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第6話 ふたりの先生
第6話・1 激動? せんせぇと保健室
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──早朝の静けさに包まれた洋室。
窓の外はまだ薄曇り、カーテンの隙間から朝日が射し込んでいる。
室内にはひとつのベッド。
その布団の中に潜り込むようにして、黒髪の男──薊野セセラが無防備に眠っていた。
「……ん……」
枕に顔を埋めたまま、微かに唸る。
その枕元に、静かに佇む影がひとつ。
「起きろ、セセラ」
ふわりとしたネグリジェを纏った幼げな少女──シエリが、表情ひとつ動かさずに言葉を投げかける。
「今日は『先生』の日だろう」
──龍調査機関の所長であるシエリと、その研究員のセセラ。
ふたりは同じ家で暮らしているのだ。
「……んん……うるせ…………」
「おはよう! 5時だ。5時15分。起きる時間だろう?」
「うっせえ……なんでアンタはそんなに元気なんだよ……」
「私はやってみたかったから先生をやっている。この日を毎回楽しみにしているんだよ。キミはキャラ作りなだけだが」
「……くっそ……最悪だ……猫かぶる日か……」
シエリはベッドの脇に立ったまま、ぴしりと一言。
「顔、整えておけ。今日も予約がいっぱいだそうだぞ、せんせぇ♪」
セセラはその言い方に露骨に顔を顰めながら、枕に頭を打ち付けた。
──『私がやってみたいから』。
という理由だけで龍調査機関の近所にある高等学校で保健室の先生をやっているシエリ。
毎日ではない。正式な養護教諭が不在の日にシエリが代わりに学校へ赴くのだ。
シエリとセセラはスケジュールを共にしているため、シエリが養護教諭代打の日はセセラも同行するようになっている。
こうしてふたりのもうひとつの顔、“先生”としての一日が、ゆっくりと始まる。
◇
午前8時30分──。
登校時間が終わる頃、生徒たちのざわめきが落ち着く中、保健室の扉のプレートの表示がそっと『不在』から『在室』に変わる。
中にいたのは、シエリ。
いつものふたつ縛りのお下げ髪とは変わり、ひとつにまとめた高い位置のポニーテール。
普段のふわふわした黒いワンピースではなく白衣を羽織り、今は静かに事務椅子に腰掛けてノートパソコンの画面を見つめている。
……何をしているのかはわからない。だが、それが“シエリが保健室の先生をしている”という状態だった。
文字通り、『ただ椅子に座っているだけ』である。
──その保健室の前、とある人物が扉を開けようとした瞬間。
「セセラせんせぇ~! 今日って空いてる時間無いのぉ~?」
「ねえねえ~! 先生いつも急に来るんだもん~」
「放課後あそぼ~! お菓子持ってくからさ~!」
教室に行かず、朝から保健室前に群がる女子生徒たちの黄色い声。
その中心にいるのは──。
ゆるくセットされた黒髪。口元に柔らかな笑み。
「ごめんねえ~、もう少し早く予約の相談入れてくれれば、空きがあったかもしれないんだけどぉ……」
──やけに丁寧であざとい声色。
保健室カウンセラー・“猫被りモード”のセセラだった。
「ええ~、もういっぱいなのぉ? そんなぁ~! でもっ、今度こそ早めにお願いするから!」
「もちろんもちろん。お待ちしてるよぉ~」
完全に、いつものセセラとは別人。
貼り付けた笑顔のまま保健室へ入室する。
そのやり取りを、保健室の中で聞いていたシエリは口元を手で隠しながらニヤニヤと笑っていた。
「人気だねぇ。あれだけ辛そうにしてるくせに毎回ちゃんと対応してるんだから、えらいぞセセラせんせぇ」
セセラはチラッとシエリを睨んだが、生徒の前では笑顔を崩さない。
◇
やがて予約していた生徒が入室し、カウンセリングという名の“雑談”が始まる。
「でさ~、あいつがさ~、あの男子と通話してたらしいんだけどぉ~」
「うんうん、そっかぁ……大変だねえ、そうだなあ……じゃあこういう時はぁ……」
頷きながら、生徒のどうでもいい話に付き合うセセラ。
──だがその内心では。
(クッッッッッソどうでもいい……)
(なんだこの雑音? 俺何か悪いことしたか?)
