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第25話 本日、検査日和
第25話・3 リル、胃カメラに絶望
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続いて、歯科検診。
特殊検査室に戻ると、すぐに歯の確認が始まる。
診察椅子に座ったリルは、口を大きく開けていた。
セセラは両手に手袋を装着して小型ライトを片手に、口内──歯列を覗き込む。
「……ん、やっぱ……鋭いな。……前回より明らかに変化してる。奥の方……右の第一、第二大臼歯の尖りが左より強まってる……」
「…………」
手袋を外したセセラは真剣な顔のまま、軽くリルの顎に触れて口を閉じさせた。
「歯の変異が進んでるってことは、龍因子の浸透が進んでる証拠でもある。……まあ、すぐにどうこうってわけじゃねえが」
続いてリルは椅子に座ったまま、手を差し出す。
黒く硬質化した爪が、光を受けて僅かに鈍く光った。
セセラは指を1本ずつ、まるで工芸品でも扱うかのように確かめていく。
「……異常な肥厚や湾曲は……無し。爪に関しては目立った問題はねえな」
「……すぐ伸びるの嫌なんだけど」
「我慢しなさい」
そう軽く答えながらカルテにさらさらとメモを書きつけると──「あっ」と、セセラはふと顔を上げた。
「……忘れてた。今回は爪と犬歯のサンプルも採るんだった」
「……は?」
目を細めるリル。
「言葉通りだよ。爪を数ミリ、犬歯も少し削って……。龍因子の変異率を検証するためな。べつに引っこ抜くわけじゃねえから問題ねえだろ」
「……気分はあんま良くねえな」
リルはぼやくが、反論はせずにセセラは淡々と器具を用意する。
金属製の小さなカッター、滅菌済みのステンレスの容器や透明な小瓶。
「ほら、じっとしろ。サンプル採取なんて一瞬だから」
「……薊野さん、なんか楽しそうじゃね?」
「研究者魂ってやつだ。お前の珍しいデータ、俺がしっかり残してやんだよ」
リルは小さく舌打ち。
「オレ、モルモットかよ……」
セセラは小さなカッターを取り出し、リルの手を軽く掴む。
「まずは爪からいくぞ。ちょっとだけだからな」
「はいはい……。でもこれ、普通に切るだけだろ?」
「切る『だけ』……って……、お前な……? 龍憑きの爪と牙なんて研究資料、そうそう転がってねえんだよ。俺らにとっては宝だ」
「……言い方がモルモットっぽいんだよな……」
リルはじっと手を伸ばしながら、不満そうにぼやいた。
──カチンッ……
黒い爪の先がほんの少しだけ削り取られ、ステンレスの容器に落ちる。
セセラはそれを大事そうにラベル付きの小瓶へ移した。
「お~……硬度も色も変わったりするかな。いいサンプルだ」
「感心されてんの、変な気分なんだけど」
「気にすんな……次は歯、やる」
再び手袋を装着したセセラが小さな器具を持ち替える。
リルは口をへの字に曲げた。
「……なんか嫌だな。歯医者みたいで」
「ちょっとだけ先端を削るだけだ。大人しくしてろ」
「薊野さんが一番大人しくしてねえだろ」
「うるせえんだよ、いいから口開けろ」
ちょっとだけ怒られて、渋々「あー」と口を開けるリル。
セセラは器用にライトを当て、犬歯の先端をカリ……と削り取った。
カチッ、と小瓶に落ちる音。
「よし、終了。……いやあ、これでコーヒーでも飲みながら観察できる」
「待て。気色悪ぃこと言うな……!」
その反応にセセラは肩をすくめて笑った。
「冗談だよ! ……でも、いいデータになるぞ」
