散歩と言ってるが実はダイエット。恥ずかしくてい言えない女子の気持ち誰かわかって欲しい。
最近少し太った気がして痩せたい気持ちでお散歩をしている。
「え~。こんな暑い日はお家で猫ちゃん達と遊んでればいいじゃない~」
「まぁ~そうなんだけどさぁ~お散歩したくなったからさ~」
ダイエット中なんて言いたくない。きっと「そんな事ないよ~。痩せてるよ~」と生易しい言葉を言うに違いない。その言葉に甘えると後悔するのが簡単想像出来る。
「そお!じゃ気を付けてお散歩するんだよ~」
「は~い」
電話を切ると「なんの電話?」と思いながらバス停を目指して歩き始めた。
「あ~団扇とか欲しい~。暑い~」
バス停でバスを待つ間も汗が止まらない。
ハンカチで汗を拭いても、汗が止まらない。
駅行のバスが着て、乗り込んだ。
ここは数分に一回と頻度が高い為、待たされる事が少ない。
運が良いことに乗客は少ない。
「良かった~。すぐに降りれるとこに座ろ~」
そうして運転席に近い、少し他の席より高さのある席に座った。
「あ~。バス涼しい~」
なんとなく手でパタパタと風を自分に送った。
正直、あまり変化はないが気持ち涼しい気持ちになった。
「発車しま~す」と運転手が独特の雰囲気で言った。
ウインカーの音がカチカチと聞こえる。
ゆっくりとバスは動き出した。
前から気になってはいたが、何故電車やバスの運転手は少し癖のある言い方をするのか。周りの人が気にするように言っているものだと勝手に思っている。普通に言ったら聞いて貰えないかもしれないから、敢えて癖を付けて言っているのだと。
「あ~~良い天気。もう少し気温下がらないかなぁ~。暑過ぎる~。もっと太陽私に優しくなれ~」
太陽の光が反射してキラキラと光る水面を眺めながら、私は勝手に太陽に優しさを求めた。きっと届かないだろう。
バスは日本一長い川の上を走る。
バスは名所と言われている国指定重要文化財の橋の上を走る。
少しだけ窓に反射して映る自分の顔を見て少し落ち込んだ。あんなに準備したのに化粧が崩れている。
この気持ち分かるかな?世の中の女子以外の生き物達。
バスは街の中心に止まった。
少し涼しいバスを降りて、再び熱い世界に身を投げた。

 「あ~暑い~。やだぁ~。取り敢えずコンビニに行こ~」
バス停の目の前にあるコンビニに逃げ込んだ。
太陽から逃げる為にコンビニに入るのは今日二回目だ。
ここは手動で開ける扉。
少し重たいガラスの扉を開けて涼しい店内に入った。
「あ~涼しい~」
大きなアイスケースの前に立ち、アイスを選ぶフリをして涼しんだ。全く買う気は無かったのだがアイスを食べたくなってきた。
「いや!ダメ!今は!」そんな言葉を心の中で繰り返した。
そして何も買わないのは申し訳ないので店内を歩きながら何かを探した。特に目当てがある訳ではないが、涼しみがてら、何かを探した。
「あ~~これ!」
今、一番好きなアニメの玩具があった。デフォルメされた小さなフィギュアがあった。ブラインドパッケージになっていて中身が分からない。正直、困る。欲しいのは推しのキャラだけなのだから。しかし、推しのキャラが出る事を信じて二つ手に持ちレジに向かった。
会計を終わらせ、店の外に出て箱を一つ開けた。
「う~ん。違う!」
推しキャラには会えなかった。
「まぁまぁ~まだ一箱ある」
願いを込めて、もう一つの箱を開けた。
「は?被るとか~」
特に思い入れのないキャラが被ってしまった。
一瞬、熱くなって再び店内に行き買おうかと思った。
しかし、今日は推しキャラに会えない気がした。
二つ買って同じのが二つ。しかも、特に推してないキャラ。
これは、きっと今日は出会わせないように運命が邪魔してると思った。
コンビニから出て右に行くと地下道と古い歩道橋がある。
大通りの前には信号はなく、道を渡る為にどちらかを通らないといけない。
特に推してないキャラのフィギュア二つをお気に入りのピンク色のリュックに投げ込み暑さを避けるように地下道を通ってこの街の中心の商業施設を目指した。
「はぁ~。今日は良くない日だなぁ~」
好きだった居酒屋がなくなった事、ハンディファンの充電切れ、特に思い入れのないキャラが被る。
この三つが今日の私の運勢の悪さを証明している。
良くない事が気になる日は良くない日。
当たり前の事かもしれないが、良くない事があっても気にならない日もある。今のところは良くない日。
地下道に潜り、太陽から逃げる事に成功し、全く興味はないが地元の歴史をアピールする場所が設けられている前で、何となく足を止めた。
興味の対象は地元の歴史ではなく、ここに来るまでの私の歴史。ガラスの中に沢山の記念物が展示されているが、ガラスに反射して映りこんだ崩れた化粧と汗で濡れた髪の毛。
「あ~りこれはひどいなぁ~。とりあえずカフェ行こ」
落ち着いて休める場所に行く為に足を動かした。
階段を登り、商業施設の前までやって来た。
これは目的を持った行動ではなく、あくまで自分自身の為。
ダイエットの為なのだ。