(よっぽどレイラの方が大人だわ……)
と、毒を吐きまくっていた。
──だが、ふと思う。
(レイラもこういう、どうでもいい時間や悩みを持ってた側の人間だったかもしれねえんだよな……)
ふと、心に引っかかる。
あの少女の“普通”に対する渇望。
もしかしたらこういう日常のくだらなさが、彼女の求める“普通”なのかもしれない──そう思った瞬間だった。
「せんせぇ? ちゃんと聞いてる~?」
「あ、うんうん、ごめんごめん~。続き聞かせてぇ?」
口元の笑みは変えずに、セセラは再び猫を被り直すのだった。
◇
やっと訪れた昼休み。
保健室の扉には『休憩中』の札がかかり、室内は一時的な静寂に包まれていた。
「……あ゙あ~~~~つっかれた…………まだこのあともあんのかよ…………」
セセラはデスクに頭を打ち付けるように脱力し、既に疲労困憊。
シエリは椅子をくるりと回してセセラの方を向くと、口角を少し上げて問う。
「午前中は何か印象的な相談はあったかな?」
「あるわけねえだろ……知らねえよ……クラスのだれだれが仲悪くて、だれだれが付き合ってて……とか……知らねえ……誰だよ……」
声にいつもの覇気は無く、目は死んでいる。
「機関の仕事の方がよっぽどラクだぜ……」
ぼやきながらセセラは白衣の内ポケットに手を突っ込んだ。
取り出したのは銀色の小さなケース。煙草だ。
「……あ゙~~~~……」
死んだ目が少し煌めき、開封しようとした──その瞬間。
「セセラ」
「……んだよ」
「敷地内全域禁煙だ」
「…………ッッッ……!!!」
心底狂いそうな顔で天井を見上げたセセラ。
「俺、何のために生きてるんだろうなあ???」
シエリはまるで感情の無い声で、「午後も予約いっぱいだぞ」とだけ答えた。
──静かな戦場、それが学校の保健室だった。
◇
午後のカウンセリングが再開される。
午後も変わらずいつものように、セセラは紺のタートルネックに白衣を羽織っている。
それ自体は機関での装いと変わらないが、丁寧に髪を整え作り笑顔を貼り付けた“猫被り”仕様で保健室のデスクに腰掛けていた。
「失礼します……」
午後一番の予約者が保健室の扉を開ける。
入ってきたのは、身長の高い男子生徒。
制服の襟元はゆるく崩れ、黒い髪はやや長めで前髪が目にかかっている。
一見して目立つタイプではないが、どこか線の細さを感じさせる印象だった。
「どうぞ~、お名前とクラス、教えてもらってもいいかなぁ?」
セセラは表情を和らげ、優しいトーンで声をかける。
「……山科、2年3組です」
「山科くん、ね。ありがと~。今日はどんなことで来てくれたのかなぁ?」
椅子に座ると、山科くんは少し視線を逸らしながら話し出した。
「……なんか、ずっと眠れなくて……。最近、夢ばっかり見るんです」
「夢、かぁ……どんな夢?」
「……誰かが、ずっと何か言ってるんですよ。でも、聞き取れなくて……。怖くはないけど、気味が悪い。朝になっても疲れてて……」
セセラは頷きながら記録用のタブレットにメモをとっていく。
(これは……珍しくそれっぽい話が来たな)
「それってさ、夢を見るようになったのっていつ頃からかな~?」
「えと……たぶん、1ヶ月くらい前から。それで……現実でも黒い影みたいなものが見えるようになって……」
そこで、セセラの指が止まった。
「黒い影……?」
「はい。あの……ほんとに見えてるのか、わかんないんですけど、街の中とかで、時々……誰かが見てる気がするんです」
