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コヨタ

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第6話 ふたりの先生

第6話・2 激痛! 薊野宅と職場

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 夜──。

 セセラは帰宅後、シャワーの音に包まれていた。

 蒸気が立ちこめるバスルーム。

 眼鏡を外したその視界は、何も

 ──セセラは生まれつき重度の弱視。
 幼少期の頃に更に悪化し、現在は視力すら無く──即ち、盲目となってしまっている。

 しかし彼の目にはな作用が働いており、専用の眼鏡のレンズを通すことで視界を得られている。

 そんなハンデを抱えていたセセラは、シャンプーのボトルを手探りで取りながら、凹凸のある印を指先でなぞっていた。

(これを発明したヤツ、マジで天才だな……)

 シャンプーとリンスを間違えずに済む工夫。

 洗顔、洗髪のため風呂用眼鏡すらも外している状態。手の感触だけが、そんなセセラの風呂場での命綱だった。

(山科の件、明日には報告まとめ終わらせて……対象地点の気配も洗うか)

(記録には夢の詳細、地理的な影との遭遇回数……あと、生徒の精神状態の変化……)

 蒸気と泡の中で、頭の中はもう“次”へと進んでいた。

 その時、隣にある湯船から声が聞こえてくる。

「そろそろシャンプーが切れてくる頃だな。昨日買い忘れてしまったなァ……」

 ──シエリだった。

 同じ浴室、湯船にシエリは浸かっている。

「んー……」

 洗髪中のセセラは生返事。

「今日は『せんせぇ』の日だったから、スタイリング剤で髪洗うの大変だろ。私が洗おうか?」

「べつにいい」

 即答。

「……ふん、キミが子供の頃は毎日だったのにな」

 どこかつまらなさそうに呟くシエリ。

 湯気が立ちこめる湯船の中。
 この小さな幼女のような存在はいったい、何歳なのだろうか──。

 日常の静けさの中に、静かに潜む異質さ。

 それが、シエリとセセラの暮らしだった。


 ◇


 夕食も終わり、夜の時間。

 ふたりはリビングのソファでくつろいでいた。

 テレビもついていない。灯りも控えめ。ただ温かいお茶と、柔らかなクッションに包まれて。

 仕事の話は抜き。今日は“せんせぇ”として頑張ったセセラに対して、シエリは何も強いることはなかった。

「……でね、今日のあの生徒……アクスタって何だと思う?」

「……アクリルスタンド……じゃねえの」

「おお、意外と詳しいじゃないか」

「前にアシュラのアクスタを自作したっていうとんでもない職員がいたからな……」

 そんな他愛のない会話が、何より心地良かった。

 ソファに深く沈んだシエリが、ふわぁ、とあくびをする。

 その口元から覗いたのは、明らかに人間のものではない──
 細くて、長くて、まるでのような鋭さ──。

 セセラはタブレットを手にし、何気なくネットを漂っていた。メモでも資料でもない。目的の無い時間。

 ──だが、ふと。

「…………」

 視界の端が、静かに、黒く沈んでいく。

(……来たか)

 目を凝らしていたわけじゃない。眼鏡もかけている。
 だが、暗い霧がかかるように、世界が消えていく。

「……あ」

 短く声が漏れた。

 ソファの隣──おそらくシエリがいる方向へ、セセラは声を投げた。

「わりい、先生……頼む」

 その瞬間。

 空気が、変わる。

 隣にいたシエリの呼吸が、一段階、深く、早くなる。

「……は……っ……」

 まるで、何かを“渇望”するように。

 そしてシエリは、無言のままセセラの膝の上にゆっくりと跨った。

「……ちょっとチクッとするぞ」

 囁く声の優しさとは裏腹に──。
 鋭く、確かな痛みがセセラの首筋を貫く。

「……ん゙……ッ……!」

 直後、なんとも言えぬ快感。

 ──吸血。

 シエリの牙が皮膚を突き、血液を奪い取る。
 その瞬間、セセラの濁っていた瞳に色が戻っていく。

(……あ、効いてきた)

 赤。

 深紅の光が瞳孔に宿り、再び世界が明るくなる。

 ──しかしシエリはまだ止まらなかった。

「……おい……イテッ……長くねえか……っ」

「……うるさい。キミだって今日は煙草を必死に求めていただろう。それと一緒だ」

 そして一際強い力で、吸い付く。

「……う、ぁ…………ッ……」

 ──シエリの正体。
 それは“人型”を得た、極めて特異な“龍”。

 彼女は定期的に吸血を行い、それによって肉体を維持し、長命を得ている。

 だが、誰の血でも良いわけではない。ここ20年、最も適していたのがセセラの血液だった。

 そして吸血時、シエリは彼の視神経に作用する特殊な毒を注ぎ込む。

 眼鏡をかけている間のみだが、それがセセラの視覚を補っているのだ。

 与え、与えられ。

 お互いにとって、生存に必要不可欠な存在。

 ──だから、滅多なことでは離れられない。


 ◇


 翌日。学校の保健室。

 再び、猫被りモードのセセラがそこにいた。

「山科くん、また来てくれてありがと~♡ 昨日のこと、ちょっとだけ続き、いいかなぁ?」

「……はい」

 山科くんは、やや緊張した面持ちで椅子に座る。

 昨日と同じ制服。眠れなかったのか、目の下にはうっすらと隈が浮いていた。

「ねぇ、昨日の夢の中でさ……声がしてたって言ってたよね。もう少しだけ、思い出してもらってもいい?」

「……はい。えっと……たぶん、何かを呼んでる……というか。誰かに向かって話してるみたいな……」

「ふむふむ~」

「……『帰ってこい』とか、『まだ終わってない』とか……そんな感じの言葉が……ハッキリはしないんですけど」

 セセラは猫被りの微笑みを崩さないまま、タブレットにすばやく指を走らせていく。

(……呼びかけ……執着……記憶干渉レベルで固定化されてるパターンか?)

