標識上のユートピア

さとう

文字の大きさ
65 / 67
三章

六十四話

しおりを挟む
 その瞬間、俺は脳を揺さぶられるような、強い衝撃に襲われた。
ハッとして妻を見る。

「ごめんね」 
 彼女は言った。その頬は雪のように白い。柔らかな唇は流血し、紅白のコントラストを作り上げていた。
赤い液体が、唇を染めていく。どんな口紅よりも艶やかで、そして忌々しい。 
今、俺の中に渦巻くもの。
怒り、哀しみ。……絶望。
闇よりも黒い感情。
「ごめんね」  
 謝り続ける彼女の声は、老婆のようにか細くて、少女のように澄んでいた。
どす黒い夜に一片、純白の羽が舞った気がした。
彼女の誠実な眼差しは、あまりにも俺に釣り合わない。
「ごめん、ね」 
 そうだ。彼女は許してもらおうなんて思っていないのだ。俺を傷つけたこと。それだけを謝りたいのだ。
なんて返せばいいのだろう。許す、その一言だけ言えばいいのか。
声を絞り出すが、出てきたのは全く別の言葉だった。
「……お前を、愛していた」 
 違う、愛していた、じゃない。
今も、愛している。
彼女はハッとしたようにおれを見つめる。見開かれた瞳から、涙がこぼれた。 
「本当に……ごめんね……ごめん」
 脳裏で純白の羽が破け、散り散りに堕ちていく。また、闇が全てを覆おうとする。
違う。そんなつもりじゃなかったんだ。俺は、お前を……。 
「許す。今でも、愛している」 
 彼女の耳元で吐露する。熱い涙が、彼女の頬を濡らす。
返事は、ない。おれの言葉は届かなかった。 

彼女は死んだ。
 
今際の際に見開かれた目が、まだおれを見つめている。
彼女は俺を、恨んでいる? 
回りだす意識の中で、おれは自問自答していた。
彼女は俺を、信じていた?
 
 
 
彼女は俺を、愛していた?
しおりを挟む
感想 173

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

〈完結〉遅効性の毒

ごろごろみかん。
ファンタジー
「結婚されても、私は傍にいます。彼が、望むなら」 悲恋に酔う彼女に私は笑った。 そんなに私の立場が欲しいなら譲ってあげる。

月弥総合病院

僕君☾☾
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。 また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。 (小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!

断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた

兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。

処理中です...