好きな人は、3人

秋風いろは

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25.彼女に向けて

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 私は、迷っていた。
 何を言うか、それとも何も言わないか。

 満琉と彼女の様子で、この子が例の彼女だということは、すぐに分かった。


 満琉との出会いは、この水族館の中から行ける、しおかぜ広場という場所だ。
 そこで、泣いていた満琉に私が話しかけたのが、きっかけだった。

「大の大人がみっともなく泣いて、どうしたのよ」

 癒しを求めてこの広場に来たら、辛気くさく泣いている彼を見つけて、つい当たってしまった。

 満琉は、誰かに話しかけられるとは思っていなかったのだろう。驚きで目を見開いた後に、邪魔臭そうに目をそらした。

「さっき彼女に振られたんだ。ほっといてくれ」

 ベンチで海を見ながらそう言う彼に、私は「そう」とだけ言って立ち去り、コーヒーを二本買って戻ってきた。

 彼が、いい男だったからではない。
 既婚の上司に言い寄られていて日頃むしゃくしゃしていたので、不幸そうな人の話が聞きたかっただけだ。

「迷惑なんだけど」

 そういう彼に、わざとからからと笑ってみせた。

「いいじゃない、聞かせてよ。すっきりするかもよ。赤の他人になら、愚痴りやすいでしょ」

 そう言って促すと、彼も頭を整理したかったのか話し始めた。

 農家を営んでいる北海道から、上京を目指して大学受験したこと。
 失敗して、滑り止めの愛知の大学に通ったこと。
 念願のマスコミ関係の仕事に就き、イベントの開催に尽力したり、コマーシャルを作る仕事にも従事したものの、記憶を失くすまで連日飲み会で酒を飲んで身体を壊し、お金も底をついて退職したこと。
 自動車学校の教官を今はしているけれど、それなら地元に帰ってこいとさんざん家族や親戚から言われていること。

 それに目をつけ、連れて帰るためと言って、厄介な姉が自宅に居座っていること。
 土日の休みは買い物などに、付きあわされること。

 だから、彼女に家の場所も言えず、自宅にも呼べず、休日にも会えなかったこと。

「他に好きな人ができたって言ってたけど、やっぱりそれが原因だったのかな」

 すっかり自分の世界に入って、たそがれている彼に、私は呆れた。

「馬鹿でしょ、あんた」
「振られて泣いている男に、それはないだろう」
「あんたそれ、既婚者だと思われてるわよ」
「え」

 考えもしなかったのだろうか。
 涙も止まって、呆然とした顔でこちらを見た。

「あんたの姉が嫁だったとして、不倫しようと思ったら、そういう行動になるでしょ」
「まさか……そういう……」
「まさかも何も、そうでしょ」
「い、いや、でも、結婚指輪だって、最初からしていないし」
「気になるからって、普段つけない男性も多いわよ」
「あ……」

 何かに思いあたったように、口を開けたまま、しまったという顔をしている。

「なに、そんなこと言ったの?」
「ペアリングとか、気になるからって断った……」
「あらま。奥さんに、女の存在を隠そうとしてるとしか、思えないわね」

 そう言うと、完全に机に顔を突っ伏してしまった。その可能性について考えなかったなんて、信じられない。

「なんで、そのこと彼女に言わなかったのよ」
「彼女は大学生なんだ。大人への憧れも壊したくなかったし、俺の家のゴタゴタにも巻き込みたくなかったんだよ。俺の姉、気が強くて喧嘩腰だしさ。万が一にも、会わせたくなかった」
「ふぅん。ま、終わったものはしょーがないわね。それより、その姉、追い出したら?」
「できるなら、そうしてるさ。本当に、厄介な姉なんだよ」
「ふーん」

 聞くだけなのも悪いかと、私も自分の話をした。
 
 その時は連絡先を交換するたけで解散し、その後、何回か会ったりと交流を深めると、私たちはお互いの問題を解決させることにした。
 電気やガス、水道を止めて彼はこっそりと私の家に移る。その代わり、彼とのツーショット写真を撮らしてもらい、私のスマホの待ち受けにしたり車に飾ったりして、既婚者の上司へ牽制させてもらう。
 そういう、協力だ。

 上司は無人の私の車を覗きこむこともよくあったし、仕事の休み時間に上司が後ろを通る時にスマホを触って待ち受けが出るようにしたら、言い寄ってこなくなった。

 満琉の姉は仕事場にも来そうだったので、その前に私が会って、実家への旅費だけ渡してさんざん罵倒してやった。
 その後、仕方なく実家に戻ったらしい。

 そういったやり取りや、短いつもりだった同居生活の中で仲良くなり、私たちは付きあうことになった。

 結婚後はさすがに義理の姉とは親しくはなれなかったけれど、そこは仕方がない。彼の実家は北海道でほとんど行くこともないし、ほぼ会わない。何か言われても倍返しで言い返していたら、最近は帰省しても義姉とは会わないことが多い。避けられているのだろう。
 満琉も帰りたがらないし、これ幸いと義両親には娘の写真だけ定期的に送るくらいだ。

 後ろに座っている満琉の元彼女には、彼との出会いを作ってくれてありがたいと思っている。
 そうでなければ、可愛い愛娘にも、恵まれなかった。

 彼女は、既婚者と付きあっていたのではと思っているはずだ。
 目の前の私と、二股だった可能性があると。

 そうでなければ、あんなに気まずそうな顔にはならない。

 誤解は解いてあげたい気がした。
 私と二股だったと思われたままも、気分が悪い。

 でも、どう話していいか分からない。
 さっき彼女は、ただの教官と生徒だったと言ったばかり。
 きっと、賢い女性なんだろう。

 どうしたらと思っているうちに、イルカショーは終わってしまった。

「ママ、イルカ、ぴよーんだったね」
「うん、すごいジャンプだったね」
「こぉーんなに、高かったー!」
「そうだね、高かったよね」

 娘と話しながら、通路を歩く。
 満琉の表情も、ずっと固い。

「ママ、あれ食べたい!」

 売店を娘が指差す。

「えー、しょうがないなぁ。パパ、どうする?」
「あ、あぁ。いいよ」

 心、ここにあらずで満琉が言うので、何かを食べて一息つくかと、並ぶ。

 彼女はまだ後ろかなと振り返ると、ベビーカーを押す旦那さんと一緒にこちらへ向かってくるところだった。

 咄嗟に私は、不自然に大きい声で、満琉に話しかけた。

「あの子に会ったのって、お姉さんが家に住んでた時よね。私と出会う前に!」

 ちらりともう一度後ろを見る。
 驚いた顔を見せる彼女は、私と目が合うと、一礼した。

「そ、そうだな。姉と、住んでいた」

 満琉も、不自然に大きな声で答える。
 全ての事情は伝わらないと思うけれど、彼女の想像とは違う事情があったんだと察することだろう。

 少なくとも、私との二股や不倫疑惑は解消したはずだ。

 満琉と彼女の視線が交錯し、そして、彼女らは立ち去った。
 2人にとっても、綺麗な思い出になったはず。

 きっと、もう会わない人達。
 でも、顔は忘れないと思う。

 お互い、幸せになりましょう。

 心の中で、そう呼び掛けた。
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