「夢は1ヶ月くらい前から見るって言ってたよね。その夢の中で声を聞く頻度はどう? 例えば、最近になって急に増えたとか~」

「……先週から、毎晩……」

 僅かに鋭くなるセセラの目。だが笑顔は変わらない。

「ありがと~山科くん。ちゃんと話してくれて嬉しいよ。先生、もうちょっと調べてみるからね」

「はい……」

 山科くんが退室した後、セセラはゆっくりと背もたれに深く体を預けた。

「──確定だな」

 カチッと、イヤホン型の通信装置を耳に差し込む。

「こちら薊野。山科の件、干渉強度高い。“接触の可能性”アリだ。調査準備、進めてくれ」

『承知しました。すぐに周辺区域の干渉脈を割り出します。資料を回してください』

「……あー、レポート地獄かよ……。俺ばっかり損な役回り……」

 小声でぼやきながらも、セセラはすでに“せんせぇ”から“機関員”へ切り替わっていた。

 ここからはが発揮される時間。


 ◇


 数時間後。
 龍調査機関・地下フロア。

 セセラは操作室のモニター前で、資料を次々と照合していた。

 周辺区域の精神干渉脈、夢への侵食傾向、そして“龍の残響”の反応。

 そこへ、静かに扉が開き、シエリが入ってくる。

「どうかね、キミの見立ては」

「見立てってレベルじゃねえよ。完全に。夢を介して干渉してきてる。そろそろ実体化するか、してるかのどっちかだ」

 無表情のまま隣の席に腰掛け、資料を一瞥するシエリ。

「対象はまだ確定していないのか?」

「影だな。山科が見たってやつ。時間帯的に……放課後が多い。学校から商店街のルートに集中してる」

「ふむ……。発生地点の地図も出しておこう。仮に“視覚型の干渉”なら、範囲内に他の目撃者がいてもおかしくない」

「……山科の精神はまだ安定してるが、放置したら崩れるかもな」

 セセラは椅子をくるりと回し、自らの顎に指を添えた。

「先生、どうする? 俺単独で張り込むか?」

「私も行く。キミだけに任せるには、少々気になる」

「……サボりてえだけじゃねえだろうな」

「フ、どちらとも言える」

 淡々と答えるシエリに、セセラは片眉を上げる。

「私とセセラで夜、現地に張り込む。念のため、レイラとリルの行動記録も見直しておけ。似た干渉パターンが出ていないか確認する」

「了解。……あー、また徹夜コースかよ……」

 セセラのぼやきに、シエリが静かに笑うように呟いた。

「せんせぇ、がんばれ」

「……うるせーよ」

 夜へと差し掛かろうとする静かな時間に、ふたりの影がまたひとつ、機関に深く溶け込んでいった。


 ◇


 そして、夜──。

 静かな車内。

 セセラは助手席に座り、コンパクトな端末を操作している。

 運転しているのは、金髪の女性職員・ラルト。

「久しぶりに外の現場だね、薊野さん」

「……ああ。今日はシエリ先生も出てる」

「それは心強いね~」

 ラルトはいつも通りのおっとりとした口調。しかしハンドル操作は非常に的確だった。

「……あの子、山科くんって言ったっけ。夢の話、怖がってた?」

「いや、むしろ妙に冷静だった。……それが逆に気になってな」

「そっか……」

 やがて車は、学校近くの人気ひとけの無い通学路へと到着する。

 時刻は午後9時を回っていた。

 シエリが既に先に現場に入っており、付近の波長をチェックしているとの報告を受けていた。

「ここからは徒歩で巡回だ。ラルトはバックアップポジション頼む」

「うん。気をつけてね」

 セセラは車を降りると、夜気に包まれた細い路地をゆっくりと歩き始めた。

 耳には、シエリからの通信が入ってくる。

『精神干渉濃度、上昇中。時間帯も一致している。来るぞ』

「……了解」

 足元のアスファルトが、じわじわと冷たく感じる。

 気温ではない。

 “何か”が、そこにいる。

 セセラの足取りが止まる。

 ──張り込み開始。
 ここから、気配は確実に近づいていた。

 深い静寂の中、セセラは路地の影に身を潜める。

 微かな風が吹く。木々が揺れ、落ち葉が舞う。

 だが──その風に紛れて、“違うもの”が混ざっていた。

 ──ザッ……ザッ……

 足音。

 ゆっくりと、湿ったコンクリートを踏みしめる、何者かの足音。

『セセラ、南東側。視覚異常波確認。目視注意』

「りょ」

 静かに呼吸を整え、セセラは眼鏡を指で押し上げた。

(ここに来る。……“影”の本体)

 次の瞬間。

 闇の奥から、ぬるりと何かが這い出してくる。

 人型のようで、人ではない。
 黒い靄に包まれ、顔も輪郭も曖昧。

 ただ、その中央にはぼんやりと──ひとつの“目”があった。

「……出たか」

 セセラは即座に後方へ飛び退く。体術の型に従い、膝を低く構えた。

 並の研究者なら戦闘はおろか逃げるだけが精一杯だ。

 だが彼は違う。
 戦闘班以外では、龍に最も近い立場で、それに触れ続けてきた男。

 敵の動きを読み、身を捻って躱す。
 そのまま蹴りを入れるが──足応えは、無い。

「……霧みてえなもんか?」

 攻撃は抜けるが、“圧”はある。
 しかし視界がチラつき、脳の奥がざわめいた。

『セセラ、意識乱されるぞ。深呼吸しろ』

「っ……わかってる……!」




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