処刑された悪役令嬢に転生したら、ドMの変態令嬢たちに困らされています。

もちもちのごはん

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第十話 ロゼット

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 ロゼット・ミューザンには、愛し方がわからなかった。

 幼い頃から、彼女は「普通」ができなかった。

 笑い方がわからない。
 拍手のタイミングがずれる。
 空気を読むという言葉の意味が、ずっと理解できなかった。

 だが、石や音や色は、彼女の声に応えた。
 チョークで描いた線は、彼女の言葉よりも的確に“心”を表現し、
 譜面に書いた罵倒の旋律は、胸の奥にある焦がれるような感情を代弁してくれた。

(わたくしには、芸術しかないのです)

 芸術を通さなければ、誰も自分を見てくれない。
 芸術を生み出すことでしか、他人の視線を引き寄せられない。
 そう信じていた。



「これは、オルフェリア様の『睨み』を再構築した連作シリーズですの。この斜光の入り方が、最高に冷たい軽蔑を表していて──」

「これは罵倒アリア第三楽章の草稿です。『吐き捨てるような音』にこだわって……」

「これは……」

「……これは……」

 ロゼットは、黙った。
 指先が触れたのは、白い石膏像。
 未完成の、オルフェリア像。
 顔はまだ彫られていない。輪郭も曖昧なまま、時間だけが過ぎている。

(どうして……これだけは、仕上げられないのかしら)

 どんなに筆を振るっても、どんなにノミを振るっても、
 この像だけは、完成のイメージにたどり着けなかった。

 他の令嬢たちは言う。

「ロゼット様は、感情が読めない」

「天才だけど、人間味がない」

「ちょっと怖い……何を考えてるかわからない」

 彼女は笑ったことがなかった。
 他人と、心から向き合ったこともなかった。

 けれど──。
 オルフェリア様だけは、違った。

 初めてその姿を見たとき。
 美しいと思った。
 冷たいと感じた。
 そして、何よりも「彫りたい」と強く思った。

(この方こそが、わたくしのすべて。世界の美を凝縮した女神……この人なら、わたくしを見てくれる)

 現実ではなく、芸術の中にいる存在。
 だから彼女は、すべてを捧げた。
 睨み、罵倒、足音、すべてを芸術に刻んだ。
 だが──最近、何かが変わってきた。

 セシリア・アルジェント。
 かつては無言の同志だった彼女が、最近、「話す」ようになった。
 記録を閉じて、笑うようになった。
 手帳を持たずに、紅茶を飲んでいた。
 オルフェリア様の隣で、ただそこにいるだけの時間を、幸福そうに過ごしていた。

(……変わったのね、あなたは)

 そう、思った。
 同時に、自分だけが「額縁の中」に置いてけぼりになった気がした。

 ロゼットは、自室の片隅で未完成のオルフェリア像をじっと見つめた。

 この像の顔を彫れないのは、なぜだろう。
 美としては完成している。
 でも、それだけでは足りないと、彼女の心が囁く。

(わたくしが……、本当に見せたいものは)

 今さら気づいた。遅すぎるほどに。

(オルフェリア様……わたくしを、作品じゃなく、わたくし自身として、見ていただけますか……?)

 


 その日の夕暮れ、私はロゼットに呼び出されて、美術棟の奥、人気のないアトリエへと足を運んだ。

 ロゼットは、静かにそこに立っていた。
 絵の具のついた作業着。細く結ばれた赤髪。
 そして、隣には――未完成のオルフェリア像。

「……今日は、完成を見届けていただきたくて」

「彫るの?」

 彼女は小さく頷いた。
 けれど、その手は震えていた。

「……でも、わたくし、ずっと彫れませんでしたの」

「なぜ?」

「『顔』が、わからなかったからです。わたくしが見ているオルフェリア様は、美しくて、冷たくて、完璧で――。だけど最近のあなたは……それだけじゃない顔を、なさるようになった」

 ロゼットは、石像にそっと触れる。

「笑うようになって。優しい言葉をくれて。……他の子たちに、違う顔を見せて。わたくしの中の『オルフェリア像』が、壊れ始めたのです」

 その言葉に、私は静かに近づき、ロゼットの隣に立った。

「壊れたのは、『像』じゃないわ」

 彼女が、目を見開く。

「壊れかけていたのは、あなたよ。芸術に閉じこもって、自分を見てもらえない苦しさを、『美』で塗りつぶそうとしていた」

「わたくしが……?」

「ロゼット。よく聞いて」

 私は、未完成の像に手を伸ばした。
 そして、そっとロゼットの手をとって、自分の頬に触れさせた。

「芸術は素晴らしい。あなたの作品は、世界で一番、美しいわ」

 ロゼットの目が揺れる。

「でもね、それよりも――あなた自身が、一番魅力的よ」

「……わたくしが?」

「あなたの震えも、迷いも、未完成なその手も。オルフェリア像なんかよりも、ずっと、ずっと――愛おしい」

 その瞬間、ロゼットの目から、ぽたりと涙が落ちた。

「……そんなふうに……言っていただいたのは……はじめて……」

 それは、芸術の神にも、誰にも与えられなかった“肯定”だった。



 ロゼットは、石像に背を向け、私の方を向いた。

「もう、像はいりませんわ」

 そう呟く彼女の瞳は、どこか穏やかだった。

「これからわたくしが刻むのは、あなたの美ではなく……あなたとわたくしの、物語そのものですの」

 芸術家の目が、「愛されたい少女」の瞳へと変わった瞬間だった。

「どうか……これからも、わたくしだけに、あなたの『完成しない姿』を、見せていただけませんか?」

「もちろん。わたくしの『未完成』は、あなただけのものよ」



 それからというもの、ロゼットの創作は変わった。
 構図が優しくなった。筆が柔らかくなった。
 表情の中に、孤独ではなく、希望の色が混ざるようになった。

「ロゼット、これは?」

「『オルフェリア様が微笑む前』の瞬間ですの。あの笑顔を、完全に描くつもりはありませんわ。だって、あの笑顔は……わたくしだけが、見るものですもの」

 そう言って笑った彼女は、
 ようやく「額縁の外」で、生きはじめたのだった。
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