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3.ディナー
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三十分以上経っただろうか。
辿り着いたその店は、確かに分かりにくいところにあった。
閑散とした道路沿いの倉庫かと見紛うような灰色の建物の前に、広すぎてお店用とは思えない駐車場があり、その最奥の左隅に、突然お洒落な扉と観葉植物の鉢植え、メニュー黒板が、まるで異世界への入口のように存在している。
「満琉さん、よくこんな分かりにくいお店見つけたね」
陽は沈みかけますます寒くなり、ぶるっと身を震わせながら車の外に出た。
「この辺りの店をネットで調べていたら、こんなところにお店なんてあったかなと思うような場所に、店があってさ。気になって一度見に来たんだよ。食べてはいないけどね。扉だけ見て帰ったから、今日は来れて嬉しいよ」
満琉は、私の肩を抱き寄せながら扉へと向かった。すぐ横には、OPENと書かれた木の板が吊り下げられている。
赤茶色の木の扉を反対側の手で開くと、私を店内へ引き寄せた。
中は、外の殺風景な街並みとは裏腹に、明るくて暖かみのある空間が広がっていた。
まだ早い時間だからか、他に客は誰もいない。
「いらっしゃいませ」
陽気な声で白髪混じりの年配の男性が迎えてくれる。ガラス張りの厨房からも、シェフの人たちが皆こちらを向き、笑顔で会釈をしてくれた。
「二名で」
満琉が言うと、二階へどうぞと、すぐ横の階段を手で示された。階段は狭いながらも、アンティークな小物や絵などが掛けられていて、まるで秘密の隠れ家に遊びに来たような気分になった。
二階は、ゆとりを持って一列に机と椅子が並び、吹き抜けになっているため、一階の店内と厨房の一部が見えた。白い壁に、柱は全てレンガ調だ。
「なんか、雰囲気素敵だね。私、気に入ったかも。温もりがあって、暖色系で、家にいるみたいにくつろげるのに、おしゃれで」
「はは。評論家みたいだな。そういえば、喫茶店巡りをするサークルに入っているんだっけ?」
「あー、うん。でもほとんど幽霊だよ。人数が多すぎて、ちょっと気遅れするの。友達が行く時にたまに参加するくらい」
「やっぱり人数多いんだな。俺だって大学時代に戻れるなら、入ってみたいもんな」
「満琉さんがいたら、毎回参加するのに」
二人で顔を見合わせて、笑う。
全部、嘘だ。
嘘だから、幽霊部員ということにしている。
カフェサークルに入っているのは、好きな人の一人、東雲椿桔という先輩だ。
体の関係はないし、仲がいいことを知っている人もほとんどいない。
満琉は雰囲気がイケメンだけれど、椿桔は本当のイケメンだ。彫刻のように美しい顔をしていて、雰囲気も不思議系だ。自分とは住む世界が違うし、付きあえるわけがないと思っている。
なぜ、彼の入っているサークルに参加していると嘘をついたのかというと、幻滅されたくなかったからだ。
引かれたくなかった。
本当は、漫画研究会の幽霊部員だ。
春休み明けに満琉とこの関係が始まった時は、気に入られたくて小さな嘘を積み重ねてしまったと思う。
よく聞く音楽、好きな芸能人、全て男性受けを考えて答えたはずだ。
嘘をつき通すためにまた嘘をつき、自分自身の設定まで分からなくなっていく。
私はこの人の前でどんな自分だったのかと思い出してからでないと、もう会えない。
「ご来店ありがとうございます」
先ほどの感じのいい店員さんが、お水を持ってきてくれた。年齢からして、店主かもしれない。
「ご注文はお決まりですか?」
まだメニューを開けてもいなかった。二人、顔をあわせて苦笑する。
「まだなので、また呼びます」
満琉が言うと、かしこまりました、と店員さんは下がっていった。
蔦の飾り型押しがワンポイントの茶色のメニュー表を開いて、眺めた。
オーソドックスにディナーのコースにすることに決め、呼び鈴を鳴らして頼む。
しばらくすると、やっと他の客も入り始めた。
誰もいなさすぎて、立地が悪すぎるから人が来ないのかと思ったけれど、杞憂だったのかもしれない。
ひと段落ついたので、さっきのカフェサークルの話を再開される前にと、違う話題をふる。
「今日は寒かったね」
すぐにはいい話題が思いつかず、無難に天気の話にした。
「午前中は雨も降ってたしな。さっきも思ったけど、里美は薄着すぎだよ」
「昨日は暖かくて、半袖でもいいくらいだったし」
「それは晴れてたから。十月は寒暖差が激しいんだから、気をつけて。風邪引いて会えなくなったら寂しいだろ」