 商業施設に入ると入口にはアルコール除菌スプレーが置いてあった。右手に三回かけた後、左手にも丁寧に擦り込んだ。
「涼しい~」
思わず独り言。暑過ぎる外から来た人間には天国だ。この気持ちは今日は三回目。そして、階段を登り二階のカフェに辿り着いた。暇があると顔を出すカフェで店員が全て顔見知り。私にとっては落ち着く場所である。
カフェの入口でアルコール除菌スプレーを再びかけて入ると、いつものように仲の良い女性店員が迎えてくれた。
「あら~。こんにちは!」
「こんにちは~。暑いです~。紅茶下さい~」
「冷たいのですね~」
「は~い」
「大丈夫ですか?」
「今日暑くて~。少し休ませてください~」
「ええ。ゆっくりしていってください」
「すいません~」
そんな話をしながら会計が終わらせると番号札を渡されてた。貰った番号札をクルクルと回しながら空いてる席を探す。一番お気に入りの窓際の一人掛け用の席が空いていたので座った。
「ふ~。やっぱりここが一番落ち着くね~」
店内から外を眺めると若いカップルや夫婦や家族連れや若い男の子のグループなど楽しそうな人々が行き交っている。
店内も女の子の二人組や主婦と思われる人が楽しそうに雑談をしている。
お気に入りのリュックを足元にあった荷物置きに置き、スマホをいじりながら冷たい紅茶がくるのを待った。
「お待たせしました~」
いじっていたスマホをテーブルの上に置き、スペースを作った。女性店員は空いたスペースに冷たい紅茶を音を立てる事もなく優しく置いた。
「ありがとうございます」
「今日はお買い物ですか?」
唐突な質問に驚いて思わず嘘がこぼれ落ちた。
「えっ?あっ!はい!買い物で来たので。ついでに寄ってみました~」
「そうなんですか~?今日は日曜日で混んでるんで少しうるさいかもしれませんが、ゆっくりしていって下さい」
「ありがとうございます~」
今日は目的もない散歩。
いや、ダイエットの為に歩いてるだけの日。
「いえいえ、最近少し太った気がして運動の為に歩いてるんですよ~」なんて言える訳がない。
努力というのはひけらかしたりしたら可愛くない気がした。
「可愛いね~」と言われたら「特に何もしてないよ~」と言う。
「痩せてるね」と言われたら「甘いのとか沢山食べるけどね~」と言う。
これは嘘。
「可愛いね」と言われる為に美容には気を使っている。
「痩せてるね」と言われる為にカロリーは気にするし、適度な運動は心掛けている。当たり前だが食べ物にも気を使っている。寧ろ、時間に余裕があったらヨガ教室に行く。ジムに通うくらいはしている。
このように時に人の心というのは水面下で可愛い騙し合いがある。
ストローの袋を開け、冷たい紅茶に指すと氷がコップの中でカラカラと音を立てて揺れた。
熱い身体に冷たい紅茶をストロー越しに流し込んでいく。
「あ~。生き返る~」
生き返った身体とは裏腹に「はぁ」と溜め息がこぼれた。
少し疲れたのだ。空から降り注ぐ熱い太陽からの熱。
それに伴う焼けたアスファルトから立ち上がる熱。
今日の私は熱さに挟まれ続けた。そして今やっと熱さから解放された。
一時的にどこかに逃げ込む訳でもなく、テーブルの上には冷たい紅茶、冷房の効いた涼しい店内から外で熱そうにしている人々を頬杖つきながら眺めている。
「あ~少し疲れたなぁ」
少しずつ視界が狭くなっていく。
重い瞼、時計の秒針のようにカチカチと首が揺れている感覚が薄れゆく意識の中ではあった。

