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第四話 ミレット
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ミレット・フォン・アルカンシェルは、「完璧」でなければならなかった。
清楚で、優雅で、誰にも恥じることのない令嬢であること。
それが、代々「美徳」を誇ってきたアルカンシェル家の娘に課せられた使命。
笑うときは手を口元に添えて。
本のページは音を立てずにめくること。
くしゃみやあくびなど論外。何より、感情を顔に出してはならない。
──彼女はそのすべてを、完璧にこなしてきた。
だが、本音を言えば──。
(……ああ、踏まれたい……ッ)
そう思っていた。
「清楚」とは仮面だ。
「品格」とは檻だ。
ミレットは、自分の中に育っていく奇妙な願望に、最初は名前をつけられなかった。
オルフェリア様を初めて見た日のことは、今でも忘れられない。
華麗な金髪をなびかせ、氷のような眼差しで教室を一瞥しただけで、場の空気が変わった。
あの高慢さ。あの無慈悲な気品。誰もが彼女に距離を置く中──。
(ああ、この人に──跪きたい)
心の奥から、言葉にならない衝動が湧きあがった。
背筋を凍らせるほどの快感。
自分の仮面を剥ぎ取ってくれる存在。
その視線ひとつで、ミレットの全身が支配された。
気づけば、夜な夜なオルフェリアのことを想像していた。
口調。笑い方。立ち方。スカートの翻し方。
その全てに、ミレットは支配されたいと、心の底から願っていた。
(でも、そんな私を知ったら──きっと、軽蔑される)
本当は「下劣」で「卑しい」自分。
頭を踏まれて、罵られて、涙を流して悦ぶ──そんな変態を、オルフェリア様が愛してくださるはずがない。
だからこそ、初めて彼女の足元に跪いたとき、ミレットは震えていた。
「この顔を……どうか、踏んでくださいませ……!」
笑われるかもしれない。
罵倒されるかもしれない。
追放されるかもしれない。
けれど、それでも──伝えずにはいられなかった。
(どうか、こんな私を見て……見下して……)
それが、「誰にも知られてはならない本当の自分」だったから。
今日も彼女の視線を追ってしまう。
背筋を伸ばし、誰にも媚びず、ひとりで気高く歩く姿。
誰かに話しかけられても、必要最低限しか口を動かさない冷たさ。
──でも、ミレットにはわかる。
(オルフェリア様……貴女、ほんの少しだけ、戸惑っていらっしゃる)
転生者のことなど知らないこの世界で。
ただひとり、オルフェリアの変化に「微かな違和感」を覚えていた。
あの方は、まだ本気を出していない。
本当の「支配者」としての素質は、目覚めかけているだけ──。
(ならば、目覚めさせてみせます……この身を捧げて……!!)
心の奥で、願うように、叫ぶように。
「どうか、オルフェリア様……。この穢れきった私を、否定して……そして、受け入れて……!!」
清楚の仮面の下で、ミレットは泣きながら、悦びに身を焼いていた。
◇
「どうか……この穢れたわたくしを……罵倒してくださいませ……ッ」
その日も、ミレットは私の足元に跪いていた。
誰も見ていない中庭の一角。
花壇の陰に身を沈め、今にも泣きそうな目で、懇願してくる。
彼女は、美しかった。
完璧に整えられた制服、整った所作、紅茶の香りが漂う優雅な髪。
──でも、震えていた。
言葉では懇願しているのに、どこか怯えているようにも見えた。
その違和感が、ずっと気になっていた。
「ミレット。貴女は……どうして、そんなに私に踏まれたいの?」
少しだけ優しい声で問いかけると、彼女はびくっと肩を揺らした。
「わ、わたくしは……っ。小さい頃から、『清楚』でいなければなりませんでした……家の名に恥じないように……いつも、気を張って……」
ぽつぽつと、ミレットは語り出した。
泣くことも、怒ることも、甘えることも、許されなかった日々。
完璧であることが当然。失敗すれば、父親に「令嬢失格」と冷たく言われた。
そんな彼女が、初めて「オルフェリア」という存在に出会い、すべてが変わった。
「睨まれた瞬間……心が、崩れましたの。ああ……こんなふうに、私を見下してくれる人がいたんだって……」