保護者のような言い回しの中に、甘さが混じる。包み込むような柔らかい声に、柄にもなくときめいて、彼好みの女性を装いたくなってしまう。
それがよくないんだと、分かっているのに。
「気をつけるよ。あっという間に冬になっちゃうね。クリスマスも忙しいんだよね」
「冬休みも、春や夏ほどではないけど忙しいからな。十二月の最初のあたりなら大丈夫だけど、今日みたいに平日になるよ」
クリスマス周辺の休みは本命の彼女に使うのかもしれない。
「仕事が優先だもん。気にしないで」
「欲しいものは、あるか?」
意図せず、試し、試される話題に入った。
「おそろいの、何かがほしいな」
満琉の顔に、わずかに動揺が走った気がした。深い関係でないと分からないほどの、小さな顔の強張りだ。
「指輪とかアクセサリーは嫌いって言ってたよね」
「身につけていると気になるんだ。持ち歩くと失くすのも怖いし、自宅にしまいこむのもな」
「人形なんてどう? しまいこまずに飾れるよ」
冗談っぽく笑いながら聞く。
「俺が? 勘弁してくれよ」
まいったなという顔で笑う。女の影が見えるものは絶対に持とうとしない。何股していても、きっと気づかないだろう。
「それなら、クールなメモ帳でも探してよ。おそろいで、満琉さんが持っていても、おかしくないやつ」
「メモ帳って。そんなんでいいのか?」
「いいよ。満琉さんが選んでくれるっていうのが嬉しいんだよ。ださくても、大事にするよ」
「ださいって、酷いな。でも、そうだな。俺があげたネックレスも、いつもしてくれているもんな」
私の首元を、愛おしそうな表情で見る満琉に、なおも複雑な心境になる。
ネックレスは、会う前にコンビニでつけた。
それまでは鞄の中だ。
物をもらうと、使っているふりをするのが面倒だ。
私もまた、この人と同じ。
男の影が見え隠れするものは持ちたくない、卑怯者だ。
「このネックレス、大事にしたいし、サプライズでアクセサリーはもう買わなくていいからね。イヤリングは頭痛がするし、指輪は私も気になっちゃうから好きじゃないの。あ、でも満琉さんとおそろいなら、我慢して喜んでつけるよ」
「なんだそれ」
呆れたように満琉が苦笑したところで、店員さんが近づいてきた。
「お待たせ致しました。前菜の盛り合わせです」
コース料理の始まりだ。
化かしあいにも疲れた。
今はまず、白い平皿に盛りつけられた色鮮やかな有機野菜を味わおう。
辿り着いたその店は、確かに分かりにくいところにあった。
閑散とした道路沿いの倉庫かと見紛うような灰色の建物の前に、広すぎてお店用とは思えない駐車場があり、その最奥の左隅に、突然お洒落な扉と観葉植物の鉢植え、メニュー黒板が、まるで異世界への入口のように存在している。
「満琉さん、よくこんな分かりにくいお店見つけたね」
陽は沈みかけますます寒くなり、ぶるっと身を震わせながら車の外に出た。
「この辺りの店をネットで調べていたら、こんなところにお店なんてあったかなと思うような場所に、店があってさ。気になって一度見に来たんだよ。食べてはいないけどね。扉だけ見て帰ったから、今日は来れて嬉しいよ」
満琉は、私の肩を抱き寄せながら扉へと向かった。すぐ横には、OPENと書かれた木の板が吊り下げられている。
赤茶色の木の扉を反対側の手で開くと、私を店内へ引き寄せた。
中は、外の殺風景な街並みとは裏腹に、明るくて暖かみのある空間が広がっていた。
まだ早い時間だからか、他に客は誰もいない。
「いらっしゃいませ」
陽気な声で白髪混じりの年配の男性が迎えてくれる。ガラス張りの厨房からも、シェフの人たちが皆こちらを向き、笑顔で会釈をしてくれた。
「二名で」
満琉が言うと、二階へどうぞと、すぐ横の階段を手で示された。階段は狭いながらも、アンティークな小物や絵などが掛けられていて、まるで秘密の隠れ家に遊びに来たような気分になった。
二階は、ゆとりを持って一列に机と椅子が並び、吹き抜けになっているため、一階の店内と厨房の一部が見えた。白い壁に、柱は全てレンガ調だ。
「なんか、雰囲気素敵だね。私、気に入ったかも。温もりがあって、暖色系で、家にいるみたいにくつろげるのに、おしゃれで」
「はは。評論家みたいだな。そういえば、喫茶店巡りをするサークルに入っているんだっけ?」
「あー、うん。でもほとんど幽霊だよ。人数が多すぎて、ちょっと気遅れするの。友達が行く時にたまに参加するくらい」
「やっぱり人数多いんだな。俺だって大学時代に戻れるなら、入ってみたいもんな」
「満琉さんがいたら、毎回参加するのに」