その言葉に、セセラは笑顔を崩さず、そっと視線を落とす。
(……どうでもいい悩みじゃねえ。これ、もしかして──)
「……ねえ山科くん、少しだけ……その夢の内容と、影の話……もうちょっと詳しく聞かせてもらってもいい?」
初めて、セセラせんせぇの声色にほんの僅かな“本気”が滲んだ瞬間だった。
「……詳しく……」
山科くんは少しだけ逡巡した後、ぽつぽつと話し始める。
「……夢の中では……いつも同じ場所にいるんです。真っ暗で……何も無い、影みたいな空間で。声だけが聞こえる」
「声……どんな声かな?」
「……男の人だと思うんです。でも、くぐもっていて、何を言っているのか……わからない」
頷きながら、視線を落とすセセラ。
(くぐもった男の声、暗闇、影……、幻聴・記憶干渉・干渉性の夢……)
「それで、黒い影っていうのは?」
「えっと……校門の近く、商店街の角とか。……気がつくと、誰かが見てる気がして振り返るんです」
そう話すと山科くんは、少しだけ表情を強ばらせた。
「でも、誰もいない。ただ……そこに、“黒っぽい何か”があったような気がする」
「…………」
(……マズいな、もし本当に発生兆候があるなら、この区域の龍の脈動が乱れてる可能性がある)
セセラはカウンセラーという“顔”のまま、優しく頷いて締めくくった。
「ありがとね、山科くん。ちゃんと聞かせてくれて嬉しかったよ。先生も、ちょっと調べてみるから」
「……はい。ありがとうございました」
山科くんが退室した後、セセラはタブレットに詳細を打ち込みながら小声で呟く。
「……龍由来の影か……。あー、また仕事増えるなコレ」
シエリは向かいの机で紅茶を啜りながら一言。
「午後はあと5人。どうでもいい側の生徒ばかりみたいだけど?」
「……知ってるよ……」
◇
「せんせぇ~今日テンション低くない~? 疲れてるぅ?」
「こないだの話の続きなんだけどぉ、先輩がさぁ~~」
「これ見てください~! 推しの新しいアクスタです~!」
「うんうん……そうなんだぁ~。よかったねぇ~~」
(……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……くそどうでもいいィ……ッ)
──そんなふうに、山科くんの一件で一瞬だけ研ぎ澄まされた神経は、その後あっさり磨耗していく。
(……ああ……やっぱり……機関の仕事の方が、絶対ラク……)
そんなことを思いながら、セセラは再び笑顔の仮面を被り直していた。
◇
日が傾き始めた夕刻。
保健室での執務を終えたシエリとセセラは、報告と資料の提出のために龍調査機関へと急ぎ帰還していた。
シエリは変わらず淡々と歩き、手元の端末で何かを確認している。
一方のセセラ──。
「じゃあ俺、一旦……急ぐとこあるから」
「……ああ、どうぞ」
セセラの声色は既に元通り。
目標はただひとつ。機関内休憩ラウンジ、すなわち喫煙所。
(足りない。足りない。足りない……!!)
廊下をズンズン進む。
脚は長く、歩幅は大きい。追いつける者などいない。
「薊野さん、お疲れ様で──」 「お疲れ!!」
「薊野さん、おつか──」 「お疲れ!!」
「薊野さん、お──」 「お疲れ!!」
すれ違う職員たちの挨拶を次々と力強く打ち返しながら、一目散に目的地へ突っ走る。
(学校から機関に戻るまでの移動中に1本吸った。……が、無理だ。全然足りねぇ。足りねぇんだよ……!)