「…………」
リルはため息をつきつつ、口元を拭う。
「ほんと、オレ……研究材料扱いだな」
「それは違ぇよ、リル」
セセラは淡々と答えた。
「研究材料じゃなくて、お前は俺らが診て保護する観察対象。サンプルはそのついで」
「…………」
一瞬の真顔に、リルは返す言葉を失くす。
「……ついで、ね」
少しだけ、小さく笑っていた。
◇
そして、本日一番の検査へと続く。
内視鏡検査、即ち、胃カメラ。
内視鏡室内では、既に消泡剤を飲み終えていたリルの表情からスッと余裕が消えていた。
先程まで「爪がどうだ」「牙がどうだ」と軽口を叩いていたのに、今は落ち着きなく視線を泳がせている。
「……薊野さん」
「ん?」
「……オレ、これほんとにやんの?」
苦笑いを浮かべるセセラ。
「やるんだよ。胃の泡消すやつだって飲んだろ。嫌だって顔はわかる」
「……マジで嫌だ……」
「俺だって大嫌いだからな」
「え、薊野さんも?」
「当たり前だろ。こればっかは慣れねえ。プライドも尊厳も、全部まとめて涙と涎と一緒に流れてくんだ」
リルは露骨に顔を引きつらせた。
「うわ……それ聞いたら余計嫌になったんだけど」
「だろ? でも避けられねえのが内視鏡検査ってやつだ」
セセラはリルの肩をぽんと叩くと──。
「安心しろ。俺が介助でついてる。気持ち悪いのは止めらんねえけど、ひっくり返ったりはさせねえ」
「…………」
医療班職員が器具を整える。銀色の内視鏡の先端がライトを放ち、管は蛇のようにとぐろを巻いていた。
それを一目見ただけで、リルの体がピクッと固まる。
「……長っ。これ全部入れるわけ?」
「全部じゃねえ。胃まで届かせるだけだ」
「……胃までって、十分長いだろ……!」
左側を下にしてベッドに横たわり、マウスピースを咥えるよう指示される。
喉への局所麻酔も施されていたが、リルの目つきは落ち着かない。
セセラはリルの頭側に立ち、軽く声をかけた。
「リル、大丈夫だ。力抜け」
「……無理……」
「俺も毎回そう思う」
ふたりして顔を顰めた刹那──。
「はい、始めますよー。喉の奥に力を入れず、飲み込む感じで」
職員の声と共に、黒いチューブがゆっくり近づいてくる。
(……あ、ヤバい、怖い……!!)
(やだやだやだ!!!)
「──っ、ゔ、……ッ!!」
内視鏡が挿入されるとすぐに、リルの喉が大きく痙攣し、体がビクッと跳ねた。
涙が一瞬で目尻に滲み、涎がマウスピースから零れる。
「はい、リルくん、呼吸! 鼻から吸って、吐いて!」
「……っ、ご……ッ、ぉ゙え、え゙っ……!!」
セセラは片手でリルの背中を支え、もう片方で髪を押さえていた。
「落ち着け、落ち着け……暴れんな、飲み込め……!」
「ゔ、ぉえ゙……ッ! ぐッえ゙、っ、うぇえ゙……!!」
吐き気と涙と涎が混じり、声も途切れ途切れ。
(うわ~~~~リル、結構ダメなタイプだなこれ……)
セセラは苦々しく眉を寄せつつも、妙に共感めいた声で呟いた。
「……わかる……ほんっと、これ地獄だよな……」
(あ~~~~……かわいそ…………)
内視鏡が胃に届くまでの数分が、永遠のように長い。
モニターに映し出されるピンク色の粘膜を、職員が冷静に観察していく。
「出血無し。炎症も軽度。問題ありませんね」
「……おぇッえ゙…………」
リルの方は問題どころではない。
目尻から涙が流れ、頬にまで垂れた涎をセセラがタオルで拭う。
「リル、あと少しだ。頑張れ」
「……っっ……ッ!!」
返事すらできず、必死に喉を震わせている。
