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第二話 航太郎と皐月(下)
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2.
「来月日本に帰るからそのつもりでいなさい」
母にそう言葉をかけられたとき、私は心の中で小躍りしていた。
6年振りの日本。
前に日本に来た時にはまだ5歳くらいだったはず。
もうほとんど記憶のかなたに消え去ってしまっているが、その中でただ一人もう一度会いたいと思っているひとがいる。
当時は幼すぎて顔は覚えていない。
ただ、大きな体でいつも構ってくれて、私は彼が大好きだった。
すごく大きくて優しい人だったことは覚えている。
――あの時はまだ20代だったらしいけど、今はもうおじさんになっているのかしら?
思い出せない彼の優しい顔を想像して顔が緩んでしまう。
久しぶりに会ったら彼は喜んでくれるのだろうか。
また優しくしてくれるのだろうか。
その時から私は帰国が楽しみで仕方がなかった。
そうして無事に帰国を果たし、荒島家…そういえば私は城戸だけど母の実家は荒島なのよね…、の立派な門をうきうきしながらくぐる。
そこで私を待っていたのは――。
(えっ… 誰?)
そこにいたのは厳しくて怖い顔をした逞しい男性だった。
上背はとても高く、スーツのガッシリした盛り上がりを見ると体もかなり鍛え上げているのだろう。
それこそ、子どもの私の首なんて親指と人差し指だけでねじ切ってしまえるんじゃないか…と思うほどの生物としての『格差』。
がっしりした輪郭だけどお顔立ちはきわめて整っている。格好いい…とは言える。
でも、何あの傷跡…。
怖すぎるんですけど…。
私の頭の中に「任侠」とか「スジモノ」という言葉がよぎる。
いけない。
内心のショックを隠しながら私は笑顔をつくる。
「お久しぶりですね。おじさま」
彼は玄関の玉砂利を踏みしめ、私にゆっくり近づいてくる。
って、大きすぎません? 私、おなかのあたりまでしかないんですけど…?
でも。
「お前…、皐月か?」
彼の声を聴いた途端、恐怖心が吹っ飛んだ。
間違いなく、5歳の時大好きだった『こーたろ』の声だった。
彼の声は驚くほど自然に私の耳に馴染んだ。
記憶通りの低くて、落ち着いた優しい声音。
安心した私は作り笑顔ではない、本当の笑顔を彼にむけていた。
「あら、ボケるのには早いのではなくて?」
私の言葉に、彼は一瞬驚いたような表情になる。
…仕方ないじゃない。こういう性格なんだからっ。
「姉貴そっくりに育ちやがって」
あきれたように苦笑いすると、彼は私に視線を合わせるようにしゃがみ込む。
そして、私の目を見て――
…笑った。
「お帰り、皐月」
ひゃあああああ…!
優しい!
怖い顔なのになんで笑顔はこんなにやさしいの!?
声もいいっ! おなかに響くっ!
ギャップにやられた私は急に高鳴りだす胸に翻弄されながら挨拶を返す。
「た…、ただいま戻りました」
「じゃあ、家に入ろうか」
言いながら彼…、航太郎さんは手を出してくれる。
おずおずと大きな指先を握るとまた微笑んでくれる。
「…そのお顔は反則です」
私はふいっと航太郎さんから真っ赤になった顔をそらす。
航太郎さんは気にした様子もなく私と手をつないだまま、空いている左手でキャリーバッグを持ってくれてゆっくり玄関へ向かった。
日が落ちるころ母が荒島家にやってきた。
日本に戻ってきてから私と別れて2か所もお仕事で回ったためちょっと疲れた顔をしていたが夕食にビールをいただいてあっという間に元気になっていた。
母のこういうところは本当にすごいと思う。
「そんなわけで、中学からは皐月を日本の学校に通わせようと思うのよ」
夕食を終えて、デザートに梨をいただきながら母はそう切り出した。
そう、今回の帰国の目的はふたつ。
ひとつは母のお仕事の関係、もうひとつは私の進路だ。
このまま母について世界を飛び回るか、それとも母と一度別れて日本で腰を落ち着けるか。