「薊野さ──」 「お疲れ!!!」
怒涛のような返答を残して、セセラはラウンジの扉を開け放つ。
──そして次の瞬間。
渇きを潤す煙が、ついに彼の中を満たしていく。
「……っっっっはあああああああああ…………」
夕暮れの空と、白い煙と、深いため息。
龍の研究者とは、時に命を削っても平穏を欲するのだった。
──煙草をくゆらせるその背中に、ひとつの影がすっと近づく。
「満たされたか?」
普段のドレスのようなワンピーススタイルに着替え終わったシエリだった。
「あー……まあな。あと2、3本吸えば完璧だけど……我慢しとくわ」
シエリがセセラの隣に立ち、淡々と告げる。
「山科という生徒の件、報告書には記載する。キミもできるだけ詳細に書いておいて」
「あぁ、わかってる。……あれは当たりかもしれねえ」
「そうだな。夢の干渉、視覚系の違和感、外部からの気配……条件が揃っている」
「この前の任務での龍も、精神影響強かったしな。……少し、傾向が変わってきてるような気もする」
セセラは煙を吐きながら、真剣な顔で呟いた。その横顔を見つめながらシエリが続ける。
「生徒に直接的な被害が出ていないのは不幸中の幸いだけど……」
「……あの夢の話、もう少し掘り下げる必要があるな。龍由来の夢ってのは、俺たちでも全容が掴めてねえ」
「ふむ……。あとで、念のため山科くんの通学経路と生活圏の情報も洗ってみるよ。今のところ“影”は彼の視覚の問題として処理されているが……」
「影が“外側”の存在なら、学校周辺に何かある可能性もある」
ふたりは静かに頷き合った。
シエリは一歩進み、振り返らずに──。
「では、帰ったら報告書の整理を。夕飯は……そのあとにしてもいいな」
「……俺の自由はいつ来るんだろうな」
そうぼやきつつ、セセラも立ち上がる。
夕焼けが少しずつ夜の帳に染まりゆく中、ふたりの研究者は再び“仕事”へと歩を進めるのだった。
窓の外はまだ薄曇り、カーテンの隙間から朝日が射し込んでいる。
室内にはひとつのベッド。
その布団の中に潜り込むようにして、黒髪の男──薊野セセラが無防備に眠っていた。
「……ん……」
枕に顔を埋めたまま、微かに唸る。
その枕元に、静かに佇む影がひとつ。
「起きろ、セセラ」
ふわりとしたネグリジェを纏った幼げな少女──シエリが、表情ひとつ動かさずに言葉を投げかける。
「今日は『先生』の日だろう」
──龍調査機関の所長であるシエリと、その研究員のセセラ。
ふたりは同じ家で暮らしているのだ。
「……んん……うるせ…………」
「おはよう! 5時だ。5時15分。起きる時間だろう?」
「うっせえ……なんでアンタはそんなに元気なんだよ……」
「私はやってみたかったから先生をやっている。この日を毎回楽しみにしているんだよ。キミはキャラ作りなだけだが」
「……くっそ……最悪だ……猫かぶる日か……」
シエリはベッドの脇に立ったまま、ぴしりと一言。
「顔、整えておけ。今日も予約がいっぱいだそうだぞ、せんせぇ♪」
セセラはその言い方に露骨に顔を顰めながら、枕に頭を打ち付けた。
──『私がやってみたいから』。
という理由だけで龍調査機関の近所にある高等学校で保健室の先生をやっているシエリ。
毎日ではない。正式な養護教諭が不在の日にシエリが代わりに学校へ赴くのだ。
シエリとセセラはスケジュールを共にしているため、シエリが養護教諭代打の日はセセラも同行するようになっている。
こうしてふたりのもうひとつの顔、“先生”としての一日が、ゆっくりと始まる。
◇
午前8時30分──。
登校時間が終わる頃、生徒たちのざわめきが落ち着く中、保健室の扉のプレートの表示がそっと『不在』から『在室』に変わる。
中にいたのは、シエリ。
いつものふたつ縛りのお下げ髪とは変わり、ひとつにまとめた高い位置のポニーテール。
普段のふわふわした黒いワンピースではなく白衣を羽織り、今は静かに事務椅子に腰掛けてノートパソコンの画面を見つめている。
……何をしているのかはわからない。だが、それが“シエリが保健室の先生をしている”という状態だった。