彼女の唇が、微かに震える。
「でも……そんな自分は、きっとおかしいんですの。変態で、下品で、オルフェリア様に相応しくない……だから……っ」
涙がこぼれる。清楚な顔を歪めながら。
「本当の自分を知られたら、きっと、嫌われてしまう……」
私は、彼女の前に立った。
そして、そっと片足を──。
ドレスの裾から伸びるヒールを、彼女の肩口に、ゆっくりと乗せた。
「ひゃ……っ」
声にならない吐息。
けれどミレットは逃げなかった。むしろ、涙を流したまま、嬉しそうに笑った。
「ミレット。貴女のように、誰よりも深く、私に服従している令嬢を──下品だなんて思わないわ」
私は彼女を見下ろしながら、静かに言った。
「むしろ誇らしいわ。『変態のまま』でいい。
私が、そのままの貴女を……踏みつけてあげるわ」
その言葉は、きっと愛ではない。
でも、ミレットにとって──たった一つの救いになった。
「……うれしい……ですわ……。オルフェリア様に……変態って認めていただけたことが……っ。こんなに……幸せ……だったなんて……!!」
彼女は、声を上げて泣いた。
嗚咽しながら、足元で、何度も「ありがとうございます」と呟いた。
清楚の仮面は、そこで音を立てて崩れた。
かわりに現れたのは、忠犬のように服従し、悦びに震える少女。
それが、ミレットの「本当の姿」だった。
その日から、彼女は変わった。
すべてを捧げる目で私を見るようになった。
自主的にスカートの裾を私の足に絡め、授業中に「踏み待ちポーズ」を取り始めた。
毎朝の挨拶は「おはようございます、わたくしの女王様」。
ティーカップを差し出すときは「本日も、光栄なるお足元にてお仕えさせてくださいませ」。
──もう、戻れない。
でも私は、ほんの少しだけ、そんな世界を心地よく感じ始めていた。
清楚で、優雅で、誰にも恥じることのない令嬢であること。
それが、代々「美徳」を誇ってきたアルカンシェル家の娘に課せられた使命。
笑うときは手を口元に添えて。
本のページは音を立てずにめくること。
くしゃみやあくびなど論外。何より、感情を顔に出してはならない。
──彼女はそのすべてを、完璧にこなしてきた。
だが、本音を言えば──。
(……ああ、踏まれたい……ッ)
そう思っていた。
「清楚」とは仮面だ。
「品格」とは檻だ。
ミレットは、自分の中に育っていく奇妙な願望に、最初は名前をつけられなかった。
オルフェリア様を初めて見た日のことは、今でも忘れられない。
華麗な金髪をなびかせ、氷のような眼差しで教室を一瞥しただけで、場の空気が変わった。
あの高慢さ。あの無慈悲な気品。誰もが彼女に距離を置く中──。
(ああ、この人に──跪きたい)
心の奥から、言葉にならない衝動が湧きあがった。
背筋を凍らせるほどの快感。
自分の仮面を剥ぎ取ってくれる存在。
その視線ひとつで、ミレットの全身が支配された。
気づけば、夜な夜なオルフェリアのことを想像していた。
口調。笑い方。立ち方。スカートの翻し方。
その全てに、ミレットは支配されたいと、心の底から願っていた。
(でも、そんな私を知ったら──きっと、軽蔑される)
本当は「下劣」で「卑しい」自分。
頭を踏まれて、罵られて、涙を流して悦ぶ──そんな変態を、オルフェリア様が愛してくださるはずがない。
だからこそ、初めて彼女の足元に跪いたとき、ミレットは震えていた。
「この顔を……どうか、踏んでくださいませ……!」
笑われるかもしれない。
罵倒されるかもしれない。
追放されるかもしれない。
けれど、それでも──伝えずにはいられなかった。
(どうか、こんな私を見て……見下して……)
それが、「誰にも知られてはならない本当の自分」だったから。
今日も彼女の視線を追ってしまう。
背筋を伸ばし、誰にも媚びず、ひとりで気高く歩く姿。
誰かに話しかけられても、必要最低限しか口を動かさない冷たさ。
──でも、ミレットにはわかる。
(オルフェリア様……貴女、ほんの少しだけ、戸惑っていらっしゃる)
転生者のことなど知らないこの世界で。
ただひとり、オルフェリアの変化に「微かな違和感」を覚えていた。
あの方は、まだ本気を出していない。
本当の「支配者」としての素質は、目覚めかけているだけ──。
(ならば、目覚めさせてみせます……この身を捧げて……!!)