──そして、内視鏡検査が終了。
管が引き抜かれると同時に、リルの体から力が抜けた。
「……っは、はあっ……っはあ……!!」
喉を押さえ、荒い息を繰り返す。
セセラはタオルを差し出し、半分自嘲気味に笑った。
「な? 地獄だったろ」
「……っ、……マジで……もう二度とやりたくねえ……! しんどすぎる……!!」
涙目のまま息をつくリル。
「俺も毎回そう思う。でもすぐにまたやらされる。ようこそ、大人の仲間入りだな」
「最悪だ……」
リルはタオルに顔を埋めて、そう呟いた。
◇
胃カメラを終えたリルは処置室の簡易ベッドに横たわり、まだ喉に違和感を残したまま浅い呼吸を繰り返していた。
胸が上下するたびに、小さく「はぁ……」と声が漏れる。
セセラはその横で椅子に腰かけ、紙コップの水を差し出した。
「ほら、ちょっとずつ飲め。……一気にやるとまたむせるぞ」
「……ん」
リルは受け取って口をつける。喉を通る冷たい感覚に、微かに顔をしかめた。
「……やっぱ、気持ち悪い……」
「だろ? 俺も毎回そうなんだよ。胃カメラ終わった直後の胃に異物感ある感じ……あれマジで最悪」
セセラが自分の体験を言うものだから、リルは意外そうに横目を向ける。
「薊野さんでもそうなんだ」
「こんなカッコいい俺でも、だ。偉そうに見えるかもしれねえけど、胃カメラだけは人間平等で地獄なんだよ」
ふたりしてしばし沈黙──。
だがその空気は、胃カメラ大嫌い同士、どこか仲間意識を帯びていた。
やがてリルは腕で目元を覆い、苦笑混じりに呟く。
「……オレ、さっきマジで泣いてなかった?」
「泣いてたな。鼻水も出てたし、涎もすごかった」
「……おい、そこまで聞いてねえよ……!」
跳ね起きかけたリル。しかし喉の違和感に咳き込み、慌ててまた横になる。
セセラは肩を揺らして笑った。
「冗談だ、ちょっと大げさに言っただけだよ。……まあでも、涙流れまくってたのは確かだな。俺もそうだから」
「……薊野さんもアレ、泣くの?」
「泣くわ! 毎回グズグズだぞ!」
大真面目に言うセセラに、リルは思わず吹き出した。
喉が痛むのに笑ってしまい、咳と笑いが同時に出てしまう。
セセラは慌てて背中をさすりつつ、「ほらな、油断するからだ」と苦笑。
──しばらく休んだあと、リルの呼吸も落ち着き、喉の違和感も和らいできた。
セセラはカルテを捲りながら、ちらりと横顔を見やる。
「……よし、今日の山場は越えたな。あとは大したことねぇ検査ばっかりだ」
リルはベッドに仰向けのまま、安堵の息をついた。
「……生き延びた……」
「大げさな。……まあ、その気持ちはわかるけど」
セセラは小さく笑い、立ち上がる。
「もうちょい休んだら次に行くぞ。まあ……今だけは堂々とサボっていい」
その言葉にリルは天井を見つめながら、ぼそっと呟いた。
「……やっぱり薊野さん、こういう時だけは優しいな」
セセラは答えず、ただ「ふん」と鼻を鳴らす。
だがその表情は、どこか柔らかかった。
◇
「はい、じゃあ胸張って深呼吸してー」
特殊検査室に戻り、始まるのは内科検診。
医療班職員の指示に従って、リルは大きく息を吸い込む。聴診器の冷たさに思わず肩がピクリ。
資料をまとめながらそれを見ていたセセラが後ろからニヤリ。
「なんだよリル、ビクッてしたぞ。かわいーな」
「余計なこと言うな……」
「いやいや、俺なら余裕で耐えるな」
「薊野さんだって聴診のとき、たまにくすぐったそうにしてるって聞いたぞ」
「え!? ば、バレてる……じゃなくてどこ情報だそれ」
