処刑された悪役令嬢に転生したら、ドMの変態令嬢たちに困らされています。

もちもちのごはん

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第八話 セシリア

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 セシリア・アルジェントは、今日もノートを開く。

 オルフェリア様観察日誌──現在、十八冊目。

 朝の起床時刻:六時四分。
 着用されたドレス:マリンブルーのベルベット。左肩にわずかな繊維の乱れあり。
 食事:紅茶はダージリン。ミルク多め、砂糖なし。パンを裂いた指先が白魚のように震えていた。
 発言数:今朝は全体で二十八語。使用された語彙は中立系が多い。

 筆を走らせながら、セシリアは小さく息を吐いた。

(……本日も、完璧でしたわ)

 ただ見ているだけでは意味がない。
 記録して、把握して、理解して、すべてを掌握しなければ。

 そうしなければ、愛される資格なんて、ないのだから。



 セシリアは幼い頃から、誰にも気づかれなかった。

 姿勢が正しくても、褒められない。
 話しかけても、返事がない。
 泣いても、怒っても、何も変わらなかった。

 彼女の存在は、家の中で「無かったこと」にされていた。

(じゃあ、どうすれば──気づいてもらえる?)

 唯一、母が反応したのは、セシリアが兄の行動を逐一報告したときだった。

「まあ、よく見ていたのね。……ええ、ありがとう」

 その一言が、彼女の価値観を決定づけた。

 愛されるには、観察するしかない。
 すべてを知り尽くさなければ、存在する意味がない。

 それからのセシリアは、周囲のすべてを「記録」しはじめた。
 家族、使用人、教師、クラスメイト。

 そしてある日、彼女は──絶対的な存在に出会った。

 オルフェリア・フォン・グリムハイト。
 完璧な貴族。冷徹な眼差し。容赦ない物言い。
 そのすべてが、セシリアの中の「記録欲」を呼び起こした。

(この人を、知り尽くしたい……)

 知ることが、愛すること。
 記録することが、近づくこと。

 オルフェリアが朝、どちらの足から立ち上がるか。
 スカートを翻す角度が、気分でどう変わるか。
 誰と会話したときだけ、瞳が細くなるのか。

 ──彼女は、完璧だった。
 だから、セシリアは記録し続けた。

(私が、オルフェリア様のすべてを残しておかないと……)

 そう信じていた。

 ──けれど。
 最近のオルフェリア様には、「記録できない何か」が増えてきた。

 他の令嬢たちに向ける、無表情の中の微かな笑み。
 命令されて従う騎士の頭を、ふっと撫でた指先。
 紅茶を口に含んだ後、少しだけ笑った、理由のない気まぐれな笑顔。

 その一つひとつが、セシリアの記録からこぼれ落ちていく。

(違う……こんなはずでは……)

 焦燥、困惑、苛立ち。
 完璧に記録しているはずの存在が、私の知らない顔を見せる。
 それが、怖かった。

 なぜなら彼女は、「知らなければ愛されない」と信じて生きてきたから。

 記録できないオルフェリア様を、私は──。
 どうやって、愛せばいいの?



 昼下がりのテラス。
 陽の光は柔らかく、風は涼しい。
 けれど、セシリアの胸の中には、ずっと重たいものが沈んでいた。

 手帳を開いても、ペンが進まない。
 オルフェリア様の動きは、以前よりもなめらかで、柔らかく、時折感情が混じる。
 それは「進化」とも呼ぶべき変化だった。

 ──だが、セシリアにとっては「記録不能」の危機だった。

(このままでは……私の愛は、追いつけなくなる……)

 彼女に許されているのは、観察だけ。
 触れることも、話すことも、求めることもできない。

 それなのに、ミレットは踏まれていた。
 ヴィオラは命令を乞うようになった。
 だけど自分は、ただ遠くから見ることしかできない。

 私だけ……何も変われていないのでは?



 「セシリア」

 呼びかけられて、心臓が跳ねた。
 オルフェリア様が、微笑んでいた。
 ……否、違う。わたくしにだけ、微笑んでいた。

「ペン、止まってるわよ。今日は記録、しなくていいの?」
「あっ……い、いえ……っ、これは……その……」

 動揺が、止まらない。
 言葉が、詰まる。
 思考が、記録のように整理されない。

(どうして……!? この表情……どのデータにも、載ってない……っ)

「セシリア」

 もう一度、名を呼ばれた。
 次の瞬間、オルフェリアがふわりとスカートを翻して、テーブル越しに身を寄せる。
 そして、いたずらっぽく、ほんの少しだけ――微笑んだ。

「この顔、あなたの記録には、ないでしょ?」

 その言葉は、セシリアの胸を突き刺した。

 全身が、熱くなった。
 冷たいはずの指先が震える。
 ノートの角が、滲むほど汗ばんでいた。

「な、なぜ……いま、微笑まれたのですか……? どうして……そのような表情を……」
「理由なんて、いらないわ。ただの気まぐれよ」
「……記録できません……」

 セシリアは、小さく呟いた。

「その笑顔も、声の調子も……今のあなたは、わたくしのデータのどこにも存在しませんの……」
「記録じゃなくて──「いま」を見なさい」

 オルフェリアの声は、優しかった。
 でも、その瞳は命令のように、強かった。

「記録なんて、燃やせとは言わない。でも、そばにいたいなら、「未来のページ」を見て頂戴」

 その言葉が、セシリアの胸を撃ち抜いた。

 「記録することでしか愛せない」と思っていた自分。
 だけど、今この瞬間だけは──。
 記録できない感情に、心を奪われていた。



 セシリアは手帳を閉じた。
 ペンをしまい、目の前の紅茶を一緒に味わう。
 ただそれだけの時間が、こんなにも満ちていたなんて。

「……オルフェリア様。もし……よろしければ……」
「なに?」
「本日から、観察だけでなく……おそばで、一緒に過ごしてもよろしいでしょうか」
「いいわ。これは許可じゃなくて、命令よ」

 その言葉に、セシリアは、記録に残せないほど美しく笑った。
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