心の奥で、願うように、叫ぶように。
「どうか、オルフェリア様……。この穢れきった私を、否定して……そして、受け入れて……!!」
清楚の仮面の下で、ミレットは泣きながら、悦びに身を焼いていた。
◇
「どうか……この穢れたわたくしを……罵倒してくださいませ……ッ」
その日も、ミレットは私の足元に跪いていた。
誰も見ていない中庭の一角。
花壇の陰に身を沈め、今にも泣きそうな目で、懇願してくる。
彼女は、美しかった。
完璧に整えられた制服、整った所作、紅茶の香りが漂う優雅な髪。
──でも、震えていた。
言葉では懇願しているのに、どこか怯えているようにも見えた。
その違和感が、ずっと気になっていた。
「ミレット。貴女は……どうして、そんなに私に踏まれたいの?」
少しだけ優しい声で問いかけると、彼女はびくっと肩を揺らした。
「わ、わたくしは……っ。小さい頃から、『清楚』でいなければなりませんでした……家の名に恥じないように……いつも、気を張って……」
ぽつぽつと、ミレットは語り出した。
泣くことも、怒ることも、甘えることも、許されなかった日々。
完璧であることが当然。失敗すれば、父親に「令嬢失格」と冷たく言われた。
そんな彼女が、初めて「オルフェリア」という存在に出会い、すべてが変わった。
「睨まれた瞬間……心が、崩れましたの。ああ……こんなふうに、私を見下してくれる人がいたんだって……」
彼女の唇が、微かに震える。
「でも……そんな自分は、きっとおかしいんですの。変態で、下品で、オルフェリア様に相応しくない……だから……っ」
涙がこぼれる。清楚な顔を歪めながら。
「本当の自分を知られたら、きっと、嫌われてしまう……」
私は、彼女の前に立った。
そして、そっと片足を──。
ドレスの裾から伸びるヒールを、彼女の肩口に、ゆっくりと乗せた。
「ひゃ……っ」
声にならない吐息。
けれどミレットは逃げなかった。むしろ、涙を流したまま、嬉しそうに笑った。
「ミレット。貴女のように、誰よりも深く、私に服従している令嬢を──下品だなんて思わないわ」
私は彼女を見下ろしながら、静かに言った。
「むしろ誇らしいわ。『変態のまま』でいい。
私が、そのままの貴女を……踏みつけてあげるわ」
その言葉は、きっと愛ではない。
でも、ミレットにとって──たった一つの救いになった。
「……うれしい……ですわ……。オルフェリア様に……変態って認めていただけたことが……っ。こんなに……幸せ……だったなんて……!!」
彼女は、声を上げて泣いた。
嗚咽しながら、足元で、何度も「ありがとうございます」と呟いた。
清楚の仮面は、そこで音を立てて崩れた。
かわりに現れたのは、忠犬のように服従し、悦びに震える少女。
それが、ミレットの「本当の姿」だった。
その日から、彼女は変わった。
すべてを捧げる目で私を見るようになった。
自主的にスカートの裾を私の足に絡め、授業中に「踏み待ちポーズ」を取り始めた。
毎朝の挨拶は「おはようございます、わたくしの女王様」。
ティーカップを差し出すときは「本日も、光栄なるお足元にてお仕えさせてくださいませ」。
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