私と母は話し合って、私だけ日本で暮らすことを決めた。
まだ1年以上は先の話だが、母といると1年はあっという間だ。
そこで今回しばらく日本に滞在して通う学校を決めるのだ。
とはいえ、籍をここに移して公立の学校に編入すれば特に受験はいらないし私も中学校まではこだわりはない。
話はまとまり祖父母と母はリビングで飲みなおすというので私は小走りで航太郎さんの隣に向かい、袖を引っ張った。
「どうした?」
お茶を飲んでいた航太郎さんはすぐに振り向いてくれる。
「おじさまのお部屋に行きたいです」
私の言葉に航太郎さんは少し怪訝な顔をする。
「…埃っぽいぞ?俺も滅多に帰って来ないからな」
「構いません。何なら一緒にお掃除しましょう」
私がそう笑って言うと、航太郎さんは湯呑を置いて立ち上がり祖父母と母に声をかける。
「俺と皐月は俺の部屋にいる」
「そのまま寝かせちゃってもいいからねー」
缶ビールを持って手を振る母に手を挙げて応えると、私と航太郎さんはリビングを出ていった。
もう。航太郎さんの前では寝ませんよ。恥ずかしい。
「そういえば、おじさま何もくれませんね?」
暗い廊下を二人で歩きながら私は航太郎さんに声をかけた。
「なんのことだ?」
怪訝そうに言う航太郎さんに、私はちょっとだけがっかりする。
私は小走りに追いかけて半歩航太郎さんの前に出ると、上目遣いに彼を見上げる。
「次に会ったらいいものくれるって言ったのに。うそつき」
わざと口を尖らせてそう言ってみると、航太郎さんは「ああ…」と声を漏らした。
「そのことか」
言いながら航太郎さんは足を止める。
「なら、ちょうどよかったな」
言いながら目の前の襖をガラリと開けた。
襖の向こうは壁一面に見たこともない三角形の何か(修学旅行で一定の世代から上に人気だったペナントだ)や木刀、ラグビーボールなどが部屋の隅に片づけてある、いかにも「男の子の部屋!」といった空間だった。
おそらく18歳でここを出たときのままなのだろう。
わー…
私男の子の部屋って初めて。
物珍しさにきょろきょろ見ていると航太郎さんが座るように促してくれる。
そうだった。
この部屋は男の子の部屋ではなく、航太郎さんの部屋なのだ。
おせんべいみたいな平べったい座布団にちょこんと座った私の前に航太郎さんはガサリと紙袋や封筒を置いた。
かなり古いものから比較的新しいものまで、全部で5つ。
「これは?」
小首をかしげて聞いてみると、
「まさか6年も帰って来ないとは思わんだろ」
航太郎さんは頭の後ろをかきながらそう言った。
――もしかして。
私は一番古い封筒を開けて中身を手のひらに出してみる。
入っていたのはウサギのマスコットのついたかわいいヘアピンだった。
「おじさま、私もう子どもじゃありませんよ」
「11歳は立派な子どもだ。それは6歳のお前にやるつもりだった」
残りの封筒も開けてみるとみんな可愛めの小物ばかり。
一番新しい封筒…これは紙袋かな。
からは、目つきの悪い片目のクマの小さなぬいぐるみがころんと飛び出してきた。
「…何ですかこれ」
「それは去年のお前へ、だな。オラックマとかいうらしい」
言われて私は吹き出してしまう。
「ほんとに何ですかこれ… あー、おかしい」
「流行っている…と聞いたが違うのか」
少し気落ちしたようにつぶやく航太郎さんが… ごめんなさい、可愛い。
私が海外にいたことを差し引いても、こんな人相の悪いぬいぐるみが流行るとも思えない。
「知りませんよ」
ようやく笑いが収まってきた私はオラックマ?のぬいぐるみを抱いて航太郎さんを見上げる。
「全部、大事にしますね?」
「…ああ」
「ところで、今年の分はないんですか?」
――そうして、翌週一緒に買い物に出かけて買ってもらったマラカイトの髪飾りは今でも愛用する私のお気に入りになったのだった。
それから3年。
私は予定通り日本で荒島の実家に暮らし、たまに会いにきてくれる航太郎さんに遊びに連れて行ってもらう生活を続けていた。
私も少しずつだけど大きくなった。彼の隣に並んでも胸の下くらいまではある。
…航太郎さんが大きすぎるんですよもう!