「……え? オレが今テキトーについた嘘だけど。は? マジなの?」
「こいつ……!!」
職員は「り、リルくん、ちょっと静かにしててね……」と苦笑しながら検査を進める。
心音・呼吸音共に問題無し。
そして、最後に──問診。
面と向かっての最終チェック。
「さて、リルくん……最近の体調に変わりは?」
「……べつに。ちょっと疲れやすいくらい」
「『ちょっと』で済ませんなよ」
と、セセラが医療班職員の横から口を挟む。
「昨日無茶してぶっ倒れたの忘れたのか?」
「……うるせぇ。もう言うな」
リルがむすっと顔を背けると、セセラはペンをくるくる回しながらニヤついた。
「いやあ、今日の検診でわかったな。リルの弱点は“早起きと胃カメラ”だな」
「……はあ…………」
「お前、龍相手に突っ込むくせに胃カメラで泣いてんだから、世の中面白ぇよなぁ」
「……薊野さんだって同じ顔してんだろ」
「おう、してる」
あっさり認めるセセラに、医療班職員含めてそこにいた皆が同時に苦笑する。
◇
カルテを閉じ、セセラは椅子を回転させながら立ち上がった。
「……よし、以上。長丁場ご苦労さん。検査結果は後日まとめて出す。まあ、大きな異常は無さそうだ」
リルは大きく伸びをして、肩をほぐす。
「……終わった……長かった……」
傍にいた医療班職員も微笑んでいるなか、セセラはそんなリルの背を軽く叩きながらわざとらしく──。
「お疲れさん、俺たちの可愛い被検体ナンバーワン」
「その呼び方やめろっつってんだろ!」
「ぎゃははははは! 可愛い~!!」
セセラの汚い笑い声が響き、ようやく長い検診が幕を下ろした。
特殊検査室に戻ると、すぐに歯の確認が始まる。
診察椅子に座ったリルは、口を大きく開けていた。
セセラは両手に手袋を装着して小型ライトを片手に、口内──歯列を覗き込む。
「……ん、やっぱ……鋭いな。……前回より明らかに変化してる。奥の方……右の第一、第二大臼歯の尖りが左より強まってる……」
「…………」
手袋を外したセセラは真剣な顔のまま、軽くリルの顎に触れて口を閉じさせた。
「歯の変異が進んでるってことは、龍因子の浸透が進んでる証拠でもある。……まあ、すぐにどうこうってわけじゃねえが」
続いてリルは椅子に座ったまま、手を差し出す。
黒く硬質化した爪が、光を受けて僅かに鈍く光った。
セセラは指を1本ずつ、まるで工芸品でも扱うかのように確かめていく。
「……異常な肥厚や湾曲は……無し。爪に関しては目立った問題はねえな」
「……すぐ伸びるの嫌なんだけど」
「我慢しなさい」
そう軽く答えながらカルテにさらさらとメモを書きつけると──「あっ」と、セセラはふと顔を上げた。
「……忘れてた。今回は爪と犬歯のサンプルも採るんだった」
「……は?」
目を細めるリル。
「言葉通りだよ。爪を数ミリ、犬歯も少し削って……。龍因子の変異率を検証するためな。べつに引っこ抜くわけじゃねえから問題ねえだろ」
「……気分はあんま良くねえな」
リルはぼやくが、反論はせずにセセラは淡々と器具を用意する。
金属製の小さなカッター、滅菌済みのステンレスの容器や透明な小瓶。
「ほら、じっとしろ。サンプル採取なんて一瞬だから」
「……薊野さん、なんか楽しそうじゃね?」
「研究者魂ってやつだ。お前の珍しいデータ、俺がしっかり残してやんだよ」
リルは小さく舌打ち。
「オレ、モルモットかよ……」
セセラは小さなカッターを取り出し、リルの手を軽く掴む。
「まずは爪からいくぞ。ちょっとだけだからな」
「はいはい……。でもこれ、普通に切るだけだろ?」