文字通り、『ただ椅子に座っているだけ』である。
──その保健室の前、とある人物が扉を開けようとした瞬間。
「セセラせんせぇ~! 今日って空いてる時間無いのぉ~?」
「ねえねえ~! 先生いつも急に来るんだもん~」
「放課後あそぼ~! お菓子持ってくからさ~!」
教室に行かず、朝から保健室前に群がる女子生徒たちの黄色い声。
その中心にいるのは──。
ゆるくセットされた黒髪。口元に柔らかな笑み。
「ごめんねえ~、もう少し早く予約の相談入れてくれれば、空きがあったかもしれないんだけどぉ……」
──やけに丁寧であざとい声色。
保健室カウンセラー・“猫被りモード”のセセラだった。
「ええ~、もういっぱいなのぉ? そんなぁ~! でもっ、今度こそ早めにお願いするから!」
「もちろんもちろん。お待ちしてるよぉ~」
完全に、いつものセセラとは別人。
貼り付けた笑顔のまま保健室へ入室する。
そのやり取りを、保健室の中で聞いていたシエリは口元を手で隠しながらニヤニヤと笑っていた。
「人気だねぇ。あれだけ辛そうにしてるくせに毎回ちゃんと対応してるんだから、えらいぞセセラせんせぇ」
セセラはチラッとシエリを睨んだが、生徒の前では笑顔を崩さない。
◇
やがて予約していた生徒が入室し、カウンセリングという名の“雑談”が始まる。
「でさ~、あいつがさ~、あの男子と通話してたらしいんだけどぉ~」
「うんうん、そっかぁ……大変だねえ、そうだなあ……じゃあこういう時はぁ……」
頷きながら、生徒のどうでもいい話に付き合うセセラ。
──だがその内心では。
(クッッッッッソどうでもいい……)
(なんだこの雑音? 俺何か悪いことしたか?)
(よっぽどレイラの方が大人だわ……)
と、毒を吐きまくっていた。
──だが、ふと思う。
(レイラもこういう、どうでもいい時間や悩みを持ってた側の人間だったかもしれねえんだよな……)
ふと、心に引っかかる。
あの少女の“普通”に対する渇望。
もしかしたらこういう日常のくだらなさが、彼女の求める“普通”なのかもしれない──そう思った瞬間だった。
「せんせぇ? ちゃんと聞いてる~?」
「あ、うんうん、ごめんごめん~。続き聞かせてぇ?」
口元の笑みは変えずに、セセラは再び猫を被り直すのだった。
◇
やっと訪れた昼休み。
保健室の扉には『休憩中』の札がかかり、室内は一時的な静寂に包まれていた。
「……あ゙あ~~~~つっかれた…………まだこのあともあんのかよ…………」
セセラはデスクに頭を打ち付けるように脱力し、既に疲労困憊。
シエリは椅子をくるりと回してセセラの方を向くと、口角を少し上げて問う。
「午前中は何か印象的な相談はあったかな?」
「あるわけねえだろ……知らねえよ……クラスのだれだれが仲悪くて、だれだれが付き合ってて……とか……知らねえ……誰だよ……」
声にいつもの覇気は無く、目は死んでいる。
「機関の仕事の方がよっぽどラクだぜ……」
ぼやきながらセセラは白衣の内ポケットに手を突っ込んだ。
取り出したのは銀色の小さなケース。煙草だ。
「……あ゙~~~~……」
死んだ目が少し煌めき、開封しようとした──その瞬間。
「セセラ」
「……んだよ」
「敷地内全域禁煙だ」
「…………ッッッ……!!!」
心底狂いそうな顔で天井を見上げたセセラ。
「俺、何のために生きてるんだろうなあ???」
シエリはまるで感情の無い声で、「午後も予約いっぱいだぞ」とだけ答えた。
──静かな戦場、それが学校の保健室だった。
◇
午後のカウンセリングが再開される。
午後も変わらずいつものように、セセラは紺のタートルネックに白衣を羽織っている。
それ自体は機関での装いと変わらないが、丁寧に髪を整え作り笑顔を貼り付けた“猫被り”仕様で保健室のデスクに腰掛けていた。
「失礼します……」
午後一番の予約者が保健室の扉を開ける。
入ってきたのは、身長の高い男子生徒。
制服の襟元はゆるく崩れ、黒い髪はやや長めで前髪が目にかかっている。
一見して目立つタイプではないが、どこか線の細さを感じさせる印象だった。
