猫と私と犬の小説家

瀧川るいか

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こんなことはあってはいけない

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朝起きたら身体が鉛のように重い。嘘みたいな朝。まるで自分の身体じゃないみたいに重い。誰か上に乗ってるんじゃないかと思うくらいの違和感。チャチャとメーが仲良くふみふみしてると錯覚するくらい体が重い。
「なんだこれ~」
「喉も痛い~」
起き上がる事が出来ない。
頭が痛いのか首が痛いのか分からないくらい意味が分からない体調。声が可愛くない。自分の声じゃないみたいなガラガラ声だ。
アラームが鳴りスマホの時計を見ると、いつもと変わらない時間。時間だけはいつも通りの昼過ぎ。違うのは自分の身体。
「なんかおかしいなぁ~」
「っておかしいとかいう次元じゃない~」
掛け布団と枕がベッドの脇に落ちている。
寝相悪さには定評がある私によって吹き飛ばされたんだろう。
エアコンから勢い良く冷たい風が出ている。
「あれ~タイマーどしたんだ~。ってか身体が重過ぎる~喉も痛いし~」
基本的に夏はエアコンをガンガンにして羽毛布団を掛けて薄着で寝たい派の可愛い私。
冬は暖房をガンガンにして厚着をしてアイスを食べたい派の可愛い私。
ワガママなのはわかるけど、癖になってしまっている。
普段は三時間後に消えるようにタイマーをセットしている。
忘れてしまったのだ、大切な事を。
タイマーをセットするという大切な事を。
そして現在、設定温度二十度の冷たい風を浴びながら十二時間寝ていた。寝相が悪過ぎるせいもあり、羽毛布団は私の身体から離れていた。その結果、風邪を引いた。
「取り敢えず熱は~?体温計~。計らなくてもいいけど~」
わざわざ具合の悪さを数値化する意味ある?とか思いながら重過ぎる身体でチャチャとメーの過ごすリビングへ。
「あ~~~これはマズイな~」
声もいつもの可愛い声じゃない。可愛い私の可愛い声じゃない。寝ているチャチャとメーを起こさないように体温計を取り、寝室に戻った。ベッドに横になり、体温計を脇の下にねじ込み体温を計る。
わざわざ計るまでもなく、熱がある。

ピピピ!

「あ~どれどれ」
「三十九度~?あほじゃん!壊れてるって!」
試しにもう一度計る事にした。

ピピピ!

「三十九度~これガチじゃん」
「うわ~」
そんな数値化された具合の悪さを痛感している可愛い私。

ガチャ!
寝室の扉が開きメーとチャチャが入ってきた。
勝手に入ってくるのは、当たり前の事になっている。
「メー!チャチャ!今日はダメ~姫ね~具合悪いから~」
そんな事を言っても構ってちゃんは構ってちゃん。
メーは具合悪い私の上に乗りクンクンと匂いを嗅いだ。
「ね~?いつもと違うでしょ~?病人の匂いだよ~。だから今日は遊んであげれないの~わかって~」
そう言うとメーは、そっとベッドから離れてチャチャと仲良く座って私の事を心配そうな顔で見た。
「そんな顔しないの~君らのそんな顔見たくないよ~」
ベッドに横になりながら可愛い茶トラの二匹とにらめっこした。
「うん。病院に行こう!」
可愛く病院に行きたいけど、身体が痛くて着替えるのさえ無理だと感じてパジャマの上から羽織る為に冬に着ていた寝巻きを取り出した。
「じいじ~出るかな~?てか~寒いんだけど~」
顔馴染みのタクシー運転手に電話。
「もしもし~じいじ~?ヒマ~?」
「りむさんですか~。なんかお声の調子が良くないですが、どうしましたか?まさか風邪ですか?熱は?」
「うん。なんかエアコンつけっぱなしで寝たら、こんななった~三十九度くらい~」
「それは大変だ!今すぐ向かいます。五分で行きます。いえ、三分で行きます。待っててください」
「は~い」

暫くするとスマホが大きな音を立てて私を起こした。
「は?あっ!そんな時間経ってなかった~」
じいじから連絡が来た。
「もしもし、今マンションの下で待機してます。いつでも降りてきて下さい」
「あ~今行くね~」
電話を切るとふらふらしながら心配そうに見詰めるチャチャとメーの前を通り過ぎて、玄関でクロックスを履いて帽子を被り無言で家を出た。
この私がスッピンで家を出た。せめて眉毛だけでもと思ったが今の私の左手では震えて描けないと思った。
こんな事はあってはいけない事だ。
今後、こんな事はあってはいけない事だ。
可愛く在りたいとか言ってる場合ではない、この私が。
今後、こんな事はあってはいけない事だ。

「あ~寒いというか身体がバラバラになる感じだ~」
動いて衣類が肌を当たる感覚すら苦痛で違和感がある。
エレベーターで下に降りると、じいじが急いで毛布片手に走ってきた。
「りむさん。どうぞどうぞ~」
言われるがままタクシーに乗り込み、後部座席で横になった。
「じいじ~ありがとね~」
「いえいえ~行きますよ~」
じいじは目的地は聞かずに車を動かし始めた。
横になった瞬間寝てしまって行先は伝える事が出来なかったのだ。あるのは優しく動くゆりかごのような感覚。じいじは、いつも優しい運転で私は眠くなる。しかし、今日は更に優しい運転だった。
気付くと病院に着いていた。
「さ!りむさん!病院着きましたよ!」
「あ~もう着いた~」
じいじは後部座席のドアを開けると、片手を差し出して待合室まで私を連れていってくれた。
「じいじ~ありがと~」
「ええ!私は外で待機してますので~」
そう言うとじいじは早足で外に出ていった。
「すいません~身体がだるくて~」
「とりあえず~体温計って頂いてもいいですか?」
「あっ!はーい」
「廊下に椅子あるので、そちらでお願いしてもいいですか?」
「あ~。は~い」
今はそうなんだ。熱があると思われる患者は外で隔離される。しょうがない事だ。

ピピピ!