「切る『だけ』……って……、お前な……? 龍憑きの爪と牙なんて研究資料、そうそう転がってねえんだよ。俺らにとっては宝だ」
「……言い方がモルモットっぽいんだよな……」
リルはじっと手を伸ばしながら、不満そうにぼやいた。
──カチンッ……
黒い爪の先がほんの少しだけ削り取られ、ステンレスの容器に落ちる。
セセラはそれを大事そうにラベル付きの小瓶へ移した。
「お~……硬度も色も変わったりするかな。いいサンプルだ」
「感心されてんの、変な気分なんだけど」
「気にすんな……次は歯、やる」
再び手袋を装着したセセラが小さな器具を持ち替える。
リルは口をへの字に曲げた。
「……なんか嫌だな。歯医者みたいで」
「ちょっとだけ先端を削るだけだ。大人しくしてろ」
「薊野さんが一番大人しくしてねえだろ」
「うるせえんだよ、いいから口開けろ」
ちょっとだけ怒られて、渋々「あー」と口を開けるリル。
セセラは器用にライトを当て、犬歯の先端をカリ……と削り取った。
カチッ、と小瓶に落ちる音。
「よし、終了。……いやあ、これでコーヒーでも飲みながら観察できる」
「待て。気色悪ぃこと言うな……!」
その反応にセセラは肩をすくめて笑った。
「冗談だよ! ……でも、いいデータになるぞ」
「…………」
リルはため息をつきつつ、口元を拭う。
「ほんと、オレ……研究材料扱いだな」
「それは違ぇよ、リル」
セセラは淡々と答えた。
「研究材料じゃなくて、お前は俺らが診て保護する観察対象。サンプルはそのついで」
「…………」
一瞬の真顔に、リルは返す言葉を失くす。
「……ついで、ね」
少しだけ、小さく笑っていた。
◇
そして、本日一番の検査へと続く。
内視鏡検査、即ち、胃カメラ。
内視鏡室内では、既に消泡剤を飲み終えていたリルの表情からスッと余裕が消えていた。
先程まで「爪がどうだ」「牙がどうだ」と軽口を叩いていたのに、今は落ち着きなく視線を泳がせている。
「……薊野さん」
「ん?」
「……オレ、これほんとにやんの?」
苦笑いを浮かべるセセラ。
「やるんだよ。胃の泡消すやつだって飲んだろ。嫌だって顔はわかる」
「……マジで嫌だ……」
「俺だって大嫌いだからな」
「え、薊野さんも?」
「当たり前だろ。こればっかは慣れねえ。プライドも尊厳も、全部まとめて涙と涎と一緒に流れてくんだ」
リルは露骨に顔を引きつらせた。
「うわ……それ聞いたら余計嫌になったんだけど」
「だろ? でも避けられねえのが内視鏡検査ってやつだ」
セセラはリルの肩をぽんと叩くと──。
「安心しろ。俺が介助でついてる。気持ち悪いのは止めらんねえけど、ひっくり返ったりはさせねえ」
「…………」
医療班職員が器具を整える。銀色の内視鏡の先端がライトを放ち、管は蛇のようにとぐろを巻いていた。
それを一目見ただけで、リルの体がピクッと固まる。
「……長っ。これ全部入れるわけ?」
「全部じゃねえ。胃まで届かせるだけだ」
「……胃までって、十分長いだろ……!」
左側を下にしてベッドに横たわり、マウスピースを咥えるよう指示される。
喉への局所麻酔も施されていたが、リルの目つきは落ち着かない。
セセラはリルの頭側に立ち、軽く声をかけた。
「リル、大丈夫だ。力抜け」
「……無理……」
「俺も毎回そう思う」
ふたりして顔を顰めた刹那──。
「はい、始めますよー。喉の奥に力を入れず、飲み込む感じで」
職員の声と共に、黒いチューブがゆっくり近づいてくる。
(……あ、ヤバい、怖い……!!)
(やだやだやだ!!!)