「どうぞ~、お名前とクラス、教えてもらってもいいかなぁ?」
セセラは表情を和らげ、優しいトーンで声をかける。
「……山科、2年3組です」
「山科くん、ね。ありがと~。今日はどんなことで来てくれたのかなぁ?」
椅子に座ると、山科くんは少し視線を逸らしながら話し出した。
「……なんか、ずっと眠れなくて……。最近、夢ばっかり見るんです」
「夢、かぁ……どんな夢?」
「……誰かが、ずっと何か言ってるんですよ。でも、聞き取れなくて……。怖くはないけど、気味が悪い。朝になっても疲れてて……」
セセラは頷きながら記録用のタブレットにメモをとっていく。
(これは……珍しくそれっぽい話が来たな)
「それってさ、夢を見るようになったのっていつ頃からかな~?」
「えと……たぶん、1ヶ月くらい前から。それで……現実でも黒い影みたいなものが見えるようになって……」
そこで、セセラの指が止まった。
「黒い影……?」
「はい。あの……ほんとに見えてるのか、わかんないんですけど、街の中とかで、時々……誰かが見てる気がするんです」
その言葉に、セセラは笑顔を崩さず、そっと視線を落とす。
(……どうでもいい悩みじゃねえ。これ、もしかして──)
「……ねえ山科くん、少しだけ……その夢の内容と、影の話……もうちょっと詳しく聞かせてもらってもいい?」
初めて、セセラせんせぇの声色にほんの僅かな“本気”が滲んだ瞬間だった。
「……詳しく……」
山科くんは少しだけ逡巡した後、ぽつぽつと話し始める。
「……夢の中では……いつも同じ場所にいるんです。真っ暗で……何も無い、影みたいな空間で。声だけが聞こえる」
「声……どんな声かな?」
「……男の人だと思うんです。でも、くぐもっていて、何を言っているのか……わからない」
頷きながら、視線を落とすセセラ。
(くぐもった男の声、暗闇、影……、幻聴・記憶干渉・干渉性の夢……)
「それで、黒い影っていうのは?」
「えっと……校門の近く、商店街の角とか。……気がつくと、誰かが見てる気がして振り返るんです」
そう話すと山科くんは、少しだけ表情を強ばらせた。
「でも、誰もいない。ただ……そこに、“黒っぽい何か”があったような気がする」
「…………」
(……マズいな、もし本当に発生兆候があるなら、この区域の龍の脈動が乱れてる可能性がある)
セセラはカウンセラーという“顔”のまま、優しく頷いて締めくくった。
「ありがとね、山科くん。ちゃんと聞かせてくれて嬉しかったよ。先生も、ちょっと調べてみるから」
「……はい。ありがとうございました」
山科くんが退室した後、セセラはタブレットに詳細を打ち込みながら小声で呟く。
「……龍由来の影か……。あー、また仕事増えるなコレ」
シエリは向かいの机で紅茶を啜りながら一言。
「午後はあと5人。どうでもいい側の生徒ばかりみたいだけど?」
「……知ってるよ……」
◇
「せんせぇ~今日テンション低くない~? 疲れてるぅ?」
「こないだの話の続きなんだけどぉ、先輩がさぁ~~」
「これ見てください~! 推しの新しいアクスタです~!」
「うんうん……そうなんだぁ~。よかったねぇ~~」
(……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……くそどうでもいいィ……ッ)
──そんなふうに、山科くんの一件で一瞬だけ研ぎ澄まされた神経は、その後あっさり磨耗していく。
(……ああ……やっぱり……機関の仕事の方が、絶対ラク……)
そんなことを思いながら、セセラは再び笑顔の仮面を被り直していた。
◇
日が傾き始めた夕刻。
保健室での執務を終えたシエリとセセラは、報告と資料の提出のために龍調査機関へと急ぎ帰還していた。
シエリは変わらず淡々と歩き、手元の端末で何かを確認している。
一方のセセラ──。
「じゃあ俺、一旦……急ぐとこあるから」
「……ああ、どうぞ」
セセラの声色は既に元通り。
目標はただひとつ。機関内休憩ラウンジ、すなわち喫煙所。
(足りない。足りない。足りない……!!)
