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14. 快適な孤独
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銅星交通の夜勤明けの控え室は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っている。しかし、ここにも独特の人間関係が存在した。
数人のベテラン運転手たちは、乗務を終えると、まるで獲物の話をするかのように、その日の売り上げや、変な客、渋滞情報を交換し合った。彼らは、互いの孤独を埋め合うかのように、冗談を言い合い、煙草の煙を吐き出していた。
山下は、彼らの輪には入らなかった。
彼にとって、同僚との交流は、過去の会社での煩わしい人間関係を思い出させるものだった。かつての山下なら、この場のリーダーとして振る舞い、部下を掌握しようとしただろう。しかし、今の彼は、誰の信頼も、誰からの尊敬も必要としていなかった。
山下の挨拶は、極めて形式的だった。
「お疲れ様でした」
「ああ、お疲れ」
それ以上の会話はなかった。同僚たちも、山下のその冷たい距離感に気づいていた。彼は、彼らにとって異質な存在だった。元エリートの肩書きは、研修中に知れ渡っていたが、それを持つ彼が、なぜこの底辺に近い仕事を選んだのか、誰も理解できなかった。
ベテラン運転手の安藤(あんどう)が、一度だけ山下に話しかけてきたことがあった。
「山下さんよ、あんた、ずいぶん真面目だね。休憩時間もずっと次のルートの地図見てる。まあ、稼げるのはいいことだけどさ」
安藤は、タクシー運転手の世界では「流しの名人」として知られ、山下よりも遥かに若い男だった。
「地図は、この仕事の基本ですので」山下は感情を込めずに答えた。
安藤は少し呆れたように笑った。「基本ねえ。この仕事の基本は、道じゃなくて、客の顔色だよ。あんた、客と目ぇ合わねえだろ? それじゃ、夜の客の本音は引き出せねえぜ」
山下は、安藤の言葉に内心で反発を覚えた。客の本音など、知る必要はない。知れば、感情が揺さぶられ、無関心の砦が崩れる。
「私のやり方で、売り上げは出ていますので」
山下の冷たい返答に、安藤はそれ以上何も言わなかった。安藤は再び、他の同僚の輪に戻り、大声で笑い始めた。山下は、その笑い声と、自分を隔てる距離感を、むしろ快適に感じた。
彼が求めていたのは、承認でも共感でもない。孤独と効率だった。
深夜の休憩も同じだった。他のドライバーが群がる場所を避け、山下はいつも人通りの少ない、幹線道路沿いのコンビニの駐車場に車を停めた。
車内で、山下は冷たいおにぎりを食べながら、ただ黙って外の景色を見ていた。流れていく車のヘッドライト、夜空に浮かぶビルのシルエット。それらは、山下の内面に干渉しない、中立的な風景だった。
かつての営業部長時代、山下は常に部下に囲まれ、意見を求められ、昼食も接待か会議だった。常に「誰か」と繋がっている状態だった。
今、山下は完全に一人だ。
この、誰とも繋がらない孤独。それは、かつて彼が恐れていたものだった。しかし、今は、この孤独こそが、過去の失敗の痛みを麻痺させ、彼に「今」だけを生きることを許してくれていた。
山下は、食べ終えたゴミを丁寧にまとめ、車内のメーターの数字を確認した。
「まだ足りない」
彼は再びハンドルを握り、闇の中に、次の乗客という名の「数字」を拾いに向かった。彼の夜は、孤独なルーティンの中で続いていく。
数人のベテラン運転手たちは、乗務を終えると、まるで獲物の話をするかのように、その日の売り上げや、変な客、渋滞情報を交換し合った。彼らは、互いの孤独を埋め合うかのように、冗談を言い合い、煙草の煙を吐き出していた。
山下は、彼らの輪には入らなかった。
彼にとって、同僚との交流は、過去の会社での煩わしい人間関係を思い出させるものだった。かつての山下なら、この場のリーダーとして振る舞い、部下を掌握しようとしただろう。しかし、今の彼は、誰の信頼も、誰からの尊敬も必要としていなかった。
山下の挨拶は、極めて形式的だった。
「お疲れ様でした」
「ああ、お疲れ」
それ以上の会話はなかった。同僚たちも、山下のその冷たい距離感に気づいていた。彼は、彼らにとって異質な存在だった。元エリートの肩書きは、研修中に知れ渡っていたが、それを持つ彼が、なぜこの底辺に近い仕事を選んだのか、誰も理解できなかった。
ベテラン運転手の安藤(あんどう)が、一度だけ山下に話しかけてきたことがあった。
「山下さんよ、あんた、ずいぶん真面目だね。休憩時間もずっと次のルートの地図見てる。まあ、稼げるのはいいことだけどさ」
安藤は、タクシー運転手の世界では「流しの名人」として知られ、山下よりも遥かに若い男だった。
「地図は、この仕事の基本ですので」山下は感情を込めずに答えた。
安藤は少し呆れたように笑った。「基本ねえ。この仕事の基本は、道じゃなくて、客の顔色だよ。あんた、客と目ぇ合わねえだろ? それじゃ、夜の客の本音は引き出せねえぜ」
山下は、安藤の言葉に内心で反発を覚えた。客の本音など、知る必要はない。知れば、感情が揺さぶられ、無関心の砦が崩れる。
「私のやり方で、売り上げは出ていますので」
山下の冷たい返答に、安藤はそれ以上何も言わなかった。安藤は再び、他の同僚の輪に戻り、大声で笑い始めた。山下は、その笑い声と、自分を隔てる距離感を、むしろ快適に感じた。
彼が求めていたのは、承認でも共感でもない。孤独と効率だった。
深夜の休憩も同じだった。他のドライバーが群がる場所を避け、山下はいつも人通りの少ない、幹線道路沿いのコンビニの駐車場に車を停めた。
車内で、山下は冷たいおにぎりを食べながら、ただ黙って外の景色を見ていた。流れていく車のヘッドライト、夜空に浮かぶビルのシルエット。それらは、山下の内面に干渉しない、中立的な風景だった。
かつての営業部長時代、山下は常に部下に囲まれ、意見を求められ、昼食も接待か会議だった。常に「誰か」と繋がっている状態だった。
今、山下は完全に一人だ。
この、誰とも繋がらない孤独。それは、かつて彼が恐れていたものだった。しかし、今は、この孤独こそが、過去の失敗の痛みを麻痺させ、彼に「今」だけを生きることを許してくれていた。
山下は、食べ終えたゴミを丁寧にまとめ、車内のメーターの数字を確認した。
「まだ足りない」
彼は再びハンドルを握り、闇の中に、次の乗客という名の「数字」を拾いに向かった。彼の夜は、孤独なルーティンの中で続いていく。
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