音がすると受け付けの少しふくよかな女性が体温計を取りにきた。
「どんなですか~」
「お願いしま~す」
「あ~結構高いですね~そちらでお掛けになってお待ちください」
「は~い」
ふらふらと歩いて廊下の椅子で横になり、目を閉じた。
「お待たせしました~どうぞ~」
「は~い」
若い男性の先生に呼ばれ診察室に入った。
「熱高いですね~」
「高いですね~」
「どこか人が多く集まる場所とか行きましたか?」
「いや~全く~。家族の猫と引きこもってます~」
「あ~猫ね~。昨日から調子悪かったんですか?」
「いやぁ~今日起きたらです~。エアコンつけたまんま寝てしまって~」
「あ~それだね~。気を付けないとダメですよ~」
「は~い」
「取り敢えず抗生物質出しときますね~。後、解熱剤も。なんか飲んでる薬ありますか?」
「あっ!これ飲んでます」
「あ~じゃあ熱下がるまで、それは飲まないでこれ飲んで下さい」
「は~い」
「じゃあ会計して、処方箋もらってください」
「は~い」
「それでは!お大事に」
「は~い。ありがとうございます~」
そして会計を終わらせて、薬局に行き薬を貰った。
病院を出ると、じいじが待っていた。
「りむさん。お疲れ様です。さぁ~帰りましょう」
「じいじ~待っててくれたの~?ありがと~」
じいじに支えられながらタクシーの後部座席に乗り込み、そのまま横になった。再びゆりかごに揺られながら家を目指した。
「じいじ~ありがとね~本当に~」
「いえいえー!りむさんに何かあったら大変ですから~。具合はどうですかー?」
「よくな~い。もうやだーー」
「そうですか~?今は元気がないのは仕方ないです。人間ですから、そんな時もあります。りむさんは元気になったら何をしたいですか?そんな事を考えたら楽しくなりませんか?今は楽しむ為の準備だと思えたら」
「あ~。死ぬほどアイス食べたい」
「はは!いいですねー!元気になったら真っ先にアイスですよー!りむさん」
「あー!アイス食べたい!アイス食べたい!」
「その為に今は休まないとですよ!きっと、その時に食べるアイスは今までにないくらい美味しいですよ~」
「うん!少し元気になった~まだ身体痛いけど~」
「ちゃんと休めば良くなりますよ~りむさんは若いんですから~」
「だね~まだ若いから~」
「ええ!若いですから!もうすぐお家に着きますよ!」
「早いね~」
「近道してきました~。この道のベテランですから詳しいんですよ~じいじは」
「さすが~じいじは優しいね~」
「はい!到着です!」
「は~い」
じいじは運転席から後部座席までスタスタと歩いて、ドアを開けて片手を差し出した。じいじに支えられながらマンションの前まで来た。
「ありがと~」
「いえいえ~。ゆっくり休んでください!」
じいじはいつもと変わらず深々とお辞儀をすると颯爽とタクシーに戻って行った。
マンションに入り、エレベーターで自分の家を目指す。エレベーターで上がる時間がこれ程長く感じたのは生まれて初めてだった。普段は気にならない距離が遠く感じる程、身体は疲れていた。
その途中で、ある事に気付いた。じいじにお金を払ってない事を。
「あ~迷惑掛けちゃった~」
左手を開いた瞬間、覚えのない紙が落ちた。
「ん?」
拾って広げてみた。

本日は呼んで頂きありがとうございます。じいじはりむさんの体調が心配でございます。元気になったらいつでも呼んで下さい。じいじはりむさんの専属ドライバーです。本日の料金は結構ですので、早く元気になってください。じいじ。

エレベーターの扉が開き、チャチャとメーの待つ場所に早く帰りたくなった。
感謝の気持ちと申し訳ない気持ちと今の自分の体調の悪さに対する悔しい気持ちで涙が止まらなかった。
情けなくなった。誰かに迷惑を掛けるのは私の美学に反する事。
重たい身体でなんとか部屋に着いた。
「ただいま~」
いつもと変わらないチャチャとメー。
「は~疲れた~」
「チャチャ~。メー。姫少し休むね~」
台所に行き、冷蔵庫の中から脂肪を燃やすお茶を取り出した。貰った薬を流し込み、次に目を覚ました時にはいつもの私である事を願った。
エアコンが消えている事を確認して、掛け布団に包まった。
「あ~~なんかよく分からないけど生きてる事を実感するなぁ~。調子悪くなるとやりたい事が思い浮かび過ぎる~元気ある時に元気に過ごすのは大事だなぁ」
そんな事をブツブツと呟きながら、眠りに着いた。
目を瞑り、目覚めたら何もない事を祈りながら。
何もない当たり前の私である事を祈りながら。
心置きなくチャチャとメーを抱っこできる事を祈りながら。
「おやすみ~」
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