二人で顔を見合わせて、笑う。
全部、嘘だ。
嘘だから、幽霊部員ということにしている。
カフェサークルに入っているのは、好きな人の一人、東雲椿桔という先輩だ。
体の関係はないし、仲がいいことを知っている人もほとんどいない。
満琉は雰囲気がイケメンだけれど、椿桔は本当のイケメンだ。彫刻のように美しい顔をしていて、雰囲気も不思議系だ。自分とは住む世界が違うし、付きあえるわけがないと思っている。
なぜ、彼の入っているサークルに参加していると嘘をついたのかというと、幻滅されたくなかったからだ。
引かれたくなかった。
本当は、漫画研究会の幽霊部員だ。
春休み明けに満琉とこの関係が始まった時は、気に入られたくて小さな嘘を積み重ねてしまったと思う。
よく聞く音楽、好きな芸能人、全て男性受けを考えて答えたはずだ。
嘘をつき通すためにまた嘘をつき、自分自身の設定まで分からなくなっていく。
私はこの人の前でどんな自分だったのかと思い出してからでないと、もう会えない。
「ご来店ありがとうございます」
先ほどの感じのいい店員さんが、お水を持ってきてくれた。年齢からして、店主かもしれない。
「ご注文はお決まりですか?」
まだメニューを開けてもいなかった。二人、顔をあわせて苦笑する。
「まだなので、また呼びます」
満琉が言うと、かしこまりました、と店員さんは下がっていった。
蔦の飾り型押しがワンポイントの茶色のメニュー表を開いて、眺めた。
オーソドックスにディナーのコースにすることに決め、呼び鈴を鳴らして頼む。
しばらくすると、やっと他の客も入り始めた。
誰もいなさすぎて、立地が悪すぎるから人が来ないのかと思ったけれど、杞憂だったのかもしれない。
ひと段落ついたので、さっきのカフェサークルの話を再開される前にと、違う話題をふる。
「今日は寒かったね」
すぐにはいい話題が思いつかず、無難に天気の話にした。
「午前中は雨も降ってたしな。さっきも思ったけど、里美は薄着すぎだよ」
「昨日は暖かくて、半袖でもいいくらいだったし」
「それは晴れてたから。十月は寒暖差が激しいんだから、気をつけて。風邪引いて会えなくなったら寂しいだろ」
保護者のような言い回しの中に、甘さが混じる。包み込むような柔らかい声に、柄にもなくときめいて、彼好みの女性を装いたくなってしまう。
それがよくないんだと、分かっているのに。
「気をつけるよ。あっという間に冬になっちゃうね。クリスマスも忙しいんだよね」
「冬休みも、春や夏ほどではないけど忙しいからな。十二月の最初のあたりなら大丈夫だけど、今日みたいに平日になるよ」
クリスマス周辺の休みは本命の彼女に使うのかもしれない。
「仕事が優先だもん。気にしないで」
「欲しいものは、あるか?」
意図せず、試し、試される話題に入った。
「おそろいの、何かがほしいな」
満琉の顔に、わずかに動揺が走った気がした。深い関係でないと分からないほどの、小さな顔の強張りだ。
「指輪とかアクセサリーは嫌いって言ってたよね」
「身につけていると気になるんだ。持ち歩くと失くすのも怖いし、自宅にしまいこむのもな」
「人形なんてどう? しまいこまずに飾れるよ」
冗談っぽく笑いながら聞く。
「俺が? 勘弁してくれよ」
まいったなという顔で笑う。女の影が見えるものは絶対に持とうとしない。何股していても、きっと気づかないだろう。
「それなら、クールなメモ帳でも探してよ。おそろいで、満琉さんが持っていても、おかしくないやつ」
「メモ帳って。そんなんでいいのか?」
「いいよ。満琉さんが選んでくれるっていうのが嬉しいんだよ。ださくても、大事にするよ」
「ださいって、酷いな。でも、そうだな。俺があげたネックレスも、いつもしてくれているもんな」
私の首元を、愛おしそうな表情で見る満琉に、なおも複雑な心境になる。
ネックレスは、会う前にコンビニでつけた。
それまでは鞄の中だ。
物をもらうと、使っているふりをするのが面倒だ。
私もまた、この人と同じ。
男の影が見え隠れするものは持ちたくない、卑怯者だ。
「このネックレス、大事にしたいし、サプライズでアクセサリーはもう買わなくていいからね。イヤリングは頭痛がするし、指輪は私も気になっちゃうから好きじゃないの。あ、でも満琉さんとおそろいなら、我慢して喜んでつけるよ」
「なんだそれ」
呆れたように満琉が苦笑したところで、店員さんが近づいてきた。
「お待たせ致しました。前菜の盛り合わせです」
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