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第五章 弟子

第132話 ちょっと待って!!

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「って、そんなことより!」

 不意に、僕はとあることを思い出します。

「ん? どうしたの?」

「『どうしたの?』じゃないですよ! 師匠、大丈夫ですか!? どこも怪我してませんか!?」

 そう。師匠は、先ほど男性に襲われたばかりなのです。男性のナイフは、師匠に当たっていない……はずです。でも、万が一ということもあります。

 僕の言葉に、師匠は、ゆっくりと首を縦に振りました。

「うん。怪我はないんだけど……その……」

 一体どうしたことでしょうか。師匠の顔が、だんだんと赤くなっていきます。キョロキョロと落ち着きなく辺りを見回し、僕と目を合わせてくれません。その体はモジモジと揺れて……。

 …………あ。

 その時、気がつきます。僕が、左手で師匠の体を抱きしめていることに。

「ご、ごごごめんなさい、師匠。ぼ、僕、師匠を守らないとって思って、それで。す、すぐに離れま……」

「ま、待って!」

「ふひゃ!」

 僕の口から、今まで聞いたことのないような奇妙な声が飛び出します。

 まあ、仕方ありませんよね。だって、こんなこと想像できないじゃないですか。






 師匠の方から、僕に抱き着いてくるなんて。






「し、しししし師匠!?」

「……だめ」

「な、何がでしょう?」

「遠くに行っちゃ、だめ」

 僕の体に回された師匠の両腕。その力が、さらに強くなります。

 …………

 …………

 ええええええええええええええええええええええええええええ!?

 ど、どうすればいいんですか? いろいろとまずいです。何がとは言えないですけど、いろいろとまずいです。僕、今日、死んじゃうんですかね? 空から槍とか降ってきません? あ。なんか、いい香りがしてきました。これ、師匠の香りですね。香水になって売られてたら、間違いなく買い占めるやつです。全財産はたいてもおつりが来ますよ。ハハハハハ。

 思考がとんでもない方向に進んでいく僕。かつてないほど速い鼓動を刻む心臓。その何とも言えない心地よさに身をゆだねながら、僕は、師匠を抱きしめる左手の力を強めました。

「ん」

 師匠の口から漏れる小さくてどこか色っぽい声。

 プツンと。

 僕の中で、何かが切れました。

「……師匠」

 僕は、右手をゆっくりと師匠の背中に回して……。

「弟子ちゃん。魔女ちゃん。大丈夫!? 言われた通り、人呼んで…………へ?」

「…………あ」

「…………え?」

 ピシリ!

 確かに聞こえた、空気の固まる音。

 どうしてここに郵便屋さんが……って、考えるまでもありませんね。きっと、師匠があらかじめ呼んでくれたのでしょう。ああ、でも。あまりにもタイミングが良すぎやしませんか?

「えっと……」

 居心地悪げに視線を巡らせる郵便屋さん。数秒後、その顔に浮かんだのは、明らかな作り笑い。

「ご……ごゆっくりー」

「「ちょっと待って!!」」

 僕と師匠の声が重なりました。
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