それはともかく、今日は一緒に夏祭りに行くのだ。
お祖父さまに買っていただいた紫紺色の浴衣を着て宝物の髪飾りも付けた。
鏡の前でくるりと回って笑ってみると、自分でも満足の可愛さだった。
「ふふ…、今日は意識させてあげますよ航太郎さん!」
ひそかに闘志を燃やして航太郎さんの前に出ていくと…
「おう、綺麗だな」
「き、きれ…」
またこの人はもう!
「子どもの成長って早いな」
「また子ども扱いする…」
熱くなった頬を覚ましながらすねた声を出して見上げる私に航太郎さんは手を差し出す。
「さ、行くぞ。りんごあめ買ってやるよ」
「…小さいのがいいです」
航太郎さんの指先をぎゅと握った私はそのまま逞しい腕に飛びついて夏祭りに向かった。
――そして。
「ぉ…あ、荒島副部長…!?」
はぐれないように航太郎さんの腕につかまりながらりんごあめを食べてご機嫌の私の前にひとりの女性が現れた。
航太郎さんはその女性を見ると薄く笑って声をかけた。
「ん? ああ、桜井くんか。珍しいところで会うな」
…って、もしかして航太郎さん今笑った…? いつも外では鉄壁の鉄面皮なのに!?
「あの、弟と来たんです。その、今、花火の前にお手洗い行ってて…」
ちょっと緊張したような女性に目を向けると、
その女性はピンクっぽいオレンジの浴衣で髪にはお面をつけて、左手には焼きそばを持っていた。
全力でお祭りを楽しんでいる風情だ。
「おじさま、こちらは…?」
「ああ、職場の部下で桜井くんだ」
部下…会社の方か。
…それにしても。
背は私とそんなに変わらないのに、何このしっくりくる感じ…。
多分年齢は20代前半くらい? 美人っていうよりはかわいい感じ。お化粧もさりげなくて上手い。元がいいからできるメイクだ。
何より…ちゃんと補正したら?って思ったけど補正してこの着こなしだということがわかってしまう腹立たしい胸もと。
今の私が逆立ちしてもなれない、大人の女性。
そして、この人は航太郎さんを怖がっていない。と、いうか思わぬところで会えて喜んでいるのがわかる。
じっと見つめてしまった私を桜井さん?は不思議そうに見ている。
…いけない。
「初めまして、姪の城戸 皐月です」
「あっ、桜井 淑乃です…」
ぺこりと頭を下げると少し遅れて桜井さんも頭を下げる。
揺れた髪からいいにおいがする。
その時、人混みの向こうから声がした。
「ねーちゃーん」
「あ、あっく…弟が呼んでますからこれで失礼しますっ!」
「ああ」
桜井さんは航太郎さんに急いで頭を下げると駆け足で去っていく。
そんな桜井さんにゆっくり手を振る航太郎さんに思わず私はジト目を向けてしまう。
「何格好つけてるんですかいい年して」
「格好つけてたか?」
「ええ!とっっっても!」
「俺にも会社でのイメージがあるんだ」
「イメージ? 鬼の荒島…鬼島って呼ばれてるっていうアレですか?」
「お前な…」
少し苦い顔をする航太郎さんを見ながら私は全く違うことを考えていた。
(すごくかわいい人だった。おじさまはああいう子がいいのかな…)
――ふいに、航太郎さんが私を抱き寄せる。
その真横を酔った男性がふらふらと歩き、航太郎さんに浅くぶつかる。
「あー、すみませ… ひぃっ…!」
ぶつかった男性は航太郎さんの顔を見て人混みをかき分けるように逃げていく。
「怖いお顔してるから…」
「申し訳ないとは思っているさ」
そう思っていても、傍からは逃げている男性を睨んでいるようにしか見えない。
私には、少し落ち込んでいるのがわかるんですけど!
「女避けにちょうどいいと思ってたんですけど。…やっぱりわかる人にはわかっちゃうんでしょうね」
「…何の話だ?」
「いいです! おじさまはわからなくて!」
そう言って私は抱き寄せられていた腕からくるりと抜け出ると改めて航太郎さんの腕に抱きついた。
「花火始まるみたいですよ! 行きましょう」
私が大人になったら、桜井さんにもきっと負けないんだから!