 「すいません~。そろそろラストオーダーですけど」
「えっ?」
来たばかりの気持ちのままで周りをキョロキョロとした。
薄暗い視界が少しずつ広がり、明るい店内の照明と暗くなった外の世界と女性店員の顔がぼんやりと見えた。
「寝てましたよ~」
ニコニコしながら女性店員は言った。
「すいません~」
恥ずかしい事にカフェで寝てしまっていた。
「今日はお買い物大丈夫ですか?もう閉まっちゃいますけど」
「あっ!そうそう!新しいハンディファン買いに来たんだった~」
眠たい、こんな時でも嘘がこぼれ落ちた。
「急いだ方がいいですよ~」
「そうですね~」
時間の経過と共に紅茶の氷は溶けてなくなっていた。
グラスの周りは水滴が汗のようについていた。
残すのも申し訳ないと思い、ストローで一気に薄くなった紅茶を飲み干した。
「ご馳走様でした~」
「はい~。お気を付けて~」
にこやかに女性店員に見送られながらカフェを後にした。

 スマホを見て、時間を確認した。
「いやぁ~もう閉店する時間じゃん」
二十時閉店の商業施設。
現在の時刻は十九時三十五分。
「うーん。帰るかなぁ」
出口に向かって歩いていると、言ってしまったからにはハンディファンを見に行った方がいいと思った。
「一応見るだけ見よ~」
これで一つ嘘が消える。
出口から真逆の方向のエスカレーターに乗り、三階にあるフランスみたいな名前の雑貨屋に行く事にした。
買うか、買わないかは別として見るだけ見る。
登りのエスカレーターに乗っていると買い物を終えて下る人が沢山いた。
それもそうだ、もうすぐ閉店するのだから。
雑貨屋の前に行くと季節商品という事もあり、一番見えるところにハンディファンが積まれている。
ピンク色や水色や様々な色のハンディファンがある。
「うーん。なんか違うなぁ~」
特に触る事もなく、試しに風を受ける事なく、店内を少しウロウロして、すぐに雑貨屋に背を向け離れた。
「うん。見たけど。まだいいや!」
そうして再びエスカレーターに乗り、二階に降りた。
少し安心した。
「買い物をしに来た」と言った。
「ハンディファンを買いに来た」と言った。
これは嘘。本当は目的もなく散歩していた。
ダイエットの為に歩いていただけ。これは真実。
しかし、ハンディファンを見て気に入るのが無かったから買わなかった。
ハンディファンを見て買わなかったという事実があるのだから、私は嘘をついてはいない。
私は嘘つきにはなりたくないのだ、嘘をつく人間が嫌いだから。