廊下をズンズン進む。
脚は長く、歩幅は大きい。追いつける者などいない。
「薊野さん、お疲れ様で──」 「お疲れ!!」
「薊野さん、おつか──」 「お疲れ!!」
「薊野さん、お──」 「お疲れ!!」
すれ違う職員たちの挨拶を次々と力強く打ち返しながら、一目散に目的地へ突っ走る。
(学校から機関に戻るまでの移動中に1本吸った。……が、無理だ。全然足りねぇ。足りねぇんだよ……!)
「薊野さ──」 「お疲れ!!!」
怒涛のような返答を残して、セセラはラウンジの扉を開け放つ。
──そして次の瞬間。
渇きを潤す煙が、ついに彼の中を満たしていく。
「……っっっっはあああああああああ…………」
夕暮れの空と、白い煙と、深いため息。
龍の研究者とは、時に命を削っても平穏を欲するのだった。
──煙草をくゆらせるその背中に、ひとつの影がすっと近づく。
「満たされたか?」
普段のドレスのようなワンピーススタイルに着替え終わったシエリだった。
「あー……まあな。あと2、3本吸えば完璧だけど……我慢しとくわ」
シエリがセセラの隣に立ち、淡々と告げる。
「山科という生徒の件、報告書には記載する。キミもできるだけ詳細に書いておいて」
「あぁ、わかってる。……あれは当たりかもしれねえ」
「そうだな。夢の干渉、視覚系の違和感、外部からの気配……条件が揃っている」
「この前の任務での龍も、精神影響強かったしな。……少し、傾向が変わってきてるような気もする」
セセラは煙を吐きながら、真剣な顔で呟いた。その横顔を見つめながらシエリが続ける。
「生徒に直接的な被害が出ていないのは不幸中の幸いだけど……」
「……あの夢の話、もう少し掘り下げる必要があるな。龍由来の夢ってのは、俺たちでも全容が掴めてねえ」
「ふむ……。あとで、念のため山科くんの通学経路と生活圏の情報も洗ってみるよ。今のところ“影”は彼の視覚の問題として処理されているが……」
「影が“外側”の存在なら、学校周辺に何かある可能性もある」
ふたりは静かに頷き合った。
シエリは一歩進み、振り返らずに──。
「では、帰ったら報告書の整理を。夕飯は……そのあとにしてもいいな」
「……俺の自由はいつ来るんだろうな」
そうぼやきつつ、セセラも立ち上がる。
夕焼けが少しずつ夜の帳に染まりゆく中、ふたりの研究者は再び“仕事”へと歩を進めるのだった。
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SF
【あらすじ】
「補給がなければ、戦場に立つ資格すらない」
坂上真一(さかがみ しんいち)、50歳。
かつてイージス艦長として鉄壁の防空網を指揮し、現在は海上自衛隊で次世代艦の兵站システムを設計する男。
背中には若き日の過ちである「仁王」の刺青を隠し持ち、北辰一刀流の達人でもある彼は、ある日、勤務中に仮眠をとる。
目が覚めると、そこは湿気と熱気に満ちた1944年のビルマだった。
鏡に映っていたのは、小太りで口髭の男――歴史の教科書で見た、あの「牟田口廉也」。
しかも時期は、日本陸軍史上最悪の汚点とされる「インパール作戦」決行の直前。
部下たちは「必勝の精神論」を叫び、無謀な突撃を今か今かと待っている。
(……ふざけるな。俺に、部下を餓死させろと言うのか?)
現代の知識と、冷徹な計算、そして海自仕込みのロジスティクス能力。
すべてを駆使して、坂上(中身)は歴史への介入を開始する。
精神論を振りかざすふりをして上層部を欺き、現地改修で兵器を強化し、密かに撤退路を整備する。
これは、「史上最も無能な指揮官」の皮を被った「現代の有能な指揮官」が、確定した敗北の運命をねじ伏せ、数万の命を救うために戦う、逆転の戦記ドラマ。
花鳥見聞録
木野もくば
ファンタジー
花の妖精のルイは、メジロのモクの背中に乗って旅をしています。ルイは記憶喪失でした。自分が花の妖精だったことしか思い出せません。失くした記憶を探すため、さまざまな世界を冒険します。
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