「来月日本に帰るからそのつもりでいなさい」
母にそう言葉をかけられたとき、私は心の中で小躍りしていた。
6年振りの日本。
前に日本に来た時にはまだ5歳くらいだったはず。
もうほとんど記憶のかなたに消え去ってしまっているが、その中でただ一人もう一度会いたいと思っているひとがいる。
当時は幼すぎて顔は覚えていない。
ただ、大きな体でいつも構ってくれて、私は彼が大好きだった。
すごく大きくて優しい人だったことは覚えている。
――あの時はまだ20代だったらしいけど、今はもうおじさんになっているのかしら?
思い出せない彼の優しい顔を想像して顔が緩んでしまう。
久しぶりに会ったら彼は喜んでくれるのだろうか。
また優しくしてくれるのだろうか。
その時から私は帰国が楽しみで仕方がなかった。
そうして無事に帰国を果たし、荒島家…そういえば私は城戸だけど母の実家は荒島なのよね…、の立派な門をうきうきしながらくぐる。
そこで私を待っていたのは――。
(えっ… 誰?)
そこにいたのは厳しくて怖い顔をした逞しい男性だった。
上背はとても高く、スーツのガッシリした盛り上がりを見ると体もかなり鍛え上げているのだろう。
それこそ、子どもの私の首なんて親指と人差し指だけでねじ切ってしまえるんじゃないか…と思うほどの生物としての『格差』。
がっしりした輪郭だけどお顔立ちはきわめて整っている。格好いい…とは言える。
でも、何あの傷跡…。
怖すぎるんですけど…。
私の頭の中に「任侠」とか「スジモノ」という言葉がよぎる。
いけない。
内心のショックを隠しながら私は笑顔をつくる。
「お久しぶりですね。おじさま」
彼は玄関の玉砂利を踏みしめ、私にゆっくり近づいてくる。
って、大きすぎません? 私、おなかのあたりまでしかないんですけど…?
でも。
「お前…、皐月か?」
彼の声を聴いた途端、恐怖心が吹っ飛んだ。
間違いなく、5歳の時大好きだった『こーたろ』の声だった。
彼の声は驚くほど自然に私の耳に馴染んだ。
記憶通りの低くて、落ち着いた優しい声音。
安心した私は作り笑顔ではない、本当の笑顔を彼にむけていた。
「あら、ボケるのには早いのではなくて?」
私の言葉に、彼は一瞬驚いたような表情になる。
…仕方ないじゃない。こういう性格なんだからっ。
「姉貴そっくりに育ちやがって」
あきれたように苦笑いすると、彼は私に視線を合わせるようにしゃがみ込む。
そして、私の目を見て――
…笑った。
「お帰り、皐月」
ひゃあああああ…!
優しい!
怖い顔なのになんで笑顔はこんなにやさしいの!?
声もいいっ! おなかに響くっ!
ギャップにやられた私は急に高鳴りだす胸に翻弄されながら挨拶を返す。
「た…、ただいま戻りました」
「じゃあ、家に入ろうか」
言いながら彼…、航太郎さんは手を出してくれる。
おずおずと大きな指先を握るとまた微笑んでくれる。
「…そのお顔は反則です」
私はふいっと航太郎さんから真っ赤になった顔をそらす。
航太郎さんは気にした様子もなく私と手をつないだまま、空いている左手でキャリーバッグを持ってくれてゆっくり玄関へ向かった。
日が落ちるころ母が荒島家にやってきた。
日本に戻ってきてから私と別れて2か所もお仕事で回ったためちょっと疲れた顔をしていたが夕食にビールをいただいてあっという間に元気になっていた。
母のこういうところは本当にすごいと思う。
「そんなわけで、中学からは皐月を日本の学校に通わせようと思うのよ」
夕食を終えて、デザートに梨をいただきながら母はそう切り出した。
そう、今回の帰国の目的はふたつ。
ひとつは母のお仕事の関係、もうひとつは私の進路だ。
このまま母について世界を飛び回るか、それとも母と一度別れて日本で腰を落ち着けるか。
私と母は話し合って、私だけ日本で暮らすことを決めた。
まだ1年以上は先の話だが、母といると1年はあっという間だ。
そこで今回しばらく日本に滞在して通う学校を決めるのだ。