 二階の出口から外に出ると、あれ程暑かった外は少しだけ優しくなっていた。
「このくらいが丁度いい~」
涼しい風を受けながら生い茂る木が風で揺れている。
街の真ん中で綺麗な緑色の葉っぱが風で揺れている。
街灯に照らされながら綺麗な緑色の葉っぱが揺れている。
「なんか良いね~」
そんな事を言いながら商業施設とオフィスビルの間にある歩道橋から行き交う車を、なんとなく眺めていた。
特に目的がある訳ではなく、なんとなく眺めていた。
スクランブル交差点で行き交う人達を眺めていた。
ずっとある白い歩道橋。
よく見ると少し錆びたりしていて歴史を感じる。
「そういえば、ここ取り外すって話は本当なのかなぁ」
以前、そんな話を聞いた事があった。
ずっとある、この白い歩道橋を取り外すという話。老朽化らしい。
「なくならないで欲しいなぁ~」
少し背伸びをして、白い手摺に肘をつきながら、大きなガラス張りの船の帆を意識した建物を眺めていた。
「こうやって見る事もなくなるのはやだな」
ここから見る景色が好きだった。
夜になると街灯が綺麗で、ここから見下ろすとライトを着けた車が行き交う光景。
なんとなく好きだった。理由を聞かれると困る。
だって、なんとなく好きなのだから。
そしてもう一つ好きな景色がある。
ここから見る月だ。
沢山のオフィスビルが建ち並ぶ隙間から、ちょこんと覗き込むように見える月に会うのが好きなのだ。
今日は綺麗な満月だ。
「久しぶりだね~」
誰もいない歩道橋の上から月に語りかけた。勿論、言葉が返ってくる事などある訳ない。わかってる。
「今日は少し嘘をついた~。でも、悪い嘘はついてないよ。まぁ~君からしたら長い長い歴史の中で考えたら、どうでもいい事だよね~。でもね~。少し気分悪いんだ。嘘ついちゃった事」
長い時間、沢山の人達のドラマを見てきた太陽と月からしたら、私が恥ずかしくてついた嘘なんてものは大した事ではないのはわかってる。
でも、私にとっては心に何かが突っかかった気分なのだ。
お散歩をしていると言ったが本当はダイエット。
ダイエットと言いたくないが為にお散歩と嘘をついた。
「あ!そうだ!」
ふと、思いついた事があった。
物は言いようだ。意味は同じだが印象を変えればいい。
「ダイエットしますアピールは可愛くない。お散歩が趣味という事にしておけば嘘じゃなくない?他人からしたらどうでもいい事でも私からすると大事な事なんだ。そんな事気にするなとか言われるけど、気にする事は気にするし、気になる事は気になる」
勿論、月は言葉を返さない。
わかってる。
黙って話を聞いてくれる優しい月。
そして、自分自身はなんとなく納得出来た。月は綺麗だ。月は今まで沢山の人々の夢や希望、涙や絶望を見てきたんだ。一切言葉を言わない、感情を持っているかもわからない、全てにおいて傍観者だ。月が今まで見てきた数々の歴史を思うと、私の悩みなんて大した事なく思える。

「うん!そういう事にする」
突っかかっていた何かは呆気なく消えた。
私はなんとなく突っかかった何かを持ち歩きたくないのだ。きっと、皆そうだろう。

 絶え間なく忙しく燃えている太陽と零れた黒いインクで塗り潰された絨毯で寝ている月からしたら、それぞれがそれぞれで、小さな小さな出来事かもしれない。
でも、誰かにとっては大切な事や大事な事はあるのだ。
私は自分自身でなんとなく突っかかった何かを消し去る事が出来た。
でも、出来ない時もあるだろう。
そんな少しの不安を抱えながら大好きな愛猫が待つ家に帰る事にした。不安だからこそ、家族に会いたくなった。
「帰ろ!早く、あの子らに会いたくなった」
黒い絨毯で気持ち良さそうに寝ている満月にサヨナラを告げた。急ぎ足で歩道橋を降りて、停まっていたバスに乗り込んだ。大好きな家族に会う為に。







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