好きな人は、3人

秋風いろは

文字の大きさ
19 / 26

19.鉢合わせ

しおりを挟む
 12月22日、金曜日。
 大学帰りの駅で、私は椿桔に電話をかけていた。

 クリスマスの予定は、入っているかもしれない。だからクリスマス前の平日最後であるこの日は、できれば会いたいなと思い、すぐに返事がほしくて、メッセージは送らず電話を選んだ。

 今日になるまで約束という形を取らなかったのは、その資格がないと思ったからだ。

 彼女ではないし、その候補でもなく、大学内でつるむ友達でもない。
 クリスマスの迫るこの時期に、約束をするほどの関係性ではない。

 今すぐ会えるか聞いて、駄目ならやっぱりなと諦める。それくらいがちょうどいい。
 私より優先すべき相手は、きっとたくさんいる。

 いつもより長い呼び出し音に諦めかけた時、やっとつながった。

「もしもし、里美だけど。今日は無理かな。行っちゃ駄目?」

 なぜか、しばらくの間、椿桔は沈黙していた。かける相手を間違えたかと表示を確認しても、相手は椿桔で間違いない。

「椿桔さん、聞こえてる? 電波悪いのかな」
「あー、うん。聞こえてるよ」

 やっと声が聞こえた。

「どうしたの、予定ある? 誰かと一緒なのかな。無理なら、このまま帰るから大丈夫だよ」
「うーん、と。どうだろう」

 はっきりしない。こんな椿桔は初めてだ。予定ができる可能性があるってことなのだろうか。

「私に聞かれても。今、家にいるの?」
「うん、家」
「私、行ったらまずい?」
「いやー。どうかな」
「これから予定あるの?」
「うーん。ない、のかな」

 あまりに煮え切らず、逆に気になった。このまま帰ったら、一体なんだったのか考えこむことになりそうだ。

「それなら私行っちゃうよー。今から二十分で着いちゃうからね。駄目になったら連絡してね」
「あー、うん。うー……、うん」

 最後まで、何かに悩むような声だった。一体、何があるとこんなによく分からない返事になるのか。

 会いたさよりも、その謎を知りたくて、私は歩き出した。

 もうすっかり冬の寒さではあるけれど、風に吹かれれば落ちてしまうような弱さで、まだ少しだけ茶色の葉が残っている。

 美しかった秋色の道は、今はすっかり寂しい色だ。歩いているうちに、だんだんと薄暗くなり、通り過ぎようとした一軒家の庭にイルミネーションが灯る。

 温かい家庭なんだろうと、根拠もなく思った。

 無駄を楽しめるのは、心に余裕があるからだ。
 でも、と思い直す。
 もしかしたら奥さんの趣味というだけで、電気代を巡って毎日喧嘩をしている可能性だってある。

 どれだけ表面が幸せそうに見えても、内側は入らなければ見えないものだ。

 いよいよ、椿桔の住む古いアパートへ辿り着いた。見た目はいつもと変わらない。

 錆びついた手すりは冷たそうで、触れないようにしながら階段を上る。薄茶色の古びた扉のノブは、抵抗もなく下がった。

 着いたら誰もいないという可能性も考えたけれど、鍵は開けておいてくれたらしい。
 ノブを下げつつ手前に引いて、中に入る。

「おじゃましまーす」

 何となく、小声になる。
 電気が消えていて、水槽の光だけが頼りだ。奥の、いつも一緒にゲームをする部屋にいるのだろうか。

 そう思った直後に、目の前の襖が開けられた。

 そこには立っている椿桔と、その後ろにパジャマ姿の女性が座っていた。

 学祭で、距離が近いと感じた小柄な女性だ。

 突然のことに、私の頭は真っ白になった。
 動揺しながらも、この場をまるく収める言葉を必死に考える。

 自然な笑顔を意識して、彼女に話しかけた。

「あれ、彼女さんですか。びっくりしました。私は二年の古城里美といいます。大丈夫ですよ、ただの友達なんで」

 そう言ってから、すぐに椿桔に文句を言う。

「もー、彼女できたなら言ってよ。それに、彼女来てるから無理って言ってくれれば、来ないよ」
「な、なるほど」

 困ったような笑顔でそう答える椿桔に、正直、何で断らなかったのか問い詰めたくなったけれど、今はその時じゃないと、耐える。
 そして、もう一度彼女に向き合った。

「恋人同士の邪魔をしようとは思いません。これからは二人で会うこともしないんで、安心して下さい」

 この家に来て、私ばかり喋ってるなと思いながら、笑顔を維持する。

「うん。分かった」

 言葉少なに、彼女が返事をする。華奢な体つきに似合わず、意外にも声は低い。クリスマス前のこの時期だ、日曜日までここに泊まるのかもしれない。
 このまま私が帰って険悪にならないように、もう少しだけ話を続ける。

「私、彼氏もいるんですよ。この家、ゲームがたくさんあるから、思いついた時にごくごくたまに遊びに来てたくらいなんで。あ、彼氏もそのことは知ってるんで、大丈夫です」
「ああ、よく大学で大きい人と一緒だよね。その人かな」