「──っ、ゔ、……ッ!!」
内視鏡が挿入されるとすぐに、リルの喉が大きく痙攣し、体がビクッと跳ねた。
涙が一瞬で目尻に滲み、涎がマウスピースから零れる。
「はい、リルくん、呼吸! 鼻から吸って、吐いて!」
「……っ、ご……ッ、ぉ゙え、え゙っ……!!」
セセラは片手でリルの背中を支え、もう片方で髪を押さえていた。
「落ち着け、落ち着け……暴れんな、飲み込め……!」
「ゔ、ぉえ゙……ッ! ぐッえ゙、っ、うぇえ゙……!!」
吐き気と涙と涎が混じり、声も途切れ途切れ。
(うわ~~~~リル、結構ダメなタイプだなこれ……)
セセラは苦々しく眉を寄せつつも、妙に共感めいた声で呟いた。
「……わかる……ほんっと、これ地獄だよな……」
(あ~~~~……かわいそ…………)
内視鏡が胃に届くまでの数分が、永遠のように長い。
モニターに映し出されるピンク色の粘膜を、職員が冷静に観察していく。
「出血無し。炎症も軽度。問題ありませんね」
「……おぇッえ゙…………」
リルの方は問題どころではない。
目尻から涙が流れ、頬にまで垂れた涎をセセラがタオルで拭う。
「リル、あと少しだ。頑張れ」
「……っっ……ッ!!」
返事すらできず、必死に喉を震わせている。
──そして、内視鏡検査が終了。
管が引き抜かれると同時に、リルの体から力が抜けた。
「……っは、はあっ……っはあ……!!」
喉を押さえ、荒い息を繰り返す。
セセラはタオルを差し出し、半分自嘲気味に笑った。
「な? 地獄だったろ」
「……っ、……マジで……もう二度とやりたくねえ……! しんどすぎる……!!」
涙目のまま息をつくリル。
「俺も毎回そう思う。でもすぐにまたやらされる。ようこそ、大人の仲間入りだな」
「最悪だ……」
リルはタオルに顔を埋めて、そう呟いた。
◇
胃カメラを終えたリルは処置室の簡易ベッドに横たわり、まだ喉に違和感を残したまま浅い呼吸を繰り返していた。
胸が上下するたびに、小さく「はぁ……」と声が漏れる。
セセラはその横で椅子に腰かけ、紙コップの水を差し出した。
「ほら、ちょっとずつ飲め。……一気にやるとまたむせるぞ」
「……ん」
リルは受け取って口をつける。喉を通る冷たい感覚に、微かに顔をしかめた。
「……やっぱ、気持ち悪い……」
「だろ? 俺も毎回そうなんだよ。胃カメラ終わった直後の胃に異物感ある感じ……あれマジで最悪」
セセラが自分の体験を言うものだから、リルは意外そうに横目を向ける。
「薊野さんでもそうなんだ」
「こんなカッコいい俺でも、だ。偉そうに見えるかもしれねえけど、胃カメラだけは人間平等で地獄なんだよ」
ふたりしてしばし沈黙──。
だがその空気は、胃カメラ大嫌い同士、どこか仲間意識を帯びていた。
やがてリルは腕で目元を覆い、苦笑混じりに呟く。
「……オレ、さっきマジで泣いてなかった?」
「泣いてたな。鼻水も出てたし、涎もすごかった」
「……おい、そこまで聞いてねえよ……!」
跳ね起きかけたリル。しかし喉の違和感に咳き込み、慌ててまた横になる。
セセラは肩を揺らして笑った。
「冗談だ、ちょっと大げさに言っただけだよ。……まあでも、涙流れまくってたのは確かだな。俺もそうだから」
「……薊野さんもアレ、泣くの?」
「泣くわ! 毎回グズグズだぞ!」
大真面目に言うセセラに、リルは思わず吹き出した。
喉が痛むのに笑ってしまい、咳と笑いが同時に出てしまう。
セセラは慌てて背中をさすりつつ、「ほらな、油断するからだ」と苦笑。
──しばらく休んだあと、リルの呼吸も落ち着き、喉の違和感も和らいできた。
セセラはカルテを捲りながら、ちらりと横顔を見やる。
「……よし、今日の山場は越えたな。あとは大したことねぇ検査ばっかりだ」
リルはベッドに仰向けのまま、安堵の息をついた。
「……生き延びた……」
「大げさな。……まあ、その気持ちはわかるけど」
セセラは小さく笑い、立ち上がる。
「もうちょい休んだら次に行くぞ。まあ……今だけは堂々とサボっていい」
その言葉にリルは天井を見つめながら、ぼそっと呟いた。
「……やっぱり薊野さん、こういう時だけは優しいな」
セセラは答えず、ただ「ふん」と鼻を鳴らす。