とはいえ、籍をここに移して公立の学校に編入すれば特に受験はいらないし私も中学校まではこだわりはない。
話はまとまり祖父母と母はリビングで飲みなおすというので私は小走りで航太郎さんの隣に向かい、袖を引っ張った。
「どうした?」
お茶を飲んでいた航太郎さんはすぐに振り向いてくれる。
「おじさまのお部屋に行きたいです」
私の言葉に航太郎さんは少し怪訝な顔をする。
「…埃っぽいぞ?俺も滅多に帰って来ないからな」
「構いません。何なら一緒にお掃除しましょう」
私がそう笑って言うと、航太郎さんは湯呑を置いて立ち上がり祖父母と母に声をかける。
「俺と皐月は俺の部屋にいる」
「そのまま寝かせちゃってもいいからねー」
缶ビールを持って手を振る母に手を挙げて応えると、私と航太郎さんはリビングを出ていった。
もう。航太郎さんの前では寝ませんよ。恥ずかしい。
「そういえば、おじさま何もくれませんね?」
暗い廊下を二人で歩きながら私は航太郎さんに声をかけた。
「なんのことだ?」
怪訝そうに言う航太郎さんに、私はちょっとだけがっかりする。
私は小走りに追いかけて半歩航太郎さんの前に出ると、上目遣いに彼を見上げる。
「次に会ったらいいものくれるって言ったのに。うそつき」
わざと口を尖らせてそう言ってみると、航太郎さんは「ああ…」と声を漏らした。
「そのことか」
言いながら航太郎さんは足を止める。
「なら、ちょうどよかったな」
言いながら目の前の襖をガラリと開けた。
襖の向こうは壁一面に見たこともない三角形の何か(修学旅行で一定の世代から上に人気だったペナントだ)や木刀、ラグビーボールなどが部屋の隅に片づけてある、いかにも「男の子の部屋!」といった空間だった。
おそらく18歳でここを出たときのままなのだろう。
わー…
私男の子の部屋って初めて。
物珍しさにきょろきょろ見ていると航太郎さんが座るように促してくれる。
そうだった。
この部屋は男の子の部屋ではなく、航太郎さんの部屋なのだ。
おせんべいみたいな平べったい座布団にちょこんと座った私の前に航太郎さんはガサリと紙袋や封筒を置いた。
かなり古いものから比較的新しいものまで、全部で5つ。
「これは?」
小首をかしげて聞いてみると、
「まさか6年も帰って来ないとは思わんだろ」
航太郎さんは頭の後ろをかきながらそう言った。
――もしかして。
私は一番古い封筒を開けて中身を手のひらに出してみる。
入っていたのはウサギのマスコットのついたかわいいヘアピンだった。
「おじさま、私もう子どもじゃありませんよ」
「11歳は立派な子どもだ。それは6歳のお前にやるつもりだった」
残りの封筒も開けてみるとみんな可愛めの小物ばかり。
一番新しい封筒…これは紙袋かな。
からは、目つきの悪い片目のクマの小さなぬいぐるみがころんと飛び出してきた。
「…何ですかこれ」
「それは去年のお前へ、だな。オラックマとかいうらしい」
言われて私は吹き出してしまう。
「ほんとに何ですかこれ… あー、おかしい」
「流行っている…と聞いたが違うのか」
少し気落ちしたようにつぶやく航太郎さんが… ごめんなさい、可愛い。
私が海外にいたことを差し引いても、こんな人相の悪いぬいぐるみが流行るとも思えない。
「知りませんよ」
ようやく笑いが収まってきた私はオラックマ?のぬいぐるみを抱いて航太郎さんを見上げる。
「全部、大事にしますね?」
「…ああ」
「ところで、今年の分はないんですか?」
――そうして、翌週一緒に買い物に出かけて買ってもらったマラカイトの髪飾りは今でも愛用する私のお気に入りになったのだった。
それから3年。
私は予定通り日本で荒島の実家に暮らし、たまに会いにきてくれる航太郎さんに遊びに連れて行ってもらう生活を続けていた。
私も少しずつだけど大きくなった。彼の隣に並んでも胸の下くらいまではある。
…航太郎さんが大きすぎるんですよもう!