 知られているようだ。たまに椿桔と話しているところを見られ、警戒がてらチェックされていたのかもしれない。

「そうそう、たぶんその人です。私と一緒で漫研なんですよ。アニメとかゲームとか小説とか好きで。でも、ゲームの多さでは、先輩の勝ちですね」

 椿桔さんとは言わず、先輩呼びにしておいた。だんだんと、目の前の女性の表情が和らいでいくのを感じる。

 もう道化を演じるのは、終えてもいいだろう。

「じゃぁ私、帰るんで。また、大学で会ったら、仲良くしてもらえると嬉しいです。先輩の知り合いは、たくさんいた方が先のこととか教えてもらえますからね」

 ふっと彼女は笑うと、笑顔を向けてくれた。

「いいよ。私は文学部の三年で仙崎薫せんざきかおる。よろしくね」
「え、そうなんですか! なら、私と同じ学部ですね。嬉しい! 今度会ったら、ぜひ色々教えてください。長澤ゼミに入ることは決めたので、そのへんの話とか」

 雰囲気をよくするために無駄にはしゃいで、馬鹿みたいだと我ながら感じる。
 そろそろ精神的な疲労が、限界に近い。

「長澤ゼミ選ぶんだ。知り合いがそこだから、今度話、聞いといてあげる」
「ありがとうございます! それではまた、大学で」

 にこやかに手を振り、椿桔にも笑顔を向ける。

 ほっとした表情で同じように手を振り返された。あなたのせいで、この寒空の中をトンボ帰りですけどと思いながらも、彼女が見ていることを考えて、すぐにきびすを返す。

「おじゃましましたー」

 できる限り明るい声でドアを開け、口角を上げて笑顔を維持しながら、すぐに閉めた。

 カンカンと音を鳴らしながら、階段を下りる。外はもう完全に真っ暗になり、吐く息は白い。

 また二十分歩くことを思うと憂鬱だ。
 でも、考え事にはいい時間かもしれない。

 消えていく白い息を見ながら、重い足を前へと動かす。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

遠回りな恋〜私の恋心を弄ぶ悪い男〜

小田恒子
恋愛
瀬川真冬は、高校時代の同級生である一ノ瀬玲央が好きだった。 でも玲央の彼女となる女の子は、いつだって真冬の友人で、真冬は選ばれない。 就活で内定を決めた本命の会社を蹴って、最終的には玲央の父が経営する会社へ就職をする。 そこには玲央がいる。 それなのに、私は玲央に選ばれない…… そんなある日、玲央の出張に付き合うことになり、二人の恋が動き出す。 瀬川真冬 25歳 一ノ瀬玲央 25歳 ベリーズカフェからの作品転載分を若干修正しております。 表紙は簡単表紙メーカーにて作成。 アルファポリス公開日 2024/10/21 作品の無断転載はご遠慮ください。

15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~

深冬 芽以
恋愛
 交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。  2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。  愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。 「その時計、気に入ってるのね」 「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」 『お揃いで』ね?  夫は知らない。  私が知っていることを。  結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?  私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?  今も私を好きですか?  後悔していませんか?  私は今もあなたが好きです。  だから、ずっと、後悔しているの……。  妻になり、強くなった。  母になり、逞しくなった。  だけど、傷つかないわけじゃない。

嘘をつく唇に優しいキスを

松本ユミ
恋愛
いつだって私は本音を隠して嘘をつくーーー。 桜井麻里奈は優しい同期の新庄湊に恋をした。 だけど、湊には学生時代から付き合っている彼女がいることを知りショックを受ける。 麻里奈はこの恋心が叶わないなら自分の気持ちに嘘をつくからせめて同期として隣で笑い合うことだけは許してほしいと密かに思っていた。 そんなある日、湊が『結婚する』という話を聞いてしまい……。

【完結】結婚式の隣の席

山田森湖
恋愛
親友の結婚式、隣の席に座ったのは——かつて同じ人を想っていた男性だった。 ふとした共感から始まった、ふたりの一夜とその先の関係。 「幸せになってやろう」 過去の想いを超えて、新たな恋に踏み出すラブストーリー。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

届かぬ温もり

HARUKA
恋愛
夫には忘れられない人がいた。それを知りながら、私は彼のそばにいたかった。愛することで自分を捨て、夫の隣にいることを選んだ私。だけど、その恋に答えはなかった。すべてを失いかけた私が選んだのは、彼から離れ、自分自身の人生を取り戻す道だった····· ◆◇◆◇◆◇◆ 読んでくださり感謝いたします。 すべてフィクションです。不快に思われた方は読むのを止めて下さい。 ゆっくり更新していきます。 誤字脱字も見つけ次第直していきます。 よろしくお願いします。

君までの距離

高遠 加奈
恋愛
普通のOLが出会った、特別な恋。 マンホールにはまったパンプスのヒールを外して、はかせてくれた彼は特別な人でした。

会社のイケメン先輩がなぜか夜な夜な私のアパートにやって来る件について(※付き合っていません)

久留茶
恋愛
地味で陰キャでぽっちゃり体型の小森菜乃(24)は、会社の飲み会で女子一番人気のイケメン社員・五十嵐大和(26)を、ひょんなことから自分のアパートに泊めることに。 しかし五十嵐は表の顔とは別に、腹黒でひと癖もふた癖もある男だった。 「お前は俺の恋愛対象外。ヤル気も全く起きない安全地帯」 ――酷い言葉に、菜乃は呆然。二度と関わるまいと決める。 なのに、それを境に彼は夜な夜な菜乃のもとへ現れるようになり……? 溺愛×性格に難ありの執着男子 × 冴えない自分から変身する健気ヒロイン。 王道と刺激が詰まったオフィスラブコメディ! *全28話完結 *辛口で過激な発言あり。苦手な方はご注意ください。 *他誌にも掲載中です。

処理中です...