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第三章

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 視線を上げると、不安げに揺れる瞳とぶつかる。

「仕事は定刻に終わるだろうか」
「……な、にもなければ……終わると思いま、す」

 アシュリーが辛うじて絞り出した声は掠れてしまった。

「なら、その時間に迎えに来る」
「ラインフェルト副団長、わたしは……っ」

 彼の告げてくれた言葉に対する回答は、もう出ている。けれど、出した答えを口にするより前にアシュリーはヴィルヘルムに腕を引かれ、抱き締められていた。
 腰に腕が回り、力強いその温もりに舞踏会の夜を思い出して、体が熱くなる。

「まだあなたに、伝えていないことがある。告白の返事は、それをすべて聞いてから教えて欲しい」

 目を見開いたアシュリーの耳に、ヴィルヘルムの囁きが落ちてくる。
 抱擁はすぐに解かれて、掴まれていた腕の拘束もなくなると、そのことに少しだけ寂しさを感じてしまう。
 冷静そうな口調だったので、てっきり涼しい顔をしているのかと思ったが、アシュリーが顔を上げた先に映ったヴィルヘルムの頬はまだ赤みを帯びていた。

「……引き留めて、すまなかった。また後で」

 掛けられた言葉に戸惑いがちに頷くと、ヴィルヘルムは僅かに頬を緩ませてからアシュリーに背中を向けた。
 彼が足を向けた先には、面白そうな顔でふたりのやり取りを眺めていたローウェルがいる。

「君たち見てると、お互い初めての彼氏彼女っていう中学生くらいの初々しいカップル見てるみたいで面白かったのに。とうとう丸く収まっちゃうのかと思うと、名残惜しいものがあるよね」
「……」
「そんな怖い目で睨まれたら、アシュリーちゃんにも怖がられちゃうと思うなあ」
「……お前とアシュリー嬢を一緒にするな」

 揶揄するような口調で、ローウェルはヴィルヘルムに話しかける。その声は面白そうで、楽しげで、そしてどこか嬉しそうだった。
 アシュリーは、ふたりの姿が館長室の方へ遠ざかっていくのを、ただぼうっと見つめる。
 そして不意に、ローウェルが足を止めて、振り返った。

「アシュリーちゃん、一先ず難しいことは考えないで、気持ちのままに動いてみることも、たまには大事だと思うよ」

 館長室の中にいたローウェルに、アシュリーとヴィルヘルムの会話は聞こえていないはずだ。聞いていたのは、仕事が終わってから会うという約束を取り付けたところのみ。
 なのに彼は、話を聞いていたように適切な助言を寄越してくるのだから、恐ろしい。息を呑んだアシュリーに、ローウェルは口角を上げて楽しげに笑った。

「っ館長、助言ありがとうございます。まだ仕事がありますので、わたしはこれで……っ」

 ヴィルヘルムが足を止めて振り返ろうとしているのが目に入り、アシュリーは慌てて、頭を下げる。
 そして彼と目が合う前に踵を返し、その場に背中を向けた。
 ローウェルがヴィルヘルムに何やら言っている声が聞こえたけれど、アシュリーの頭はただこの場から去りたい一心で、会話の内容までは聞き取れなかった。
 もう数えられないほど通った廊下を、早足で歩く。
 何も考えないように床を叩く自身の足音に意識を集中させるようにしたけれど、館長室から遠ざかり、受付カウンターへ続く扉が見えたところでひと息ついたら、先ほどの出来事を否応なしに思い出してしまった。
 ──ヴィルヘルム様に、告白、され、た……
 真剣な眼差しで、緊張を孕んだような少し強張った声で、真っ直ぐに伝えられた告白を思い出して、反射的にアシュリーは両頬を押さえた。
 嬉しくて心が弾むけれど、断るためにまた、ヴィルヘルムと会わなければならない。そのことがアシュリーの胸を苦しめる。
 ローウェルが現れたのは偶然だったにしても、きっとヴィルヘルムはアシュリーの答えに気付いていただろう。その上で答えを保留にして、伝えたいこととは何だろう。

『また後で』

 その言葉にアシュリーが頷いたら、嬉しそうに頬を緩めたヴィルヘルムの表情を思い出す。

「……ままならない、なあ……」

 せっかく好きな人が自分のことを好きだと言ってくれたのに、それを断らなければいけない。
 ──人生はそう上手くはいかないと言うけれど、転生して二度目の人生を与えてくれたのなら、好きな人と結ばれるくらいの特典を与えてくれても良かったのに。
 八つ当たりだとわかってはいるが、そんなことを思わずにはいられなかった。
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