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第八話 偽りの仮面
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アグナリア王国の迎賓館。
柔らかな陽が差し込むテラスにて、クラリスは紅茶を飲んでいた。
白いカップの中に、琥珀色の液体が静かに揺れる。
「風が、ずいぶん心地よいですわね」
呟いたその声に応える者は、まだいない。
けれど、その空気が、ピン、と変わったのは、数瞬後だった。
「……クラリス」
低く、どこか芝居がかった声。
振り返ると、そこにいたのは見慣れた顔だった。
金の髪に、整った顔立ち。だが、どこか疲れたような笑み。
かつての婚約者、そして一方的に婚約破棄をしてきた男、レオンハルト=セレフィア殿下。
「わざわざ来国とは、熱心な外交努力ですこと」
「違う。今日は、個人的な話をしに来た」
椅子を引いて座ろうとしたその瞬間──クラリスの一言が、空気を止めた。
「おかけにはならない方が、よろしいかと。紅茶も冷めてしまいますし」
彼の動きがぴたりと止まる。
クラリスは立ち上がらず、ただ穏やかに微笑んだまま、じっと見据えた。
「あのときの判断は誤っていたかもしれない。そう仰るつもりですか?」
「……そう思ってはいけないのか?」
「ご自由にどうぞ。ただ、それを伝えに来られても、こちらの予定は変わりませんの」
刺すような言葉ではなかった。
けれど、それは氷の刃のように、鋭く冷たかった。
「君は、本当に変わった……いや、変わってしまったんだな」
「いえ、変わったのではありません。見えていなかっただけですわ。あなたにも、そして……私自身にも」
レオンハルトが口を閉じる。
その視線の先にあるのは、もう自分を振り向かない女の背中。
彼の記憶にあるクラリスは、静かで、控えめで、何も言わずに従うだけの存在だった。
だが今、そこにいるのは。
自ら道を選び、まっすぐ歩いていく「聖女」だった。
「どうか、ご自愛くださいませ。王妃候補のご教育は、なかなか大変だと伺っておりますもの」
軽やかに放たれたその言葉に、レオンハルトの顔がわずかに引きつった。
だが、何も言えない。
彼には、すでに「選ぶ権利」がなかった。
その夜。
クラリスは、ペンを走らせる。
【対象】レオンハルト=セレフィア殿下
【行為】婚約破棄後、再接触し未練がましい言動を確認
【結果】一蹴済み。尊厳も関係性も完全に終了
【現状】ざまぁ確認済✔
【一言】美しい思い出をいつまでも保存なさってくださいませ。わたくしは既に削除済ですが
カリ、と小気味よくチェックマークが刻まれる。
クラリスは微笑む。
心の奥が、まるで風呂上がりのようにすっきりしていた。
そこに、ノックの音が響く。
「クラリス嬢。少し、いいですか?」
開いた扉の先にいたのは、ユリウス。
「王太子殿下は、お帰りになりましたか?」
「ええ。名残惜しそうではありましたが、退席いただきました」
「そう……でしたか」
クラリスはそっと、ノートを閉じる。
そしてユリウスを見上げ、言った。
「殿下、私はようやく、『誰かに選ばれるために生きる』のをやめることができました。それは、あなたが私を、私自身をきちんと見てくれたからです」
ユリウスの目が、静かに細められる。
「私はこれから、あなたと共に歩みます。けれどそれは、『隣に並ぶ』という意味で」
その言葉に、ユリウスははじめて──ほんの少しだけ、声に出して笑った。
「クラリス。……やはり、あなたは強い」
「いいえ。やっと、少しだけ素直になれただけですわ」
静かに、そして誇り高く。
クラリスの物語は、ついに「過去」から解放された。
柔らかな陽が差し込むテラスにて、クラリスは紅茶を飲んでいた。
白いカップの中に、琥珀色の液体が静かに揺れる。
「風が、ずいぶん心地よいですわね」
呟いたその声に応える者は、まだいない。
けれど、その空気が、ピン、と変わったのは、数瞬後だった。
「……クラリス」
低く、どこか芝居がかった声。
振り返ると、そこにいたのは見慣れた顔だった。
金の髪に、整った顔立ち。だが、どこか疲れたような笑み。
かつての婚約者、そして一方的に婚約破棄をしてきた男、レオンハルト=セレフィア殿下。
「わざわざ来国とは、熱心な外交努力ですこと」
「違う。今日は、個人的な話をしに来た」
椅子を引いて座ろうとしたその瞬間──クラリスの一言が、空気を止めた。
「おかけにはならない方が、よろしいかと。紅茶も冷めてしまいますし」
彼の動きがぴたりと止まる。
クラリスは立ち上がらず、ただ穏やかに微笑んだまま、じっと見据えた。
「あのときの判断は誤っていたかもしれない。そう仰るつもりですか?」
「……そう思ってはいけないのか?」
「ご自由にどうぞ。ただ、それを伝えに来られても、こちらの予定は変わりませんの」
刺すような言葉ではなかった。
けれど、それは氷の刃のように、鋭く冷たかった。
「君は、本当に変わった……いや、変わってしまったんだな」
「いえ、変わったのではありません。見えていなかっただけですわ。あなたにも、そして……私自身にも」
レオンハルトが口を閉じる。
その視線の先にあるのは、もう自分を振り向かない女の背中。
彼の記憶にあるクラリスは、静かで、控えめで、何も言わずに従うだけの存在だった。
だが今、そこにいるのは。
自ら道を選び、まっすぐ歩いていく「聖女」だった。
「どうか、ご自愛くださいませ。王妃候補のご教育は、なかなか大変だと伺っておりますもの」
軽やかに放たれたその言葉に、レオンハルトの顔がわずかに引きつった。
だが、何も言えない。
彼には、すでに「選ぶ権利」がなかった。
その夜。
クラリスは、ペンを走らせる。
【対象】レオンハルト=セレフィア殿下
【行為】婚約破棄後、再接触し未練がましい言動を確認
【結果】一蹴済み。尊厳も関係性も完全に終了
【現状】ざまぁ確認済✔
【一言】美しい思い出をいつまでも保存なさってくださいませ。わたくしは既に削除済ですが
カリ、と小気味よくチェックマークが刻まれる。
クラリスは微笑む。
心の奥が、まるで風呂上がりのようにすっきりしていた。
そこに、ノックの音が響く。
「クラリス嬢。少し、いいですか?」
開いた扉の先にいたのは、ユリウス。
「王太子殿下は、お帰りになりましたか?」
「ええ。名残惜しそうではありましたが、退席いただきました」
「そう……でしたか」
クラリスはそっと、ノートを閉じる。
そしてユリウスを見上げ、言った。
「殿下、私はようやく、『誰かに選ばれるために生きる』のをやめることができました。それは、あなたが私を、私自身をきちんと見てくれたからです」
ユリウスの目が、静かに細められる。
「私はこれから、あなたと共に歩みます。けれどそれは、『隣に並ぶ』という意味で」
その言葉に、ユリウスははじめて──ほんの少しだけ、声に出して笑った。
「クラリス。……やはり、あなたは強い」
「いいえ。やっと、少しだけ素直になれただけですわ」
静かに、そして誇り高く。
クラリスの物語は、ついに「過去」から解放された。
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