だがその表情は、どこか柔らかかった。
◇
「はい、じゃあ胸張って深呼吸してー」
特殊検査室に戻り、始まるのは内科検診。
医療班職員の指示に従って、リルは大きく息を吸い込む。聴診器の冷たさに思わず肩がピクリ。
資料をまとめながらそれを見ていたセセラが後ろからニヤリ。
「なんだよリル、ビクッてしたぞ。かわいーな」
「余計なこと言うな……」
「いやいや、俺なら余裕で耐えるな」
「薊野さんだって聴診のとき、たまにくすぐったそうにしてるって聞いたぞ」
「え!? ば、バレてる……じゃなくてどこ情報だそれ」
「……え? オレが今テキトーについた嘘だけど。は? マジなの?」
「こいつ……!!」
職員は「り、リルくん、ちょっと静かにしててね……」と苦笑しながら検査を進める。
心音・呼吸音共に問題無し。
そして、最後に──問診。
面と向かっての最終チェック。
「さて、リルくん……最近の体調に変わりは?」
「……べつに。ちょっと疲れやすいくらい」
「『ちょっと』で済ませんなよ」
と、セセラが医療班職員の横から口を挟む。
「昨日無茶してぶっ倒れたの忘れたのか?」
「……うるせぇ。もう言うな」
リルがむすっと顔を背けると、セセラはペンをくるくる回しながらニヤついた。
「いやあ、今日の検診でわかったな。リルの弱点は“早起きと胃カメラ”だな」
「……はあ…………」
「お前、龍相手に突っ込むくせに胃カメラで泣いてんだから、世の中面白ぇよなぁ」
「……薊野さんだって同じ顔してんだろ」
「おう、してる」
あっさり認めるセセラに、医療班職員含めてそこにいた皆が同時に苦笑する。
◇
カルテを閉じ、セセラは椅子を回転させながら立ち上がった。
「……よし、以上。長丁場ご苦労さん。検査結果は後日まとめて出す。まあ、大きな異常は無さそうだ」
リルは大きく伸びをして、肩をほぐす。
「……終わった……長かった……」
傍にいた医療班職員も微笑んでいるなか、セセラはそんなリルの背を軽く叩きながらわざとらしく──。
「お疲れさん、俺たちの可愛い被検体ナンバーワン」
「その呼び方やめろっつってんだろ!」
「ぎゃははははは! 可愛い~!!」
セセラの汚い笑い声が響き、ようやく長い検診が幕を下ろした。
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『イージス艦長、インパール最前線へ。――牟田口廉也に転生した俺は、地獄の餓死作戦を「鉄壁の兵站要塞」に変える』
月神世一
SF
【あらすじ】
「補給がなければ、戦場に立つ資格すらない」
坂上真一(さかがみ しんいち)、50歳。
かつてイージス艦長として鉄壁の防空網を指揮し、現在は海上自衛隊で次世代艦の兵站システムを設計する男。
背中には若き日の過ちである「仁王」の刺青を隠し持ち、北辰一刀流の達人でもある彼は、ある日、勤務中に仮眠をとる。
目が覚めると、そこは湿気と熱気に満ちた1944年のビルマだった。
鏡に映っていたのは、小太りで口髭の男――歴史の教科書で見た、あの「牟田口廉也」。
しかも時期は、日本陸軍史上最悪の汚点とされる「インパール作戦」決行の直前。
部下たちは「必勝の精神論」を叫び、無謀な突撃を今か今かと待っている。
(……ふざけるな。俺に、部下を餓死させろと言うのか?)
現代の知識と、冷徹な計算、そして海自仕込みのロジスティクス能力。
すべてを駆使して、坂上(中身)は歴史への介入を開始する。
精神論を振りかざすふりをして上層部を欺き、現地改修で兵器を強化し、密かに撤退路を整備する。
これは、「史上最も無能な指揮官」の皮を被った「現代の有能な指揮官」が、確定した敗北の運命をねじ伏せ、数万の命を救うために戦う、逆転の戦記ドラマ。
花鳥見聞録
木野もくば
ファンタジー
花の妖精のルイは、メジロのモクの背中に乗って旅をしています。ルイは記憶喪失でした。自分が花の妖精だったことしか思い出せません。失くした記憶を探すため、さまざまな世界を冒険します。
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