それはともかく、今日は一緒に夏祭りに行くのだ。
お祖父さまに買っていただいた紫紺色の浴衣を着て宝物の髪飾りも付けた。
鏡の前でくるりと回って笑ってみると、自分でも満足の可愛さだった。
「ふふ…、今日は意識させてあげますよ航太郎さん!」
ひそかに闘志を燃やして航太郎さんの前に出ていくと…
「おう、綺麗だな」
「き、きれ…」
またこの人はもう!
「子どもの成長って早いな」
「また子ども扱いする…」
熱くなった頬を覚ましながらすねた声を出して見上げる私に航太郎さんは手を差し出す。
「さ、行くぞ。りんごあめ買ってやるよ」
「…小さいのがいいです」
航太郎さんの指先をぎゅと握った私はそのまま逞しい腕に飛びついて夏祭りに向かった。
――そして。
「ぉ…あ、荒島副部長…!?」
はぐれないように航太郎さんの腕につかまりながらりんごあめを食べてご機嫌の私の前にひとりの女性が現れた。
航太郎さんはその女性を見ると薄く笑って声をかけた。
「ん? ああ、桜井くんか。珍しいところで会うな」
…って、もしかして航太郎さん今笑った…? いつも外では鉄壁の鉄面皮なのに!?
「あの、弟と来たんです。その、今、花火の前にお手洗い行ってて…」
ちょっと緊張したような女性に目を向けると、
その女性はピンクっぽいオレンジの浴衣で髪にはお面をつけて、左手には焼きそばを持っていた。
全力でお祭りを楽しんでいる風情だ。
「おじさま、こちらは…?」
「ああ、職場の部下で桜井くんだ」
部下…会社の方か。
…それにしても。
背は私とそんなに変わらないのに、何このしっくりくる感じ…。
多分年齢は20代前半くらい? 美人っていうよりはかわいい感じ。お化粧もさりげなくて上手い。元がいいからできるメイクだ。
何より…ちゃんと補正したら?って思ったけど補正してこの着こなしだということがわかってしまう腹立たしい胸もと。
今の私が逆立ちしてもなれない、大人の女性。
そして、この人は航太郎さんを怖がっていない。と、いうか思わぬところで会えて喜んでいるのがわかる。
じっと見つめてしまった私を桜井さん?は不思議そうに見ている。
…いけない。
「初めまして、姪の城戸 皐月です」
「あっ、桜井 淑乃です…」
ぺこりと頭を下げると少し遅れて桜井さんも頭を下げる。
揺れた髪からいいにおいがする。
その時、人混みの向こうから声がした。
「ねーちゃーん」
「あ、あっく…弟が呼んでますからこれで失礼しますっ!」
「ああ」
桜井さんは航太郎さんに急いで頭を下げると駆け足で去っていく。
そんな桜井さんにゆっくり手を振る航太郎さんに思わず私はジト目を向けてしまう。
「何格好つけてるんですかいい年して」
「格好つけてたか?」
「ええ!とっっっても!」
「俺にも会社でのイメージがあるんだ」
「イメージ? 鬼の荒島…鬼島って呼ばれてるっていうアレですか?」
「お前な…」
少し苦い顔をする航太郎さんを見ながら私は全く違うことを考えていた。
(すごくかわいい人だった。おじさまはああいう子がいいのかな…)
――ふいに、航太郎さんが私を抱き寄せる。
その真横を酔った男性がふらふらと歩き、航太郎さんに浅くぶつかる。
「あー、すみませ… ひぃっ…!」
ぶつかった男性は航太郎さんの顔を見て人混みをかき分けるように逃げていく。
「怖いお顔してるから…」
「申し訳ないとは思っているさ」
そう思っていても、傍からは逃げている男性を睨んでいるようにしか見えない。
私には、少し落ち込んでいるのがわかるんですけど!
「女避けにちょうどいいと思ってたんですけど。…やっぱりわかる人にはわかっちゃうんでしょうね」
「…何の話だ?」
「いいです! おじさまはわからなくて!」
そう言って私は抱き寄せられていた腕からくるりと抜け出ると改めて航太郎さんの腕に抱きついた。
「花火始まるみたいですよ! 行きましょう」
私が大人になったら、桜井さんにもきっと負けないんだから!
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